第3話『前を向け』
ギルドから宿舎まで戻ってきて。入り口で仲間の皆と別れた。
喉がカラカラに乾いていたため、井戸に向かい、水を腹一杯になるまで飲んで。
部屋に戻ろうとして、部屋の前でハザマサとばったり会った。
「あ、……」と思わず呟き、リクはドアの前を譲る。
なんだか気まずい。……というか、別に譲る必要はなかっただろ。
先に入ってしまえばよかったのに。
「……すみません」と告げて、ハザマサはリクの横を通りドアを開け、中に入った。そして、控えめな勢いで扉は閉められた。
続いて中に入るのも憚られて、リクはまた街へ向かった。
特に何かすることがあったわけではない。ただ、仲間の誰ともちゃんと顔を合わせたくない状況で、三人部屋という環境は最悪だった。
かといって、外で過ごすのも居場所がない感じがした。
最初は橋の縁に腰掛けて時間を潰していたが、全く何もしていないとメイカのことばかり考えてしまうため、途中からは意味もなく歩き続けた。
加護のお陰なのか、ほとんど足が疲れることはなかった。
そうだ、加護と言えば──あの時、ドレイクと対峙した時の力。あれもきっと、加護の力だ。探索者ギルドに出向いた時、職員にでも聞いてみればよかったか。
考え、リクは頭を横に振る。
……いや、そんな雰囲気でもなかっただろう。
それに、加護の効果が発揮される条件も、そもそももう一度魔物と戦うかどうかだって分からないし。知っても意味のないことかもしれない。
だったら放置したって問題ないだろう。最初に加護についてエリオダストに聞いた時、悪いものではないって言ってたし。
新しい場所に出向く気分でもなく、リクはほとんど同じ場所を回り続けた。
そうして夜になり、街に探索者が帰ってくる時間になって、やっと部屋に戻る決心がついた。ついでに露店で堅焼きパンを買って、暗い帰路を辿りながら食べた。
朝以降、なにも飲んでいなかったのもあって、口内の水分が全て奪われた。
部屋の前に戻り、ドア下の隙間を見ると、まだ早い時間なのにハザマサもカガヤも眠っているのか部屋に明かりは点いていなかった。点けようとも思わなかった。
なるべく静かにドアを開けて中に入り、二人が寝ていることを確認する。
「…………。はぁ」
疲れなのか安堵なのか自分でも分からない、掠れた溜め息が出た。
ベッドに横たわり、今日はもう眠ってしまおうと目を瞑る。
……起きていると嫌なことを考えてしまうだけだ。特に夜はそれが顕著だ。
だが、昨日あれだけ眠ったせいか、全く眠気はこなかった。
しばらく経って、リクは仕方なく上体を起こして窓の外を見やる。
外の通りでは探索者たちが遠慮なく騒いでいるのが、ここまで聞こえてくる。あれも、すっと眠りに着けない理由の一つだ。
ふと、何とはなしに二人の方にも視線を送ってみる。
しかしハザマサはいびきをかいて眠っており、カガヤは後ろを向いている。
起こそうとしない限りは、このまま朝まで眠っているだろう。
ついに手持ち無沙汰になって、リクは静かにベッドから降り立った。
また音を立てないように慎重に動き、ドアを開けて廊下へ出る。斥候の技能として覚えた、足音を立てない歩行法が役立った。
◆
あ、と声を漏らしそうになって、慌てて手で口を押さえる。
共同スペースである食事処へ向かうと、夜中だというのに先客がいた。
柱の陰から人影をじっと眺める。それはリクもよく見知った人物──エルだ。
寝間着なのか、薄手のローブのようなものを着ている。
椅子に座って斜め上を向き、何をするでもなく、ぼーっと天井を見上げている。
エルが作っているのは、仲間のリクも初めて見るような表情だった。
どこか虚ろで、儚い印象を覚える。窓の外から差し込む光によって、顔が白く照らされているからかもしれない。リクは惹き付けられるようにその横顔を眺めて──そこで、エルが緩慢な動作でこちらを振り向いた。
はっ、と息が飲まれる。
「ごめっ……ん。……俺、部屋戻るから」
思わずリクは頭を下げ、踵を返してそそくさとその場を立ち去ろうとした。特に何かしたわけじゃないけど、悪いことをしてしまったような気分になったのだ。
……いや、傷心の女の子の顔を一方的に眺めるのは悪いことか。
