第7話『束の間の休日と準備』
五日間に及ぶ職業ギルドでの修練を終えて、翌日の朝。
宿舎の共同スペースにある食事処の大テーブルを五人が囲んでいる。
修練が始まる前日。
この日、この時間帯に集まろうと決めていたのだ。
集合場所にはハザマサ、リク、エル、カガヤ、メイカの順でやってきた。といっても、来た時間にそこまで差があるわけでもなかった。
カガヤの腕には青痣ができていたり、エルは目の下にうっすらくまがある。
誰の顔にも疲労が浮かんでいる。昨日、きつい修練を修了したばかりなのだから、当たり前と言えば当たり前だが。
ハザマサはカガヤと、メイカはエルとそれぞれ話している。
一人あぶれてしまって仕方なくぼーっとしていると、エルと目が合った。
そこでちょうどメイカとの会話も一区切りだったようだった。
「あ……」
「リク、さん。お疲れさまです」
目が合った以上、話さなければといった調子でエルは話しかけてくる。
「……うん。お疲れさま」
リクとしてもいい話題が思いつかず、思い浮かんだことを聞く。
「司祭ギルド、だっけ。どうだった?」
「……まだ司祭じゃなくて、侍祭ですけど。奇跡の授業は楽しかったです」
司祭ギルドでは奇跡と呼ばれる治癒魔術を習う。
神様の力を借りて使う力のため、魔術というよりは加護に似た力らしい。
そして使える奇跡の種類に応じて、司祭を名乗れるようになる。エルはまだ基礎的な奇跡しか使えないから、侍祭ということだ。
騎士のギルドも同じだと、以前ハザマサが言っていた。だからハザマサも騎士ではなく、従騎士というそうだ。リクにはいまいち違いが分からないが。
「楽しかったなら良かった」
リクが無難に返すと、エルは微かに頬を緩めた。
「リクさんはどうでしたか?」
「俺は……正直きつかったかな。師匠との手合わせがメインの修練だったんだけど、腕は上がらなくなるし、筋肉痛は酷いし、背中が痛くなるまで投げられるしで。……あ、いや。師匠は良い人だったし、不満があるわけじゃないんだけど」
「……。ちょっと、いいですか?」
遠慮がちに言いながらエルが椅子から立ち上がる。
「うん」
何がかは分からないまま、とりあえず頷いておくと、エルはリクの後ろ側に回り込んで背中に手を当ててきた。
急に何を、と思って緊張したが、すぐにその理由が分かった。
「──【治癒】」
エルが唱えると、リクの背中からすっと痛みが引いていった。
押すと痛んでいた箇所も、何ともない。
「ど、どうでしょうか。……うまくできましたか?」
「うん、できてると思う」
思っていた通りというか、奇跡と称されるだけあって凄い力だった。
患部に触れる必要はあるが、裂傷を塞ぐこともできるらしい。
「……筋肉痛は治せないんです。ごめんなさい」
「いや、十分凄いよ」
ありがとうございます、と長い前髪を弄りながら頬を赤くして言って、エルは今度はカガヤの方に目を向けた。
「カガヤさんも……よかったら痣のところ、治しましょうか?」
「俺はいい」と、カガヤはぶっきらぼうに言い捨てた。
それから少し考えた素振りの後、「奇跡は一日何回使えるんだ?」と聞いた。
「……【治癒】なら二回、か。三回までなら続けて使えます。同じ日でも休めば、もう一、二回は大丈夫です」
さっきより少し自信を失った様子でエルが答える。
「そうか」
カガヤは短く返し、それきり黙り込んだ。
カガヤの方まで行こうとしていたエルは若干萎縮してしまった様子で、再び目が合ったリクに一礼をすると、元々座っていた席に戻った。
何か言った方が良さそうだけど、話がこじれるのもあれだし、なんて考えていると、メイカがエルに何か話しかけたのでリクは口を閉じた。
「なんにせよ、ひとまず。皆さん、お疲れさまでした」
と、そこで。話が途切れたところを狙ってか、ハザマサが口を開いた。
「うん。お疲れさま……」
「つかれたねー……」
各々、修練の日々を思い返してかきつそうな顔をする。
カガヤは小さく鼻を鳴らすにとどめていた。修練期間中も夜に出かけていたようだし、怪我が目立つ割には余裕があったのかもしれない。
