プロポーズされた彼に騙されていた話
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「エピソード1 出会い」
彼の出会いは偶然だったのか必然だったのか、私はたまに思い出して考えてしまう。数年前に詐欺事件で逮捕された元彼は、最後まで詐欺師だと見抜くことができなかった。私が関与したのは不倫した夫を社会的に抹殺しただけだ。これは被害者の会としての告白でもある。私には文章としてまとめる力がなかったので、賛同してくれる人のなかに文才がありそうな方がいたので、代筆してもらっている。フェイクを交えながら物語として語っていきたい。
***
私、コウサカチハルが、のちに夫となるはずだったヒロセマサアキに出会ったのは10年以上も前になる。当時、20代の私は某中堅商社で派遣の受付事務員として働いていた。商談で訪れる人々は、受付嬢に話かける。私たちは必要に応じて従業員の呼び出しや待合所に案内していく。
「今日はヒロセさんが来るんだって」
人の往来が一段落してから、同じ受付嬢のホナミが私に小声で話かけてくる。他の受付員からも彼の噂は聞いていた。大手商社に勤めていて高身長でかなりのイケメンらしい。前の彼とはケンカで別れたばかりだったので、フリーの私も他の受付嬢と同じように噂の彼が理想の男性のように思えた。聞けば10時ごろに来るらしく、私も今日は会うことができるかもしれない。軽く話を交わし、仲良くなって、ゆくゆくは付き合いたい。そんな淡い期待もしていたように思う。出入り口の方から音がして、私たちは自動ドアが開けば、姿勢を正し理想の受付嬢として待ち受ける。パリッとしたスーツ。すらりとした細身の彼は部下だろうか数人引き連れて、入念に今日の商談について意見を交わしている。振る舞いは偉そうではなく、励ましているようにも、鼓舞しているようにも見えた。受付で私たちは向き合い彼は笑顔で話しかける。見上げる形になってしまっても彼の整った顔立ちに恐怖心は感じられなかった。
「輸入課のタナカ様と商談のアポを取っていまして……」
「は、はいっ」
私の声は上ずっていたかもしれない。少女のように顔を赤らめていたかもしれない。
これがヒロセマサアキとの出会いだった。
***
あれから受付嬢としての対応に徹していたが、彼は顔を合わすたびに言葉少なに個人的な話題を振ってくれるようになっていた。同僚は私と彼が仲良くしているのが面白くないのか、しだいに私は孤立していく。いじめや嫌がらせはなかったが、ホナミとは疎遠になっていった。「ホナミはヒロセのことが好きだったのに、横からコウサカが奪った」化粧室で誰かが言っていた。気まずくなってやめようかと転職活動をはじめてもいたように思う。ヒロセが来社する日は面談や面接で予定をうめて会わないようにしていた。今から考えれば、策に乗っていたのかもしれない。
「エピソード2 再会」
定時にタイムカードを切って、会社の外に出るまでの時間は8分。開放感でヒールを脱いで裸足で街を歩きたい。新記録だとひとり心舞い踊っていたように思う。一緒に飲みに行く同僚はいなくなってしまったが、希望の条件に近い企業から内定が出て転職活動も終わりに近くと、ひとり静かにお酒を嗜む余裕も出ていた。それでも、急な虚しさに心を締め付けられてもしまう。ため息をひとつ吐き出し、新鮮な空気を取り込む。
「あれっ、もしかしてコウサカさんじゃないですか」
「っ、ヒロセさん? どうしてここに?」
彼は一人停留所でバスを待っている。暖かな口調は懐かしいような、人を狂わせる悪魔の囁きでもあった。偶然の出会いは複雑な心境ではあったが、無視することもできない。彼は列から抜け出して近づく。私は立ち去ることもできないで、立ち尽くした。
「最近、めっきり会わなくなりましたが、仕事変えられました?」
「働き方改革でしたっけ、有給消化で忙しいだけで、辞めてはいないです」
「そうでしたか……、今帰りですか?」
彼に何か期待していたのかもしれない。嘘つきな私は縦に首を振る。彼の一歩後ろに私がいて、軒には赤提灯がぶら下がっていた。この向こう側には、ホテル街があって、軽く一杯飲んで帰るだけ。そう自分に言い聞かせた。
