軍艦島
3
数日後、チェソンと約束した時間に落ち合った。
チェソンは珍しく約束を覚えていて、お気に入りの焼肉屋にタカシを連れていった。
ここでもまた徹底的にチェソンにへり下った。
「まぁ先輩!今日は仕事の話抜きです。先輩の武勇伝をお聞かせください〜」
酒飲みは初めが肝心である。
絡みから始まれば終始絡み続ける…
最初の出だしが重要であった。
タカシは我慢に我慢を捧げた。
この日のチェソンは幸い機嫌が良かった。
大いに自慢話を繰り広げる。
これなら良い話が聞けるかも知れないとタカシはなお酒を勧めた。
頃合いを見計らって、
「そういえば、この間のスクープは凄かったですねぇ!一体どんな魔法を使ったんですかい?きっと催眠療法の特技を先輩は知ってたんでしょう!」
チェソンはタカシの目を覗き込んだ。
すでに座った目だ。
タカシは笑みを浮かべて話をそらした。
まぁ先輩、もう一献と酒を進めた。
「マザーメモリだよ…」
チェソンがブツブツ漏らした。
「マザーメモリが如何したっていうんですかい?」
「あの子のメモリを見ちゃったんだよ…」
そう言って薄ら笑った。
「へ、へぇ…あれってプライバシー保護のため編集前の記憶は他人が見れないんじゃなかったでしたっけ?」
「あぁ…あの娘、マザーメモリを見るや否や、飛び出して行きやがってな…
ドアが開いていたから見ちゃったのさ…
そうしたら、あいつの過去が全て分かっちゃったっていう寸法よ!」
「へぇ、それは凄い!そこで娘と父親の関係が分かっちゃったっていう寸法ですね!」
タカシは膝を叩いて褒めちぎった。
マザーメモリは開発当初から問題となった。
自分の生きた証を残したい。
その為には自分のヒストリーを作っておきたいという欲求は万人が持つものであったが、
人には知られたくない過去もある。
忘れてしまった過去、忘れてしまいたい過去だってあるが、マザーメモリはそれらを全て呼び起こす。
当然、他人に見られることは大いなるリスクを伴うということだ。
編集機能があると言うことは、消してしまいたい過去は消去できると言うこと…
つまり人に見せられるマイヒストリーを作れると言うことである。
マザーメモリの有用性にもかかわらず、全てをさらけ出すリスクに鑑み、運用の際には大きな制限が加えられたのである。
編集前の記憶を他人が見ることは重罪である。
20年以上の実刑、または無期限懲役である。
またその件に関わったもの、ほう助した物も同罪とされた。
記憶の編集は本人のみで行われる。
絶対に他人を介してはならないと言う法律が出来上がった。
なので編集の仕方などを充分レクチャーした上で、初めて運用できた。
費用も一回百万円と高価ではあるが、生きた証が残せるとあれば、決して高いものではないと言える。
チェソンの行為は消し忘れを覗き見たといっても重罪である。
手放しで賛同出来るものではないし、話を聞いてしまったからには、タカシも犯人隠匿で同罪になることも考えられる。
タカシは背筋が寒くなった。
しかし何が映っていたのかを聞き出したいと言う欲求もあった。
「先輩、凄いじゃないですか!
