3:投げた砂塵は戻らない ③
三章 ③/4
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……けれど彼女が再び目をそらすと、やっぱりすぐにボクの唇の端は下がってしまう。
だってさっき、初めて彼女の傷と痛みに気付いたとき、ボクは本当に頭を殴られるような衝撃を受けていたから。
あのとき競り台の上で泣いていたハナトが、どうしてあんなところに立っていたのか詳しいことはまだ聞けてない。多分ハナトのことを良く思ってないイチへイが、どうしたらハナトと話してくれるのかもわからない。
だからせめて、こうして世話をすることになったこの子がもう嫌な目にだけは合わないよう、努力しないといけない。
ギュッと奥歯を噛む。
だって本当は、ハナトは〈稀人〉だ。
本来なら、イチヘイの時みたいに大切にしなければいけないんだ。
…………なのにボクは、イチヘイの時みたいにはこの子のことなんて、ぜんぜん考えてあげていなかった。
それに〈金融手形〉も簡単に預けてくれるくらい、ずっと信頼してくれていた大好きなイチヘイの気持ちまで踏みにじっていた。そうしてイチヘイをあんなに怒らせて、困らせたんだ。
あの瞬間、ボクという耳長は、本当に救いようのない馬鹿なんだと思い知った。
ボクは正直、あそこで殺されてしまっても、ぜんぜん構わなかった。
さっきのイチヘイとの揉み合いで作った喉元の生傷に、強く指を押し付ける。
……むしろ本当は、殺してほしかったのに。
けどイチヘイはきっと、ボクがこんな気持ちでいるなんて知りもしないだろう。
そして『ボク自身』ではなくて、そんなボクの行いだけを怒ってくれたから……せめてこれからは、イチヘイが『一緒に居ていい』と許してくれたハナトをだいじにしてあげなければ、申し訳が立たない。
特に無理やりあんな〈誠宣〉を交わしてしまったイチに対しては、『いつも通りのフィーゼリタス』でいなければ。
(――――次、イチの腕のなかなんかで泣き始めてしまったら、ボクはたぶん今度こそ終わってしまう……)
《……ぜ?》
小さな声にまた呼ばれた。
「――あ……ご、ごめんね、たぶんさっきよりもっと怖い顔してたよね……!」
気付いたらもう、ハナトは身体を拭き終わっていた。また不安そうな顔でこっちを見ている。
ボクは慌ててタオルで隠すように顔を覆って、顔をもみもみする。タオルはお日様と石鹸の匂いがした。
「ほ、ほら、元のドレスでごめんだけど、今はこれしかないから……」
カゴに手を伸ばして、さっきの趣味の悪いドレスを彼女に渡してあげる。
「あと、着終わったらコレも羽織ってね」
言いながら、その上に薄地の貫頭衣を追加で乗せた。袖はなくて、服と言うより前掛けみたいな形をした耳長族の上着だ。
本当はボクのだから、お尻周りの布にはしっぽを通す用の大きな穴もあるし、人族の子に着せたら少し変な感じに見えてしまうと思う。けれど開きすぎた胸元から見える焼印の傷はあまりにも痛々しくて、間に合わせでも何か上に着ていてほしかった。
《う!》
言葉は通じていないけど、きっと今の状況と表情で伝わっているんだと思う。ハナトは服を受け取るとペコリと頭を下げて、素直に袖を通し始めた。
この仕草、素直じゃないイチヘイが本当に珍しくボクに謝るときやお礼を言うときにやってくれるから、ボクはそういう意味だって知ってる。
「んふふ、どういたしまして」
その賢さをほほえましく思いながら、にこやかに返した。
ボクも自分のお腹の、白い毛皮を拭き始める。
この子の身体の傷も、この声も、今はお医者様にも診せてあげられないのがホントに心苦しい。早くお金を稼ぎ直して、
(…とりあえずまずはこの子、裸足だから、靴を買ってあげたいな……)
そんなことを思い付きながら、もう一度ちゃんと顔を拭いた。
イチヘイに返さなければいけないお金は、159エラと10ピニもある。
(ちょっとでもお金ができたら、返すのを少し先延ばしにしてでも、色々してあげたい、かも……)
洗いたてのタオルからにじみ出る、お日様と石鹸の匂いを嗅ぐ。
明るくて暖かい、幸せの匂い。
あの雪の日々から、ボクの中にずっと燻る苦しくて死にたい気持ちも、その甘くて優しい香りを嗅ぐと少しだけ和らぐ気がするのだった。
―~*✣*✣*~―
ガキの身支度を整えさせた後、俺たちは仕事を求めて通称〈レギオン〉と呼ばれる組織の支所を訪れていた。行き合う人や獣人に場所を尋ねつつ辿り着いたのは、土壁塗りの三階建てアパートの端にある、狭い貸し店舗である。
ここは、俺らのような傭兵を稼業とする者に雇い主を紹介する。まあ荒事専門の職業斡旋所みたいなものに当たるだろう。
