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【完結・短編】身代わり同士のはずなのに、なぜか本物の冷酷王子に見初められました。 〜そんな王子がうぶ過ぎます〜

作者: SUN

異世界転移の短編小説になっております。

初めての短編作品になります。

最後まで見て頂けるとありがたいです。


ガタンゴトンガタンッ


今日もまた同じ時間に起きた。

そして同じ道を歩き、同じ電車の同じ位置にいる。


(あ、またあのおじさん、あの端に立ってるな…あのでかいカバン邪魔になってるっていつ気づくんだろ?…それにしても何入ってるんだ?まぁいいか…)


そう思いながら電車に揺られているのは、佐伯乃亜28歳である。

彼女の生活は毎日同じ事の繰り返し。

そんな変わり映えのない日々に、これでも彼女は満足していた。

むしろ環境が変わるのが嫌だとさえ思っている。

もちろん上司の絡みや大変な仕事を依頼されることもある。

まぁたまの日常の変化ぐらいはどうとでもなる。

そうやってこの毎日を壊さないように生きてきたつもりだ。

いや、つもりだった…

まさかあの日、この生活が…いや、この世界が変わるなんて…


いつもと変わらない通勤電車。

満員ではないが、それなりに混んでいた。


(あれ?なんか…身体が傾…)


『緊急停止します!緊急停止します!』


ぎゅいぃぃぃんっ!!


乃亜の身体が勢いよく傾き始める。

すると、誰かが乃亜の腕を引っ張り、身体を支えてくれた。

そしてその瞬間…


ガッシャンッ!ガガガガガガッ…


その騒音と共に電車が勢いよく停まった。


『え…?』


足元を見ると大きなトランクが落ちていた。

そして、耳元で男性の声が聞こえた。


『あっぶね…大丈夫?』


この男性が、咄嗟に乃亜をトランクから守ってくれたのだ。


『あ…はい。あの、ありがとうございます。助けていただき…』


男性はニコッと笑うとすぐに真剣な面持ちに変わった。


周りは電車が停まった事で騒めいている。


『事故…ですかね…?』


『そうだね…何かにぶつかったような音だったな…ん?』


男性が何かに気づき、先程落ちた大きなトランクに近づいた。

乃亜も気になり、そのトランクを見た。

近づきながら言う。


『なんか間から光が漏れてますね…』


すると、その男性がトランクに触れようとした。

その瞬間、トランクが勢いよく開き、眩い光の中に吸い込まれるように一面真っ白になった。


次に視界がはっきりした時には、乃亜は何故か木陰の下にいた。


(え…?えっ!?ここは…え?どこっ!?芝生!?えっ!?私、電車の中じゃ!?)


周りを見渡しても誰もいない。

ただそこには緑いっぱいの芝生と、気持ちよさそうに揺れている木々があるだけだった。


(とりあえず職場に連絡しなきゃっ!…あれっ!?カバンがない!?やばい!どこかで電話借りれるかな?)


乃亜は立ち上がり、とにかく前に進んだ。


すると見たこともないような大きな建物が見えてきた。


(誰かいそう…声も聞こえてきたぞ)


しかし、そこには乃亜が見たことがないような服を着た人達が至る所にいた。

実際にこの目で見るのは初めてだ。

皆、忙しなく各々の仕事をしているように見える。


(何ここ…なんかの撮影…にしては、なんだか…)


すると、横から勢いよく近づいてくる女性がいた。

彼女も皆と同じような装いをしている。


『あなたっ!手が空いているのならこっち手伝ってちょうだい!それにしても妙な格好をしているのね。男性のようだわ。でもあなた女性よね?』


おそらく彼女は乃亜の私服であるスキニーパンツを見てそう言っているのだろう。


『え?あ、いや、私は…』


乃亜がそう言いかけるも急かすように被せてきた。


『とりあえず、その服装はだめよ!?新しい子に誰も教えてあげないなんてっ!』

と言われ、半ば無理矢理連れてかれた。


そして、クッキー屋さんのあのおばさんのような格好をさせられた。

乃亜はその女性に聞いた。


『あの…お電話をお借りできませんか?』


『ん?おでん…わ?何を言っているの?そんな物ないわよ!?それより、これを運んでっ!』

と言われ、綺麗に見繕ったのであろうレースなどの装飾が付いた大量の布を腕に乗せられた。


(えっ!?電話がない…?どういうこと?)


そして、間髪入れずにさらに色々と運ばされることとなった。

あっちの道を行ったり来たりと、ここがどこかなのか、今何をやっているのかわからないまま。


(何だかお城みたい…)

『あの…今日は何かの催し物か何かですか?』


乃亜は気になっていたことをその女性に聞いた。


『えっ!?何を言っているの!?今日は殿下一行が遠征から帰ってくる日よ!ちゃんとしないと…落とされちゃう』

と震え上がった女性。


(ん?落とされちゃう?何をだ?)

『えっ!?殿下!?殿下ってあの、お城とかにいる王子様のこと!?ですか!?』

乃亜は訳が分からず聞き返した。


『え?えぇそうだけど…あなたなんかおかしいわね?熱でもあるの?大丈夫??遠い所から来たとか?この国は、ノフフィック国よ。3人の王子がいるのは知ってるわよね?…ん?

第一王子のシュリ殿下

第二王子のザバン殿下

第三王子のローレン殿下

その中でも異質…鬼才を放っておられるのは、第一王子のシュリ殿下様…大きな声では言えないけど、規律を守れない者や少しでもミスした者には即落とされるの…』

そう教えてくれる女性の手は震えていた。


『落とされる?さっきも仰ってましたよね?一体何を…』

乃亜が恐る恐る聞く。


『四肢をよ…』


『し…し…えっ!?手足をってことですか!?』


『そう…だから、皆影では冷酷王子って呼んでるわ…大きな声では言えないけどね』


『れ、冷酷王子…怖いですね…ん?え?ちょちょっ、ちょっと待ってください!!え!?ここって…』


『ん?あなた本当に大丈夫?さっきも言ったけど、この国は……』


それ以降の女性の話し声は少しの間、乃亜には聞こえてこなかった。


『全くどうしちゃったのかしら?とにかく、それ、早く運んでちょうだいね…あなたも…切り落とされたくなかったら…』

少し不審がる女性。

しかし、忙しいこともあり乃亜に仕事を促した。


(なんて恐ろしいことを言うのかしら!縁起でもない…でも本当にここが私のいた国じゃないとしたら…どういうこと?タイムリープ??そんな事って…実際にあるの…?)


