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記憶  作者: 山脇和夫
1/4

マザーマシン

1

人はどこからきて、どこへ行くのだろう。

誰もが持つ疑問である。

そしてこの世に生まれたからには、自分の足跡、確かにこの地上にいた証を残しておきたいものだ。

自分がいた証は、自分の記憶と関わってきた人々の思いの中に存在するが、

それもいつかは失われる時が来る。

そして自分というものがいたという証も無くなってしまうのだ。

確かに偉人であれば、書物の中に残るだろうが、平凡な一介の人間にはまずあり得ない。

なら日記を書くとか、マイヒストリーを書くとかすれば良いのかもしれない。

最近はネットの世界にブログとして残せるが

それすら膨大なメモリーの中に埋没していってしまうのだろう。

なんとか存在の証を残したいをいう願望は欲望と繋がり、強いてはビジネスにする事は出来ないだろうかとベンチャー起業家が出てくるのは必然であった。

それが数年前の話。

脳にダイレクトし、記憶を引っ張り出して映像化するというとんでもない技術が開発された。

催眠術で記憶を覚醒させるのに似ているが、

人というのは曖昧な記憶だったり覚え違いという事もある。

催眠術の覚醒ではそこまで補正する事は出来ないが、脳に直結した装置は、その人物の見た事、経験したことを忠実に引っ張りだすことが出来る。

当時は大掛かりな装置であったが、革新的にコンピューターが進む現代、あれよあれよと小型化してついには記憶サロンというニュージャンルの商売となった。

オブニ社が独占する産業となって現在に至る。


しかし問題がなかったわけではない。

知られたくない記憶は墓場まで持っていくということわざがあるように、人それぞれに秘密はあるものだ。

こんな秘密まで暴露されてはトラブルの元となり、商売にならない。

そこでオブニ社は記憶の編集ができる機能をつけたのだ。

つまり良い記憶だけをDVD に焼いて、その人の素晴らしい人生の足跡を作ってしまうというものだ。

まぁ、この商品の主旨は輝かしい人生の証をこの世に残すというものだから、いいところだけを編集してくっつけることに道義はないだろうということである。


さてこの商品はとんでもない副産物も生み出した。

未解決事件の真相と冤罪の実証である。

当局がこれに目をつけないはずがない。

法整備が進み、立件の証拠機能として加害者、被害者に当商品で鑑定ができるようにしたのだ。

嘘や冤罪が立証される正義として市民の賛同を得られていた。


2

「タカシ、今日も仕事で遅くなるの?」

妻の由梨江がぽっぺをいくらか膨らませながら夫のタカシに尋ねた。

「ああ、ここの所オブニ社のマザーメモリの話題が増えて何かと忙しいんだ。」

タカシは慌ただしくカメラの機材をカバンに仕舞い込んだ。

「うちのお父さんったらね、マザーメモリで自分の生い立ちを作ったらしいのよ。今度持って行くから見てって。死に際に自分の生きた証を残しておきたいんだって言ってたけど、どうせ自慢をしたいだけだと思うんだよね〜。あれって編集機能が付いているじゃない、自分がいかに頑張ってきたかを見せびらかしたいのよ」

