4:四ツ足ノ禽 ①
四章 ①/3
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あれから一晩経った。
今までの仕事ができないのなら、この子のためにもイチと居るためにもこうするしかないんだって、気持ちも切り替えてここまできた。
お師匠さまの大切ないいつけも、いったん忘れよう。
……けれど、『いつも通り』の態度でいることに慣れれば慣れる程、吹いてきた突風にはやっぱり悲鳴をあげてしまう。
「ねえイチぃ、やっぱりちょっと怖いよ!? だいぶ高くなってきたし!!」
「文句言うな、登れ。やりとげろ」
「むぐ……」
ボクたちが受けた仕事は、魔獣の棲みかまでがびっくりするくらい危険な道のりだった。
日の出前に宿を出たけど、街ではやっと今ごろ商人たちが仕事を始めているかも知れない。
『ドォオオオオ!』
とお腹に響くような音を立てて、少し遠くでは止めどなく、滝が崖の上から流れ落ちている。
加えてこれより規模はちいさいけど、他にも数本の瀑布が背景に白い線を描いている。
そしてボクはいまハナトを背負って、イチヘイと一緒に切り立った崖を登っていた。
ボクは耳長族だから、イチヘイに近い体格の獣人の中ではけっこう力持ちの部類に入る。だから人族の子供くらい背負って崖を登るのだって、別に辛いことじゃないんだ。――――でもさすがにこの高さで足を踏み外したら、特に〈魔法〉も使えないボクはサクッと死ねる。
ただイチヘイが言うように、受けたからにはやり遂げなければいけないのも確かだった。
でもこの依頼、道のりは冗談みたいに険しいけど、仕事としては初心者向けだと〈冒険者ハンザ〉の受付の人からは説明されている。
そのせいかわからないけれど、ニムドゥーラからこの崖のそばを通る街道までは、〈冒険者ハンザ〉の受注書を見せたらタダで輓獣車にのせてもらえた。お客をのせて走る、大きい獣の牽く車のことだ。なんなら帰りも通りすがりの便があれば拾って乗せると言われている。
それにこの崖にも、ほかに手がかりの無いような難所には誰が打ち込んでくれたのか時々錆びた杭や太い鎖、板なんかが渡してくれてあった。
厳しいのか易しいのか解らないけど、この『至れり尽くせり度』だけ見ると本当に初心者向けみたいだ。
ならやるしかない。ちなみに目的地は、崖の中腹にある洞窟の奥にあるらしかった。
ずっしりと重たい鎖を掴み、離れたところにある別の足場まで7~8キュビ程度(※3.5m~4m)の距離をピョイッと飛び移る。崖から迫り出した次の岩の上に張り付いたとき、登攀で火照る身体をひんやりと湿った風が撫でた。風は、森の木々と滝の水の湿った匂いを含んでいた。
その冷たさが心地良くて、ボクはその岩の、舞台のように迫り出した平らな場所に這い上がると、自然と風の吹いて来る方に顔と耳を向けてしまう。
なかなか壮観な眺めだった。
崖の上から流れ落ちてくる大きな滝。
その後ろに見えるいくつかの流れは、上からではなくて崖の中腹に空いた洞窟を滝口にして吹き出していた。
落ちていく水の線は森の絨毯の縁に滝壺を穿ち、砕けた水しぶきは新しい朝の陽の下で、ボクたちに大きな虹を見せてくれていた。
ボクの生まれも山深い場所だけど、さすがにこんなに景色は見たことがなくて、思わず背中のハナトに話しかけてしまう。
彼女はボクに後ろ向きにおんぶされつつ、万が一にも落ちないようぼくの胴体にがっちり背負子と綱で固定されている。携行食と武器を結わえたボクの鞄も、今は彼女に抱いてもらっていた。
「ハナトちゃん見てほら、滝すごいよカッコいいよ……?」
《……う゛……》
意味は解ってない筈だけどそれでも声は返してくれるハナト。どんな表情なのかなと首を回そうとしたところで、後から登ってきたイチヘイと目が合った。
「おい、もう少し崖ぎわ寄れ。よそ見してると落ちるからな」
三白眼の四角いつり目が忙しい目付きでボクの足元と崖ぎわの距離を測っている。イチヘイは顔立ちに隙がないのに目付きと眉付きが険しいので、慣れていないと見つめられるだけでもなかなか怖い。
