1:相棒の獣人が幼女を買ってきたんだが ①
一章 ①/3
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佇む幼女の昏い瞳は、生きながらにして死んでいる風にも見えた。それは魂のない薄汚れた人形が、ふらりと家の中に上がり込んできたかのようにさえ、錯覚させられる。
「――――ねえ奴隷ちゃん。ボク達、これから一緒に暮らすんだよ?」
白い壁に、焦げ茶の筋交い。
ひやりと涼しく、やわらかに薄暗い、人が3人ほどは並んで立てる玄関ホールに、その2人は立っていた。
何事かと様子を見に来れば、既にこの状態だったのだ。
「ほら、この人はイチヘイっていうの! 挨拶できる?」
フィーゼリタスの声が鞠のように弾む。この家で寝起きするならば日々の通過点にしかならないようなその場所に、朗らかなその声が今は異質に反響していた。
それはガキの纏う仄暗い雰囲気と混じり合い、俺の日常へ望まぬ異物がやってきたのだということを教えてくる。
また、フィーゼリタスがどんなに呼びかけても、そのガキはノロノロと目線を上げるだけで、それ以上はピクリとも動かなかった。
未発達な肢体には不釣合いな赤いドレスを着せられたそれは、見た目から判断しても10歳を越えているかわからない。しかし大きく開いた襟から覗くその胸元には、赤黒くただれた火傷の痕がはっきりと付けられていた。
まだ治りきらぬ、その無残な火膨れが象るものは、目をくり貫かれた人間の生首。
その印こそは傍目にも明らかな――――ガキの手足に嵌められた鎖枷より何より明らかな――――奴隷たる者の証でしかなかった。
「………………」
そして当の俺は、この光景にどのように突っ込むべきか、怒りを抑えながら長考していた。
ほとんど一月過ごした居心地の良い宿で、よもやこんな場面が繰り広げられるとは思いもしない。吐き出したため息は呆れを通り越し、恐らく軽蔑に近い色を帯びていたと思う。
「――――なあ、もういっかい訊くぞ? ……何でお前は飯を買いに行って、奴隷のガキなんぞ連れて帰ってきた?」
ざらつく白壁へ横向きに寄りかかって腕を組み、こちらを振り返るフィーゼリタスを視線で刺す。威圧するような強い口調だ。
だがフィーゼリタスは、のらりくらりと笑いながら返してくる。
「えーだって、『運命』だと思ったんだ! ほら、ずっと一緒に過ごしてきたボクとイチヘイみたいにさ?」
「……なんも誤魔化せてないからな? それに俺は一つたりとも了承した覚えはない」
フィーゼリタスはウサギのようなカンガルーのような、短く滑らかな赤毛の獣人だった。
ピンと張られた長い両耳に、鎖や房飾りが揺れるピアスをいくつも吊るし、今日は白とオレンジ色の、太ももまでが隠れる民族衣を着ている。ちなみにそこから垂れる長い尾だけは、他より毛足がふさふさしている。
耳の先まで入れれば、その大きさも人間の男の俺よりはでかかった。
コイツは耳長族という、この世界の獣人種の中ではわりと良く見かける方の種族だ。俺とコイツはもう6~7年近くパーティを組み、二人で傭兵稼業をして飯を食ってきたのである。
しかし今はそのクリっとした翡翠色のどんぐり眼を見ても、ピクピクと小刻みに動く鼻と耳を見ても、親しみのようなものは一切覚えない。
それはもちろん帰宅したコイツが、まるで当たり前のように10歳前後のこの奴隷のガキを、家に引き入れているからだ。
家に帰ってきてすぐ「買ってきた」とか弾んだ声で叫んでいた気もしたが、俺としては聞き逃したい気持ちでいっぱいである。
(どうしてこうなった……)
わずかに過去を振り返る。
1月半ほど前、俺たちはそれまで仕事として参加していた戦場での仕事を切り上げてきた。その流れのまま、偶には長い休みを取りたいと俺が希望をあげ、この汽水湖の都市ニムドゥーラに宿を取ることにしたのである。
それが、俺たちが今いる、この湖の畔に建つ小さなコテージだった。ここをフィーと二人で借り上げ、それなりに貯まった金を切り崩しながらの悠々自適なバカンス。