「数日休みたいのは山々ですが、多分、皆手持ちのお金もあまり残ってないと思います。ですので、元々決めておいた通り、今日一日で準備をして、明日にでも稼ぎに──魔物を狩りに行こうと思います。皆さん、それで構いませんか?」
ハザマサの問いに皆が頷く。
リクの腰の巾着袋も、重さこそ増えているが、額はかなり減っていた。
このままでは節約したとして、あと三日が限界だ。
修練中も残高のことはよく考えていた。
早く稼げるようになりたい。というか、ならないといけない。
「で。準備って言っても何するんだ? 俺は今のままでも戦えるが」
カガヤが拳を握りながらハザマサに問い掛ける。
「いくつか必要になりそうなものを買います。お金の余裕がないので、共同で使えそうなものはできれば割り勘でお願いしたいですが……」
皆の顔色を窺うようにハザマサが全員を見渡す。
異論を唱える人はいなかった。
「では、先に市場で買い物を済ませましょうか。情報交換と作戦会議はその後で」
ハザマサはそう言って、椅子から立ち上がった。
まだ付き合いは浅いが頼りになるリーダーだと、そう思った。
◆
昼間はやはり街中にいる探索者の数が明らかに少ない。
だからか、開いている店も夜に比べて少なかった。
武器屋などといった探索者向け施設は、昼や夕方から開くことが多いらしい。
とはいえ、今買いたいのは武器ではなく雑貨類だ。
大体はハザマサの指示通りに買うものを決めた。
全員分の革袋の水筒、携帯食料(干し肉と堅焼きのパン)、余裕をもって大きめのバックパックを一つ。手拭いを買った。
驚いたのが、エルが数字を読めるようになっていたことだった。
修練の合間に司祭ギルドの指南役から教わったらしい。おかげで、値札に書かれた値段が相場以上じゃない限り、ぼったくられてはない……と思う。
買いたいもので値段的に手が届かないものもあった。
例えば、カンテラ。最安値で二五〇セルもして、諦めざるを得なかった。
この五日間だけでも普段着の裾にほつれができていて、針や糸といった裁縫道具なんかも欲しかったが、今のところは後回しとなった。
欲しいものは、稼ぎが出るようになってからだ。
料理はまだ誰もできないため、昼を兼ねた朝ごはんはいつも通り買い食いで済ませた。ただ、これも自炊できるようになれば節約できるのだと思う。
リクの手持ちの残りは一〇七セル。他の皆も大体似通っているだろう。
本格的に、稼ぎが出ないとまずい。
買い物を終えたら食事処に戻って、おおまかな作戦会議を行う。
まず、全員の持っている有用そうな情報や技能を教え合った。
それで、大体の目途が立った。
魔物を狩りに行く場所だが、カガヤが調べておいてくれた。初心探索者は、まずはエル・フォートを出てすぐの森にいる弱めの魔物を狙うらしい。
どこで知ったのかとメイカが聞くと、
「酒場で他の探索者から話を聞いた」とのことだった。
修練中の夜、帰りが遅かった日はそういうことだったらしい。
ただでさえ情報が足りていない中、狩場が分かっているのは大きい。
「ありがとうございます、カガヤさん」
ハザマサが深く頭を下げると、カガヤは満更ではなさそうな顔をした。
「早いところ稼げないと困るからだ」
目的地は、『狩蔵の森』の東側に決まった。
なぜ東なのかというと、西には巡霊者と呼ばれるそりゃもうとんでもなく強い魔物が出ることがあるらしい。
巡霊者は騎士のような恰好をしていて、禍々しいオーラを放っている。
一度は討伐しようとレベル3以上の探索者で構成されたパーティが出向いたらしいが、全滅したのか帰ってくることはなかったそうだ。
聞くだけでやばそうだが、実際遭ってもすぐには襲ってこないとも言う。
魔物にも好戦的な種とそうでない種がいるそうだ。
だが、恐ろしく強いことは確かであり、別の魔物との戦闘など、何らかの要因で刺激してしまえば命はないため、なら出現報告のない東側へ行くのが初心~中級探索者にとっては安全ということだった。
森に出る他の魔物についてもカガヤから説明を聞いた。
倒すべき、というかリクたちでも倒せるレベルの魔物が二種類いるらしい。
