未来への遺産
9
「なんだって!ハン議員が誘拐された?」
一本の電話で公安本部は大騒ぎとなった。
武田はとっさに時計を見た。
午前0時を少し回っている。
真田も血相を変えた顔で武田のいる詰所に転がり込んできた。
ハン議員から今夜の護衛任務を解かれた二人は、万が一に備えて公安本部に詰めていた。
しかしハン議員の説明では公設の護衛がいるから心配はないとの事…
二人はそれを信じて第二級警備態勢まで下げていたのだ。
つまり一人は本部にて待機、一人は休息を取るといった形である。
この時間、武田が非番となっていた。
「どういうことだ?説明しろ!」
武田の問いに真田は息を切らせつつも説明した。
「は! 今しがたハン議員とお供をしていたと言う女性から、議員が誘拐されたとの電話が入りました。その女性が言うには、二人連れの賊がハン議員の部屋に乱入、議員を眠らせて連れ去ったと言うことです。すぐに所轄に連絡を入れ、事実確認をしました!」
「それで誘拐されたのはいつだ?」
「それが誘拐された直後に通報したと言うのですが…少し気になります」
「よし、追跡モニターを確認しよう」
二人は詰所を飛び出して本部に向かった。
ハン議員には公安から追跡装置のついた指輪を渡してある。
もしつけていてくれたなら、ハン議員の現在位置が特定できる。
モニターの光点はホテルと違う場所で停止していた。
「ここは…原宿のようですね?宿泊のホテルとは違う場所です」
「うむ、ホテルから原宿はざっと10キロ…
今しがた誘拐されたにしては移動距離が長い…多分誘拐はもっと前だろう。
これは我々の失態だ!光点に向かうぞ!」
「はい!」
二人は数人の部下を引き連れて飛び出していった。
タカシはハン議員のダウンロードされた記憶を見ている。
ハン.ジンソクのすべての記憶を見たいのではない。
彼が韓国政府の中核的存在になってからでよかった。
徴用工の真実を知るにはそのくらいでよかった。
ハン.ジンソクは現在65歳…頭角を現したのが40代だから25年分の記憶をダウンロード出来れば良い。
1年分のダウンロードが1分なので、およそ25分でダウンロードが終了できる。
ハン.ジンソクという男が如何にして政界を上り詰めて来たかが手に取るようにわかる。
強き者には媚びへつらい、弱き者には徹底的にこき使った。
階段を上り詰めるように一歩一歩…
しかし裏では賄賂、収賄、恐喝と様々な方法を駆使している。
彼が一丁飛びに幹部として登用された背景には、反日を反映させた日本との交渉手腕にあった。
徴用工は勿論、従軍慰安婦問題や戦後賠償の折衝に、ハン議員は欠かせない人物として重用されたのだ。
しかしどの折衝でも約束の反古、さらなる要求など国家間の条約を無視するような、呆れた行動もあった。
百歩譲って、これは韓国の国益に値する行為なのだとの主張もあるかもしれない。
しかしそれが慢性化し、韓国政府の体質となってしまった向きは、決して誇れるものではない。
タカシはあるシーンで固まった…
タカシの拳がぷるぷると震えている。
「なんだ…なんなんだこれは…」
うぅっと唸るような声がしてハンが目覚めた。
まだ意識が虚ろなのか事態を把握するのに時を要したが、自分の頭につけられている装置や自分の声が流れるモニターに気がついて意識が覚醒したらしい。
「キサマ!何をしている!これは何だ!なぜ私の声が…」ここ迄言って事態が分かったらしい。
これは今日本で流行しているマザーメモリに違いないと思った。
「私の記憶を盗むな!オマエ!こんな事してタダで済むと思っているのか!早く消せ!
早く消すんだ!