そして今回の事の発端は、そんな長い休みもあと三日で終わりを迎える予定日の、今日の正午前に起きたことだった。
フィーゼリタスが『いってきまーす!』と長いしっぽを揺らしながら玄関を抜けていくのを、俺は自分の寝室から顔を出して見送っていた。少し離れた路地裏の屋台通りまで、俺のおごりで昼飯を買いに行かせたのである。
昼は人通りも多い中央広場の側まで遣いに出したため、帰ってくるまで30分はかかるだろう。
ゆえにパタンと扉が閉まる音を聞いたあと、俺はフィーの帰りまで、愛剣の手入れでもするかと外のバルコニーで道具を広げた。
……のだが、これがいつまで経っても帰ってこない。
よもや何か面倒なトラブルにでも巻き込まれたかと嫌な予感を覚え出した頃、この通りフィーゼリタスは無事に帰宅してきた――――奴隷のガキを一匹連れて。
「――おい、いい加減にしろよ……??」
へらへら笑う相棒を前にして、しかしそろそろ俺も限界だった。
業を煮やした俺は、蒼いタイル張りの土間をずかずかと踏みつけ、フィーの前まで歩み寄る。
翡翠色の瞳に息がかかりそうな距離まで近づくと、普段ならコイツに向かっては絶対しないような、ドスの効いた声での恫喝を始めた。
「おまえな……巫山戯んのも限界ってもんがあるだろ? そろそろ俺もキレるぞ……? 〆られたくなかったらちゃんと答えろ」
「ひぇっ……?!」
「あ゛? どうされたい? おまえの耳切り取って煮込んだスープ食いたいか?」
刹那、長い耳がぴょこりと縮み上がる。
「わ、わかった。話すよ、こわい顔しないでよイチ……」
そしてようやく観念したらしいフィーゼリタスが口を割りはじめる。
「ね、この子ね、奴隷市の競りに出されてたんだよ……? だから買ってきたの!」
ということは、さっきの『買ってきた』も、やはり聞き間違いではなかったのだ。なにもかも手遅れだったことへの諦めと薄い絶望の気持ちを滲ませ、
「そうか…………」
と返したが、フィーゼリタスはそれのどこをどう受け取ったのか。ともかくは俺がまだ受けの姿勢でいるのが嬉しいようだった。急に尻尾をゆらゆらくねらせ出したかと思うとテンションを跳ね上げ、
「―――でね?! きいて!」
早口でまくし立てはじめる。俺はひとまずは言い分を聞いてやることにした。
「ボクが見に行った時ね、この子ちょうど競り台の上に立たされてたんだよ! 周りを下衆な大人に囲まれてさ、怖かったのか『お父さん、お母さん』って凄いしゃがれ声で泣いてたの! あ、きっと人間には聞こえないくらいの小さい声だったと思うけど!
でね、ボクそれみてビビーッて来ちゃったから、イチヘイに会わせようと思って買ってきたんだ。だって、『お父さん、お母さん』って泣いてたんだよ!?
だからボク、競り落としも頑張ったんだ! すごいでしょ!? イチヘイもうれしいよね!! ね!!」
「……。……は?」
フィーゼリタスは急に触れられて固まる幼女の肩をつかみながら、鼻息も荒く詰めよってくる。その理由があまりに難解すぎて、俺は後ずさりした。
一瞬怒っていた理由すら見失いそうになる。
なんならいっそ理解も放棄したくなるところだ――――が、(まじで死ぬほど面倒臭いが)ここで投げてしまえば確実にこの尻尾ふさふさデカうさぎカンガルーのペースに呑まれるのは目に見えている。
「あー、意味がわからねえ……もっと手短に要点だけ言え」
「――――だから、ね?? この子が『お父さんお母さん』って泣いてたから、イチヘイ喜ぶかなって、嬉しいかなって! 会わせたくて買ってきたんだよ! 嬉しいよね!?」
……ダメだコレは。
1つ、判ってしまったのだ、どうやっても解らないということだけが。
せめて『泣いていて可哀想だった』とか、『情に絆された』とかならまだ理屈として俺にも『わかる』の範疇だ。
(――――それがそこに、『俺を喜ばせたくて買ってきた』が出てくるか普通………??)