しかし、「待ってください……!」とエルが呼び止めてきた。
……なんで。と真っ先に疑問が浮かぶが、無視するわけにもいかず振り返る。
リクはゆっくりと視線をエルに注ぐ。
エルは微妙に居心地が悪そうに左手の手首を右手で掴み、上目がちに告げた。
「よかったら、なんですけど。少し……話しませんか?」
◇
エルの対面の椅子に腰掛けて、机の上で両手を組む。
呼び止めてきた割に、エルは何も言わずに口を噤んでいる。
お互い俯き、無言のまま時間だけが流れていく。それなりに長くそうしていた。
流石に居たたまれなくなって、リクは僅かに顔を上げると口を開いた。
「……昨日、今日と、さ。エルは何してた?」
「私は……何も。ほとんどずっと、部屋に居ました」
「そっか。……ユキは?」
「ユキさんは……ずっと、塞ぎ込んだままです。……やっぱりどうしても、メイカのことで責任を感じてしまうみたいで」
「…………」
……酒場で会ったときはそこまでじゃなさそうだったのに。
いや──本当は気付いていた。きっとユキはあの時、自暴自棄になりかけていたリクを慰めるために、自らが傷ついている姿を見せなかったのだろう。
ユキの性格だ。彼女のことをそこまでよく知っているわけじゃないけど、仲間も友達も一緒に失って、深く傷付かないわけがない。
そんなこと、分かり切っていたのに。
「エルは、さ……。いや、ごめん……なんでもない」
リクが言おうとした言葉を引っ込めると、エルは首を傾げた。
「……いいですよ? 何でも聞いてください」
数秒の葛藤の末、リクは再び、ゆっくりと口を動かした。
「……エルは……メイカが死んで、辛いよね。……」
いや……何を聞いてるんだろうか。当たり前だろ、そんなの。
エル以外の仲間に聞いたって、きっと返事は同じだ。
エルは驚いたように目を見開いている。いやまあ、そりゃそうか。
そんなこと聞くまでもないし。
リクが考えていると、エルはしょうがなさそうに笑った。
なんで笑ったのか、リクにはよく分からなかった。
「……そうですね。……はい、そうでした」
「そうでした、って」
やや含みを感じさせる言い直し方に疑問を抱き、リクは聞き返す。
エルは少し長めに息を吸って、口元を緩め、話し始めた。
「……私、きっと薄情なんです。メイカが死んじゃって、辛い気持ちはもちろんありますし、今だって悲しくはあるんですけど……。でも、昨日と今日と一頻り泣いたら、立ち直る──とまではいかなくとも、ちょっと大丈夫に、なっちゃって」
「…………」
信じられないものを見るような視線を受けてか、エルは苦笑いを浮かべた。
しかしすぐに真剣な表情に戻ると、リクの目をまっすぐ見てきた。
思わずたじろいでしまい、リクは肩を竦める。
「──私は、探索者を続けます」
「……なんで」
エルの発言に、思わずリクの口からそんな問いが零れた。
一昨日はそんなこと、考えられるような状態ですらなかったエルが。
一体、何があったというのだろうか。
「理由は、あって。笑われちゃうかもしれないんですけど……」
「…………」
「メイカの最期のことを、ずっと考えてて。傷を癒す奇跡について、私には、どうしてもっと上位の奇跡が使えなかったんだろうって。加護や奇跡を与えてくれる神様を恨みました。……でも、そこで思い立ったんです。本当に神様がいて、怪我を治してくれているのだとしたら──もしかしたら、死んじゃった人を生き返らせることもできるんじゃないかって」
「っ……」
「神官ギルドでも、以前、そんなことを調べてる方がいて。可能性は限りなく低い──いえ、そもそも前例はないと聞いているので、できないのかもしれません。でも、……それでも、少しでも可能性があるのなら、って」
意気込むような口調で言い、ややあって、エルは首を横に振る。
「……何言ってるんだって思いますよね。すみません。今のは、忘れてください」
苦笑交じりにそう言って、ぺこりと頭を下げてくる。
──なんだよ、それ。
感情が喉奥から込み上げてきて、リクは思わず咳き込んで誤魔化す。
たった三日で、エルは自分なりに答えを見つけたということか。
凄いと素直に思うと同時に、自分自身が酷く情けなく感じられてくる。リクはエルから視線を逸らして頬を掻き、ぼそりと呟く。