半信半疑のまま、乃亜はとりあえず言われた通りに動く。


しかし、その甲斐も虚しく、その日は殿下一行は帰ってこなかった。

いや、その日からさらに1週間もの間帰ってくることはなかった。


そしてある日、その殿下一行が急遽帰還するという通達が来たらしい。

先日のようにまた忙しくなった。


(結局姿を見ることは出来なかったけど…会わないのが無難よね…手足、切り落とされたくないもの…ひぃ!こっわっ!)


乃亜がその冷酷王子を見ることなく、3ヶ月余りの時が過ぎた。


(なんか…私、この生活馴染んでね?てか、やはりここは私のいた国じゃなさそう…本当にお城っぽいし、皆王宮って言ってるし。もうよくからないけど…ここで生きていくしかないのよね…まぁご飯は美味しいし。先輩達は気さくだからめっちゃ楽しいし…いいかも?それにしても…)


そしてここに来て乃亜はずっと気になっていたことがある。

自分の顔を鏡の前に突き出す。


(う〜ん。やっぱりなんか若く見えないか?この世界は時間の流れが違うのかな?)


乃亜のその顔は元いた世界より10歳ほども若く見えていた。


そして最近はある噂で持ちきりであった。


『最近シュリ殿下が大人しい気がするわ。それに優しくなったかも…この間なんてね…』


『えー!?本当に!?やっぱり!?私も見たのよ!あの冷酷王子が私達使用人にまで笑いかけてくださったの!とっても綺麗なお顔立ちだからドキッとしちゃったわー!』


『私も笑いかけてもらいたいわ!それに最近はめっきり落とされた人を聞かなくなったのよ?何か心境の変化でもあったのかしら?』


王宮で働く女性達が皆、そう口々にしている。

その噂の的は、例の冷酷王子こと第一王子であった。

しかも、かなり良い方向へと話が向いてるそう。


(一体どんな王子だったんだ?どっちにしろ関わりたくねぇ…)


すると、遠くの方で侍女頭の先輩が手を招いているのが見えた。


『ノア!街に買い出しに行ってくれない?そんなに多くないんだけど、お店とお店がちょっと遠いから気をつけて行って来てね!こっちのお店は少し街の外れにあって、途中に流れの早い川もあるわ。くれぐれも落ちないようにね』

とノアにメモを渡してお使いを頼んだ。


私はここでもノアという名前でやっている。しかし、この国は漢字という概念が無いので使わないようにしている。

言語も違うみたいだが、メモ自体はなんだか読める。脳の中がこの国に対応しているのか?


ノアが都に着くとその街並みをゆっくりと見渡した。

彼女はこの国の街並みが大好きになっていた。


(自然いっぱい!気候最適!街並み!人情!良いじゃない良いじゃない!それにしても本当に冷酷王子なんて存在するのかしら…?ん?何だ?)


ノアはこれから向かう街外れのお店の方向を見た。

そこには侍女頭が言っていたあの流れの早い川があった。

何だか川の近くで人だかりがある。

誰かが囲まれているように見えた。

ノアはそろりそろりと近づき…そしていきなりダッシュした!

囲まれていた人物が川へと落とされたのだ。


ノアは手荷物をその場に放り投げると、そのまま無意識に川の中へと飛び込む。


『ッハ…ッア!ハァハァ…』


そして、ノアは息切れ切れにその溺れた人物を引っ張って、岸につかまった。

連れの人物がその男を引き上げる。

その男に連れは何度も声をかけていた。

耳に水が入ったためノアはよく聞こえなかったが、その男が息をしていない事はすぐにわかった。


ノアは転移前に知っていた知識をフル回転させた。

心肺蘇生を行うと、2、3回ほどで男は肺に入り込んでいた水を噴き出した。

息を吹き返したのだ。

しかし、その男は何故か鼻から血を出していた。


(鼻血…落ちた時にどっか打ったのかな?)


付き人らしき人物が男の無事を確認すると、すかさずタオルを渡していた。


ノアは息がギリギリだったため、脳に酸素が行き届いておらず頭が朦朧としていた。

周りの人達が安堵の声を漏らす。


ノアはその男はもう大丈夫だろうと思い、その場を後にした。

なぜなら騒ぎに巻き込まれるのをとても嫌っていたからだ。

びしょびしょの状態で、お使いの続きを行う。

街外れの店にびしょびしょの女が来たのは少しの間噂になったのは後の話だ。


その店が幸運な事にタオルを扱っている専門店だったために、売り物でない使い古されたタオルを一枚くれたのだ。

ノアのその姿があまりにも不憫だったのだろう。


そして、ノアは全てのお使いを終えて王宮へと戻った。

侍女頭にはすごく心配されたが、ノアは特に重要視する事なく、仕事を無事に終えた満足感だけが残っていた。


そして翌日。

特に風邪を引くこともなく、ノアはいつも通り元気に働いていた。


(今日の朝飯はフルーツまで付いてたなぁ。星型のフルーツ!甘酸っぱくて美味しかっ…ん?)


