放置
「放置、というのは往々にして悪い結果を生む行為です。
制御から離れ無秩序へと帰る。
安易にその過程を辿るであろうと予測し、怠けるとどうなるのか?
今回はその一例を紹介します」
魔法薬の生成を生業とする魔術師が居た。
彼は都市国家に居付かず、生活限域間近の集落に住んでいた。
魔法による治療を信じていない者達から重宝されていた彼は、独自の調合を用いて薬を作り、その効能の高さから物好きな冒険者も愛用していた。
そんな彼を悩ませていたのは、彼が住む集落の風土病である。その名を、焼きごて病。
初めは体の何処かに赤く小さな痣が現れ、次第に焼きつくような痛みが起きる。
痛みは2週間程続きそれが治ると赤黒い痣が患部に現れる。その様から、焼きごて病と名付けられた。
痛みが酷く、跡が残るこの風土病に立ち向かう魔術師は、鎮静作用と火傷に効く薬草を混ぜ合わせ対処した。
その後、予防へと向けて動き始める。
結論から言うなれば、原因は井戸水にあった。
原因が判明すれば根本的な治療や予防は簡単な事だった。
魔術師は考えた。
他の集落でも同様の事が起きているのでは?、と。
魔術師は村人達に薬草の調合方法を教えると隣村へと赴いた。
そこでも同様の風土病が蔓延していた。
原因は井戸水。
同じ手法で村々を渡り歩きその都度村人達を救っていった魔術師は、最初に住んでいた村に帰る事にした。
村へ向かう魔術師の足取りは軽く、自信に満ち溢れた胸中は表情にも現れるほど。
だが、村へと帰ってきた魔術師を待っていたのは、絶望としか言いようのない光景だった。
村人達は廃人同様に無気力に過ごし、片手には小瓶を抱えている。
全てを察した魔術師に残されていた道は、
その場からの逃走である。
誇りと自信は罪悪感と後悔に塗りつぶされ、
魔法局からの報復ばかりが頭の中を埋め尽くす。
「ここで彼が取るべきだった行動が何か、分かる者は?」
30個の手が勢いよく上がる。
その内のひとつを指さす。
「はい、速やかな魔法局への報告です」
「大変よろしい。
いいですか皆さん。
あなた達も一人前となり巣立った先には、自由な知識の探求が待っています。
何か一つに固執して良し、
全てを満遍なく深めるも良し、
その日の気分次第で何をしても良し。
ただひとつだけ守らなければいけないものがあります。
それは、不足の事態への対処です。
どれだけ準備を念入りにしても起こりえます。
それが起きた時、初めにするのが魔法局への連絡です。
それを怠ればどうなるか……、分る者は?」
今度は誰一人として手を上げなかった。
教師も何も言わない。
皆理解している。
粛清と報復が待っている事を。
「では、本日の授業はこれで終了します」
院生達が寮に戻る中、ひとりだけ教師に寄ってくる。
「先生、質問があります」
「聞かない方がいい事もありますよ?」
「いいんです、どうしても聞きたくて」
「伺います」
「先程の魔術師の話ですが、その後はどうなったのですか?」
「……時に好奇心とは魔力を枯らすことにもなり得ます、
それでも聞きたいと?」
生唾を飲みこんで院生は首を縦に振る。
「ではお話しましょう。彼のその後を……」
事態を発見した魔法局は対人部隊を派遣、件の魔術師を捕らえると最初の村へと向かった。
魔術師が逃げてから2ヶ月が経過していた村は変わり果て、村人達は原型を留めないほどの変貌を遂げていたのだ。
皮膚を突き破る骨、裂けた口、半狂乱になりながら襲いくる元村人達。
魔術師がかつて赴いた村々の全てで同様の事が起きていた。
「魔術師はその後、自分が生み出した魔法薬を飲まされ徐々に変貌していく恐怖に苛まれながら、最後には処刑されました。
……満足しましたか?それなら寮へお戻りなさい。
それと最後に……この話をした事を後悔させないで下さいね……マリア」
逃げるように教室を後にする院生。
その後ろ姿を見えなくなるまで見つめた後、
教師は深く深く息を吐く。
「皮肉な事ですミッドフォード、貴方の所業で魔法薬は飛躍的にその効能を上げたのですから……」
放置とは。
全てにおいて用いられる可能性を秘めている。
例えば、教師の話を聞いて逃げた院生。
この院生が今回得た心象が将来なんらかの悪影響を及ぼしたのなら?
それは教師が院生の心象をケアしなかったからなのか?
誰もそこまでの責任を負えと言っているわけではない。
そんな事を気にしていたら何も出来なくなるからだ。
求められるのは事象展開時の事態の収束。
そして後に、放置した、等と言いふらされない下準備である。