#28 白銀の鱗
昼下がり。一行を見下ろす竜王峰は大きさを増していく。王のお膝元まで、残す所あともう少しとなった。
ガドムは岩山の頂上から見える景色を一望し、山を指差して斧の柄を突き立てる。
「この山を越えて一歩でも進めば竜王の領域だ。俺もここまで来た事はまだ数回しかねえ。武者震いがするぜ」
「前回あたし達が来た時は、ニール共の群れに追われて死ぬ寸前だったからね」
「ニールの群れ……そういえばニールは群れでも行動するんですよね。あんな巨大なドラゴンが何匹も固まってるとか、想像しただけで無理す……ぎ……」
イルマの身体は徐々に硬直する。眼前に映る光景に言葉を失ったのである。
岩山の下で、3匹のニールがじっとこちらを見据えていた。
赤い鱗を持つグレッドニール2匹と、それを従えるように中央で座すのは、2匹より更に一回り大きい銀色の鱗を持つニールであった。
そんな恐ろしくも美しい外見を持つ銀竜を視認した瞬間、イルマは総毛立つ。
「あ、ああ……アルゲニール! グレッドやブラーグより強力な、世界で何匹といない希少種ですよ! その圧倒的強さ故に、破滅の銀星とも呼ばれている……う、動いたら死ぬ……」
「フフ、そんな獣みたいな習性はないと思うわよ。発見即襲撃じゃないかしら」
エロシェの予測通り、左右のグレッドニールは咆哮を轟かせながら、イルマ達の方と飛んでくる。
「うわぁ、来たぁっ!」
「ハッハッハ! 来いよニール共!」
「今回は遅れは取らないよ!」
イルマは慌てて後方へさがるが、兄妹は嬉々として前へと踏み出し、グレッドニールの一匹へと攻撃を仕掛ける。
「さて。じゃあこっちは、イルマちゃんと私で対処しましょうか。とりあえず1人でやってみなさいな。見ててあげるから」
「ええ!? 手伝ってくれないんですか!」
「修行にならないでしょ? 一度見た相手だし、これくらいは戦えないと。あなたを守る義務はあるけど、私はギリギリまで追い込むのが好きなの。苦しそうな顔もっと見せて♡」
「悪魔ぁ! って実際悪魔でしたね〜!!」
イルマは半べそをかきながら、グレッドニールと対峙する。
自らの数倍もある体格から繰り出される翼撃。大空を舞う為に翼と同化した腕爪は、イルマの柔肌を一瞬で切り裂くだろう。
イルマは身体を全力で動かし攻撃を避けるが、命を貫かれるのも時間の問題だと、迫る死を感じていた。
「あああぁぁーっ!」
極限の中で生み出した苦肉の策。イルマは避ける事を止め、竜の爪を腹部で受け止める。
しかし鋼鉄を誇るわけでもないスーツは爪によって引き裂かれ、イルマの肌を貫いた。
「イルマちゃん!?」
「ぐっ……【セイバー】!」
「ギャア!」
イルマは自らの肉体を犠牲に、ニールの無防備な喉元に【セイバー】を突き刺した。
短く威力の無い【セイバー】はニールの鱗に少し傷をつける程度であったが、今まで痛みとは無縁だった空の王者を驚かせるには十分だった。
「はぁ、はぁ……うぅ……っ!」
イルマは血を吐きながらも、意識が薄れる前に自らの傷を癒やす。
しかしニールは健在であり、無防備なイルマに容赦なく怒りのこもった一撃を振り下ろす。
「あっ……」
「おっと危ない」
イルマへのとどめはエロシェの片腕によって防がれる。
「よい……しょっと」
エロシェはニールの顔付近まで飛び上がると、そのまま空中で身を捻って回し蹴りを放つ。
パァンっという凄まじい音と共に、ニールの体はくの字を描いて吹き飛び、遥か後方の岩山へと叩きつけられた。ニールはそのまま動かなくなる。
「師匠……」
「大丈夫? イルマちゃん」
「な、なんとか……慈愛で回復しました」
「無茶するわねえ、自分を犠牲に攻撃するなんて。自分で傷を治せても、痛みに立ち向かうのは並大抵の精神じゃない。少し危な気だけど……ま、今は及第点って所かしら」
肩で息をするイルマに手を差し伸べるエロシェ。傷跡が残る稚拙な治療に、エロシェは少し眉をひそめた。
「師匠?」
「……なんでもないわ。とりあえず、あれ」
エロシェが指差す方向。空を仰いで震えるグレッドニールは、掠れた咆哮をあげてゆっくりと地に倒れる。
ニールの背中には、血に塗れながらも拳を天に掲げるガドムとヨラムの姿があった。