1人で朝食の幸福感を思い出しながら歩いていると、遠くの方で衛兵らしき人達が誰かを探しているように見えた。


すると、突然ノアの口元を大きな手が塞ぐ。


そして、ある部屋へと引き摺り込まれた。

その手が離れ、振り向くとそこには見覚えのある顔があった。


『あっ!えっ!?何でここに!?』


『しぃ…静かに…覚えてたか?』


『はい!電車の中でトランクから私を助けてくれた方ですよね!?えっ!あなたも転移してたの?』


『そうだ。まさか君もいるとは…しかもなぜか知らないけど、俺は今、シュリ殿下の影武者としてここにいる…』


よく見るとその男は、まるで王子様のような格好をしていた。

今ノアの目の前にいるのは、あの電車事故の際に助けてくれた男であった。


『影武者?シュリ殿下は確か…遠征に行ってから、1週間遅れで王宮に戻って来たって聞いたけど?』


『あぁ、その1週間で消息がわからなくなったみたいなんだ。そこに俺が…あのトランクの光に引き込まれて、この世界に登場したってわけ』


『ん?でもそれが何故影武者に?この世界のこと何も知らないのに』


『それが…そのシュリ殿下と俺は瓜二つっていうくらい似てるらしいんだ。それで無理矢理。急遽その殿下の事を頭に叩き込まれたってわけだ…だからこの何ヶ月間はすっげぇ大変だったわ!』


『あぁ…なるほど…だからか、最近殿下の素行が良くなったってまわりが噂してたから…』


『だからっ…』


男が何やら言おうとしたが、ノアは既に前に歩き始めていた。

そして振り向き様に言う。


『じゃっ!頑張って!』


そして、ノアはサラッと仕事に戻って行ったのだ。


(絶っっ対に関わりたくないっ!是が非でも!)


そう思うノアの予想とは遥かに違ったことがこの先起こる。


その日、侍女頭筆頭に何人かの侍女と位の高そうな令嬢達が王座の間へと集められた。


(何だろ?王座の間とか初めてだよ?)


すると、シュリ殿下こと影武者が悠々とその場に現れた。


挨拶もほどほどに、国王陛下は本題へと入った。


『シュリ。そろそろ王太子妃候補を決めなければならないんじゃないか?余はもうこれ以上は待てんぞ?この国を将来担う者としての定めだ。今ここにいる者達はそれを共に背負っていけるような女性達ばかりだ。誰が良いか今ここで決めてもらう』


(えっ!?今ここで!?すごいな…タイヘーン。てか陛下は王子の影武者に気付いてないのかしら?)


しかし、ノアにとってはどうでも良いことだった。


電車男の足は歩み出す。


そして、期待を込めた令嬢達の前をその足音は通り過ぎる。

その度に悲しみの表情を浮かべていく女性達。


その足音はあるところで途絶えた。

ノアは目の前に人の影を感じた。

顔を上げると共にその言葉は告げられた。


『陛下。わたくしはこの方を正妃に選びます』


ノアはその指の意味を理解するのに時間を要した。


(えっ!?ぇぇえええ!?おぃぃ!どういうこった!?)


その場の空気は一瞬にして響めきに変わった。

ノアは驚愕のあまり言葉が出ない。

陛下が承諾した言葉も耳に入らないほど頭の中が真っ白になっていた。


殿下を演じているその電車男はノアの手を引くと、自室へと連れて行った。

扉の閉まる音で我に返るノア。


『ちょっとちょっとちょっと!一体どういうこと!?なんで私!?もっと他にいい女いたでしょうがっ!』


すると偽殿下は考え無しな答えを出した。


『知らない人とか無理だよ。まだ事情を知っている君の方が付き合いやすいし』


『いやいやいやいやっ!私達だって出会って数分しか経ってないんよ!?ほぼ初対面っ!それに私、あなたの名前すら知らないっ!』


するとその電車男はノアの耳元に近づいた。


『遠野朔だ。でもこの名前はここでは使えない。シュリ殿下と呼んでくれ』


(一丁前に何言ってやがるこいつ…)

『私には到底王太子妃なんて務まらないからねっ!どうなっても知らないよ!覚悟して!』

と睨みを効かせるノア。

しかし朔はどうでも良さそうだった。


王太子妃になってから、いや、まだ婚約者なのだが…それから1週間経ち、特に王太子妃としてのノアに負担になるようなことはなかった。

むしろ、侍女としての仕事がなくなり、身なりもしっかりしていた。

食事も良いものが提供され、何不自由ない王宮ライフを送っていた。


しかし、最近朔は調子に乗り始めたのか、殿下の影武者として色んな女性に手を出し始めたのだそう。


周囲からは、最近の殿下は側室に上げた女性と毎日イチャコラしているので、王太子妃となるノアはほっとかれて可哀想と噂されているらしい。


(はぁ…どうでも良いけど、だったら最初っからその女性の中から妃を選べば良かったのに…とばっちりだわ…)

ノアは本当にどうでも良かった。


しかしその日衝撃的な出来事が起こることとなる。


夜に晩餐会が開かれるということで、ノアはシュリ殿下こと朔からのプレゼントであるピンク色のドレスを身に纏っていた。

表向きではそうなっている。

その彼の周りには例の側室達が群がっていた。


(なんてこったい…人目も気にせずハーレムをお築きなられてる…あの中に入るのとか絶対に無理…まぁその必要もないけど…)

ノアは自席から蔑んだ目で彼らを見ていた。


そして、その中でも一際目立つ女性がいた。


(なんて…なんて豊満なボディー…こりゃ側に置きたくなるな…てか、本当に代わってほしい…王太子妃の役割とかよくわかんないし…)

とノアは思いながら、色んな人からお祝いの言葉を聞き流していた。


(うぅ…トイレ行きたいんすけど…)


ノアは挨拶に来る人々が途切れた頃を見計らって、会場を出た。


厠からの帰り道、晩餐会へと戻りたくない気持ちが増していったので暗い王宮の中を遠回りして歩くことにした。

いつもは行かないような場所もこれからは行ける。

そう思いながら飾ってある絵画や美術品を眺めつつ、色んな通路を歩いた。

そして…


『迷った…』


調子に乗りすぎたせいで迷子になっていた。

そのまま王宮内を徘徊していると、遠くの方に人影が見えた。


(あの人達に道を聞こう)


ノアが近づいて行くと、そこには3人の男性達がいた。

その中に見覚えのある顔がいたのだ。


『あれ?さ…シュリ殿下?こんな所でいかが致しました?』


ノアが殿下に話しかけるとこちらを向いて同じようなことを聞いてきた。


『お前は…何故こんな所にいる?なんだその格好は?』


『え?いや、これは殿下からの贈り物で…今日の晩餐会にと…』

(ん?なんか雰囲気違くね?)