ふふふ、と笑いながら素直に下がる。
「わーマァマだ……」
「お前を育てた覚えは無えぞ」
言いながらそのまま少し、水を飲む時間だけ三人で休憩した。崖のすぐ下の森と、そこを突っ切る街道を見ながら呟く。旅人が歩いているのが見えた。
「……もしここから落ちたら、ボクは良いけどハナトちゃんも巻き込んじゃうねえ」
でもポロッと溢してしまってから慌ててイチヘイを振り返ると、この人は薄い唇を引き結んでこっちを見ている。
「あの、な……」
次に話し出すまでに、イチヘイには珍しく変な間が空く。でもボクも、それ以上は話されたくなかった。
エヘヘ、と笑って誤魔化しておく。
「大丈夫だよ、ホントに落ちるわけないし」
そうして水筒の残りを一度横に座ったハナトが飲む気配感じながら、気分を切り替えるためにも昨日、三人で街に出たあとのことを少し思い返す。
〈冒険者ハンザ〉はお役所の建物の中で、小さな礼拝堂くらいの広さの部屋をまるごと使って、隅っこの方で窓口を構えていた。
あまり日当たりの無いひんやりした待合室に入った瞬間から、あたりには古びた建物の匂いに加えて、インクや鞣した革の匂いが混ざる独特の香りが満ちていた。公文書にはよく白い獣皮紙が使われるから、きっとそのせいだ。
部屋に入って受付カウンターの向こうを見れば、働く人たちはみんな鍔のない朱色の三角帽に猛禽の意匠をあしらった銀バッジをつけている。みんな立ったり座ったり、書類をもってせかせかと動き回っていた。
一方、カウンターのこちら側にいるのは腕から刺青がのぞく人族の男たちや、耳長族の戦士と魔法使いと思われる何だかゴツゴツのパーティーなどだ。奥の仕切りでは柄の悪そうな大丈族の男女が、立ったら天井に届きそうな巨体をちぢこめて受付のお姉さんと話したりしている。
ボクには、その黒いカウンターで一線を引いて、まるでこちらと向こうでは世界が違っているように思えた。そしてここでも子連れは普通ではないのか、どちら側からもときどき物珍しそうな視線を感じる。
それでも受付をしてくれた人は、〈レギオン〉のチョビひげジジイと違ってホントにすごく紳士的だった。
『ここでのお仕事は初めてなんですけど……』というボクと、それからイチヘイに、とても丁寧に受注から報酬の受け取りまでの仕組みを説明してくれて、登録証も発行してくれたんだ。
イチヘイが『良くない噂』を聞いたなんて言うから身構えちゃっていたのに、拍子抜けだった。
『〈レギオン〉さんで断られ……。……なるほどなるほど』
そしてカウンターを挟み、他の役人と同じ帽子を被るその細面のおじさんは、イチヘイが当たり障りなく話したボクたちの事情を聞いて、一緒にどうするか考えてくれた。
その上でお上品に背筋をのばしながら、
『わたくしは〈レギオン〉の局長さんとは違い官職ですので、依頼内容などは書類上のことしかお教えできず心苦しいのですが……。
ですが現在、当ハンザが案件のなかで、お子さん連れ
でも安心で、さらに初心者向けな依頼は? といいますと……』
言いながら、飴色の古い板表紙に挟まれた、分厚い書類の冊子をだしてくる。
その中で比較的新しい獣皮紙のページを手慣れた様子で素早く探り当て、
『……まずは当都市、ニムドゥーラの保安兵団から毎年、秋から翌年の春の終わりまで発注いたしております、こちらの依頼がもっともお奨めできますね』
『……え? ああ、はいはい。……いえ、そろそろ季節も夏にはさしかかって参りましたが、今季はこちらの魔獣狩りを志願してくださる方があまりいらっしゃらなくて……終了がやや延びているんですよ。おかげで毎年こちらの依頼を出している街の兵団も、報酬を引き上げておりまして……ほらここ、この通りです』
依頼の内容ががずらっと並ふ中で、文官らしい肉のない指がサッと動く。示された【報酬額】の欄の下では、『5』の数字が横線で消されて『10.1』と赤字で上書きされていた。