俺はいよいよ軽蔑も通り越し、いっそ哀れみにも似た瞳でフィーゼリタスを見つめてしまう。せめて何かの間違いであれと、らしくもない情けない声で尋ねてしまった。
「……お前、何かのドッキリとかイタズラとかで話してはないよな?」
「えー、やだな……ボクのこの円なおめめが、大事な相棒をからかってるようにみえる? ボクは大真面目だよイチヘイ」
言いながら、太い尻尾を両脚に巻き付け、心臓を掴む仕草――耳長族の『誠実の誓い』をするフィーゼリタス。
「――――"僕、神名と祖に誓って"、だよ?」
と、そして小首をかしげながら、誠宣までを口に上らせてきやがった。
尾の長い獣人は、おのれの言葉に偽りなしと誓うとき、だいたいこれと似たような仕草をする。
特に耳長族のするコレは、本来ならもっと儀式的な場で使う、神聖な仕草だと聞く。命すらかける重たい儀式だ。
ゆえに例えどんな軽薄な態度で行っていたとしても、ごまかしや悪ふざけでやるようなジェスチャーではないと俺は知っている。
……顔つきも、なにか嘘をついている時のそれではないと長年の付き合いで判る。
つまりその行動にだけは、俺がよく知るいつものこの相棒の、誠実さと真面目さがにじんでいた。
「ああ、まあ……そうだな……?」
俺の気の抜けた声が虚空を撫でる。その言葉は発した己の耳にも滑り込み、――――同時に、コイツの発するむちゃくちゃな言葉と態度に一貫性があってしまっているという事実が怖くなる。
俺は騒めく心を抑えるように側頭部の髪を掴みながら、苦虫を噛み潰したような声で目の前の耳長へ最終確認をとった。
「――つまりお前、は、『この奴隷を手に入れるために』『金を、払って来た』んだな……?」
「え? うん、そうだよ?」
まっさらな瞳が俺を見つめ返してくる。
一瞬だけ、俺は静かに天井を仰ぎ見た。多分俺は今、空気の抜けゆく風船のような表情をしているのだろう。
見上げる天井には五色の硝子と真鍮でてきたモザイクランプが吊るされ、玄関の窓からはいる薄い光を優しく透過している。
その、色とりどりのランプの色彩を見つめながら、俺は
(正気には思えねえ相手から急に断片的な『まともさ』を見せつけられると、俺はこんなにもたじろげるものだったのか……)
と、発見してしまったどうしようもない事柄について考察をはじめたくなった。現実逃避である。
しかしリアルには、そんなことはできようがない。なにせまだ、最も重要な話が終わっていない。
「なあ、フィーゼリタス」
「ん? なあに……?」
俺はピクピクと動く不穏な鼻先へ、静かに視線を戻した。目があった途端、胸の内にはふつふつと沸きたつ激しい感情が戻ってくる。
なにせ奴隷は、本当に買うとなれば平民がおいそれと手を出すようなものではない。値段などピンキリだが、たとえば労働者としていちばん良く働かせられる健康な男を奴隷として一人買うならば、感覚としてはそれと同額で中流家庭ならひと家族4人、2~3ヶ月は特に苦労せず暮らせたはずだ。
「――――お前、このガキにいくら払ったんだ……? そしてその金はどこから出てきた?」
ゆえに気づけば地獄の底から沸き上がるような、怒りのこもった声をフィーに突きつけている。
この奴隷は労働力としては役に立たない幼女ゆえそこまでの値は付かなかったとは思うが、それでも身にもならない無駄遣いなのは、違いない。
「ちょ、ちょっと待ってイチ、なんでそんなに怒ってるの……?」
「逆になんで怒らないと思ってるんだ?」
するとフィーゼリタスからは、あり得ないような返しが戻ってきた。
「――――よ、喜んで、くれないの…………?」
一瞬、理解できなかった。耳を疑う。
「お前それ、本気で言ってんのか??」
(普段からこんな、異常者みたいな思考のやつじゃなかったよな…………?)
しかしその問いに、このアホもようやく俺との意識に重大な温度差があることに気づいたらしい。しゅんと耳と肩を落として、上目遣いに俺を見てくる。
「わ、わかった、言うよ……」
ただ唇だけはとがらせている。その溜め息混じりの返答はこの状況で何故かひどく不満げである。
なんだコイツ。
「……217エラ、だよ」
「にひゃくじゅ……――はぁ?! 何考えてんだテメェッ?!」
俺は予想していたよりはるか上のとんでもない金額に、すっとんきょうな声をあげた。