少し会話が噛み合わなかった。


『やつか…代わりなんぞいらぬと言っておったのに…行くぞっ!』

とその場にノアを残し、スタスタと行ってしまった。


『えっ!?あ!道を…』

(なんだ!?なんなんだ!?代わりなんぞ…?)

ノアは訳が分からずにその背中を見て考えた。


『………えっ!あ!!あぁぁ!!本物!!』


ノアが気づいた頃には遅かった。


しかし嫌な予感が身体中を駆け巡っていたため、ノアは急いで追いかけた。

やっと会場に辿り着いた頃には、その場は既に凍りつくように静かになっていた。


(どうしようどうしよう…とりあえず…ここから見てよう…隙あらば逃げ…)


少し後退りすると誰かに肩をガシッと掴まれた。


ビクッとするノア。


『シュリ殿下がお側へと申しております』


そう言うのは先程廊下で見かけた中にいた1人であった。


『えぇっ!?え?ちょっ…』


本物のシュリが戻った事によって、会場全体が息を殺していた。

シュリが影武者である朔の前へと立ちはだかっている。


『影武者か…本当にそっくりだな…気分が悪い…まぁしかし、それもこれでお役ごめんだ…そうだな…顔が割れてる以上消えてもらわねばな』

と言いながら剣を抜く本物の殿下。

すると動揺した朔が命乞いをし始めた。


『おっお待ちくださいっ!俺はただ言われるがままやらされていただけです!命だけはっ!』


『えっ!?あなた!本当は殿下じゃなかったの!?』

側室達は驚いて声を発する。


すると、側近らしき人物がシュリの耳元で何かを言った。

それを聞くと剣を収め、ノアの方を見た。


『じゃあこうしよう…お前はこの土地から出て行き俺の目の届かぬように姿を消せ。次にその顔を目にした時は容赦なくあの世行きだ』

そう言い放たれると、朔は何度も頷いた。


『ありがとうございます!じゃあ君も一緒に遠くの街で暮らそう』


あろうことか朔はその側室達の手を取ったのだ。

しかし、側室達は朔が偽物だとわかると、態度が一変した。


『何を言ってるの!?嫌ですわ!私はシュリ様の側室ですもの!そうですわよね?シュ…』


『黙れ!俺の顔がわからぬ者と一緒になんかおれぬ!お前のような欲にまみれた女はいらない』


しかし、側室に向けたシュリのその言葉を聞いてノアは嬉しく思っていた。


『それでは私もお役ごめんですね』

と口から溢らすと、その一言にシュリはすかさず反応した。


『お前はそのまま妃としていてもらう』


シュリの鋭い目がノアの心を縛りつけた。


『え?』


『…今更正妃は変えられない』


『わ、たし、影武者が適当に選んだ侍女ですよ?身分が高いお嬢様とかじゃ…』


『逆に好都合だ。面倒でなくていいからな』


(えぇぇえ!嫌だ嫌だ嫌だ!いつ手足を切り落とされるかもわからないその恐怖に一生怯えながら生きてくなんて…絶対に嫌だ!!)

ノアの顔は強張っていた。


『では皆様お引き取りを。本日はお開きになります』

と殿下の側近が笑顔で会場中に言い放った。


ノアは状況が飲み込めないまま、呆然としていた。


朔の近くでは側室達がまだ揉めている。


『終わった…人生…終わっ…た』

ノアがぶつぶつ言っていると側にいたシュリが反応した。


『ん?何を言っているんだ?これからだぞ?』

シュリがそう言うと、その場を後にしようとした。


そして、側近が笑顔で近づきノアに言った。


『さぁ、こちらへ』


(何この人…笑顔がめっちゃ怖いんすけど!)


そう思いながらノアは言われるがままついて行った。


そしてある部屋に着くと、シュリがその部屋を見渡して言った。


『あいつの使った物など、目に入れるのも嫌だ。全て処分しろ』


その部屋はシュリの自室であった。

本人がいない間、影武者の朔がこの部屋を使っていたのだ。


(もったいな…ん?てか何で私この部屋に連れてこられたんだ?)

ノアが首を傾げて考えていると、シュリが近くに来て言った。


『お前もだ。その趣味の悪い服を脱げ。あいつの贈ったものなんぞ全て捨てろ』


『もったいない…』


今度は口に出ていた。

シュリが睨んでいる。

ノアはその目にビクッとする。

しかし彼が近づいて来る気配がない。


ノアは一度部屋に戻って着替えるようにと、側近に促された。

王太子妃候補として使用している自室に戻ると、全ての服が既に総入れ換えされていた。


(やる事が早いな…)


そして、朔から贈られたのとは比べ物にならないほど、趣味の良いドレスなどがたくさん並んでいた。


(可愛い…)


しかし、もう今日は寝るだろうと思いパジャマドレスに着替えた。

疲れたからそのまま寝ようとしたのだが、ノアは再びシュリの部屋へと連れ戻された。


(何でこうなる………えっ!?まさかっ…)


ノアは心の準備が出来ていない気持ちと、どんな恐ろしい夜になるのかという気持ちで震えていた。


『ああああああの…私達…本日初めてお会いしましたよね…だからまず…お話か…らでも…』


『初めて?覚えてないのか?……お前名は何という?』


『ノア…です』


『ノア……寝るぞ』


『はいぃ!』

ノアは緊張がマックスになっていた。


2人はベッドに移動し、横になる。


『……………』

(ん?どゆこと?)