それから、戦闘に入った後の簡単な連携について話し合ってイメージを固め、それで今日のところは解散となった。
空はまだ明るく、半日くらいは時間が余っていた。
ただ、半日空いた時間も、翌日のことを考えていてほとんど何も手につかなかった。斥候ギルドで貰ったダガーを念入りに手入れして、しっくりくるまで素振りをして。お腹が空いた辺りで夜ご飯を食べに行って、まっすぐ帰ってきて。
することもなくなり、休息も兼ねて早めに寝床に就いた。
部屋にはハザマサとの二人だった。
自分が寝返りを打つ音が気になるくらいには部屋は静かだ。
カガヤは今日も酒場に行っているのか、まだ戻ってきていない。
だとすれば、明日のためにまた情報を仕入れてくれているのだろうか。
今度、場所を聞いて一緒に行こうと思う。カガヤが酒代をどうしているのかは分からないし、そもそもリク自身、酒を飲めるのか分からないのだが。
それでも、パーティのためにためになることをしたいとは思う。
まだ会って数日だが、連帯感、というか仲間意識的なものは芽生えている。
情報収集でも何でも、誰かの力になりたかった。
「……リクさん」
ベッドで横になり干し草を指先で弄っていると、ハザマサが声をかけてきた。
「うん?」
「リクさんは、上手くいくと思いますか」
何が、とはリクは聞かなかった。どう考えても明日のことだろう。
ハザマサも今日は少しそわそわしているようだった。
表情からは相変わらず分からなかったが、纏う雰囲気がそんな感じだったのだ。
「…………」
上手くいくかどうか。上手くいってもらわないといけない。
でも、ハザマサが求めている答えはそういうことじゃないだろうし。
リクが黙って考えに耽っていると、ハザマサは続けて喋り始めた。
「……俺は、正直不安なんです。意外って思われるかもしれないですけど」
「意外なことなんてないと思うけど……ああいや、悪い意味じゃなくて」
「そうですか? こう……身体がデカいと、気持ちも大きいと思われるんじゃないかと思ってました。実際は真逆で、小心者なんですけどね」
ハザマサの口調は普段と変わりない。
だが、声に僅かに滑らかさがないというか、ぎこちなさも感じる。
来る明日への不安から思いつめているのだろう。
なんとなく気持ちが分かるのは多分、似た者同士だからだ。
「──斥候ギルドの話ではあるんだけど、うちの師匠は臆病なのも武器になるとは言ってた。だから、それでもいいんだと思うよ」
「騎士ギルドでは臆病者は誰も守れない、って言ってました。……とにかく精神論が凄くって、初日は入ったのを後悔したくらいで」
職業ギルドの初日。理由は違えど、思ったことは同じらしい。
「初日は……俺も、辞めたいって思った。正直ね」
「リクさんも、ですか」
普段より少し高い、驚いたような声が返ってくる。
驚くようなことじゃないけど。
「でも。辞めなくて良かったと、……今は思ってる」
「それは。俺も同じです」
「……だから、明日もきっと。なるようになるんじゃないかな」
ハザマサの寝ている方に身体を向けることなくリクは返す。
そもそも宿舎の部屋に照明器具はなく、窓から差し込む光もないため夜は真っ暗だ。体の向きを変えたところで表情なんて分からない。
「なるようになる、ですか」
「根拠とかはないんだけど。ほら、皆だっているし。一人でやっていけてる探索者の人がいるなら、パーティなら魔物くらいやっつけられると、思うし」
まとめようとして、なんとも微妙な感じになってしまう。
話すのはそこまで得意ではないから仕方がない。
しばしの無言が流れて。ハザマサは口を開いた。
「そう、ですね。──……やっぱり、……なんかより」
「……? ごめん。今、何か言った?」
最後の方にハザマサが何かを言った気がして、聞き返す。
ハザマサはこちらに音が聞こえるくらい大きく息を吸って、吐き出した。
「いえ。明日から、頑張りましょう」
次に聞こえてきたのは不安なんて一切感じていないような、そんな声だった。
「……うん。頑張ろう」
そこで会話は途切れて、リクは目を瞑った。
──次に目が覚めた時には、窓の外は明るくなってきていた。