ハンはベットから立ち上がろうともがいた。すかさず飯島が後ろから羽交い締めにした。「キサマら、キサマら!」
ハンは何とか振りほどこうと暴れる。
飯島も必死に取り押さえていた。
しかしタカシだけはモニターを凝視しながら動かない。
いや、動けないでいた。
タカシは在日ではあるが韓国人である。
韓国人としての誇り、名誉は日本に暮らしていても常に自分の中にある。
日本での生活は決して褒められたものでは無いが、それでも優秀な朝鮮民族の血が自分にも流れているんだと思うと心が躍る時もあったのだ。
しかしタカシのアイデンティティはもろくも崩れ去ろうとしていた。
「こんな事ってあるか…何でこんな奴が俺たちの仲間なんだ…」
タカシは怒りに心が震えていた。
しかしハン議員は尚も吠え続ける。
「おまえ、分かっているのか!これが公になれば、国際問題では済まされんぞ。日本とは国交断絶、いや戦争になりかねん!
私は国益の為に、韓国国民の未来のためにやっているのだ!えぇ、何が悪い!?
これは我が国民のためだ!それをお前はぶち壊そうとしてしている!
強いては日本国民のためにもならんぞ!
おまえ!さては日本の右翼の手先だな!きっと日韓関係を崩そうとする政治家の手先に違いない」
ハン議員はまくし立てた。
タカシは冷めた目でハンを見下ろした。
「俺は在日だが朝鮮の血を引いている。なぜ日本国籍を取らないか分かるか?それは最優秀民族としての誇りがあるからだ!俺も少年時代にこの日本に渡ってきた…子供の頃は散々いじめられたさ…辛い思いをしたよ…
だからこそ虚栄に満ちた日本を見返してやろうとジャーナリストになったんだ。
俺は韓国を愛している…そして信じているんだ。それをお前みたいな俗物が全て台無しにしちまった」
タカシは怒りを通り越して悲しみで心が張り裂けそうだった。
「とにかく俺の記憶は消すんだ!いやそんなものは消してくれ!まずはそこから話を進めよう。
対話は対等で無ければいかん…
まずは冷静にだな…」
ハン議員はなだめすかすように声を和らげた。
タカシは苦笑しながら
「お前たちはいつもこれだな…譲歩と見せかけて探りを入れるか?
いいか?!俺はお前の本性を知ってしまったんだよ…今さら言い逃れができると思っているのか?
たしかにこの記憶が公になれば日韓は永久的に断行だろう。お前が生きている限り、これが公になることが、両国にとって不利益になることは分かっている。
おまえが生きている限り、第二第三の俺が現れて真実を追求するか分からない…
おまえが生きていることが民族の恥だと知れ!」
タカシは懐に隠し持ったサバイバルナイフを抜いた。
ギョッとしたハン議員は手をバタバタと振って「まぁ待て、待ってくれ!話せば分かる!
そうか、金か?私の記憶を消去して解放してくれれば一生遊んで暮らせる金をやるぞ、どうだ?」
タカシはマザーメモリの消去ボタンを押した。
画面のアナウンスが本当に消去して宜しいんですかと表示される。
タカシは実行のボタンを押した。
消去のためのカウントダウンゲージが始動する。
余りにあっけなく犯人が要求を飲んでくれたので、呆気にとられたハンだったが、
「よし、次は私を解放してくれ。お前のことは誰にも言わん。後ほど連絡するから早く自由にしてくれ」
外ではパトカーのサイレンが鳴り響いている。
どうやって場所を突き止めたのか、すでに包囲されているらしい。
タカシは飯島をみた。
「お前はもういい、さっさと逃げろ!」
動揺している飯島に早く行け!っと怒鳴る。
飯島は慌てて飛び出して行った。
「警察が来たぞ!早く私を解放しろ!ぐずぐずしていると捕まるぞ、このような犯罪を犯しては死刑間違いなしだ!」
サイレンに気を良くしたのか、先ほどとは打って変わって強気の姿勢でタカシに迫った。
消去のカウントゲージが100%を示した。
「ハン.ジンソク、俺は逃げようなんて思っていない。しかしお前のような俗物は野放しには出来ない。朝鮮人の面汚し!お前の悪事はこのおぞましい記憶と共に消し去る。朝鮮人への裏切りはお前の命で償え!」
タカシはサバイバルナイフを逆手に持ち替えて大きく振り上げた。
「ヒィ、、、」ハンが大きくのけぞる。
ドアがバンと開いて、公安の武田と真田が飛び込んで来た!
