第12話『 』
──視界全体が深い緑色に包まれていた。
それが何かは分からなかったが、幸い妨げになるものではないようだ。
むしろ身体が軽いような感覚さえある。好都合だ。
即刻、奴を殺さなければならない。勝てるかどうかじゃない。
それが、それだけが、いまやるべきことだ。
すっと息を吸って──吐いて、唇を引き締める。
射殺すような視線を地竜に向け、リクはダガーを左手に持ち替える。
斥候の戦い方に主だった型や構えはない。多種多様な動きや連携に即座に移れるよう、足の位置と武器の角度のみに気を配る。
自室で寛ぐときのように脱力して、一歩ずつ地面を踏みしめる。
耳障りな怯えの声を漏らすドレイクを前に、リクは驚くほど冷静だった。
研ぎ澄まされた意識の中、深緑に染まる視界全体が広く、ゆったりと感じる。
手中でダガーをくるりと回し、軽く膝を溜めた、その直後。
「────ッ」
何の合図も待たずにリクは駆け出し──瞬間、ドレイクはその姿を見失った。
焦りに呑まれたのは、圧倒的強者であるはずのドレイク側だった。
首を回し、唸り声と共に次々と連続して吐き出される火球。
リクはしなやかな動きで、いとも簡単に身を翻して殺到するそれを躱し、倒れるカガヤの元へ向かうと、片手で戦斧を拾い上げる。
──と、そこで視界を炎が覆い、須臾の間にリクは思考を巡らせる。
地にはカガヤが倒れ伏している。避けるわけにはいかない。
リクは身を屈めたその地点に飛来する炎に僅かな″薄さ″を見出すや否や、炎に向かって走り抜ける。加護に護られた身体は地竜の炎に包まれてなお焦げることはない。炎は小さな爆発を生み出しながら霧散し、空中に掻き消える。
ドレイクは、炎を突き破って現れたリクに明らかに動揺している。
勝率の高い賭けに勝ったリクは間を置かない。
身体を転倒する寸前まで前傾させ、爪先で地を蹴り抜く。頭上を通り過ぎていく炎を熱で感じながら風を切り、地面すれすれを駆けていく。
驚異的な速度と、自らのものとは思えない力。
深緑に染まった視界の中、身体の全てが思った通りに動く。
ドレイクに肉薄。無抵抗の尻尾の付け根に向かって、リクは戦斧を振り下ろす。まるでチーズでも切るみたいに尻尾は斬れ、断面から血が噴き出た。
ドレイクの動きが恐ろしく緩慢に見えるのは、きっと気のせいだ。
ただ──殺気さえ読めば、攻撃の軌道が分かる。
軌道さえ分かれば、見えずとも躱せる。手に取るように動きが分かる。
遅れて、間の抜けた動きでドレイクが尻尾を振るおうとするが、空振り。既に根元から切断されて短くなった尻尾が届くはずもなかった。
続けて、前方に踏み込む。追撃を行う。
筋肉によって既に止血されつつある尻尾の断面にリクは戦斧を叩き込んだ。
鱗に覆われていない傷口に、戦斧の分厚い刃がめりっと食い込む。一瞬痛みに怯んだのかドレイクの巨体が硬直する。
「……っ!」
そこで、風を切る程の速度で急旋回されたドレイクの身体を、リクは大きくバックステップを踏むことで紙一重で避ける。
更に、第二の矢──ドレイクの口に溜められていた火球が放たれた。
軌道が高い。慌てずに身を屈めて回避。頭上を炎が掠め、髪が数本焼き切れた。
直後、凄まじい衝撃音が洞窟内に轟く。
背後をちらっと見やれば、火球の炸裂した岩壁が抉れ、礫を散らしていた。通常の炎の他に、質量を持った火球まで吐けるらしい。
怒濤の攻撃は止むことがない。しかし、雨の様に降り注ぐ火炎も、岩の地面すら裂く圧倒的硬度の爪も、リクはその全てを予備動作のうちに回避する。
うち一つにでも巻き込まれれば即死するであろう、攻撃の中。
──新緑の閃光が戦場を走り、軌跡を描く。
「リ、ク……なのか」