***
ヒロセと一緒に私はバーに入店した。彼に肩を抱かれ緊張していたとは思う。彼はマスターとは顔見知りらしく軽く会話を交わしていた。調子に乗ってはいない。ただ、色鮮やかなカクテルや舌でとろけるウヰスキーに溺れ酔いが早く回ってしまった。これまで付き合った異性とは大衆店以外の、それこそバーだって連れていってくれた記憶がない。
「私、ちょっと、飲みすぎちゃって……」
「おっと、大丈夫ですか?」
赤く火照った顔を両手で覆い隠した。終電まで時間はたっぷり残っていても、弱い姿は見せたくないと立ち上がる。ふらついても彼は何も言わないで支えてくれる。彼が会計で出したのはブラックカードだろうか、身なりに相応しいスマートな対応だった。マスターが呼んでくれたタクシーに心配そうな彼が同乗して、それからは語りたくない。今となっては、身の毛がよだつ程の嫌悪感、忘れてしまいたい忌々しい記憶の一つだからだ。
「エピソード3 同棲」
いつからヒロセと付き合い出したのか、今では思い出せない。気がつけば同棲していた。彼は仕事が忙しく帰りが遅い。深夜の呼び出しも頻繁にある。二股をかけられているとは思ってもいなかった私は純粋に帰りを待ち、献身的に彼を支えていたつもりだった。彼の気を引きたくて私は大胆に求めたこともある。「疲れているから」拒否されても疑うことはできなかった。
「今日は帰りが特に遅くなるから、夕飯は外で食べてくる」
「そう、……早く帰ってきてね」
私は彼の言葉を信じ、いってらっしゃいのキスを交わす。生活費はヒロセが支払い、同棲してから私は家事に専念したくて仕事を辞めた。慣れてしまえば、隙間時間に趣味のヨガや刺繍も出来て、この延長線上にある結婚生活を思い描く。洗濯機から洗い物を取り出し、窓を開けてベランダに出ると都会の街を見下ろした。彼は、どれだけ忙しくても記念日だけは仕事を切り上げて一緒に過ごしてくれる。幸せの一言だけだった。ふと、お掃除ロボットがスマホのようなものを引きずっている。私は持ち上げて、ヒロセのスマホとは違うことに気づく。彼が首からぶら下げていた会社支給品は二つ折りの携帯電話でこれではない。来客は一ヶ月前にヒロセの部下が訪れたぐらいだ。画面にはロックがかけられている。「ピロン」メッセージが届く。ミホ「マサアキに会えるの今日は楽し……」途中で切れてしまっていた。私は何かに取り憑かれたようにネットでロック解除方法を調べていく。
「指紋認証……」
ヒロセの帰りは遅い。こういう日の行動はいつも同じ、帰宅したら倒れるように眠ってしまう。以前、緊急の連絡で何度も揺らしても起きなかったことがある。今日しかない。試してみて解除できなければ誰のスマホなのか彼に聞いてみよう。私は彼が裏切っているのではないか、気が気でなく食欲もわかない。趣味にも熱中できなくて、途中で投げ出し外出することにした。
***
マンションから見下ろした街は人で溢れていた。私は歩き方を忘れしまったのか、ふらふらして人にぶつかってしまいそうになる。目的もなくさまよい、気が付けば私は実家に戻っていた。庭園は綺麗に手入れされていて、池には錦鯉が泳いでいる。私の存在に気づくと餌でもくれると思ったのか、口をパクパクさせていた。私もまた言葉にならない不安を抱えている。
「おや、珍しい、……どうしたのチハル? ……チハル?」
母は優しく話しかける。私は言葉が出てこない。
「マサアキが他の女と会っているかもしれない……」
私は降り積もった不安で泣いてしまった。これほどの屈辱を受けたのはいつ以来だろうか。涙はとめどなく流れ続けた。
「エピソード4 疑念」
父は定年退職してから、家で趣味の焼き物を作っている。何かの間違いじゃないかと言いながらも、相談に乗ってくれて知り合いの探偵事務所を紹介してくれた。
「もしかして、マサアキのこと調べてもらったの?」
「いいや、チハルが選んだ人を疑っちゃいけねぇから、してねぇよ」
父を疑っても仕方がない。もしかしたら、こういう日が来ると分かっていたのかもしれない。
「チハルはマサアキのこと信じてあげねぇのか? あれは商談についてじゃねぇのかぁ?」