「動くな!ナイフを捨てろ!」武田は叫び銃を向けた。
タカシは一瞬手を止めたが、武田と目が合った。
武田もタカシと目が絡み合う。
「?、君はいったい…」
武田は動揺し、一瞬怯んだ。
タカシは今一度大きくナイフを振り上げた。
パン!パン!!
銃声が鳴り響いた。
タカシは大きく仰け反って倒れ込んだ。
銃を撃ったのは真田だった。
一瞬皆が凍りついた…
しばし静寂を切って口火を切ったのはハン議員だった。
「貴様ら、今まで何をしとったんだ!満足に私の警護もできんとは!日本の警察の無能なのがよく分かったわ!
これは国際問題だ!国の要人をまんまとさらわれた上、屈辱を受けるまで助けることもできんとは、何という恥さらしの国だ!」
ハンは怒鳴り散らした。
「しかし貴方は今夜の護衛を断ったんじゃ…」
真田はムキになって主張しようとしたが武田が立ちはだかって制した。
「申し訳ございません、ハン議員。救出が遅れましたことお詫び致します」
武田が深々と頭を下げた。
ハンはしばらくの間武田たちを罵っていたが、床に倒れている容疑者に目を移して
「それにしてもこいつは一体何者なのだ?」
と武田に問いた。
「これから捜査してみないと何とも…」と困惑の表情を見せた。
「しかし韓国の重宝の私を狙うとは、きっと政治的な意図があるのではないか…いやきっとそうに違いない。日本外交の調停役としてわしはなくてはならない存在じゃ。
それを拉致して日韓関係を壊そうという輩は日本の右翼政治団体しかおらん。
もしかして右翼政治家がグルになっている可能性さえある。
いったい誰じゃ、お前ら知ってるんじゃ無いだろうな!」
ハンの高圧的な言動に、武田は無言で首を横に振った。
いったい黒幕は誰なんじゃ!
一旦は収まりを見せた怒りがまた爆発しそうになったが、ふとタカシに目を留め、そうだと言わんばかりに拳を叩いた。
「そうだ、こいつだ。こいつをマザーメモリにかけるんだ。そうすればこいつの記憶から密会していた相手と、密命が判明するはずじゃ!どうだ、いい案だろう」
ハンは自分の妙案に酔いしれて胸をそらした。
「しかし容疑者は血を流して重体なんですよ!今すぐにでも病院に運ばなくてはいけない!」真田が口を挟んだが、ハンは烈火のごとく怒り出した。
「馬鹿もの!事件の真相と、たかが犯人の命とどちらが重要か分からないのか!
それにこいつが絶命してしまえば永遠に真相は闇だ。その前にこいつから記憶を抜き取るんじゃ。どうせ救急車も到着しておらん、その前に済ませれば問題なかろう?」
ちょうどその時、別の捜査員が室内に入ってきた。
「部長、今しがた裏口から逃亡しようとしていた男を拘束しました。多分サロンの関係者では無いかと思われます」
手錠をはめられた飯島がうな垂れて入ってきたが、倒れているタカシを見てアぁと嗚咽を漏らした。
「だから言わんこっちゃない。もう全ておしまいだぁ…」
事件が重大すぎる。
そしていくつもの罪に問われるであろう飯島にとって、もう生きて娑婆には戻れないであろう。
飯島は頭を抱えて泣きじゃくった。
「おい!お前!ここの職員なら、この機械を動かせるだろう?犯人の記憶を読み取れ!早くしろ!」
ハンは飯島に強制した。
タカシはベットに移された。
飯島は完全に思考能力停止状態で、言われるがままに装置を取り付ける。
応急手当てはしてあるが鮮血でタオルが真っ赤である。
生きているのか、いや瀕死の状態なのかもしれないが苦痛で歪むタカシの表情に、手がブルブルと震えていた。
飯島が生体認証をすると低い唸り音とともに
マザーメモリがタカシの記憶をダウンロードし始めた。
「最近の一年分の記憶でいいぞ、こいつの人生には興味ないからな」
ハンが念を押した。
一年分のダウンロードなら1分あまりで完了する。
ダウンロード成功のアナウンスがあると、早く映せとハンが急かした。
「まずはこいつが真犯人であるかどうか見ようじゃないか!数時間まえの記憶から写してもらおうか…」
映像はハンが泊まっていた部屋の前から始まった。
ホテルマンに変装した飯島が映っている。
タカシの目を通した記憶なのでタカシ自身は鏡の前に立たない限り映らないが、声で本人と分かる。
ハンの部屋の前でノックをすると、ハンの応答があって扉が開いた。
羽交締めにされてハンの口にはハンカチが当てられた。
力なくうな垂れるハンが映っている。
「やはり誘拐もこいつらの仕業じゃ!