私なんぞ考えも及びませんでしたよ。流石は一流のジャーナリストだ!それで何が映っていたって言うんですかい」
チェソンは褒めちぎられて気分が良くなったようだ。
座っていた目が急に緩みだした。
「まぁこれはよ、犯罪だから絶対人には言うなよ。漏らせばお前もムショ行きだからな…
分かってんだろうな」
「言いませんよ!先輩を売ろうなんて、これっぽっちも思いやしやせん」
タカシはへりくだった。
チェソンは周りをグルッと見渡して他人の耳を気にしたがタカシに顔を近づけて得意そうな顔を向けた。
「実はな、20年前に起こった世田谷の殺人強盗事件を俺はずっとルポしていたんだ。
そこで当時3歳だった生き残りの娘に行き当たった。その子は事件後、精神障害でしばらく社会から隔離されていたが、その後父親に引き取られていった。父親との生活も決していいもんじゃ無かったのはメモリを見て分かった。
相当なDVを受けていたんだ。最初俺も隔離とDVが原因で父親を殺したのかと思ったんだが、事件当初の3歳の記憶まで遡って見ると、衝撃的なシーンに出くわしちまったんだ」
チェソンはグラスに残っているウィスキーをグイと煽った。
「強盗殺人の犯人は父親だったんだよ。彼女はそれを見ちまった。ショックだったろうよ。あまりの衝撃に記憶が飛んじまった。しかしマザーメモリは忘れた記憶でさえ、見たことと言う事実を正直に掘り起こす。失われた過去が蘇ったんだ。成人になるまでのDVといい、母親を殺した怨念といい、今まで騙し続けられた想いが一気に爆発したんだろうなぁ…」
「俺はな…世田谷事件を長年追っていたが、被害者の少女の行方を突き止めたんだ。少女は成人になっていたが、当時の惨劇をほとんど覚えていなかった…しかし母親が殺された事を深く恨んでいた。戻りようもない記憶の中、大好きだった母親の残影を見たいと切に思っていたらしい。
俺は以前、代議士が自分のヒストリーを作ったDVD を見た事がある。
内容は自慢話そのものでつまらないものだったが、幼い時に見た母親も当時の姿で写っていたのを思い出したんだ…そこで被害者の娘に話してやったと言うわけよ。」
チェソンはどうだ頭が良いだろうという顔でタカシを見下した。
「それにしてもマザーメモリは料金が張るって言うじゃないですか…大金を持ってたんですかね?」
タカシは疑問を投げかけたが、
「そこは俺の話術よ…マザーメモリで会いたかった母親にも会えるぜと焚きつけたんだ。その気になった少女はサラ金に金を借りて工面したらしいぞ。まぁ事件の展開もマザーメモリで蘇ることがあったら取材させてくれと頼んでおいたんだがな」
「俺は記憶サロンの前で待ってたんだが、突然血相を変えて出て行きやがった。その後の事は報道された通りだがな。俺は記憶サロンの個室に入って少女の記憶をみちゃたと言うわけよ」
「それにしても記憶サロンにもスタッフがいたと言うのに管理が甘いんですかい?」
チェソンは良くぞ聞いてくれましたと言わんばかりにタカシを指差した。
「実はスタッフの一人は俺の金づるでよ…
昔、ある代議士の秘書をやっていたことがある奴で、公費を着服した事を取材の中で知ったんだ。黙っている代わりに口止め料を頂いてるって言うわけだ。今回もちょっと便宜を図ってもらったって言うわけよ」
なるほどとタカシは思った。
マザーメモリを使って事件の全容を知ったとなればチェソンは他人のメモリを見たと言う事で実刑を喰らってしまう。
そこで催眠術でと言うことにしたんだろう。
記憶サロンの方も便宜を図ったことが知れれば同じ刑を受けることになる。
どちらも口を噤むのが最良と言うことになる。
その後もチェソンをスナックに連れて行き大いに楽しませて帰路に着かせた。
そうか…上手いことやりやがって!
タカシはマザーメモリに興味が向きだした。
4
「どうしたの〜?あなたがお父さんのヒストリーを見たいだなんて〜」
タカシは義父のDVD を食い入るように見ていた。
内容なんかどうでもよかった。
どの様に記憶が映し出されているのかが知りたかった。
マザーメモリで映し出される光景は、自分が見たものがモニターされる様だ。
だから自分は鏡に映ったときだけ垣間見ることが出来る。
また機械の特性によるのか、日にちをいう観念はなく、現在の脳から何日前かという事だ。
昨日なら一日前、一年なら365日まえの記憶という感じである。
なるほどとタカシは納得した。
いつかチェソンよりももっと大きなスクープを手に入れて見せると意気込んだ。
ある時テレビの報道に『徴用工の真実を語る 軍艦島の語り部 イ、ジョンチョル』というのがあった。
韓国TVで軍艦島で何が起こったのかを切々と話すという番組で、NHKで特番された。
生きて行くことが難しい島…
大量殺人と虐待を生んだ島…
強制労働と餓死で島中に腐臭が漂ったなど
人知を超えた内容にいとまがない。
韓国TVでは語り部イ、ジョンチョルが切々と語る内容であるが、日本では、この話が真実であるのかと疑問を投げかける内容に取って代わる。
近々韓国メディア主催のイ、ジョンチョル氏
軍艦島に再訪とのアナウンスもあった。
よし、これだ!タカシは思った。
韓国メディアなら、タカシも取材に同行が許されるかもしれない。
タカシはツテを使いなんとか同行したいと考えた。
こんな時に役に立つのが大久保にある行きつけバーのマスターだった。
タカシは早々にバーを訪れた。
「なぁマスター…あんたは韓国世界にも色々と顔が効くっていうじゃないか。メディアにも顔が広いんだろ?」
マスターはチラリとタカシの顔を覗き込んだ。
また何かを企んでいるなという眼差しである。
しばらく考えた様な素振りでロックアイスを削っていたが、おもむろに頷いた。
こんな時は無言ではあるが引き受けたというマスターの仕草だった。
数日後韓国TVのプロデューサーから連絡があり同行を許された。
軍艦島…周囲4キロほどの小さな島だが炭鉱夫とその家族のために鉄筋のアパートが建てられ、子供達のために学校も作られた。
生活や娯楽のためにマーケットもあれば映画館もあったと聞く。
島というより、人工的に作られた構造物と言った外観から戦艦に例えられた。
軍艦島と呼ばれた所以だが、正式名称は端島という。
昭和三十年代にその使命を終え、廃墟となって現在に至る。
戦後は確かに生活様式も一変し豊かな生活環境があったと伝えられるが戦前戦中はどうだったのだろうか?
