??:不確かな貌
章間 ①/1
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私は大きな円窓に切り取られた先に広がる、抜けるように青い空と輝くニムドゥーラ湖の水面を眺めていた。
穏やかなカーブを描いて広がる広い湾の向こうに、大きな時計塔を頂く都市が見える。あれが、交易都市ニムドゥーラ。
「240番の人、前へお越し」
声に引き戻されて広い堂内に首を回せば、また一人、待ち合う人が捌けていくところだった。
その動きを目で追うのを止めて、ふと視線を上げると石造りの堂内はいやに広く、その高い天井は緩やかに湾曲するドーム状であった。小さな天窓が、等間隔にいくつもならんでいる。
そして午後の光が抜けるそれら天井の円窓には、それぞれに花と蔦を意匠に組んだ壮麗な幾何学模様があしらわれている。〈門〉に見かける模様をアレンジしては模倣していく、まさに官庁舎然とした建築デザインである。
この建物は、ニムドゥーラ湖にそそぐウナデ川の橋の上に存在する。石造りの頑健な橋梁上に建つここは、向こうに見える交易都市ニムドゥーラへと街道をつなげる入国検査所だった。
いま私と同じく待合にいるのは観光客らしき人族の家族連れに、商人らしい身なりの耳長族の男女。私の向かいに座っている大丈族は冒険者か何かのようで、私の背丈より大きいボウガンを、それよりもっと大きな体躯で熱心に磨いていた。他にも待合室の椅子には何組もの人々が思い思いに腰を下ろしている。
ふと堂内を吹き抜ける風には水辺の緑の匂い。それから風向きが変わると海水が混じる汽水湖特有の、湿っぽい潮の香りが混じってくる。
平時ならきっと眠たくなるような、とても穏やかな雰囲気だ。
しかし当の私は、全くと言っていいほどそれどころではなかった。自分の番が近づくたび、緊張に震えそうになる体をなんとか理性で押し込めて取り繕っている。
私は魔法族である。
〈円環の河〉が魔力の源としてめぐるこの世界では、もって生まれたその〈環〉の大きさで、使える能力に差がでる。
〈力〉は誰にでも流れるが、誰でも使えるわけではない。
その中でも特に大きな〈環〉をもち、自分の『外側』に影響を与えられるような魔法使いとなれる人間は、珍しくはないにしても決して多くはない。その中でも魔法族は種族的に生まれ持つ〈力〉が多く、育てばほとんどが魔法使いとなることで有名な種だった。
ただ私自身の〈力〉は、凡夫の魔法使いにすら劣るほどの微々たるものだ。
それでもこれまでは、いろいろなものの助けを借りて〈魔法使い〉の称号を名乗れてはいた。そのうえ私はついこの間までは界隈でも"名うての研究者"であり、『白い塔』と呼ばれる最高学府で"栄誉学者"として教壇に立ち、さらには"国のために働く発明家"としても…………働いていたのだ。
「いた」、というのは、先日祖国を裏切った自分に”ふだつきのお尋ね者”という不名誉な称号が追加されたためである。
他の肩書きは、その称号を得るのと引き換えに全て失ってしまった。いまや大罪人とされた私の首には、生けどりで10000エラもの大金をかけられている。
……こんなことになるなんて、半年前までは思いもしていなかった。
しかし今はもう、事情が違う。
おかげで今の私はその素性を魔法で隠し、おそらくほとんどの人間は知ることのない『狛晶族』と呼ばれる獣人種の娘に見えるよう、その姿を被っていた。
たおやかに長く先が尖る耳と、優美な鼻先。毛皮は白く、獣人種でありながら、人族や魔法族と同じように頭からは腰まで届く長い髪が生えている。淡い夕闇のような薄紫の瞳は切れ長ながらも優しいたれ目で、じっと見つめられると、全て見通されるような神秘さと儚さがあった。
私の顔ではないのだ、何度も目にしたから知っている。私にはおこがましいほどの、美しい顔だった。
……けれどすべて失くしたことも、自分でないこの顔を被ってまで逃げ落ちる、自らの浅ましさに耐えることも、あまりにも無関心すぎた私にとっては、相応な罰であるのだろう。
無知で、自分の欲のことしか考えられなかった私のせいで沢山……たくさん『彼ら』は死んだのだから。
ただ、それでも、これが罰なのだとしても、私はどうしても捕まる訳には行かなかった。それは私を信じ大切にしてくれた『彼ら』のため、もう今は生死すら定かではない優しく気高い『彼ら』の、その誇りを衛るために必要なことだった。罰から逃げきることが、償いでもあった。
もし私が捕まれば、きっと『彼ら』は今よりさらなる窮地に追い込まれる。自白剤を飲まされズタボロにされて狂い死ぬより、私にはそちらの方がよほど恐ろしいことだった。
ゆえに何もかも捨て、ここまで自分のもてる知識・もてる技術総てを絞って追っ手から逃れてきたのである。そうして各地を転々とし、先日、私はやっとのことで連絡が付いたニムドゥーラの友人を頼って、この国境まで逃げ延びて来た。
夏がくるまでがこんなに長いと思ったことは、これまでなかった。これまでは研究さえしていれば、気がつくと日々は溶けるように過ぎていたから。
そして今から私は、その友人が送ってくれた偽造の『旅券』を、このウナデ川上の『国境管理渡橋』で、役人に見せなければならないのである。
――――私にとってはまさにここが、今までの長い旅路の中で一番の『峠』だった。
「では237番の人、前にお越し」
呼ばれたのは、さきほどから前に居た大丈族だった。頑張れば民家の2階も覗けそうな長駆で1つ伸びをすると、ゆっくりと、鉄鋲の打たれた背の高い方の扉へ消えていく。
自分より前にいた人間は、それで最後。私の受け取った木札は235番。順番に前後はあるものの、もういつ呼ばれてもおかしくは――――、
「次、235番の人。前にお越し」
思った瞬間、呼ばれていた。今度開いたのは真ん中の、私サイズの扉だった。
「は、はいっ……」
旅荷物を抱え、ゆっくりと立ち上がる。
その扉が、私には魔窟のようにも見えてならない。ぽっかり開いたあの薄闇を、果たして無事にくぐり抜けることは叶うのだろうか……。
(……大丈夫、この〈祭祀面〉の変装では、魔力の使用痕跡なんて読みようがない。大丈夫、尻尾は、もし訊かれたら『幼い頃の怪我で失くしました』と言えば良い。足は靴で隠れている。怪しいものもなにも持ってない、疑われようがない。どこからどう触られても平気。落ち着いてニカナグ……)
胸の内で噛み締めるように、自身に言い聞かせる。
私は毛皮の頭でひとつ唾を飲み込んで、手招きする役人の方へ歩みを進めて行った。