これはいい!どんなに尋問の時に反論しようが動かしようのない事実が捉えられている」
ハンはしてやったりと御満悦だった。
連れ去られるおり一人の女性がバスルームから出てきて犯人と出くわした。
ホステスの『ゆう』だった。
はじめはビックリした表情を見せたものの、キョトンとした顔で指を立てている。
ゆうの前に厚手の封筒が投げられる。
2時間ね!ゆうは舌をぺろっと出してオーケーサインを立てた。
ハンは不甲斐ない顔つきで誤魔化したが
あのホステス、ほとぼりが冷めたら手籠めにするだけじゃ済まんからな…と心の中で舌打ちした。
シーンは記憶サロンの室内に移った。
ハンがベットに横たわっている。
そこに飯島が装置を取り付けて行くのが見える。
そして始動…低い唸り音とともにダウンロードが始まる。
そしてハンの記憶の投影が始まった。
モニターにはハンの記憶が映し出されている。
タカシはそれをじっと見ていた。
脇目もふらず一心に…
仕舞った!!
ハンは大慌てで、
もういい画面を消すんだ!消去するんだ!とわめき散らした。
タカシがハンとともに抹殺したいと思った記憶、もしこれが第三者に見られれば国が転覆しかねない記憶…
だからこそせっかく手に入れた映像をタカシは全て消去したのだ。
しかしその映像はタカシの記憶の中に存在していた!
ハンは大暴れで機械を壊そうともがく。
真田が必死になって抑える。
「黙れ!ハン議員!この映像は証拠として公安が抑えた。あなたには後ほどたっぷりと事情を聞かせてもらいますよ!」
武田は初めて職務を超えてハン議員を怒鳴りつけた。
ハンは公安によって拘束され部屋を出て行ったが最後まで貴様らは絶対に許さんぞと怒号をあげ続けていた。
10
救急車も到着し、容疑者 高野タカシは搬送された。
重体で予断を許さない状態だった。
正当防衛とはいえ、撃った真田は心情的に辛い立場である。
しかし二人にとっての捜査は終わっていない。
モニターの前に座ってタカシの記憶を辿った。
タカシの記憶は、その中にあるハンの記憶を映し出すモニターに釘付けになっていた。
韓国の主要メンバーが居並ぶ席上で会議が始まった。
主題は対日政策の今後…
外務担当と思しき議員が話し始める。
「最近我が国の対日政策は行き詰まっております。慰安婦問題も財団を作ったりして形式化したので、これ以上日本からの援助金を取りづらくなってしまいました。
いっそのこと、満額拠出させた後財団を解散し、もう一度作って再度要求するとか?」
周りから失笑が漏れる。
「それは君、あからさまに詐欺だよ。」
どっと笑いが起こった。
他に何か方策はないかね?