イ、ジョンチョル氏の語る凄惨な地獄だったのだろうか?
島に渡ったジョンチョル氏は目を細めて懐かしそうな、しかし一方で憎悪に満ちた眼差しを廃墟になった建物群に向けた。
「私は当時小学生でした。全校生徒は5、60名ほどおりました。私は炭鉱夫の父に連れられてこの島に渡って来たんです」
同行の者は十数名ほどいただろうか…
韓国TV関係者以外にもタカシの様なフリージャーナリストが数名と日本の長崎TVのスタッフも加わっていた。
「ここが私の通っていた学校です。小中と一緒の校舎でした。とても懐かしいです。私はまだ子供でしたから同級の子達と遊びましたが、いつも日本の子に差別られて除けもの扱いにされていました。」
記者たちはジョンチョル氏の言葉を書き留めていく。
カメラがジョンチョル氏をアップで映す。
「ご覧ください。あそこに見えるのが中ノ島です。
あそこでは毎日のように黒い煙が立ち上りましてね…
今日も強制労働で倒れていった朝鮮人が火葬されているんだと口々に噂しておりました。
日に何度も煙が上がりましたが、それを教室から眺めておりました。」
ジョンチョル氏は場所を移し、鉄筋のアパートの隘路に皆を誘導した。
「ここで私たち朝鮮人は皿を一枚だけ持って並びましてね…少ない食料を得るために日本人が恵んでくれるのをひたすら待ったんです。」
韓国TVの女性スタッフの嗚咽が聞こえた。
そのような状況が浮かんで同情したのだろう。
「私が学校に通う途中に労働監督室がありました。そこでは毎日のように朝鮮人の若者が棒で殴られていて悲鳴を上げていました。
助けてくれ、殺さないでくれと泣き叫んでおりました。」
少年だったジョンチョル氏には毎日が地獄に映ったことだろう。
最後にジョンチョル氏は終戦の日に触れた。
そこでは千人以上の朝鮮人が殺害され、多くの中国人労働者が構内に閉じ込められて爆殺されたと語った。
まさに地獄の島だったのである。
生きては出られないという思いを常に抱き続けなくてはいけなかったジョンチョル少年の心情は幾ばくか…
無念を晴らさなくてはと韓国TVのスタッフも
筆に力を込めた。
もちろんタカシもこれを記事としてスクープを取りたい所だったが、今ひとつ足らない。
真実の論証が欲しいし、もっと今回語られていない話も見出したかった。
せっかくジョンチョル氏の取材に同行出来たが、今ひとつ何か…今ひとつ誰も知らない過酷な真実を知りたかった。
タカシはジョンチョル氏に近づいて名刺を渡すとともに、今度もっとお話を聞かせてくださいと顔を売った。
ジョンチョル氏も何度も首を縦に振って私たち朝鮮人の無念を描いていただきたいとタカシの手を握った。
この日の出来事は早速日本のニュースで取り上げられた。
多くのコメンテーターや当時端島の島民だったという高齢者も出演して検証がなされていた。
その中にはいくつもの食い違いがある。
ジョンチョル氏の発言では中ノ島から立ち昇る黒煙を教室から眺めて噂しあったとある。
たしかに現在の校舎から中ノ島は遠望できるが、実は現在の校舎は戦後建て替えられたもので、戦中までの校舎は木造で別の場所にあった。
そこからは中ノ島は見えないのである。
またアパートの隘路で物乞いのように立ち並んだという証言には元島民の人の猜疑の目が向けられた。
当時はここに市場が開かれ、豊富な食材が並び買い物をする主婦で溢れかえっていたそうだ。
また労務管理は徹底されていて、労働に見合った賃金、休養、衛生的にも仕事帰りの入浴も徹底していたと言う。
日本の特集ではジョンチョル氏のいう証言と大きく食い違う。
唯一接点があったのは中ノ島での火葬であろう。
確かに中ノ島は火葬場であった。
不幸にも仕事中事故で亡くなったものはここで荼毘に付されたのだ。
炭鉱は危険な仕事だった。
死と隣り合わせであるから事故死はつきものであったが、当時の労務管理者の証言では死亡に際しても遺族への計らいは手厚かったという。
タカシはこの矛盾に注目した。
イ、ジョンチョル氏は帰国する前に内密で東京に宿泊していた。
せっかく日本に来たというので韓国TVの公費を使って羽を伸ばそうと思ったのだろう。
タカシはこの情報を手に入れた。
5
