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5:無知なる者の見る世界 ③

五章 ③/3

読了目安→4.5~7分

 しかし実際のところ、『こちらの感覚がわからない』という差異が『〈四ツ足ノ禽(アファタール)〉が飛ぶことも把握していない』などという杜撰(ずさん)な体制を呼んでいる可能性は、どうにも否めない。


 なんでこう、役人というのはボンクラなのか。


 さすがに酒場でくだを巻いて騒ぎたくなる気持ちも理解できてしまった。


「あと、今回のことで俺もお前も身に染みた思うが、妖獣狩りには妖獣狩りの専門知識が、確実に要る。

 ……ただもうここまできたら金のためには致し方ねえよな、やるしかない」


「そう、だよね……。ボクのせいで……ごめんね」


イラついたのでもういっかい叩いておいた。


「ふべっ!?」


「昨日言ったよな? もういっかい殴るか? 次はグーだぞ」


低く静かに問うと、フィーは頭に置かれた俺の手を両手で掴んで、何か確かめるように上から重さを重ねてきた。


「ご……ううん、分かってる。分かってるよ……」


「…………」


 しかし正直、その五本の指先についた肉球の感触に少し安堵している己はいた。もし本当にあのまま逆上されていたら、たとえ〈力〉を使ったとしても俺だけでは互いの血を見ずに相棒(フィー)を鎮圧できるか自信がない。


「……あのさ」


 と、その時2人ぶんの腕の隙間から、まるい翠の瞳が俺を見上げてきていることに気付いた。


「なんだ?」


「……お腹すいてた」


なんで過去形なんだと思っていると、そのままフィーは俺の腕を引き、ハナトを待たせている洞窟を示す。一拍の間のあと、こちらを見るそのどんぐり目がニヘラッと決まり悪そうに笑った。


 コイツがチビだった頃から見慣れたこの笑みに、俺はいつでも少し安心してしまう。


「ねえ、とりあえずご飯にしない? ……ちょっと夢中になりすぎちゃって、忘れてた。お腹へって、そろそろ動けなくなりそうなんだよね……」


「ああ、な」


 まぁ、早朝から飯もそこそこにぶっ通しで動き回っていたのだから、当たり前か。


《ケーティ! ケーティ! ケーティ! ケーティ》


「とりあえず一回、昼飯を食いながら次の手を考えるか……」


 俺はすっと天井を見上げながら、ため息のように言葉を吐く。


 どちらにせよ、納期はあと5日程はある。


 ……例えば、頭上で飛び交うあの化け物どもの情報をもう少し集めて出直す。


 例えば、腹立たしいが最悪この依頼は諦め、次の獲物を良く吟味してから別の依頼を受ける。


(やりようはまだある……あるはずだ)


焦りはあるが、今はそう言い聞かせるしかない。


 《ケーティ! ケーティ!》《ケーティ! ケーティ!》


「んりゃ? なんか、ちょっと残ってる壁ぎわの〈四ツ足ノ禽(アファタール)〉、啼き声かわったね」


「……そうだな」


「大丈夫だよどうにかなるよ。ならないと困るもん。特にボクがさ?」


「……笑えねえんだよ、その励まし方は」


 しょうもない雑談をしつつ、どちらからともなくその場でできる下山の準備を終わらせる。フィーが弓から外した弦をくるくると巻き上げだす一方、俺も愛刀の二振りに抜け落ちないように紐を結わえる。


 俺の目端はその束の間、フィーの耳の揺れにピアスの鎖がチラチラ光るのをとらえている。だがどうやら耳の主は、俺より先に作業を終えたようだった。


「……ねぇイチヘイ」


「なんだ」


顔を上げる気配へ、結わえ終わった2振り目を腰に差し直しつついつもの口調で返す。なぜか遠慮がちな声が返ってきた。


「――話したいことがあるんだけど……」


 その時だった。



「――――やあああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!」



四ツ足ノ禽(アファタール)〉の啼き声に紛れて聞こえた、洞窟中に反響する幼い子供の叫び声。

 俺たちの間にあったゆるい空気は、刹那にして張りつめた。




 ―~❀✣❀✣❀~―


 


 うっすらと覚める意識の中、ふすんふすんと前髪に風がかかった。


 酸っぱいような、腐ったゴミを鼻の奥に詰め込まれるような、とにかく近づきたくない嫌な匂い。


 洞窟の中の風向きが変わったのだろうか?


 あたしは夢と現のあいだで、身体の下の岩のかたさと冷たさの感触を取り戻しながら考える。さっきより体が重たい。


 でもそれよりなんだかその生ぬるい風は、身体の上を通り抜けずにあたしの顔だけを撫でている気がした。


 なんだろうと重たいまぶたを開いたら……――すでに目の前には暗い金色の目が四つあった。


 次に気づいたのは真っ赤なくちばし、白と焦げ茶色の汚い羽毛、真っ黒でボサボサの毛に覆われた胴体。トカゲみたいに長い尻尾。


「……っ、ひっ!?」


 眠いのなんか一瞬で飛んでいった。驚いて、両腕を組んで丸まった姿勢のまま固まってしまう。


(さ、さっきのモンスター……??)