……ただ店に立ち入った瞬間から、受付に座るジジイに睨まれ続けることになるとは考えていなかった。頭に鍔のない山形の帽子をのせ、袖口だけが狭い長袖シャツの上に、刺繍が入った黒いベストを羽織っている。
「――はあ!? 子連れで……?? カァーッ、それは舐められたもんだ」
『依頼を受けたい』と、必要書類を古びたカウンターに差し出したときである。
熊のような狸のような、とにかく小さい癖にガッシリしたガタイから、威圧するような気勢を飛ばしてくる。
「――とっとと帰んな。話にならん」
「そんな、せめて雇い主さんとの中継ぎだけでも」
どうしても諦めたくないフィーゼリタスが食い下がる。あれから『早く仕事を見つける』と息巻いていたため、相当やる気になっているようだ。
……ただそんなの赤の他人には関係ない。
やがてフィーのその熱い思いは、俺たちの身分証とレギオン登録証と共にすげなく突き返されてくる。
「――……一昨日来やがれ耳くそ耳長!」
「……行くぞフィー」
そして一悶着ののち、交渉はこの通り見事に決裂した。ジジイが片手の中指と薬指を交差させて振るジェスチャーをし、普段はおとなしいクセに興奮したら止まらないフィーが喧嘩腰になったときは、さしもの俺も止めに入った。
いつもとは逆の立場になることに驚く。
ただ向こうのその仕草も、端的に言えば『ぶち犯すぞノロマ!』と言ったニュアンスの、冗談でもあまりやらない部類の卑語である。
正直俺もキレてはいた。もしこのジジイが〈レギオン〉の関係者でなくどこぞのチンピラだったら、あるいはここが街の外ならば、むしろ俺の方がぶん殴りに行くところだ。そしてそれを、いつもはこのフィーゼリタスに制止される。
「……フィー、さすがに都市の自治領で乱闘は不味い。――俺に止めさせる気か?」
敵意剥き出しで相手をにらみ返しながらも、相棒の肩口で囁く。と、
「……わかった……」
フィーゼリタスも渋々といった口調で声をあげた。今にも掴みかかりそうだったのを『刺し違えてでも止める』と宣言したのは効いたらしい。
そのまま連れ立って、フレームに蔦の彫金が入った古くて重い扉を押す。
最後に出たフィーゼリタスがバタンと扉を閉めると、外はニムドゥーラきっての大通りから、2本ほど奥まった横丁であった。
初夏の昼下がりの空は快晴。その澄んだ青を仕切るように、見上げる建物のあいだには等間隔で幾何学模様の彫りこまれたアーチがかけられている。
都市の徽章の入った長い旗が垂れ下がり、そこから落ちる影が、湖の匂いのする風にゆらめいては俺たちを撫でていた。同時にそれなりの人ざわめきも、俺たちを包む。
「……ねえ。ねえ、どうしよう……!」
途端フィーが追い詰められた顔で耳を倒し、困ったような声で話しかけてくる。俺は翡翠の瞳を振り返った。
本当に腹立たしいが、
「仕方ねえだろ。とりあえずまだ策はある」
「え、どうするの……?」
「良いからついてこい」
言った通り、一応まだ万策尽きたわけではない。
雰囲気を察したのか、ガキが勝手に、
『どうしたんですか』
と尋ねてくる。
「…………」
いまだコイツの態度に不快感を覚える俺は数瞬だまりこむも、やはりそのように真っ直ぐ見つめられれば答えざるをえない。仕方なくフィーとケンカしている時のような、キツい口調で返した。
《……。仕事を断られた。今から他をあたる……》
《う……!》
ぶっきらぼうに話してしまったが、そんな態度などなかったかのように至極まじめに頷かれる。抱えていた筆記板には『あたしのためにごめんなさい』という走り書き。
謝られるのもまた不快だった。複雑な思いが胸にモヤつく。
《いい……はぐれるなよフィーと》
《……あい》
その頷きを背に、俺は漆喰塗りの階段を降りると、二人に先立って歩き出した。気を取り直すも、
(やはりこうなるか……)
とため息が出る。
なにせ傭兵という職は、そもそもおおよそ戦場か、あるいは何かしらの人やモノを守る護衛をして金を稼ぐ仕事だ。時に金のために命すら賭け、危険とも隣り合わせとなる。
だからこそ特に俺達のような、住む家も護るものもない流れ者は重宝された。
そして、だからこそ今回なにもできない弱いガキを連れ―ーー―そのクセに住み家は無い俺達に、請け負えるような生ぬるい仕事は無いのだ。
こうなると、予想はしていた。
ゆえにあの〈レギオン〉のジジイが俺たちを拒むのは、俺も同業として多少なら理解できたーー――あの態度だけはどうあっても不愉快極まりないものだったが。
「――むむうー、にしてもホントにあのハゲオジ酷くない?! こっちの事情聞きもしないでさ!!」
後ろを歩くフィーはまだ気が収まらないのか、唇を尖らせ怒っているようである。顔は見えないがそう言う声音で喋っていた。