「イ、ジョンチョルさん、私を覚えてらっしゃいますか?端島でご一緒させていただいたキムヨンハです。」
タカシは韓国名を名乗った。
韓国名の方がジョンチョル氏も話しやすいと思ったからだ。
「実は端島の話をもっと伺いたくって来たのです。ここではなんですからお酒でも飲みながら如何でしょう?」
イ、ジョンチョルは相当な酒好きとの噂である。
もちろんいい酒ではない…酒に呑まれてしまうタイプである。
タカシは大久保にある行きつけのバーに連れていった。
お酒を進めながら、端島でのジョンチョル氏の話に同情したことなどを語り気を和ませた後、本題を切り出した。
「実は端島での後、日本のメディアでも検証がなされましてね…ジョンチョルさんの話と食い違うところが取り上げられました。
果たしてどちらの言い分が正しいのかと…それをお聞きしたくって…」
いい加減目が座ったジョンチョルであったが、急に目が三角になった。
「貴様はわしがウソを言ってると思っているのか!わしが受けた苦痛をなんだと思ってるんだ!わしを馬鹿にするのもいい加減にせい!」
あまりの激昂ぶりにタカシもたじろいだ。
たまたま他の客もいなかったから良かったが、その激しさは朝鮮の血だなと思った。
しばらくはジョンチョルの怒りは収まらず、ものは投げるは机を倒すはと高齢のくせにこの暴れようは只事ではない。
タカシはとにかくこの場を収めようと必死だった。
今日のところはこれ以上は無理である。
タカシは言われるままに地面に頭を擦り付けて詫びを入れ、幾ばくかのお金を渡してホテルに送り届けた。
タカシは再度バーに顔を出してマスターにも詫びを入れ、飲み直すことにした。
「それにしても凄い剣幕だったね」とマスター。
「俺もびっくりした。あそこまで怒らなくてもいいと思うんだが、酒癖の悪さは噂通りだな」
「それにしてもマスターはどう思う?日本側の島民とジョンチョル氏の話が噛み合っていない…どちらかがウソを言っているか、覚え違いをしているか…」
「本人のみぞ知るか…チェソンの奴みたいにマザーメモリで垣間見れば真相がハッキリするな」
マスターの呟きにタカシの目が光った!
そうだマザーメモリっていう手があった。
しかし他人のメモリを見ることは重罪である。
もし発覚すれば今生でシャバの空気を吸うことは無理であろう。
果たしてそんなリスクを抱えてでも取材する価値があるんだろうか?
しかし、タカシはチェソンを出し抜きたかった。なんとしてもスクープが欲しい。
ジョンチョルのメモリを見れば、忘れていた過去の記憶も見ることが出来る。
ジョンチョルが語った以上の真実を手に入れることが出来るはずだ。
タカシは自分の欲望に賭けてみることにした。
マザーメモリはその起動に制限があった。
サロンのオーナーはマスターと呼ばれ、幾多の権限を持っていた。
厳しい試験を通過して倫理を重んじる人としての名誉も持つ。
マザーメモリを起動するには、マスターの生体認証が不可欠となる。
と言うことは、マザーメモリを勝手に使うことは出来ないのである。
しかしタカシには勝算があった。
チェソンはサロンのマスターの弱みを握って前のスクープの時、共謀させた事がある。
またマスターが前職の代議士秘書をやっていた時の秘められた公費着服を知っている。
これを使ってサロンマスターを手懐ければいいと考えていた。
さっそく記憶サロンに取材の申し込みをして二日後にアポの予約を入れた。
ジャーナリストとしてスクープの情報源は極力秘匿したい。
何故なら特定の個人名が出れば、以後情報の収集は難しくなるし、ましてや同業なら尚更仁義的にできない。
何でもアリの世界ではあるが、提供者に対する最低限のマナーであった。
アポまでの間、兎に角サロンマスターの過去、特に代議士秘書時代を徹底的に洗い直した。
記憶サロンのマスターは飯島直人という。
某保守派代議士の秘書を五年務めたが退職…
しかしそれは表向きで実はクビになった。
その真相はタカシが調べた限り出てこない。
やはり巧妙に隠匿されているのだろう。
チェソンからの情報漏れが無ければ到底たどり着けない案件だった。
飯島が秘書を務めた代議士は金権政治家として有名な大物である。
飯島が着服した裏金もおおかた薄汚れた金であろう。