「エルは……強いね」
「私が強い、ですか?」
「うん。……強いよ、少なくとも俺なんかよりは、ずっと」
エルは黙してじっとリクの横顔を見据えてくる。そんな視線を感じる。
浅く息を吐いて、また吸って。リクは言葉を続けた。
「……俺は、まだ何にも決められてなくてさ。メイカのことも、全然受け入れられてないというか……まだ、どうしようとかそんなのも無理で、」
言葉が途中で止められる。エルが立ち上がって、こっち側に来たからだ。
ローブの裾を整えながらリクの隣の椅子に座って。
遠慮がちに手を伸ばしてきて、リクの背中に触れてきた。
──傷の治療をする時みたいに優しく、ゆっくりとさすってくる。
「……。リクさんだって、強いですよ」
「俺が? いや……なんで」
「だって、リクさんは。メイカが死んじゃったことを、一人で背負ってますよね。他の誰よりも責任を感じて。……だから、誰より辛いんですよね」
エルは痛ましいものを前にしたかのような表情で、心苦しそうに告げる。
「……、それは」
言われて、リクは思わず視線を膝に落とす。言い返しそうになるが、何も言葉が見つからない。きっとエルが言っていることは間違っていないからだ。
……だけど、責任を感じるのは当然のことだ。
リクのせいでメイカが死んだ事実は変わらない。変えられない。
「そんなに自分を攻めないでください。……って言っても、無理ですよね。だから、せめて私には、辛いことは吐き出してください。お話くらい、聞けますから」
エルは慈愛に満ちた優しい声音で、そんなことを言ってくる。
優しさに甘えたくなるが、ぐっと堪える。そんな資格はリクにはないからだ。
「エルは見てなかったかもしれないけどさ。俺のせいでメイカは死んだんだ。……それは、紛れもない事実で。俺が、諦めたから、メイカが……代わりに」
「…………」
「──それでも、エルは俺のことを恨まないの?」
自嘲気味に言いながら、激しい自己嫌悪で消えてしまいたくなった。
なんでこんな、自ら嫌われようとしてるみたいなことしか言えないのか。
「……私は──それでも、リクさんに前を向いてもらいたいです」
エルの返事は、答えになっているような、なっていないようなものだった。
「……エルは。俺が仲間だから、慰めようとしてくれるの?」
口を衝いて出てしまった問いに、何を言ってるんだと自分自身で思う。
さっきから制御がきかない。別にそんなことが気になるわけじゃないのに。
「いや……ごめん。そんなことを聞くつもりじゃ──」
「大切な仲間だから、って言うのももちろんあります。……でも。一番の理由は、メイカにリクさんのことを頼まれたからです」
思わぬ返答に、リクは「え──?」と、息を詰まらせる。
エルは一拍置いて、続けた。
「言ってたんです。もしリクさんが落ち込むことがあったら、私が支えたい。でも、できないかもしれないから。だから、その時は代わりに支えてあげてねって」
「……メイカが、そんなことを?」
「はい」
頷くエルの表情は真剣そのもので、嘘を吐いている様子は微塵もない。
そもそも、嘘を吐く理由もないだろうし。
──でも。なんで。
メイカが俺の支えになりたいって、どういう話の流れで。
いや、そんなことは今はどうでもいい。
……だって、それじゃ、まるでメイカは死期を悟ってたみたいで。
そんなはずがない。だって──イホロイやユキたちを助けに行ったのだって、ドレイクが現れたのだって、全ては偶然からの出来事だ。
それなのに、どうして。わけがわからない。
「…………」
「私も、その時は深く考えなくて。こんなことになるかもなんて、想像もできなくて。……そう頼まれてたことすら、今の今まで、忘れちゃってて」
「…………っ」
「でも、分かることもあります」
「分かること……?」
「はい。……メイカは、リクさんに前を向いてもらいたいと思ってるって。……私は、そう思うんです。だって、メイカは。きっとリクさんのことが、好きだったから」
はっと面を上げる。エルの方を見やる。その顔に一筋の涙が伝っている。
でも、表情は穏やかで、僅かに口角を持ち上げている。
ふいに、リクは思い出す。
