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深淵の坩堝

魔法院ルルアクの教員居住塔で、深刻な顔をする魔法使い。



「なんだよ魔男まおとこって」



本に埋もれた部屋、その中心で盛大に溜息を吐く魔法使い。彼は三日間悩み考え抜いた末に己の口から漏れ出た言葉に納得出来ていないようだ。

長椅子に倒れ天井を見る前に目を瞑り、足を本の上に無造作に投げ出す。

乱暴に扱われた本達だが汚れや傷は一切付かない。このように扱われる事を想定して保護魔法が一冊ずつ丁寧にかけられている。


『乱暴に扱わないで下さいよね!!』


借りる際に煩く注意してきた司書の幻影が脳裏にちらつくが、手で振り払って考えないことにした。

暫く目を閉じた後、止めていた思考をゆっくりと巡らせる。


彼が苦悩しているのは謂わば名称、男性魔法使いをどう呼ぶかについてだ。


ここで名称の一例を挙げよう。

魔法を扱えるが魔法学院に所属又は卒業したことがないものを魔術師と呼ぶ。

一般には独学で魔法を学んだ者の事を指す。


魔法を扱えて魔法学院に所属又は卒業した事がある者を魔法使いと呼ぶ。

魔法の理を学び魔の何たるかを知る者を指す。


魔法を扱え且つその技巧が熟練に値し、魔力量の多い者を魔女と呼ぶ。

一芸に秀でている者、又は魔力量に特化する者も魔女と呼ばれる。


呪文の詠唱をせずに魔法を行使できる者を魔唱(ましょう)と呼ぶ。

意思の力だけで魔法を操るのは絶技に等しい。

自動的に魔唱は魔女の称号も得ている場合が殆どだ。


全ての魔の頂点、至法。

操る魔法は億を超え、比類無き魔力を携えし者。

この称号に値する人物はたった一人しかおらず畏怖や尊敬の念を込めて呼ばれる。



と、大体の括りはこのようなものになる。

一般的に魔法使いという言葉は広く扱われ魔法使いの女性は魔女、男性は魔法使いと呼ばれる場合が多い。


が、一定の実力を伴う魔法使いは女性男性関係なく魔女と呼称するのが正しい。


の、だが!!



「男も魔女というのは何かおかしいだろう?」



これこそが彼が寝食を忘れて没頭する理由だ。

別に熟達の魔法使いの名称を増やしたいわけでも、こう呼ばれるべきだとも思わないが、引っかかるのだ。


自分の頭の中だけでいいから何か魔女の別称を、女ではなく男の名称を当て嵌めたい。



「それで出てきたのが魔男て……」



今度こそ落胆した魔法使いは腹に何か入れる事にした。

転移先を選びながらも魔男が頭から離れない。

胃の事などお構いなしに肉汁滴るラグアにかぶりつきたくなった魔法使いは、山岳都市国家サンザに転移した。


霊峰の麓に構えられたサンザでは牧場や農業が盛んだ。

特にサンザで育てられた家畜ラグアは他の地域より肥え、且つ味が濃縮されている。

栄養豊富な雪解け水で育てられた餌を食べているおかげだ。


サンザの緑美しく新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込み食堂へと向かう。

晴天の少し肌寒い風は濁った思考を洗い流し、絡まった脳内を解いてくれるようだった。


食堂の入り口を潜ると威勢のいい声が飛んできた。



「いらっしゃい旦那ァ!空いてるとこ座ってくれぇ」



旦那。

旦那とは。

何となく男性客に対して用いられる名称だ。

女性ならお嬢さんなどが該当するだろう。


いやいや今は腹を満たしに来たんだ、余計な事を考えるんじゃない。



「ラグアの骨つき肉を2つ……いや、3つで」



「はいよぉ〜っ!!ああそうそう、旦那はどっちが良かったんでしたっけ?」



ここで言うどっち、とは、料理人が一般人か魔法使いかを聞いている。

一般の器具を用いて通常通りに調理を施すのか、

魔力が通った魔具を用いて魔法による調理を施すのか。


魔法使いには重要な事だ。

何故なら、魔力には味が在る。


と、されている。


まあよく在る話だ。2つの派閥が論文で殴り合っている。

味が在る派、味が無い派で。


私個人的には断然味が在る派だ。

無いなんていう奴は味覚が存在していないんだろう。



「手が空いているなら魔法でお願いしたい」



「はいよ〜っ!!

ビルベイドーっ、ラグアの骨つき肉3つ!

127番テーブル!!」



ここサンザ大食堂は3000を超えるテーブルがあり、四六時中人でごった返している。

給仕係の人数は30人。1人100席を担当し、100の料理人が作る料理を素早くテーブルへと届ける。


だが例外もある。



ボンっと若干の煙と魔力を漂わせながら目の前にラグアの骨つき肉が並んだ。魔法調理の良いところはこの速さにもある。

とても一瞬で出来上がったとは思えない焼き加減だ。

通常は肉を回しながら焼き、ソースを少しづつかけ肉汁と共に旨みを中に閉じ込める。

だから注文してから出てくるまでに時間がかかるのだ。それを一瞬で、かつ何時間もかけたかのような焼き具合で、堪らない。


3日ぶりの食事は胃を強く刺激しながらも脳内を幸福で満たしていく。


ビルベイドと呼ばれた魔法使いがこれを調理したのだろう、中々の味だ。魔力の風味が香辛料に似ている。

とても美味い。


魔法を用いて調理を施す者の名称はなんだろう?


