#8 奴隷となったイルマ
「……んん……!」
「騒ぐんじゃねェよ。肩がくすぐったいぜ」
「オイ、あまり乱暴に扱うなよ。御主人様の命令だ」
イルマの視界と口は突然塞がれ、身体は何者かに担がれている。
声を出そうにも口は布で塞がれており、そしていくら暴れて抵抗しようが、重機に挟まれているかのような力でビクともしない。
「よし。ここだな……下ろせ」
「ほらよ!」
「んん……!」
背中で落下の衝撃を感受したかと思えば、被せられていた布を乱暴に外され、すぐに視界が開かれる。
染みが残る冷たい石床から、円依がゆっくりと視線を上げると、暗い檻の手前で3人の屈強な男が円依を睨んでいた。
3人の男の後ろには──先程の奴隷商人の男が、金歯をちらつかせてにやついていた。
「……!」
「おお怖い怖い……そんなに睨まないでくれ。強引に連れ出したのは謝ろう。けど仕方ないだろう? 無防備にポケットから宝石が出ていたら、誰だって手を出したくなるもんだ」
「……」
「私はお前程素晴らしい奴隷を見たことがない。どうだ? 今なら、あの若造より好待遇の奴隷で迎えると約束するが」
「んん……ッ!」
「ああ、喋れないんじゃしょうがないな……よし、布を取ってやれ」
男の1人はイルマの口を塞いでいた布を外す。
口が開くようになったイルマは、怒りを顕にすかさず怒号を飛ばす。
「ちょっと! 汚い布を口に押し込むのやめろっつーの! このリップグロス落ちやすいんですよ!」
「……怒る所そこなのかね? あまり大声を出さないで欲しいね。まあ、この地下牢じゃ声が届く訳でもないが」
「……」
「どうかね? 君程の奴隷なら、貴族地区で裕福な生活ができるかもしれんぞ。君をあまり傷付けたくはない……どうする?」
イルマは感情的になる前に、怒りを押し殺して暫し思考を巡らせる。
ここで気丈に振る舞って抵抗しても、耐え難い暴力や、別の屈辱が待っているのは想像に容易い……男は飽くまでも取引だと手を差し伸べている。
それならば、面従腹背を誓って、奴隷に関して一つでも多くの情報を集めるのが先決ではないか? イルマは極限の中で、そんな結論に至った。
「……分かりました。私も今の環境に辟易してたんです。より高く私を売ってくださるなら、貴方に従いましょう」
「おおそうか! 話が早くてありがたい。君は聡明だな。うむ。ではこちらに来たまえ」
男達に命じて手錠を掛けると、男は上機嫌な様子でイルマの背を押す。
イルマは地下のある一室へ通された。
牢屋が並ぶ廊下手前の小部屋。
簡易的な家具が置いてあるだけの質素な部屋であった。
「もうすぐ奴隷市が開かれるのだ。少しこちらで待っていてくれ。あ、そうそう……くれぐれも逃げ出そうとは思わないでくれよ。何度も言うが、君を傷付けたくはない」
男はそれだけ言うと部屋を去っていった。
扉の奥からは話し声が漏れている……出口は一つだけ。
逃げ出そうにも、男達がいる部屋を抜けなくてはならない。
脱出は不可能であるとイルマは諦める。
独房ではないとは言え、半ば軟禁状態になったイルマは、牢屋がある廊下へと向かう。
「何してやがる?」
慮外の声掛けにイルマは総毛立つが、その声が酷く枯れているのに気付く。
振り返ると檻の中で1人の男がこちらを覗いていた。
「び、ビックリした……死体かと思った」
「なんで檻の外にいる? 奴隷がウロウロしてていいのかよ」
「訳アリなんですよ私は。あなたは?」
「見りゃ分かんだろ。俺も訳アリさ。売れ残ってただ飢えて死ぬのを待つだけの奴隷……いや、ただのゴミだな」
「そうですか……」
鎖で繋がれた骨と皮だけの上裸体……髪と髭が伸び切ったその風貌で、この男は奴隷だと直ぐ様理解するイルマ。
そして──髪の色や耳の形からして、ノルゲン族だとも分かった。
「なんだよ? 人の事をジロジロと」
「……あの、野暮な事聞きますけど、あなた方奴隷はこの境遇についてどう思ってるんですか?」
男は淀んだ目を見開きポカンと口を開くが、すぐに吹き出すように大笑いする。
「ハッハッハ! とんだお嬢様だな。境遇なんて……俺は自業自得なんでね。なんとも思っちゃいねえが。なんだ? 辛いから助けてくれって言ったら、アンタ助けてくれるのかよ」
「いいえ。申し訳ないですけど、あなたがここにいる理由に私が関わっていない以上助ける事は出来ません。私情で歴史に介入するのは禁止されているので」
「なんだそりゃ」
「理解されるように喋ってないのでお気になさらず。ただの内省です。逆に理解されたら困ります」
「はっ、そうかい……ま、死に目を看取る死神にしちゃ、どえれぇ美人だから助かったよ。快く相棒の元にいけそうだ」
男は自らの隣にある髑髏をポンポンと叩く。
イルマの視線に気付いたのか、その髑髏を持ってイルマに見せ付ける。