由梨江の父は小さな工場の社長である。

小さいながらも何とかここまでやってきたという自負がある。

自分のやってきた努力を分かってもらいたいと思っているのだろう。

「行ってくる…」

由梨江がまだ話し終わらないうちにタカシは家を出た。

タカシにとって妻の父の事なんて全く関心がなかった。

お金を工面してもらう時は、愛想笑いして近づくが、それ以外は関わりたくなかった。

決して仲違いしているわけでは無い。

タカシにとって他人の事などどうでもよかった。

タカシはフリージャーナリスト。

特に反政府、反体制をスクープするのを生業としていた。

しかし現政権が秘密保護法を施行したおかげで国家的に不利益となる事象の流失が極端に少なくなってしまった。

そのため、ネタ探しに苦労する事になった。

それにしても最近流行しているマザーメモリを使って自分をアピールする代議士が増えた。

自分の記憶のいいとこ取りをして自分が如何に生きてきて政治に向きあってきたかをアピールすることに利用している。

「負の遺産を切り取って何がマイヒストリーだってんだ」

タカシは毒づいた。

自分がこの世に生きた証を残したい…

ある意味、自分を称えてくれるものでなければ残す意味がない。

編集していいところだけをチョイスするという発想も決して悪いわけではないし至極当然ともいえる。

要は使用者の倫理観で、社会的地位に利用しようとする使用者の問題であった。

「つまらないおもちゃを作ったもんだぜ」

タカシはマザーメモリには否定的だった。


タカシの両親は韓国人である。

小学生の頃、親と共に日本に渡ってきた。

その後親は韓国へと引き返したが

タカシは親戚に預けられ大人になった。

現在、反体制系のジャーナリストとして生計を立てているが、子供の頃に叩き込まれた反日教育がどうしても抜けない。

近年日韓の関係は従軍慰安婦に加えて戦時徴用工問題が噴出して、関係悪化は日増しに激しさを増す。

もちろんタカシは日本が悪というスタンスである。

日本政治家のスキャンダルを暴くと同時に、韓国に対しての、数々の悪事の真相をスクープ出来ないかと思っていた。


タカシが在日である事は、意外と知られていない。

高野という苗字は妻の実家のものだが、タカシ自身も公言していないし、日本人として振舞っていた方が、この国では何かと都合が良かった。

彼が朝鮮国籍と知っているのは妻と妻の実家、それ以外はコリアンタウンに住む数名の知人だけだ。


この日は一通りの仕事をこなした後、新大久保に足を向けた。

在日朝鮮人の吹き溜まりのようなバーがある。

目つきの悪い客が昼間っから酒を浴びる場末のような飲み屋だった。

扉を開けるとまだ時間が早いのか客は1人もいなく、カウンターには40代ほどの男がグラスを磨いていた。

タカシはカウンターの真ん中に座るとウィスキーのダブルを注文した。

「なぁマスター、最近は面白そうな話はないかい?」

マスターは酒を作りながら首をかしげた。

このバーは在日のゴロツキが集う店だが、タカシのようなフリージャーナリストも少なくない。

彼らはライバルでもあるが、情報の探り合いを目的として訪れる。

何かネタとなるようなものがないか探りを入れたのだ。

「そう言や〜チェソンがスクープした話、高値ですぐ売れたそうだ」

マスターが思い出したと言うようにポツリと言った。

「どんな記事だい?」

「ほら、先週話題になった…娘が父親を刺し殺して自殺したって言うやつだよ。」

「俺もあの記事は読んだ。チェソンのやつ、上手くやったもんだ」

この事件は確か先週話題になっていた。

精神障害の娘が、突然父親のもとに行き、刺し殺すと言う事件だ。

直後、娘も自殺すると言う後味の悪い結末だった。

しかしこの事件には前がある。

今から20年前、世田谷にて強盗殺人事件が起こった。

当時父親は不在だったが留守を守る母子の元に押し込み強盗が入り母が刺殺され、幼い娘は無事だったが精神をわずらい入院を余儀なくされたと言う事件だ。

実はこの時の娘が今回の加害者、殺害されたのが当時不在だった父親だったのである。

チェソン記者は加害者の娘に催眠療法を委託して、事件の全容をリポートし、真実をスクープしたとある。

「催眠療法って一種の催眠術だろ?そんな事で記憶の深層って引き出せるものなのかねぇ」タカシは訝しんだ。