 色あいだけはぜんぶ一緒。


 でもちゃんと見るとこれは、さっきふぃーぜりたすと抱き合いながら見たのとはぜんぜんシルエットが違っていた。さっきのは猫みたいな大きさだったのに、これはたぶん大きなオオカミくらいはある。嘴は長く伸び、四本の脚も骨みたいに細かったのがムキムキに太くなっていて、長い爪も足の先で黒く光っていた。


 なのに翼はない。尻尾の羽もほとんど抜けてなくなっている。4つの目に見つめられるだけで不気味だった。


《ケーティィィィィ!》


「ひっ!」


突然目の前でつんざくような轟音を出されて、あたしは固まってしまう。その瞬間、この化け物がガバッと口を開いて、組んでいた私の腕に噛みついてきた。


 嘴の先はさっきと違って鋭く曲がり、そのとがった先端があたしの腕に食い込んでくる。



「――――やあああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!」



 噛み付かれたこととその痛みに驚いて、喉からは叫び声が上がった。


 抵抗しようとしたのに、その間にも腕は強引に引っ張られ、気づいたときには仰向けに転がされている。


 おかしい。寝て休む前よりずっと身体がだるくて、いつもより力が入らない。


 その違いに『あれ?』と戸惑っている間に、気付いたらもう片腕も、それから噛みつかれていた腕まで器用に前足で押さえつけられてしまっていた。


 カタン! と乾いた音を立てて、抱いていた板が私の上から滑って落ちる。


 そのまま、化け物のクチバシの先はふぃーぜりたすが着せてくれた刺繍かがりの服にかかる。


「っ、っ、?」


良くわからない。わからないけど、これは、ダメな気がした。


 だってこれは、服を無理やり破ろうとしている。この下にあるのは、あたしのお腹と胸の境目だ。動物がこんなことをするのは、それは、それは、


(食べようと、してる……!?)


 やっとこれは、現実なんだと思い知る。キュリキュリ……と布が裂けるだけの音が怖い。


 ――――いやだ! 助けて!!


 とっさにそう叫びたかったのに、言葉を出そうとすればするほど喉からは『はひゅっ、ヘッ……』と言う掠れた音しか漏れない。暴れたいのに、脚の上にも重さと力をかけて押さえ込まれてしまい動けない。


 と、そのとき空洞に繋がる洞窟の縁に、耳の長い人影が立ったことに気付いた。急いで首を向ける。


《……ハナトちゃんっ、どうし、》


「! ……はひゅ……ぜ!」


(声が出ない、出ない、たすけてふぃーぜりたすさん!!)


 組み敷かれるあたしを見たふぃーぜりたすは瞬きの一瞬だけ固まり――次の瞬間、円かった黒目が針のように細まった。首と頭の毛が『ザワザワッ』と大きさが変わるくらいに膨らみだす。耳を伏せ、顔のまんなかにシワを寄せ、顔は確かにうさぎみたいなのに、その姿はまさに敵に立ち向かう獣そのものだった。


《っ、この!! ハナトちゃんから離れろ!!!!》


低い唸り声を上げながら、あたしを押さえつける化け物へと突進していく。


『ドン!!』


と重くて鈍い音と共に、身体の上の重さが消えた。


《ギャッ》


四つ目の身体が吹き飛んでいく。入れ代わりにあたしの身体の上には、あたしを泣きそうな険しい目で覗き込むふぃーぜりたすが覆い被さった。


《――――おい、何事だ?!》


《大丈夫ハナトちゃん?!》


体が、肉球のある両手に力強く抱き上げられると同時に、後ろからイチヘイも姿を見せた。


 あたしをだっこするふぃーぜりたすをみて一目で状況を察したらしい彼。飛びのいて3メートルくらい奥の暗がりからあたし達の様子を伺う四つ目に目をやりながら、


「……くそ! なんなんだよ一体!?」


すごく怒って、取り乱したふうに叫んだ。


 ……あたしに分かる言葉で言った。


 あたしに怒ってるんだ、きっと。


『ごめんなさい』


 胸を潰されたような気持ちになって、あたしはふぃーぜりたすの肩越しにさっき覚えたばかりの手話を見せる。何回も見せる。


 私にはまだ、これしか言えないから。


 怪我をしてしまってごめんなさい。迷惑かけてごめんなさい。


『ごめんなさい』……

「お前……っ」

 でもあたしのその『ごめんなさい』を見た彼がしたのは、なぜか困り顔だった。それも、なにかうっかり良くないことをしてしまったときにするような顔。


(――おとなも、そんな顔ってするんだ……)


 いまこの瞬間に、見たことのない化け物に襲われているのも、あたしより大きいお兄さんがこんなかおをするのも、なにもかも本当に起きているようには思えなくて。


 あたしは張り詰めた空気の中で、そんなどうでも良いようなことを考えてしまった。

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