確かに一緒のベッドで寝てはいた。

しかし、本当に眠りに就こうとしていた。

しかもシュリはベッドの端っこで横になっていたのだ。


『あの…殿下、落ちたら危ないのでもう少しこちらへ…』


ノアが気を遣ってそう言ったが、シュリはその場から動かなかった。


『問題ない』


シュリはベッドの端ギリギリで向こうを向いたまま応えた。


(なんなんだよ?マジで…妻というポストを置いときたいだけか?)


ノアは困惑しつつも何故か安心してすぐに眠りに就く事ができた。


そして、それからもシュリからは夜だけでなく昼間も必要以上に近づいては来なかった。

怖い事も痛い事もされずに時は過ぎていった。

むしろ何日も何日も何もされない。

日中、部屋に呼ばれたりしても座ってお茶菓子を出してくれたりする。

だが会話はほぼない。


一度、偶然手が触れた時があった。

その瞬間はシュリの反応が1番現れた時だった。

バッと手を勢いよく離され、すまないと一言だけ言われた。

ノアは本当に彼が何を考えてるのか…シュリという人間がわからなかった。


そして、ノアのイライラが寸前まで来ていた。


ある日狩りに行くとシュリが言ってきた。

それを聞いたノアは日頃のストレスを発散するために一緒について行きたいと言った。

シュリは意外だという顔をしたが、すんなり承諾した。


そして、狩りをするという森へ着くと、ノアは勇気を出してあることを提案した。


『シュリ様。わたくしも是非狩りに参加させて下さい。そして、1匹仕留める毎に褒美を頂きたいのです』


なんと冷酷王子相手にとんでもない事を言い出したのだ。

さすがにシュリも驚いたようで、表情に変化があった。


『本気か?ノア…その細い腕で弓なんか引けるのか?』


(県大会2位の実力舐めんなよ)


そう、ノアはこの世界に来る前は学生時代、弓道部であったのだ。

しかし、実際は対戦相手が病欠だったため、繰り上がった結果がそれだった。

腕がいい覚えはないが、ただ単にストレス発散のため弓が引きたかったのだ。


『はい…それなりに…』


『フッ……あいわかった。そのかわり、俺が仕留めてもその分の願いを叶えてもらおう』


シュリの顔が少しほころんでいた。


『え?殿下…のもですか?私に聞けるようなことで良ければ…』


そしてノアは一発、弓を引いた。


放ったその弓は綺麗に鹿の首元へと射抜かれたのだ。


(あ、当たった)


シュリ含め、その周りにいた全員が驚いた表情をした。


そして、次々とノアは仕留めていき合計4匹の獲物を捕らえた。


(ごめんなさい…鹿さん、鳥さん)


しかし、動物に弓を要る行為に慣れていないノアは途中で弓を置いた。

あと2匹はウサギを素手で捕らえたのだ。

獲物を仕留めた事には変わりない。


シュリはノアの意外な行動に圧倒されていため、狩りに集中出来なかった。


その結果、2匹の鹿のみとなった。

それでもすごい方だ。


『シュリ様!どうですかっ!4匹も仕留めました!お約束は守っていただきますからねっ!』

と笑顔で言うノア。

その顔にさらに驚くシュリ。

彼は今どんな顔をしているのかわからなくなっていた。


『わかっている…約束だ。では、願いというのは決まっているのか?』

シュリが聞き入れると、ノアはさらに笑顔になる。


『はいっ!1つ目は…私との離縁を申し願います。その後はのんびりと暮らしたいので家を建てて下さい。小屋でも良いです。これが2つ目ですね!その時にこのウサギちゃん達を飼いたいので飼育小屋もお願いします。これで3つ目が決まりました。最後に、何不自由のない生活を保障する事。これをお願いします!』


ノアの口から次々と願いが出てきた。


(最っ高の生活を送るぞ!絶対にノーとは言わせないんだから!)


『わかった』


シュリは一瞬眉をひそめたが、ノアが思っている以上にすんなり承諾してくれたのだ。


(あれ?あっさり通ったな。ラッキー!)


ノアは何の疑いもなく、この先の最高の人生のことだけを考えていた。


そして、その日はそのまま王宮へと戻った。


(あれ?シュリ様の願いはいいのかな…?)


ノアはふと思ったが、自分の願いが通った事に満足してどうでも良くなっていた。


それから1ヶ月後。

ノアがシュリの自室へと呼ばれた。


『約束の物が用意できた。今から案内しよう』


シュリのその言葉に待ってましたと言わんばかりの返事をした。


『はいっ!ありがとうございます!』

(やったぁ!イエスッ!)


しかし、その足は思わぬ方向へと進んでいた。


『あれ?王宮の門はこちらじゃないですよね?馬車に乗るなら…』

ノアが疑問を投げかけようとしたが、それを遮るようにシュリは応えた。


『大丈夫だ。歩いて行ける距離だ』


『え?歩いて?』


そして、約束の場所まで徒歩10分ほどの場所にそれはあった。


(な、な、何じゃこりゃっ!!)


ノアがそう思うのも無理はない。

ここは王宮内の隅にある林のような所であった。

この世界に転移してきた時に降り立った場所の近くである。

そしてまさに目の前にあるのは紛れもなくノアがお願いしたそれであった。


小屋ほどの大きさだが、立派な家が建っていた。

もちろん側にはウサギさん達のお家もあった。


(たしかに…何不自由ない…けど…くそ!場所の指定するの忘れた!!)


シュリはそれを知っていて、全て承諾したのだった。

まさにしてやられたのだ。


(これじゃ…これじゃあ、離婚しただけで、なんっも変わらないじゃん!)


本当に何も変わらないのはこれからである。


『どうだ?気に入ったか?』

シュリはニヤッと笑って言う。


『…はい…と、ても…』

ノアはとりあえず返事をする。


『あぁ、それと言い忘れてたな。俺の願いは2つ。聞いてもらわねばな』

と、とぼけたように言うシュリ。


(忘れてなかったんかいっ!)