座長を務めているのは大統領であった。
「私にいい案がありますよ」
声の主はハン議員であった。
「強制労働という言葉があります。まぁこれは北の日韓関係をこじらせる為の謀略であったことが判明しておりますが、日本に出稼ぎに行って民族差別を受けたなどの話はよく聞くもんです。
中には本当に重労働を課せられた者も少なくはないでしょう。
これを利用するのです」
「しかしそんな噂程度の話で金は取れんだろう?」
「根拠などは後からついてくるもんです。まずは既成事実さえ作って拡散すれば、それだったら私もと名乗りをあげるやつも出てくるかもしれない。
我々はそれを後押しして財団なり基金なりを作って日本から金を絞り取ればいいんです。
「まずは強制労働させられたという語り部が必要であるなぁ」
「それなら私が打って付けの人物を見つけております。配りました資料を見て…」
ハンの視線が資料に移る。
あ!と真田が声を出した。
資料にはイ.ジョンチョルの顔が写っていた。
ハンがさらに続けた。
「この男はイ.ジョンチョル…今は監獄に収監されていますが幼い頃から強盗殺人から詐欺、窃盗、万引きまでありとあらゆる悪に染まった男です。刑務所を出たり入ったりの生活なので知人は居ません。それに加えて詐欺などで人を騙すことには長けた男です。この者を強制労働の被害者に仕立てて語り部とします。
成功すればそれに続く者たちが現れるでしょう。
そしてそれを応援する市民団体を政府で後押しすれば第二の慰安婦問題になるでしょう。
私の試算では少なくとも数十兆ウォン!
皆さんの懐も膨らむというもんです」
最後の部分では含み笑いながらも皆な目をそらした。
それは少しやりすぎでは無いですかなぁ〜
と発言する役員もいたが、国益のためと言われてあっさり身を引いた。
大統領が皆さん如何ですかと音頭をとる。
先ほど異を唱えた役員も笑顔で手を叩いていた。
その後、ジョンチョルには日本の軍艦島のパネルを見せながらのレクチャーが繰り返されていた。
なんということだ…全てが虚構だったのだ。
武田と真田は顔を見合わせた。
何かとんでもないものを見て仕舞ったという罪悪感にかられながら暗澹たる思いに心が縛られて行った。
三週間後…
武田と真田は多忙に追われていたが、ようやくこの一件もひと段落がつきつつあった。
「あの時のディスクはどうなりましたか?」
サロンで見たディスクは公安に持ち帰られ、
本件の証拠として保管されていたが、先週政府の方からの貸し出し要請に従って貸し出したが、戻ってくる気配はない。
恐らくこのまま闇の中に消え去るのかもしれない。
多分に政治的配慮を要する案件である。
公になれば良くて国際問題、判断を誤れば断交になるだろう。
日本政府としてもそこまでの決断には踏み込めないのは仕方がないだろう。
「その後ハン議員はどうなりましたか?」
真田は武田に問うた。
ハン議員は簡単な取り調べの後帰国した。
議員を辞めたという話は聞かないが、表舞台からは身を引いたのだろう。
政局に関わることなく蟄居しているものと思われた。
今回のことは大変な大失態である。
日本の出方如何では国を分かつほどの衝撃であったが、まだそこまでは至っていない。
日本政府が押収したディスク…
これは日韓外交において常に日本側の切り札として持ち合わせようということなのだろう。
今まで韓国の主張に屈し続けてきた日本としては対等な関係を主張できる免罪符を手に入れたようなものだった。
イ.ジョンチョルといえばその後の強制送還から行方は分かっていない。
公安としてもアンテナを広げてそのキャッチに努めたが駄目であった。
「おそらくジョンチョルは 元の刑務所に戻ったか、あるいは…」
二人は暗澹たる思いになった。
「改めてすいませんでした!」
真田は深々と頭を下げた。
容疑者を反射神経的に射撃したことを悔やんでいるのだ。
容疑者は今だに意識不明で生死をさまよっていると聞く。
銃撃した真田としてはなんとしても生きていてもらいたいという気持ちがある。
「それにしても先輩、なんであそこで躊躇したんですかい?」
しばしの沈黙の後、武田はポツリと話はじめた。
「私も公安として幾多の修羅場を潜り抜けてきた。犯人が犯行に及ぶ心理というものは分かっているつもりだ。狂気が渦巻くんだ…