激痛に霞む視界が仲間の姿を捉え、カガヤがぽつり、と呟いた。
高速の攻防戦。縦横無尽に動き回り、四方八方から地竜の隙を伺う。そうしてできた隙に、確実かつ強力な一撃を叩きこむ。
攻撃の応酬ですらない。あまりに一方的な戦闘だ。
脳が理解を拒みながらも、まざまざと見せつけられる。
リクが地竜を圧倒する姿を。
「ち…………」
真っ先に脳裏を過る感想は『あり得ない』だ。
だが現に眼前で繰り広げられている戦闘は、カガヤの知を越えていた。
「…………」
呟きがはっきりと聞こえたほど、今のリクは神経を張り巡らせていた。
微かに眉根を寄せ、視線を動かし状況を確認する。
地に伏したままのハザマサも、浅いが呼吸はあるのが分かる。
──速攻。それで、きっと間に合うはずだ。
更にリクはドレイクの背中を駆け上がり──そこでドレイクが首を振り向かせ、炎を吐いてくる僅かな予備動作を見せる。
それが見えた瞬間、リクはその背を思い切り蹴って戦斧を振り上げた。
空中へ躍らせた身体を一回転させ、流麗な動作で振り下ろす。
加護に因って強化された、尋常ならざる膂力で振るわれた戦斧は、ドレイクの頭上に炸裂する。超硬度を誇る頭の鱗は一撃で粉砕され、ドレイクが吐こうとしていた炎が口内で爆発し、鼻らしき部分から火の粉が迸る。
轟音が鳴り響く中、リクは返す刀でダガーをドレイクの顎下に殴りつけるようにして叩きつけた。すっと通った短い刃を手前に引き、下顎を裂く。
ドレイクが唸り、首をのたうち回らせ激痛に悶える。
リクはその頭に両足でしがみついたまま、次の攻撃動作に入る。ならばと怒り狂ったドレイクが自身の頭ごと壁に叩きつけようと走り出し──。
寸前。リクが飛び下りると共に、その手の短剣の刀身が朧になった。
斬撃の通り過ぎる音もなく。
斜め、一閃。
ドレイクの紅い双眸に、加速する銀の輝きが走り抜ける。
そしてすぐに、ドレイクは視界の全てを失った。眼の色よりも赤い、真紅の血を両の目から噴出させて、痛みと怒りから叫喚の咆哮を上げる。
リクは咄嗟の判断で耳を塞いで鼓膜を守り、着地するや否や地を駆ける。
ドレイクは憤慨に呑まれたように哮りを轟かせ、太い四肢を振るい、やたらめったらに地面を叩き地鳴りを発生させる。
我を失った攻撃はリクを狙っておらず、それを知ったリクは足を止める。
頭が沸騰しそうなくらいに熱を持っていた。腕の関節も、激しく痛む。
この戦闘が終わった後に、まともに動けるかも怪しい。
だが、あと少しだ。
すぐに地竜との戦闘も終わる。そうした直感が確かにあった。
──暴れ回りながら、リクがその攻撃を避けながら歩み寄ってくるのを知覚して。ドレイクはそれでも当たらない攻撃を振るい続ける。
獄炎を吐き、爪で岩を抉り、収まらない怒りを周囲にぶつける。
逆襲がために振るわれる爪がリクを捉える気配はない。
嗚呼、だが。
──その災害じみた好い加減な攻撃を。
まさか意図的なものだと、この場にいる誰が気付けようか。
ドレイクは怒りに呑み込まれてはいない。竜種とは、そんな下等な種ではない。人間からそう見えるよう振舞っているだけに過ぎない。
地竜は人間よりも遥かに優れた知能で、考える。
──確かに、この人間は強い。今まで殺した誰よりもだ。
ちょろちょろと逃げ回るだけだったかと思えば、急に膂力も速度も尋常ではなく増し、地竜の鱗を断ち斬るにまで至った。
尻尾は落とされ、両目は斬られ──次に斬られるのは首だろう。
だが、黙ってやられるドレイクではなかった。
これで決着がつくほど甘くはない。竜と呼ばれる種族は伊達ではない。
ドレイクは奥の手を残していた。それだけの知能があった。