父の言葉もあって、通話ボタンを押してしまうと彼との関係が壊れてしまう気がした。それでも、商談であればマサアキと呼ぶだろうか。確信できないでいた。
「白黒はっきりさせてから結婚したいと思います」
実は少し前にマサアキからプロポーズされている。聞いたときは嬉しくて泣いてしまった。
「それはいいが、……これから先も、探偵に調べさせて、安心を得るようになっちまうぞ」
流石にこの一言は効いた。私は彼の全てを知らない。話してくれた範囲でしか理解できていない。迷いを振り切って私は通話ボタンを押した。父はそれ以上何も言わない。トントン拍子に尾行の準備が整う。探偵曰く、依頼者が同行して、仮に現場を押さえたとしても、修羅場にしかならない。過去、感情的になって殺傷事件に発展したこともあり、報告を待って欲しいとのことだった。結局、このモヤモヤは晴れないのか。それまで黙っていた父が口を開く。
「修羅場はあっても俺の娘は警察の世話にならねぇよ」
探偵は父の知り合いでもあって私たちの性格を理解している様子だった。腹が減っては戦が出来ない、無理矢理食べさせる頑固親父ではあったが心強い。何人もの探偵チームが待ち受ける。見ていて地味な仕事なのだと思った。定時ちょっと過ぎに会社からヒロセが一人で出てくる。トランシーバーから彼の振る舞いが実況されていた。周囲を気にしながら、慣れた足取りで私たちが酌み交わしたバーに行く。数人の探偵も潜入していった。マスターと世間話をしているだとか、彼女に黙って高級腕時計を買ったなど様々で、腕時計の件も問いただしたい。
「女性が一人、入っていきます」
外で待機していた探偵からの一報で場に緊張が走る。それから、ヒロセと彼女の詳細が伝えらたが耳を塞いでしまった。私が彼からかけられた愛の言葉とまったく同じで気分が悪い。撮影した写真が送られてきて見せてもらう。女性の画像は見知った人物だった。
***
「ホナミ、どうしてマサアキと一緒にホテルから出てくるの?」
私は探偵から許可を貰い二人の前にあらわれた。誰が見てもラブホテルで言い訳はできそうにない。写真は押さえてもらっている。
「あ、えっ、チハル? ……彼とはそこで会っただけだよ」
どうすれば見え透いた嘘をつくことができるのか。呆れてしまう。
「チハル、これは違う。誤解だ」
「……私に黙って高級時計を買って、ホナミとホテルに行くことが、誤解? 何の?」
マサアキは絶句している。私は冷静にたたみかけるように言葉を放つ。
「私からマサアキを奪ったのは、いつからなの?」
「私たちが付き合いはじめたのは、チハルより前。会社で嫉妬されたくないから、あなたに近づいてもらっただけ。ありがとう」
ホナミはマサアキと指を絡め合い、勝ち誇った顔で口にする。左薬指には指輪があった。私は何が何なのか分からなくてしまう。確かなのは、最初からマサアキがホナミと付き合っていたことだけだった。その場に崩れ落ちて、ただただ、涙が流れる。
「どうして? あのプロポーズは何だったの?」
「私はあなたの、そういう顔が見たかったの。ありがとう、満足したわ」
「私は、マサアキに聞いているの!」
「……ごめん」
たった一言でヒロセマサアキは終わらせてしまう。それが悔しかった。脇目も振らず泣いた。彼がなぜ私に近づいたのか、今なら分かる、コウサカ家が資産家だからだ。
「エピソード5 終焉」
抜け殻になった私は、マンションから荷物をまとめて実家に戻る。復讐なんてくだらない。探偵の活躍で証拠はそろい、匿名で会社に送付しておいた。資金のあるヒロセは高飛びして、のうのうと生きていたホナミは居場所がなくなりヒロセと一緒だろうか失踪したらしい。今は何をしているか分からない。調査結果にもヒロセが裏社会と繋がっていることは明らかだった。もう、ホナミはこの世にはいないかもしれない。父はこのことを知っていただろう。ヒロセマサアキが最後まで理想の男性を演じていてくれれば、何も言わなかったのかもしれない。立ち直った私は、元の職場でまた受付嬢として働き出した。今日も商談のため多くの人が訪れる。このなかに私の理想の彼はいないのかもしれない。それでも、前を向いて今を生きていく。
了