「っしゃあああぁぁーっ! ニールをぶっ倒したぜ!」
「嘘!? あの兄弟2人だけでグレッドニールを!?」
「やるわねえ。ま、私がすこーしだけスキルを付与したけどね♡」
「残るはあの銀ピカのニールだな!」
イルマが兄弟の傷を完璧に癒し、一同は岩山の下方に未だ健在のアルゲニールと対峙する。
「アルゲニール──白に近い色は普通のニールより遥かに屈強であり、輝く鱗を持つ白銀は特に希少種。かつて国を一匹で滅ぼしたとも伝わり、竜王と遜色ない実力を持つと言われてます。師匠、本当に戦うんですか?」
「んー……竜王の前哨戦にしては強すぎるかしら?」
銀竜は動じる事なく、じっとイルマ達を赤い眼で睨んでいる。鋭利に逆立った白銀色の鱗は、1つ1つが鏡面のように光り輝いていた。
銀竜はイルマ達の前まで羽ばたくと、空からじっと見下ろす。一行の間に緊張が走る。
「オイ、岩虫」
「え!?」
銀竜はゆっくりと口を開く。怒りなど全く込められていない落ち着いた声音。
ニール特有の明確な殺意も無い事に、エロシェは小首を傾げながらも冷静に言葉を返す。
「……私達の事を言っているのかしら?」
「ウヌら以外おるまい。岩の間をワラワラと出たり入ったりする小さな虫けら。言葉を交わす価値もない愚劣で矮小な生物。それがウヌらだ」
唸るような低い声で口を開く銀竜。しかし声音は微かに弾んでおり、興味を持つような口調であった。
エロシェはそんな銀竜の心中を察してか、腰に手を当てにっこりと微笑んで答える。
「フフ、虫と会話するなんて愉快な思考を持ってるのね。で? そんな虫けらと急に会話する気になったのはどうして?」
「ウヌらに少し興味が湧いてきたのよ。よもや岩虫が同胞たるニールを打ち倒すとはな」
「虫だ虫だうっせーなあ! オイ、御託はいいから早くおっ始めようぜ! 竜王が控えてんだよ!」
「ああ、白銀だか何だか知らないが、ニールを前にしてボケっと突っ立ってるワケには──」
「ほう。ウヌら竜王を倒したいのか? あの憎き王を」
「え?」
銀竜は大岩に着地すると、その大きな翼を畳んで、イルマ達を吟味するように鋭い眼差しで凝視する。
「憎きって……ニール達は竜王に忠誠を誓っているのでないのですか!? ニールの時代を築いた絶対的な王……それが竜王では?」
「何も分かっていないな岩虫。あのような偽りの王に忠義を尽くすニールなんぞおらぬわ」
「う、嘘でしょ!? 資料と違う……全てのニールは竜王に従っているのかと」
「あり得んな。ニールは共に狩りに赴く事はあれど、誰かに付き従う事はせん。ニールは誇り高き種族……従うべき王は己自身よ。傲慢な竜王なんぞ、今すぐ喉笛を噛み千切ってやりたいものだ」
「では、それをしないのは何故……?」
「我らは竜血の掟により竜王に牙を向けられぬ。奴を前にすると体が動かんのだ。そういう呪いだ。しかしウヌら岩虫は違う」
銀竜はイルマ達の目の前に降り立つ。風圧がイルマの髪を激しく揺らす。
「だが所詮岩虫。そんな猛者などいるはずもないと諦めておったが……希望はありそうだ」
「それって……」
「うむ。一縷の望みに賭けるもいい。ウヌらを竜王の峰に連れて行ってやろう。我は竜王をその座から下ろしたい。ウヌらは竜王を倒したい……利害は一致しておろう。悪い話ではあるまい?」
「えらく理性的なんですね。見ず知らずの私達にそこまで……」
「大局を見ているだけよ。目先の岩虫を片付けた所で何も生まぬ。我が望むのは支配者無き自由な空よ」
「ニール側とは思えませんね……私達の味方って事なんですか?」
「我は誰の味方でもない。竜王が死した後、岩虫がどうなろうと我の知った事ではない。腹が減れば、我は容赦なくウヌらを喰らうぞ」
悠久の時を生きた竜──静謐さと獰猛さを持ち合わせた瞳に、イルマは生唾を飲み込む。
絶体絶命のピンチから降りかかった大いなるチャンス。イルマは提案に頷く前に、エロシェの方へ振り向く。
「師匠……これズルですかね?」
「いいんじゃない? 運も実力の内だしね。それにニールを倒して力を認められたんだから、全然ズルじゃないわよ」
「分かりました……では、お願いします!」
「うむ。では我が背に乗れ。竜王が住まう山頂へ直接連れて行く!」