地竜は地面の中を泳ぐ際、空間や餌を目ではなく鼻先についた別の感覚器官で知る。だからこそ、余裕を持ってリクの接近を感知できる。
竜の魔術は人間の扱う不出来なものとは違う。人の目に映る魔方陣は展開されず、ただ自然的に、そこに発生する。
勝利を確信したドレイクは、疲れたのを装って徐々に動きを緩め──やがて止めた。人間がそこに近付いてくる。罠とも知らずに。
「──……」
人間が無言で戦斧を振り上げ、同時に魔術が完成する。
その一撃は、地竜の最終奥義である魔術。だが、人間や亜人種の魔物が使う不完全なものとは違う。竜の眼、そして感覚器官にしか映らない魔術の息吹が、強烈に、芽吹くように、最大級の質量を持つ岩の柱を形成し──。
次の瞬間、岩盤を地中から捲り上げながら、地面を突き破った。
「────!」
地竜の感覚器官が、人間がくるくると宙を舞って弾き飛ばされる感覚を得る。すばしっこい人間は大概、耐久に乏しい。竜の魔術を喰らい生きていられるものか。
奴は炎が効かないようだったが、物理的な攻撃は全て回避していた。
大地を操る地属性攻撃魔術は物理だ。致命打になり得る。
ドレイクは首を震わせ、遂に勝利の咆哮を上げた。
これで、目障りな連中は蹴散らした。この塒にも安寧が戻る。
だが──おかしい。
なぜ首の付け根が、これほどまでに熱を持っている?
ごく短い時が流れ。考えが至った瞬間、ドレイクの頭は激しい衝撃に見舞われる。
──まるで、地面にでも叩きつけられたかのように。
遅れて、知覚する。魔術によって弾き飛ばされ、宙を舞ったはずの人間──それが、自らを見下すように立っていることを。
ドレイクは或いは人以上に発達した知能で、信じられないと唸る。
まさか、竜の放つ魔術を躱したとでも言うのか。魔方陣などという欠陥も、予備動作もない、必殺の一撃を。
「…………」
そうして、人知を超えた竜の知能はたった数秒間で結論に至る。いくら伝説上の魔物とはいえ、首を落とされて長く生きられる生物が存在しようか。
──答えは、否だ。
宙をくるくると舞っていたのが自らの首だと、理解が追い付いた、その瞬間。
赤錆色のドレイクの意識は完全に途絶え──それで、戦闘は終着した。
◇
重さに耐えられず、戦斧が手中から滑り落ち音を立てた。
酸欠で意識を失いそうになりながら、リクはなんとか膝をつく。
限界を超えた戦闘の反動か、全身が砕け散りそうな痛みに支配されていた。気を抜けばすぐにでも意識を失ってしまえるだろう。
視界に残る緑色の濁りを目を擦って有耶無耶にする。すぐに視界は元の色へと戻り、前と同じように見えるようになった。
そうして、未だ回らない頭ではっと思い出す。
メイカの安否を危ぶみ背後を見やると、いつの間にかやってきていたエルがメイカの側に駆け寄り、お腹の傷口に手を当て奇跡をかけていた。
洞窟内ではよく目立つ淡い輝き。【治癒】の奇跡だ。
──本当に、良かった、どうやら間に合ったらしい。
今にも消えそうな淡い光だが、神様への祈りは通じているのだろう。
エルも額に、頬に大粒の汗が伝っていて、その顔は蒼白だ。ふらりとエルの頭がメイカの胸元に倒れる。短期間での奇跡の使い過ぎだろう。
それでもエルは奇跡をかけ続けるのをやめない。きっと受けた傷が大きいため、治療に時間がかかっているのだ。
奇跡も魔術も、使い過ぎればしばらく魔力が欠乏する。数日は探索にも行けなくなるだろう。だけどメイカが治るなら、それでいい。
そうなると依頼が受けられず、レベルアップが遅れる関係で外征には行けなくなるかもしれないが、ハザマサも納得してくれるはずだ。
カガヤはいつの間にか立ち上がっていて、ハザマサもクタチが抱え起こしてくれている。二人とも全身ぼろぼろで、放心状態だ。