それは人間の顔では無い。しかし今件は違った…高野は穏やかな顔だったよ。
自分の使命はこれだったんだって言うイサギの良ささ…
私はそれで一瞬躊躇してしまった…しかし今回のディスクを見てしまってはその意味も分かる気がする。
ハン議員の記憶は決して垣間見てはいけないものだったんだ。
犯人の高野もそう思ったに違いない。
しかし第2第3の高野が現れてハン議員の記憶を辿ったら、韓国という国そのものが保たないだろう。
彼はハン議員共々抹殺することを選んだのさ。高野は自分の使命を悟ったのだろう。高野の目はそれを訴えていたんだ」
「俺、そんなことも気づかず撃っちゃって申し訳ないっす!」
真田は頭を掻いた。
「ところで高野タカシの身元はわかったかね?」
「はい、判明しました。高野タカシ、45歳
妻帯者あり子供はいません。日本でフリージャーナリストとして、主に政府批判の記事を多く扱っています。在日韓国人で、籍は韓国、韓国名はキム・ヨンハ。
最近はネタ探しで苦労していたようですが、マザーメモリを使ってのスクープを考えたようで、犯罪に手を染めてでもネタを取ることを考えていたようです。
マザーメモリの記憶からイ.ジョンチョル誘拐の実行犯であることも判明しました。
しかしこれらの件において妻の由梨江は全く関知しておらず寝耳に水だったようです。
高野はイ.ジョンチョルをマザーメモリにかけて徴用工の真実を探ろうとした結果、彼が偽物と気づいた。
そこで記憶に現れたハン.ジンソク議員を拉致、真実を探ろうとしたと思われます。
おそらく高野はスキャンダルを掴むというより、真実を知りたいという行動に移ったのだと思います。
そうでなくては、何もかも知ってしまってからの彼の行動に整合性が有りません…」
武田は真田の報告にうなづきながら耳を傾けた。
「私も同感だ。ある意味、彼も在日とはいえ
韓国に対しての愛国心は並大抵以上のものがあったのだろう。自国の闇は消し去ってしまいたい…その思いが今回の犯行だったと思う」
二人の間には重い沈黙が流れた。
「この後、かの国はどうなっちゃうんでしょうねぇ…」
真田の問いに武田は即答はできなかった。
「お前は韓国の成り立ちを知っているか?」
武田は真田に問うたが、苦笑いしながら首を振った。
「日本敗戦後、指導者のいなくなった朝鮮には米国とソビエトが占領軍として統治を分かち合った。しかしイデオロギーの違う両国は自分の影響力のある政府を作ろうと画策するが、朝鮮民族としては飛んだ迷惑な話さ…
初めっから自国の自治権なんざありやしないんだからな…結果二つの国が出来上がってしまったが、韓国はアメリカが主導で作った傀儡政権だった。初代大統領はリ.ショウバンというアメリカで反日活動をしていた人物で、
朝鮮民族から選ばれた代表ではなかったんだ。彼は前政権の日本を完全否定する政権をアメリカ主導の元に作り上げた。つまり韓国という国は、建国の理念そのものが反日なんだよ…それは韓国憲法にも謳われているんだ…」
「へー、そうなんですか…しかし終戦から、もう四半世紀も過ぎようとしているんですよ!今更何を言ってるんですか…」
「いや、彼らを侮ってはいかん。彼らの『恨』の精神は戦後…とは言っても朝鮮戦争後だが、巨大な原動力として最短で先進国まで押し上げていった…秘めた力は伊藤博文公の言のように侮りがたいものがある。
しかしそれを利用しているのが韓国政府って言うことだ。国民感情を煽り立てながら国家の起爆剤にしている」
「そうですよね…俺も感じているところですが、だからといって今回のような捏造がまかり通ってはわが国としても黙っているわけにも行きませんよ…」
「その通りだよ…歴史というのは人類が歩んできた道を正確に綴ってゆくものさ…善道もあれば、もちろん悪道もある…しかし人間が歩んできた道を正確に記すことが『歴史』と言うものであって、こう有るべきだと言うことを綴るものではない。
ましてや、虚異の歴史を振りかざしての恐喝はあってはならないことさ」
真田は公安室のある霞ヶ関の空を仰ぎ見た。
冬の青空、抜けるような乾いた晴天が拡がっていたが、明日は雨の予報だ。
ここからは知る由もないが、今の話のように見えない不安が未来には拡がっているのだと予感させた。
「武田部長、この先あの国はどうななっちゃうんでしょうね?