そして人柄の滲み出るような、とても親切で穏やかな微笑みをボクらに向けてくれる彼。
『お急ぎで依頼をお探しとのことでしたので、お二人とも運がよろしいかと存じますよ。これまで戦闘になるような事態も特に無かったときいておりますし――――』
そんな感じで、今回のお仕事を薦めてくれたんだ。
そしてボクたちは、仲介料5000ピニを払ってそれを受注した。
……まあ、まさか受注してから道のりを聞いてみたら、狩りに至るまでに崖登りがあるとは思わなかったけれども……。
でも、おじさんが『初心者向け』だと言うのだからきっと戦闘自体は簡単に違いない。ハナトのためにも頑張らなくちゃいけない。
「……つ、ついたぁー!」
やがてボクは、目指してきた洞窟の入り口へ這い上がる。風が柔らかく吹き込んでいくけど、身体はまだ暑い。
立ち上がってふひぃー!と息をついたボクは、風の吹いてくる崖下の方を振り返りながら、さらに両耳を手で扇いだ。他の種族にはあんまり理解されないんだけど、こうやって耳を冷やすのが一番涼しいんだよね。
見下ろせば、さっきの岩の上からも倍くらい登って、多分150から200キュビくらいの高さまで来ていた。
崖下には広い森、うねった川と街道、さらに数えきれない畑を挟んだ向こうの方に、壁の白や赤茶、屋根の青がモザイクのように組合わさった交易都市ニムドゥーラの街並みが見えた。
さっきは低い崖岩に遮られて見えなかった景色だ。
街一番の大鐘楼が、ここからだとボクの小指くらいの大きさしかない。
そしてその都市を抱くように、背後には広大な蒼いニムドゥーラ湖が広がっている。ここからでも対岸が霞んで見えないような、本当に海みたいな広さだった。
「わあ、すごい」
と、少し景色に浸っている間に、
「まぁ、思ったよりかは簡単に辿り着けたな」
そんなことを言いながらイチヘイも後からヒョイヒョイッと身軽に崖を登ってくる。
ボク達がたどり着いたのは、さっき崖から水が噴き出していた滝口とおなじ、崖の中腹に空いた洞窟の中の一本だった。この崖の上にはニムドゥーラ湖とはまた別に大きな湖があって、洞窟によってはそこと通じて水を吐き出しているみたい。
滞在中に観光案内で聞いた。
ただボクたちが辿りついたこの穴だけは垂れる水の量が極端に少なくて、洞窟の真ん中に小川とも呼べないくらいの流れが、浅くチョロチョロとうねっているだけだった。その水も、少し先の天井に空いた竪穴から細く雨どいを伝う水のように落ちてくるだけ。奥の方は綺麗に乾いている。
洞窟の幅も、ボクが5人並んでも余裕があるくらいには広いので、割と奥の方まで光が届いて明るかった。
ボクはよいしょ、と掛け声をあげながらしゃがむと、小さい流れの側の、柔らかい苔が生した上でハナト(と荷物と狩りの道具)を下ろす。
「おつかれさまー。……怖くなかったハナトちゃん?」
背中から滑り降りてきた彼女の目を覗き込んで訊く。イチヘイからの通訳を通してふるふると首を横に振られる。
……でもやけに表情が強ばってるし、ぜったい嘘だと思った。だってボクがジャンプするとき、ときどき小さく《ヒャッ……!》って息を飲んでいたの、ボクには聞こえていたから。
昨日はあんなに泣いてたのに、ハナトちゃんは強い子だなあ。
ボクはそんな彼女から荷物を受け取り、改めて背負子に乗せながら言う。
「怖い思いさせてごめんね……。でも、お宿に一人で置いていくのも心配で、崖の下に一人で置いておくのも、何に襲われちゃうか解らないから怖くて……あ!」
「奥の様子を見てくる」
訳してほしかったんだ。なのに、気付いたらイチヘイは、短い黒髪をなびかせながらスタスタと先に歩き出してしまっている。
ハナトもイチヘイの背中を目で追いかけながら、戸惑ったような、残念そうな様子だった。
(イチヘイ、やっぱり嫌いなのかな、この子のこと……)
昨日からずっとこんな調子だ。
イチヘイは、ハナトからイチヘイに話しかけようとすると構いたがらないし、自分からも本当にぶっきらぼうに、必要最低限しか話しかけない。