ノア自身も忘れかけていた。


『1つ目は俺の妃になる事だ』

その言葉にノアは混乱した。


『え?だって離縁…は?』


『フッ、それはもう使っただろう?だからまた婚姻してもらう。そしてそのまま妃になるという事だ』


(んなっ!!)


ノアは今自分がどんな顔をしているのかわからなかった。

シュリは続ける。

『そうだな…あとひとつは…毎晩その…』


『え?ま、毎晩…?』

ノアは息を呑んだ。


『手を…繋いで寝てもら…う…』


『ん?』


『だから…その…手を繋いで寝る事が2つ目の願い…だ』


『え?手を…繋ぐだけ?それだけ…ですか?』


シュリは顔を真っ赤にしながらコクッと頷いた。


(な…なにこの人…なんなの?ほんと…何でこんなに照れてるの!?)

ノアはその初々しさが伝染しそうなところで食い止めた。


それから毎晩手を繋いで寝るようになった。

言葉のとおり本当に手を繋ぐだけであった。


相変わらずシュリは向こうを向いたまま寝ているが、寝る位置はベッドの真ん中の方に近付いていた。


そしてそんな状況にノアは、手を繋いで寝てる時のシュリの顔が見たくてたまらなくなっていた。

毎日こうであるために自然とシュリを恐れる気持ちも消えていった。


そして、2人が再婚約してから2週間後。


本当のお祝いの席が設けられた。

社交界である。

ノア的には2回目なので、また色んな重鎮達の挨拶を耳にする事が予想される。

1回目でも相当疲れたのに、2回目…は辛い。


しかし、そんなノアを早めに救い出してくれたのは意外にもシュリ殿下であった。


ノアの手を引き、ダンスへと誘う。


『あのっ!ちょっと待って下さい。私踊れないんです』


するとまさかの柔らかい笑みでシュリはノアに言った。


『大丈夫だ』


それを見た周りの人々は、非常に驚いていた。

あの冷酷な殿下が笑ったのだから。


そして、ダンス中のシュリはそれはもうとても優しかった。

その途中、シュリはノアの耳元で囁いた。


『やはり、ノアにはその深い藍色のドレスが似合う。美しい…』


その言葉を聞いたノアは顔を真っ赤にした。

しかし、それ以上に赤かったのはシュリ自身であった。

それがノアには見えなかったのがとても残念だ。


その日も例のごとく手を繋いで寝た2人。

しかし、今日のノアは少し違った。

先程の事で少し人間らしさが見えたシュリにイタズラをしたくなったのだ。


向こうを向いているシュリの背中を人差し指でゆっくり線を書いてみた。


『ん…あ!な、なん…っ!』


それに驚いたシュリが思わずノアの方を向く。

しかし、思った以上にノアが近かったため、突然掛け物を顔まで隠してしまった。


『いきなり何をする!?』


掛け物を被ったまま喋るので、少し聞き取りにくい。

そう思ったノアはさらに仕掛けた。


シュリのその掛け物をバッと剥ぎ取りニヤリと笑った。


『シュリ様?ずっとあちらを向いていてはお身体に負担がかかります。ちゃんとこちら向きにも寝返りを打たないと』


ノアは爆睡しているので知らないようだが、彼はちゃんとこちらも向いていた。

毎日その寝顔をそっと愛でていたのだ。


しかし、今は違う。

目の前に意識のあるノアがいるともなれば話が違うのだ。


シュリは一生懸命平常心を装って口を開いた。


『早…く寝ろ』


『ふふ…はい。シュリ様。おやすみなさい』


そして向かい合って手を繋いで寝たのであった。

しかし、シュリは眠れない夜を1人で過ごす事になった。


そして数日後、シュリの冷酷さを再度思い知らされる事件が起こる。


ある日職人だという夫婦が王宮にやって来た。

ノアが到着した時には既にその夫婦がシュリの目の前で命乞いをしていたのだ。


『シュリ様!?一体何が…』


ノアが近づくのを止めようとする側近。


シュリが腰にある剣を抜いた。


『やめて下さいっ!』


ノアが叫んで止めようとした。

しかしシュリはチラッとこちらを見たが、その剣を大きく振りかぶった。


その瞬間、ノアは側近の制止を振り切って、シュリの前に飛び出たのだ。


そして、そのまま彼の唇を奪った。


(あぁぁあ、なんて事してんだ…でも止めるにはこれが……いや、合ってるのか?)


しかし、狙い通りなのかシュリの動きが止まった。

それに伴って周りの空気も凍りついて止まった。


『…………』


ノアはその隙に夫婦の話を聞いた。

震える夫婦の声をゆっくりと吐き出させて、それを笑顔で引き取った。


その内容をちゃんと理解してもらおうと思い、ノアは振り向いた。


しかし、彼の様子は何だか変だった。

王子の顔がマグマのように真っ赤だったのだ。

それと共に鼻血が出ていた。


『え?えぇっ!?ちょっ!シュリ様!?』


側近がふらついたシュリを瞬時に支えた。


『急ぎ侍医を!シュリ様、失礼いたします』


そう言うと側近はシュリを抱えて自室へと向かった。

しかし、彼はもう何も聞こえていなかった。


ベッドで横になっているシュリ。

顔をタオルで冷やされている。

ノアは側でそんな彼の様子を見ていた。


(この人…私に興味無いんじゃなくて…めっちゃシャイボーイなんじゃ…)


王子が目を覚ますと、側にノアがいたため驚いて起きあがろうとした。

それをノアが慌てて身体を抑えて寝かせた。

タオルが落ち、前髪が濡れている。


(ん?この顔…どっかで…あ、れ?)