「まぁ本当のところはチェソンから聞き出すほかはないだろうな」

チェソンもよくこのバーに顔を見せる。

とても強欲である程度法を犯すことは意とも思わない。

まぁ在日ジャーナリストには良くあるタイプだ。

ジャーナリストは自分の得意分野とも言える手法を介して取材をする。

手の内は秘中の中の秘である。

チェソンが易々と漏らすとは思われなかった。

「チェソンはいつ来るんだい?」

タカシの問いにサァとばかりに首をすくめた。

マスターには、今度チェソンが訪れたら連絡してくれと自分の携帯番号を名刺に裏書きして渡して店を出た。

最近日韓関係の悪化で在日と言えども風当たりが強くなっている。

ほんとばからしい話なのだが、政治家の個人的好き嫌いで民族が巻き添えを食うのは割に合わない。

特に日本で生計を立てている在日朝鮮人にとっては、いい迷惑である。

韓国の言いがかりは度を超えたものがあるし、日本に身を寄せているお陰で本当の真実もある程度わかる。

それを加味すれば、韓国の言い分の殆どが虚構に満ちていた。

徴用工問題も従軍慰安婦で金が取りずらいと分かり強引に持ってきた問題である。

しかし、問題といっても徴用工や慰安婦問題は日本政府も嘘をついているとタカシは思っている。

タカシは韓国生まれである。

幼少の頃から教えられた歴史が真実であると信じている。

しかしそれを口にすれば日本での活動に支障をきたすので在日のジャーナリストにとっては触れない方がいい問題であった。


タカシの朝鮮名はキムヨンハという。

子供の頃、家族で日本に移住してきたのだ。

中高それに大学と日本の学校に学んだ。

社会人になってからは日本の性を名乗り、ひたすら朝鮮人であることを隠し続けた。

韓国の日本叩きはいまに始まったものではないが、韓国人にとって嫌がらせ程度の反日感情に日本が本気になって怒ってしまったのが最近の現象だ。

韓国人の立場から言えば、ちょっとした戯言にムキになった日本人は大人気ないと映る。

もちろんタカシもその立場だった。

数日後、店のマスターからチェソンが来店している旨の連絡があった。

タカシは素早く身支度を終えるとバーに向かった。



チェソンは上機嫌で飲んでいた。

「しばらくだなぁヨンハ!仕事は順調か?」

チェソンはどうだを言わんばかりに上から目線で言い下した。

このバーでは韓国名で呼び合うのが慣例となっていた。


相当の大金が入ったのだろう…

店で一番高価なウィスキーを口に運んでいた。

「最近大きく儲けたらしいなぁ。どんな手口を使ったんだ?」

チェソンはグイと顔を近づけ、タカシの目を覗き込むとバカにした口調で教えねぇよと唾を飛ばした。

チェソンはイケ好かない男である。

酒に溺れる最低の男だった。

こんな態度を取るときは要注意である。

タカシはとにかく持ち上げる事に徹しようと思った。

この後も恫喝まがいの言葉で接してきて不愉快この上ない。

タカシは爆発しそうな感情をぐっとこらえて

煽てまくった。

タカシとて決して人におもねく人間ではない。

胸ぐらを掴みそうな感情を堪えて下手に徹した。

いい加減に目がすわったチェソンは

「お前良いやつだなぁ〜何が飲みたい?なんでも良いぞーなんならこの店を貸し切りにしてやるからよぉー」

タカシにとっては最悪の時間である。

しかしスクープのソースを知るまではじっと我慢だと耐え忍んでいた」

「よぉ〜しお前の好きなもの言え!ぜーんぶ食わしてやるからよ」

ここまでテンションが上がった時は要注意である。

最後まで上機嫌で気前が良いか、その逆の凄惨な時である。

「先輩!今日はこの後用事が…でも来週は奢ってもらいますよ!いいですかぁ〜約束ですよー美味しい焼肉を奢って下さい!」

タカシは満面の笑みを浮かべてチェソンの元を離れた。

今の雰囲気だったら秘密を教えるかもしれない…しかしその逆なら逆鱗に触れてタカシは敵になるであろう。

タカシは爆発しそうな感情を押し殺して店を後にした。

その日は、こんな抑圧されたバーでの出来事もあったのだろう…

妻の由梨江に散々あたって床に就いた。


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