もし公にでもなれば代議士にも飛び火しかねない。
強いては飯島自身も命の保証はないだろう。
懸命に調べた結果、探ることは出来なかったが、タカシも予測はついていた。
チェソンの情報がある限り、証拠は無くても
事実である事には変わりがない。
足らない所はでっちあげればいいのだ。
この世界では朝飯前のことであった。
タカシはアポを取った時間に記憶サロンを訪れた。
表向きは記憶サロンの実情を記事にしたいという事になっている。
もちろん好意的にだ。
そのため飯島も笑顔でタカシを迎え入れた。
一通りマザーメモリーの性能やら活用についてレポートしたが、最後にとタカシは口を開いた。
「ところで飯島さん、前職は大物政治家の代議士をされていたのだとか?」
「あぁ、よくご存知ですね、確かにしておりましたが…」
「その折なのですが、ちょっと噂を聞きつけましてねー」
飯島はピクリと眉を動かしたが、相変わらず愛想の良い顔でタカシに接していた。
「政治家は何かと噂には事欠かないものでして…噂というものの殆どがフェイクですがね」と飯島はさらりと受け流した。
「いやいや、私が言いたいのはあなたの噂ですよ」
飯島は心なしか動揺のそぶりを見せたが、平常を装った。
「私が調べたところによれば、あなたは秘書時代に多額の公費着服をした…この公金はある意味表沙汰にしてはならない金だ。万が一表に出ればあなただけでなく、代議士の首も飛びかねない大スキャンダルだ…スクープとしては面白いが事の大きさによっては政界を揺るがしかねない…」
タカシは飯島の反応をみた。
しかし飯島もこの手の話には手の内を考えているのであろう。
「私は秘書を五年間務めてきたが、そんな話は初耳ですね。何か論拠があるというんですか?」
「それは…情報源は秘匿ですから申し上げる訳にはいきませんな…しかし私はあなたの公金横領の事実を知ってるんですよ」
実際いくら調べても横領の証拠は見つからなかった。
よっぽど巧妙に証拠隠滅を図ったに違いない。
タカシもチェソンの話だけが論拠なのである。
「そうですか…しかしわたしには身に覚えのない話ですが元代議士の秘書という責任もある。
あなたの論拠を伺いたいものですな…」
飯島はタカシが核心を掴んでいないと踏んで攻勢に出てきた。
タカシもなんとか弱身を突こうとするが、いいようにはぐらかされた。
よっぽど隠匿には自信があるに違いない。
これ以上は無理だと思ったタカシは仕方なくチェソンの名を出した。
そして私はチェソンとは馴染みでね、チェソンからあんたの悪行は全て聞いて知っていることを伝えた。
飯島は今までとは違う驚愕の眼差しを向けてきた。
「それにあんたにはマザーメモリの不正使用というおまけもついている。ご存知だと思うが、これが発覚しただけでも今生でシャバの空気は吸えないんだぜ!」と畳み掛けた。
「お前も私を揺するつもりか!」飯島の動揺は隠せない。
ここでタカシはちょっと姿勢を正して
「揺すろうって言うんじゃない…ちょっと手を貸して貰いたいんだ。マザーメモリを使わせてくれないかと思ってね。もちろんタダでなんて言っていない。ちゃんと正規の金は払おうっていうんだ…悪い話じゃないだろ?」
飯島も少し安心したのか前のめりになった身体を元に戻した。
「金を払うっていうのなら、ちゃんとサロンで申し込めばいいじゃないか。」
タカシはカバンから百万円の札束を見せて
「まぁ、普通の状態じゃないんでね…俺のいう通りにしてくれると約束を貰えれば、今ここで払ったっていい…」
受諾してくれるのならチェソンからの情報も目をつぶって口外しない事を約束するとまで付け加えた。
「どうすればいい…」
変に断って人生が破滅するのもバカバカしい。 飯島も乗る気になった。
タカシはボソボソと計画を話し始めた。
タカシはサロンを来る前、サラ金で二百万を融通つけた。
100万は記憶サロンの経費、そしてもう100万はジョンチョルへの見せ金である。
しがないジャーナリストにはお金の余裕などありゃしない。
高金利だが一発当たれば余裕で完済できると踏んでいた。
さて、マザーメモリ使用の件は都合がついた。
あとは如何にしてジョンチョルを誘う出すかにかかっていた。