『シュリ様。お加減いかがですか?すいません。私が無理矢理あんな事…』


すると、あの光景を思い出したシュリは顔が赤くなり始めた。

これはマズいと思い、ノアはタオルで再び冷やした。


『シュリ様…もしかして…以前、都の近くにある川で溺れてました?』

ノアは気になっていたことを聞いた。


『…あぁ、あの時は…助け…』

シュリはその時を思い出して、顔がまた赤くなりそうだった。


『そうでしたか…シュリ様、ご無事でなによりです。しかし、先程の行動は少しお考え直した方がよろしいかと…』

ノアは意を決して尋ねてみた。

それに対してシュリは怒る事もなく、純粋に聞き返した。


『何故だ?』


『人というものはちゃんと話をすれば大抵のことは通じます。なのに、何も理由を聞かずに、剣を抜くなど上に立つ者のする事ではないのでは?』

ノアは誠意を持って伝えた。


『身分の高い者が下の者をどうしようが勝手であろう。ましてや、王族なら民を簡単に切り捨てられる』


『それは違います。頂きに立つ者だからこそ弱い者を守り、理解する事が何より大切だと私は思います。身分の低い方々があっての…土台ではないかと…そうでないと、ちゃんと地に足をつけられません。フラフラな状態ではこの国はすぐに倒れてしまいますよ?』


『……そうだな……その考えは一理ある。そのような意見を聞いたのは初めてだ。…少し…実践してみる事にしよう』


その言葉に周りにいた従者達は大変驚いた顔をしていた。

そしてノアは満面の笑みをシュリに向けた。


『ちなみになんですけども、私は先ほどのご夫婦にお話を聞いてみました。あの御二方は石を扱う職人らしいですね?シュリ様の依頼を受けた物を急いで持って来たとか?でもその石を期日までに無理矢理作り上げてしまったために、石にひびが入ってしまったそうです。シュリ様、そんなに急ぎの依頼だったのですか?』


ノアがシュリに理由を聞くと、少し煮え切らないような言い方をしたシュリ。


『そうか…あぁ、まぁ…早く…渡したかったからな…少し急がせた』


『そうでしたか。では、その依頼品、早いですが粗雑な状態で渡すのと、ゆっくり丁寧に仕上げ満足した状態で渡すのとどちらがよろしいですか?』

とノアはニコッと笑って質問を投げかけた。


『それは…満足した状態の方が良い…』


シュリのその言葉を聞いてノアはさらに笑顔になった。


『ふふふ、ですよね!?では、もう一度お願いいたしましょう!』


ノアはそう言うと、席を立ち部屋の扉を開けて人を呼ぶような仕草をした。

すると、先程の命乞いをしていた夫婦が中へと入って来たのだ。


『あっ、あのっ…シュリ殿下様…先程の無礼を…』

震えた声で詫びの言葉を出す職人をシュリは遮った。


『いや…話を聞かずに悪かったな…』


周りにいた人達はその光景に先程よりも大きく目を見張った。

あの冷酷と言われている殿下が、民に謝ったという事実に驚愕していたのだ。

そして、そのまま落ち着いた声でシュリは続けて言う。


『ノアから聞いた…どんなに時間がかかってもいい…もう一度…その…頼まれてくれないか?』


『もももちろんでございます!必ずご満足頂けるような品にしますゆえ!』


それを聞き届けたノアはさらに満面の笑みを浮かべ、小さく拍手していた。


夫婦が帰った後、ノアは尋ねた。


『ところで何を依頼したのですか?』


『それは…出来たら見せる』


『そうですか。では気長に待ちましょう。ねっ!気長に!』


『気長に…』


今までそのような気持ちで待った事がないシュリにとっては、新鮮な言葉だった。


そして、2週間ほど経ったある日。

石職人の夫婦が再びシュリの元へとやって来た。

頼まれていた品を受け取り、真剣にそれを見ていた。


『うむ…良いな。ノア…こちらへ』

満足したのか、それを持ったままノアを呼びつけた。


『はい!ついに出来たんですね!どれどれ?』

そう言いながら、ノアは覗き込んでまじまじとそれを見た。


それは深い緑と青が重なったような美しい石であった。

そこに細かく捻りあったチェーンが長く付いていた。


『っわぁー!とっても綺麗ですね!少し透き通ってる…首飾りですか?すごく精巧に作られてますね!さすが職人さんっ!』


ノアが感嘆の声を上げると、夫婦は嬉しそうに少し照れた。


するとシュリがその首飾りを差し出しながら言った。


『…これを…ノアに…』


『ん…?えっ!?私にですか!?えっ!?何故です?』


『これから…妃として側にいてもらうための…記念…だ…その…受けとっ…てくれるか?』

シュリが照れながらそう言うので、ノアもそれにつられた。


『えっ!?あ、ありがとう…ございます…ふふふ…とっても嬉しいです!』

と言ってノアはシュリに近づき、背中を向けるように立った。


『ん?何だ?』


『せっかくなので、シュリ様が付けてください!』


『おっ俺が!?』


『はいっ!シュリ様に付けて頂きたいのです』

と言ってノアは手で髪の毛を前へと流してうなじを見せた。

その行動にシュリは顔が真っ赤になった。

すると、シュリはその首飾りを手に取り、そっとノアの首元に腕を回した。


(うーん…少し手が震えてる…ふふ)

ノアはシュリのその姿が可愛らしく思えた。


しどろもどろしながらその首飾りをノアにつけたシュリ。

振り向いたノアにさらに顔が赤くなっていた。


『ふふふふふふ。ありがとうございます!とても素敵です。大切にしますね!シュリ様!』


その笑顔にシュリはコクッと頷くので精一杯だった。




それからさらに数日経ったある日。

ノアの部屋にある手紙が届いた。


(ん?誰かしら?こんな所に挟んである)


その手紙は窓の隙間に挟んであったのだ。

その内容には、


‘助けて 急ぎ川の向こうの森で‘


としか書かれていなかった。


(助けてって…!?川の向こう?シュリ様を助けたあの川か。その向こうに森なんて…あったな、あった。タオルの仕入れに行った時に、お店の裏が確か木々がいっぱいあったしな…1人で行っても良いもんか?とりあえずシュリ様に言うべき…だな、よし)


ノアはそう思い、シュリの自室へと足を運んだ。

しかし、今日は公務で外に出ているという。


(うーん…助けてって書いてあったしなぁ…行かないとっ!)