「コイツが俺の相棒だ。20年盗賊として共に駆け巡った仲でな。デブでドジだが、ガキん頃から俺を慕って後をついていってな……最後は俺より先にいっちまった訳だが」
「盗賊……」
「ああそうだ。エルフのキャラバンを襲い、強奪し、そして殺す。アンタらみたいな汚れなき女も何十人とヤッてる。盗賊に山賊、殺人鬼に詐欺……この国にいるノルゲンの奴隷の殆どは、そんな罪人ばっかだぜ。ま、全員じゃねえがな」
「そう……だったんですか。てっきり種族差別の一端だと思ってたんですけど」
男はそっと髑髏を地面に起き、壁へともたれかかる。
「ま、悪魔だの災厄だの騒ぐ奴も一定数いるが、差別する程俺等は脅威じゃないだろうよ。そもそも俺達は敗戦者だからな」
「どういう事ですか?」
「知らねえ訳ないだろ。俺達はエルフに創られし生命……謂わば俺達にとってエルフは絶対的な存在。そんな奴らに俺達の先祖は牙を剥いた。そして敗れたのさ……俺達末裔はソイツらの罪滅ぼしをするべきだ……って、そう聖書に書いてあるぞ」
「……聖書?」
男は後ろにあるボロボロの書物を手に取る。
表紙には『聖録創世書』と書かれていた。
これは明らかに重要な文献だと察したイルマは、反射的に手を伸ばしていた。
「そ、それ下さい!」
「……必死だな。勝手にしろ。更生にと商人が勝手に寄越したが、俺は字が読めん。読める相棒が死んじまった以上、俺にとってそれはただのケツ拭きだ」
イルマはページをめくってそれを確認する。
古ぼけてはいるが、そこには創世に関する神話が綴られていた。
「大精霊が創造せしウィズロス。大精霊が埋めた神樹よりエルフは生まれ、エルフは葉からノルゲンを創造した……すごい。建国神話が詳細に書かれている。貴重な史料ね」
ガイドロイドを起動し、データを入力している最中、イルマは少し気になる記述を見つける。
「これは……? えと、神樹大戦?」
「……古代のノルゲン達は、魔法を使って世界転覆を狙った。エルフ共が皆殺しにあった血塗れた歴史だ。大精霊が自ら犠牲になる事で世界中の魔力は薄れて飛散し、ノルゲンは魔法を使えなくなった……そしてエルフは大戦に勝利した。ケッ、奴隷の赤子にも聞かされる話だぞ。アンタの親の顔が見たいね」
「……養護施設育ちなんで、親の顔なんて知りませんよ」
「ヨーゴ……何?」
聖書をめくり、情報を指でなぞるイルマ。
「しかし壮大な話ね……太古のノルゲン達は魔力を宿していた。じゃあ、この世界に漂う魔力はその残滓? ふわー、歴史ってすっごいわ」
「俺達は咎人だ。大戦の罪は許される事はない。エルフに絶対の忠誠を誓い、永遠に償い続ける。それが絶対の義務だ」
「それが奴隷社会の理由……」
「刷り込められたせいで、奴隷にされようが、悪魔だと迫害されようが、その事に何とも思いはしねえ……けどたまに思うんだよ。何万年前の先祖の犯した罪を、俺達にまで贖いをさせるってのは……理不尽じゃねえかって」
「……」
イルマは小脇に聖書を抱え、上を向いて暫く目を瞑った後、無言で部屋を去って行こうとする。
「なんだ。もう行っちまうのか」
「……ええ。あなた達の解放は、私の役目じゃありませんので。すみません……ですがきっと、あなた達を救う救世主がこれから先現れますよ。何千、何万人とね」
「んだそりゃ。ま、いい冥土の土産ができたよ。来世でまた会おうぜ」
男は乾いた笑いを響かせる。
イルマはそんな名もなき男に別れを告げ、廊下を去った。
「完ッ全に見失った。クソ、マルちゃん……!」
「ああああイルマさんがぁ……最悪の事態になってしまった……! ここにも、ここにも……ここにもいない!」
「ふむ。見事に逃げられたね」
一方──連れされたイルマを追っていた3人は、狭い通路で立ち尽くしていた。
影は角を曲がった所で、一瞬で姿を消したのである。
辺りの建物や物のどこを探しても、イルマの痕跡すら見つけられなかった。
「どうしましょう! ここまで完璧に逃げられるとは……こ、ここら辺りで消えましたよね!?」
「……ん? ガイドロイドに新規情報が……なにこれ聖書? え、マルちゃん何してるの?」
「ふむ。確かもう間もなく奴隷市が開催されるはずだ。十中八九それに出品するつもりだろうね」
「と、盗品を出品するなんて……!」
「フッ、大局的観念で見れば、奴隷は皆盗品のようなものだろう」
皮肉めいた笑みを見せる青年に、ロアンは言葉を押し殺してしまう。
「奴隷市ならば彼女も見つかるかもしれない。行くかい?」
「ぜ、是非…………あの、それと今更ですが、あなたは一体……」
「ああ、名乗るのが遅れたね。僕の名はウル。よろしくね」
新たなる仲間、謎の青年ウル。
3人はイルマを取り返すべく、奴隷市へと向かっていく。