かの国の全てが悪いわけじゃない…いつかは日本とも友好を築ける時が来るんですかねぇ?」
真田はやり切れない思いを抱いて消沈していた。
真田も決して嫌韓思想の持主では無い。
ハングル語を独学ながらも勉強し、好意を持っている国では有るのだ。
武田も十分理解していたし、自身も政治抜きに友好を築けたらと願っているのだ。
「韓国は建国からボタンを掛け違えてしまった服のようなものかもしれないね。いくら途中からはめ直しても、初めからかけ直さなければ正常に戻れないかもしれない。
万が一徴用工の真実が実際あったとしても、嘘で塗り固めた話が混在してしまっては、もはや色は持たない。
そして嘘に嘘を積み重ねる事によって新たな歪みと矛盾を生む事になるんだ。
現に徴用工問題が日本製品の不買運動を巻き起こし、日本製品を販売する韓国の会社が倒産する事態を巻き起こしている。
さらに悪いのが、徴用工がいるせいで景気が悪くなったと思っている彼の国の国民が
アンチ徴用工として差別をするという
とんでもないブーメラン現象を引き起こしてしまっているという…」
「なんだか、全て負のスパイラルですね…なんとかならないものですかねぇ?」
「幼い頃から植え付けられた反日教育は、負けてたまるかという気概の底力になっている。もし今まで信じていたことが全て嘘だったと分かれば彼らの持つアイデンティティそのものが崩壊してしまうだろう。だからこそ、韓国政府としては反日を完貫していかなければならないんだよ」
「あんまりな話です。それでは永遠に反日は続くっていうことじゃないですかぁ」
「そう、韓国が韓国であり続ける限り、そして建国の理念が反日であった限り不幸な未来は続くんだろうね」
「…」
「しかし韓国国民は愚かでは無いよ。きっとこの危機に気づいて立ち上がる人が出るだろう。なんといっても先進国の仲間入りを最短でやってのけるバイタリティがある。一度火ががつけば燃え尽きるまで邁進する力を持っている。
韓国という国の闇を葬り去り、もう一度ボタンをかけ直すなら、たとえ国が衰退したとしてもものすごい勢いできっと返り咲くことができるだろう」
「ボタンをかけ直すということはつまり…?」
そうもう一度新たな国として出発することさ。
そしてかつて韓国という欺瞞と嘘に塗り込められた国が民族を支配し、韓国国民を騙し続けてきたが、我々はその悪夢から目覚め、新たな出発の時を迎えたのだとすれば、
かれらの大義と名誉を失うことなく、
アイデンティティを保つことができるんじゃ無いかな?」
「いやーそんな簡単にできるもんじゃ無いっすよね〜」
「いや、そんなことは無いよ。かつてそういう国があったじゃないか!」
「え?…どこですか」
「日本だよ。かつて大日本帝国という国に支配され、欺瞞と暴力が支配していた国が、終戦を経て日本国という別の国に生まれ変わったんだ。一夜にして民主主義国家に生まれ変わったじゃないか!」
「そうでした…かつての日本も同じ道を歩んでいたんでしたね!」
「韓国は日本統治後、傀儡のリショウバン政権を経て長いこと軍事政権だった。
第二次大戦後の世界秩序は軍事国家から民主主義に変換して行ったが、韓半島の民にはまだ新しい夜明けは訪れていないのかもしれないね。新しい出発こそが本当の終戦なのかもしれないよ」
「そうですよねー頑張れ!韓国!
いや、韓民族!!」
ようやく真田にも笑みが戻った。
「武田部長!」と別の部下が部屋に入ってきた。
「先ほど病院から高野タカシの意識が戻ったとの報告が入りました。
武田と真田は顔を見合わせた。
「真田、行くぞ!私たちにはまだ仕事が残っている。」
「了解です」と真田は力強く敬礼した。
二人は上着を肩にかけて公安室を飛び出して行った。
完