そして、ノアは怪しみながらもその手紙にある森へと向かうことに決めた。


お使いに来た時と同じ道を通って、タオル屋さんの裏に来ていた。


すると、見覚えのある女性がそこへ立っていた。


『ノアさん!お久しぶりです!来て頂けると信じてました!』


『あれ?あ、はい、お久しぶり…です。えと…あなたが私にあのお手紙を?』


その女性は、シュリの元影武者である朔の側室だった1人であった。

しかしノアは忘れもしない、その彼女のフォルムを。


『はいっ!助けて欲しいんです!こちらへ!』


ノアは何事かと思いながらついて行った。

そんな彼女は森の中へとその豊満なボディを揺らしながら歩いていた。


(何でそんな高いヒールで来たんだ、この人)


その女性を横目に見ながらノアは足を進める。


すると、奥の方で何かが暴れている音が聞こえた。


『えっ!?あれって!?』


ノアの足は早まる。


その先には片脚の縛られたウサギが木に逆さ吊りにされていたのだ。

元側室はそのウサギを指差して言った。


『そうなんですっ!あの子を助けて欲しくてっ』


『なんて可哀想に…今助けてあげるからねっ!』


そう言ってノアは、そのウサギの所へと近づいた。


(ダメだ…届かない…どうすれば…)


すると、元側室の女性が木の方を指差して言った。


『こちらからなら届くかもしれません!早くっ!』


そう言われるがままノアはその場に行く。


『良い子だから暴れないで、ねっ!』


ノアは脚に縛り付けられている縄の方は諦め、木に縛ってある方の縄を解こうとした。


そして少し背伸びをし、最後に高く飛び上がってウサギを助けるのに成功した。

しかし、その瞬間足元にあったはずの地面が着地した衝撃で崩れ落ちたのだ。

そして、何かが切れた感覚と同時にウサギともども地中深くまで落ちてしまった。


でも1人じゃない。

一緒にここまで来た元側室がいる。

そう思い、ノアは声を上げた。


『すいませんっ!誰か助けを呼ん…』


『は?助けなんて来ないわよ。見事にハマってくれたわね!フフフフフフフ…良い眺めね。あなたはそのウサギちゃんとここに一生いなさい』

と言ってその場を去って行ってしまった。


ノアは絶望の淵に立たされた。

これは元側室が仕組んだ罠だったのだ。

まさに落とし穴に落ちた…という。


(最っ悪だっ!!あの女!やりやがったなっ!)


ノアは何度も何度も叫んだ。

望みを捨てずに何時間も。

しかし、一向に何の気配も感じなかった。

ウサギに関しては怪我はなかったものの、かなり警戒して近づいてこない。


『脚の縄…取ってあげたいんだけどな…ダメ?』

と言ってはみるがめちゃくちゃノアを睨んでいた。


ノアは空が段々と暗闇に包まれていく毎に不安になっていった。

その心を鎮めるために、胸元にあるはずの首飾りを握ろうとした。

しかし、ないのだ。

あるはずのそれがない。

ノアは気づいた。

先程の落ちる瞬間の切れた感覚が首飾りのそれだったと。


(あぁぁあ…なんてこったい…あそこに引っかかってる…)


ノアは空高く見える木の枝に首飾りが引っかかっているのを見つけた。


月明かりに光るそれは、いつもと変わりなく美しく揺れていた。


(さっき落としたネックレス…暗闇だと光るんだ…知らなかった)


‘さっき‘ではない。

あれから既に3日ほどの時が経っていたのだ。

ノアは意識が朦朧としてどのくらいの時が経っていたのかわからなくなっていた。


(あぁ。このまま死ぬのか?星、綺麗だなぁ…真っ暗だもんな、ここ)


すると、元気いっぱいだったウサギもさすがに弱ってきていたようだった。

ノアはゆっくりとウサギに近づき、脚の縄を解いてやった。


(脚が少し赤紫に変色している…冷やしてあげたいな…ごめんよ…あぁ…それにしても樹海みたいに深い森、絶対見つからな…)


すると、何か気配を感じたノア。

身を潜めて耳をそば立てた。

すると突然頭上から聞き覚えのある声が聞こえた。


『ノア!!いたっ!今助ける!』


その姿を見てノアは安堵の顔と共に大粒の涙を溢した。


そしてすぐに縄がおろされ、シュリ自ら穴の中へと降りてきたのだ。


『ノアッ…ノア!無事か!?遅くなってすまない…』


その弱った身体を抱きしめるシュリ。


『シュリ…様…シュリ様っ!うわぁぁんっ!もう骨になるまでこのままかと思いましたよ!』


そう泣きじゃくるノアをさらに強く抱きしめるシュリ。

力いっぱい…そして優しく…

シュリのその手にはキラッと光る首飾りが握りしめられていた。

そしてその瞬間、シュリの中の何かがフワッと切れる音がした。


こうして…冷酷な王子は、異世界から来た娘によって少しずつ心を動かされていったのだ。

いや、元々は純粋すぎるが故の横暴だったのかもしれない。

誰も彼に正しい道を教えずに心を閉ざしてしまったその…

それから…ウブな心も少しずつ解放されていった。

本当にちょっとずつ。


あれから数週間後。

そんなシュリはある夜、決意表明をしていた。


『今日はっ!もう少し…近づ…くからな!朝までく、くっつ…くっつく!』


(え?あ、くっつく…だけで良いんだ?)


ノアはその言葉に驚いたが、すぐにシュリを愛おしい目で見つめた。


『ふふ。では思う存分…どうぞ』

と言ってノアは手を広げた。


ゆっくりとシュリが近づく…本当にゆっくりと…

そのまま2人は心地よい眠りについた。

これからもお互いの時間を大切にしたいと思いながら…


最後まで読んで頂きありがとうございました。

何かお気づきの点がございましたら、コメントの方でよろしくお願いします。


他にも長編作品を投稿しております。

毎日投稿しておりますので、宜しければそちらも読んでみてください。


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