──メイカが最期に見せた表情も、似たようなものだった。
そして何かを言おうとして、そのまま何も言えずに亡くなった。
あの時、メイカはリクに何を伝えようとしていたんだろうか。
……この三日間、ずっと。リクは自らを責めるあまり、あれは恨みやリクを責める言葉だったのだと、勝手に解釈してしまっていた。
だけど、エルの表情を見て気付いた。──否、思い出せた。
正確なことはわからないけど。でも、だとしたら。
メイカが死に際にまで伝えたかったことは。
「……なん、だよ。っ…………それ」
視界が霞む。声も、情けないくらいに潤んでいた。
気付けば滂沱と涙が溢れだし、顏の痣を伝って膝に落ちていった。
何度か手の甲で拭うが、止まらない。ぐしゃっと顔を歪め、嗚咽を漏らす。
「あ、ぁ……あ」と。
仲間の──エルの前なのに、やばい。……かっこ悪すぎる。
だけど、冷静でなんていられるはずもなかった。
……メイカ、なんで死んじゃったんだよ。そうまでして、なんで俺なんかを助けてくれたんだ。俺なんか、じゃないのか。少なくともメイカの中ではそうだったのか。
じゃあ俺は、これからどうすればいいんだよ。
分からないよ、メイカ。どうしたら、メイカに報いられるんだ。
「…………」
エルは無言で、止まっていた手を動かし、リクの背中をさすってきた。奇跡でもかけられているみたいに、エルの触れたところから胸の閊えが取れていく。
エルはもう、泣いていなかった。きっと、リクが自暴自棄になっていた三日の間に、同じだけ泣いて、リク以上に自分自身と向き合ったのだろう。
リクはそれをしなかった。でも、前を向けってってエルは、メイカは言った。
だったら、前を向かなきゃならない。それがメイカの望みなら。
声を押し殺して泣いて、ずっと涙を流し続けて。からからになった。
もう溢れるものが何もないくらいに泣いた。
そうして、やっとリクは顔を上げられた。
「……エル、ありがとう」
「わ……私は、何も」
エルはなぜか慌てた様子で、首を横に振ってリクのお礼を否定した。
「……慰めたのは、私じゃなくて、メイカだから」
「そっか、エル」
「は、はい」
「……やっぱり、エルにもさ。助けてもらったから。……ありがとう」
リクが改めてそう告げると、エルは少し困ったような顔をして。
それから、「……はい」と僅かに頬を染めながら頷いた。
◆
エルと別れて部屋に戻ると、ベッドに腰掛ける人影があった。
ハザマサだ。まだ外は暗いけど、起きたらしい。
ドアを閉めて振り返ると、ハザマサはこちらを向いて目を見開いた。
「──リクさん?」
「……おはよう、ハザマサ」
涙や鼻水の跡を見られたくなくて、少し顔を斜めに向けてそう返す。
「おはよう、ございます……」
「……って言っても、俺はこれから、またちょっと寝るつもりだけど。あんまり寝られてなくてさ。ハザマサはもう起きてるの?」
「俺は、……いえ、そうですね。俺もそうします」
ハザマサは気まずそうに返してくる。それはそうだろう。
……ここしばらく、お互いにお互いを避けていた。気まずくもなる。
「そっか。……あのさ。寝る前に一つだけいいかな?」
でも。ハザマサには、できるだけ早く伝えておきたかった。
「はい……?」
「パーティメンバーの誰かがレベル2になったら、外征に行けるんだっけ」
リクの問いが思いがけなかったようで、ハザマサは更に瞠目する。
「それは……そうですけど。どういう意味ですか?」
「……ごめん。俺が、悪かった」
すかさず頭を深々と下げ、リクはこれまでの態度を謝罪した。
──それから、ハザマサの方からも謝罪を受けて。
しばらく話し込んでいるとカガヤも起きて、今度はリクとハザマサの二人で謝って。カガヤには「……別にいい」と面倒くさがられた。
そこからはベッドの上に横になって、誰かが眠りに就くまで話していた。
とんでもなく眠いまま話していたから何を話していたかも定かではないけど。
だけど、また仲間として二人と向き合えた気がして。
嬉しさでまた涙が出そうになりながら、口を動かし続けた。
──もっと、強くならなければならない。
前に思った時、それ以上に。
……もう二度と、誰も、大切な仲間を失わないように。




