6:絶望来たりて、光となる。 ③
六章 ③/3
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とりあえずそろそろ面倒くさくなってきたので、腕をのばしてポンポンとフィーの耳のあいだの毛を撫でておく。人間のような頭髪はないが、ここだけいつも微妙に毛足が長く、他より柔らかい手触りである。嫌いではない。
だがその手は風のような早さで、肉球のついた指に取り押さえられた。振り払われると思いきや両手で力強く握られ、傷だらけの手の甲には無視しきれない痛みが走る。
「っ!」
思わず眉間に皺が寄る俺。
……しかしコイツから普段こんなことはされない、おそらくわざとやられている。
それでも俺の手を捧げ持つように握るフィーゼリタスが言外に怒っているのが伝わってくるため、無碍に振り払えない。
「……痛えよ」
数秒間、俯き気味のフィーに睨まれたまま見つめ合う。やがてフィーは不機嫌そうに『にゅっ』と口先を尖らせたかと思うと、
「じゃあ、もう許すから、早く片付けてご飯食べよう? 次どうするかも考えなきゃ……服も、身体も、アイツらのうんこの粉とか、血とかで汚れちゃったから綺麗にしたい」
「お、おう……」
「あとそこの、内臓飛び出てる死体と、出てない死体も漁ってみよ?」
言い方。突っ込みたくなるのを抑える俺をよそに、しかしフィーは俺の手を自身の視線の高さまで下げると、その傷をじっと見つめてくる。気づけばもう眉を下げ、気遣わしげな瞳をしていた。
「それから……――イチヘイもハナトちゃんも、せめてあっちで傷口くらいは洗わせてよね……」
言って指さす先は、行きに登ってきた洞窟の入口だ。確かに入口あたりに水が流れている場所があったことを思い出す。
「……わかった」
さすがに俺も、コイツにこんな顔をさせていることは反省する。今は大人しく言うことを聞くことにした。
「あと、さ、イチ」
「なんだ」
むぐ、と声を詰まらすフィーゼリタス。
……なにやら昨日も見たような光景な気がした。
だが拗ねている勢いが続いているのか、そのままなにか決心したように耳をピンと跳ね上げると、フィーはそのまま淀みなく言葉を言い放つ――――側に立つハナトの肩を、そっと自分の横に引き寄せてきて、だ。
「イチヘイ。あのね、ボクだけじゃなくてさ、この子にも、ちゃんと今なにがあったか説明してあげてほしい。
この子、昨日から街を歩いてても、人族以外とすれ違うときはずっとびくびくしててさ……きっとココのことも、〈魔法〉も〈円環の河〉のこともなんにも知らないから……ちゃんと教えてあげてほしいんだ……」
「は……?」
唐突に何を言い出すんだと戸惑う俺。しかし一方話し出したフィーの顔つきは、俺の顔色をうかがうようにしながらも、途中からだんだん真剣なものにすり替わっていく。
ハナトはそんなフィーゼリタスをおもむろに見上げ、それから俺にもぼんやりと目を配り、急に困惑したような…………そして次の瞬間には、ともすると泣きそうな表情になっていた。
なにせ、今のハナトはなにも『話せない』のだ。
彼女がずっと胸に抱いていた筆記板は今、どういう理屈か不明だが、使用された〈魔法〉? とおぼしき現象によって、薄く張られていた魔石の部分がまるごと消失してしまっていた。
残ったのは、下地に張られていた木の板だけで――それすら魔石と接触していた面が、まるで火で炙られたかのように焼け焦げている。
ただこの筆記板のような魔石具は、そもそもはこんな用途の為に作られてはいないはずだった。確かに、魔石具があれば、魔法は発動する。
しかしハナトが先ほどした筆記板の『使い方』は、俺がむかしこちらの一般常識を学ばされた際に聞いた知識からしても、どうにも不可解だった。
なにせ市場に出回るような一般的な『魔石具』は、使い手の〈力〉が弱くても強くても誰でも均一に使えるよう、使い途を限定する強固な魔方陣に繋がれているからだ。
そしてそのように一度でも使い方を決められた魔石は魔方陣と、万物をめぐる〈円環の力〉との流れが完全に癒着し、それ以上やそれ以外の役割は二度と与えられなくなる。魔石には〈力〉自体は再充填できるが、新しい能力は組み込めない。
魔石具というのは、それだけの装具のはずだった。
しかしこのガキは本当に意味のわからない理屈で、その理屈をねじ曲げてきているのである。
魔石が関わる以上は恐らく〈魔法〉だったことで確定なのだが、起こった現象自体は天地がひっくり返る程度のあり得なさだ。色々と無理がありすぎる。
(ホントに何なんだ、このガキ……)
ただそれによってハナトが現在、与えられていた意思疎通の手段をまるごと奪われていることだけは確かだった。
――――そして結果として、俺たちは助かったのである……。
「でもね、助けてもらったのに、ボクじゃこの子になにも話してあげられないんだよ……。ボク、そっちの言葉は話せないから……」
途中聞き流してしまっていたが、いまだにフィーゼリタスは真剣に話している。
まあコイツの言うように、本来であれば感謝するべきところなのだ。
「それ、は、そうだが……」
それでも次の言葉に詰まる俺に、フィーはまだ矢継ぎばやに言う。
「おねがい、いま何が起こったかだけでも……」
瞬間、俺の胸のなかには明確に沸き上がる感情があった。
――――……『嫌』、だったのだ。自分でも驚くほどに。
普段なら、コイツの言うことなら面倒でも大体は受け入れてきたと言うのに。
口が勝手に滑る。
「だがお前、いまの現象は俺にも意味がわからんぞ。金融手形も魔石具だが、アレが火を吹くようなもんだ。お前には説明できるのかよ」
「……わかんないけど。魔法とか苦手だし」
「じゃあ説明もなにもねえじゃねえかよ」
「そう、だけど、そうじゃなくて」
知っている、詭弁だと。舌戦となれば俺の方がフィーより弁が立つことも。
卑怯だとは、思う。
「ねえイチ……なんで」
懇願の表情を浮かべるフィー。
そして俺は、答えあぐねてハナトへと目を逸らしていた。
……やはり急に話せと言われても、俺にはこのガキとどう接するべきなのかずっと解らない。放ってはおけないとも思うが、やはり『嫌い』であることも明白だった。
こんなの、偉ぶれるようなことではない。
しかし解っているのだ。
俺は人間として生まれたクセに、昔から善悪の価値を道徳に見いだせない。知識として理解は示せても、そして他人には心があると識っていても、その価値観で他人に共感はできない。
今『ここ』にまで引き戻されたのは、横に立つフィーと、そして俺を拾ってくれた師匠のお陰だった。
俺は、武人としてこそは活きられても、人間の『かたち』をして生きるには、ずっと何かが足りないのだ。
《……。ぃち、へ…………》
そこで目があったハナトの手が、ゆっくり動いた。
……おそらく今、名前を呼ばれた。
それを認識した瞬間、肩で息をしながら俺を見あげる彼女が伝えてきたのはあの手信号、だった。
『ごめんなさい』
「…………」
〈四ツ足ノ禽〉に囲まれていた時、ハナトが向けてきた表情までが思い出される。
どうして謝る。
再び胸に湧く苛立ちと罪悪感、そして強烈な忌避感。
いいようのない感情に言葉を失う俺をよそに、しかしハナトの細い身体からは力が抜ける。
ゆっくりと、まるで糸が切れた人形のように膝をつき、彼女はコトリと意識を失った。