そろって視線の先がエルの方を向いている。【治癒】待ちなのか。
でも、流石にエルも限界だ。奇跡をかけてもらうのは厳しいだろう。
なんとかエル・フォートまで帰って、教会に行くしかない。それで数日休んで、後日行方不明のイホロイさえ見つかれば解決だ。
ユキの仲間──ルラには悪いし、残念だとも思うけれど、探索者である以上、死とは思っている以上に身近にある。
今回のことでそれを痛いほどに学んだ。
それよりも今は、ドレイクと遭遇して全員が生きて帰れるのが何よりだ。
いつか状況が落ち着いたら、また祝勝会でも開こう。それがいい。
料亭ロデュリカでお酒でも飲みながら、食べて騒いで。
装備を新調しようと思っていたけど、外征に行かないならまだ持つし。貯金を崩して飲み食いするのもたまにはいいだろう。
と、エルの手の輝きが止まった。治療が終わったのだろうか。
エルがよろよろと頭を上げる。視線が合う。
帰ろう、とリクは声を発しようとした。
でも、その声はエルの悲痛な表情によって止められた。
まさか、リク自身が大きな怪我をしているのかと思い、自身の体を見下ろす。でも、痛みはあれど目立った傷は見当たらない。
無我夢中で戦っていたとはいえ怪我をした記憶もない。万全とは口が裂けても言えないが、少なくともこの中では一番怪我は少ないはずだ。
なのに、なんで。どうして、エルはそんな顔をしているのか。
解せない。
「……わ、私の奇跡じゃ、な……なおせない、の」
と。何を言われているのか全く理解ができなかった。
「……それって、どういう」
そこでふっと、エルが腕の中に視線を落とした。
メイカがその手を伸ばして、愛おしそうにエルの顔に触れている。
──何が起こっているのか、全く理解ができなかった。
「…………だ、め…………な。ごめ……ね」
動けないでいるエルの頬を撫でながら、メイカが喋る。
ごぼっと嫌な音のする咳が零れて、その口から吐き出された大量の真っ赤な血が、灰色のローブを汚した。
「っ……、喋らないで……!」
聞いたこともないくらいの声量でエルが叫ぶ。
ほとんど涙が混じっているような声だ。実際、そうなのか。
それからエルはまた手に光を集め──すぐに霧散させる。
大きく咳き込んで、息を吸って。ひゅうひゅうと掠れ切った息を喉奥から吐いて。すぐに再挑戦しようとして、やめる。
よく見れば、メイカの傷はまだ治っていないのに。
なんでやめてしまうんだ、と思った。
けれど理性では、きっとリクも理解していた。
──多分、嫌なんだ。受け入れられない、ただそれだけで。
メイカはエルに向かって優しく笑むと、何かを探すように首を回した。
そうして、呆然とするリクと目が合って。
「メイ、カ………………」
なにか喋らないと思い口を開く。でも、声にならない。
なんでなのか分からない。息は吐けるのに。
ただ言葉が、言葉だけが、何も出てこない。どうして。
まっさらだ。
「──……」
安心し切った表情で。何かを言おうとしたのか、ゆっくりと唇が窄められて、それから笑うみたいに横に緩められたかと思うと。
操り人形の糸が切れたみたいに、音もなくその身体が力を失くした。
エルの腕が急に重さを支えきれなくなり、メイカの上体が地面にずり落ちた。
これにて第二章は終了となります。
ここまで読んで頂き、本当にありがとうございます!
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そしてすみません……!
作者の都合上、次回更新は四月半ば頃となるかと思います。
気長にお待ちいただけると幸いです。
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