魔法シェフ?魔法調理者?魔法料理人?

…………魔理人(まりびと)


いやいや、やめだ。

折角の肉が不味くなる。


気付けば食事も終盤、至福の時間はあっという間だ。


食後の飲み物は決まって八葉茶やつばちゃだったのだが。



「旦那ぁ申し訳ねえ。

八葉を仕入れる行商人が遅れててな、ラウが遅れるなんて珍しいんだが……。

どうだい今日は?美味い酒が入ってるよ?」



「ふむ」



酒は飲まない主義だが、凝り固まった思考を解すには丁度いいのかも知れない。



「では一杯貰おうか」



運ばれてきたのはグラス一杯の酒、中身は淡く紫に光っている。



「シードニ酒って奴でさぁ!

今年のシードニは豊作で粒もデカくて糖度も高いって話です。ささっ、どうぞ飲んでみて!」



シードニ、聞いたことがあるな。

熱帯地域で取れる紫色の甘い果実、だったか?


口に含んだ瞬間、そのすっきりした甘さと飲みやすさ、そして芳醇な香りに圧倒される。



「!……これは、美味いな」



「そうでしょう!しつこく無い甘さで喉越し爽やか、鼻から抜けるシードニの香りが後を引くんでさぁ!

もう一杯どうです?」



「……いただこう」



その後、計5杯程シードニ酒を飲み食堂を出た。

フラつく程では無いが体の動作に若干のズレがあるのを自覚して、自分で転移するのでは無くサンザの転移門を使うことにした。

転移法陣に行き先を告げ門を潜る。


魔法院ルルアクは相も変わらず聳え立ち、歴史を感じさせる香りに気分を新たにした。


さて、また考えるか。



「いっそ枠から大幅に外れてみるか……」



畏まる必要などない、歴史も伝統も無視して思考の奥底から湧き出る声に耳を傾けよう。

そうだ、大事なのは響きと語呂だ。

さあ私の脳みそが気持ちいいと感じる言葉の響きを紡ぎだせぇ~……。


さぁ~……、どんどんこぉ~い……。


……さぁ~……。


……。


……あんれぇ~……?



「……いかん、飲みすぎた」



慣れない酒に完全に酔っぱらっているようだ。

思考の纏まりがつかない。

シードニ酒、案外度数が高いのか。


そういえばシードニの収穫は男性しか行えないと聞いたことがあるな。

シードニを女性が収穫しようとすると実った枝を鞭のように扱って実をぶつけてくるん、だったか……?

実も傷つくし味も落ちる、だから男性しか行えない……。

男性の収穫者を指す言葉があったな、確か……"ラーニ"、そうラーニだ。

女性でも遠隔魔法を使えば収穫できるのだろうか?

いや、魔力に味があるように女性、男性の魔力波長を読み取るかもしれない……。


あぁ、魔力波長を古い言葉でなんというんだったか……。

エルフ語の訛り、エルフは魔法を風と表現する事がある、魔法を風に例えるなんて素敵じゃないか。

んん……、魔法の風。風とはエルフ語で"ルー"、魔法は"ヴェリスタ"……。


混ぜ合わせて……。



「ヴェルーニ……」



酔いつぶれてソファに倒れこんでいた魔法使いはエビ反りに跳ね起き、インク瓶に指を突っ込むと自室の壁に書き殴った。



"ヴェルーニ"



「クックック……良い、良いではないかッ!!!」



インクが付いたままの右手を顎に添え、左手は腰に添え、足を大きく開いて壁の単語を繰り返し呟く。



「ヴェルーニ、ヴェルーニ……!いいぞぉ~~~~!!!!」



なんという解放感と達成感なのだろうか。

絡まっていた紐が真っすぐになるように、

書類が散らばっている部屋が塵一つなく片付けられたように、

澄み渡る思考に一滴おちた淀みが消え去っていく。


これはどの本にも載らないものだ。

だがそれが良い。

それもまた此度の達成報酬なのだから。

自分の頭の中だけに仕舞っておくのだ。


コンコンっ



「はっ!!?」



不意に扉をノックされ動転。

なにしろ、誰にも教えないと今さっき決めたばかりなのに壁にデカデカとヴェルーニの文字がある。

同法なら必ず聞いてくる、そして詮索する。

言葉の意味と理由を教えようものならすぐに本を出し自らの功績とするだろう。


そうであってはいけない。


最近の同法たちの動向は少々礼を失するものが散見されているような気がしてならない。

魔力の味を最初に唱えた魔女イルベタは、その後の論文争いに呆れて今は別の研究を行っていると聞く。

それは……なんだか残念な気がするし、同法たちの行動には間違いを感じずにはいられないのだ。


ところで話は変わるのだが。

壁についたインクを一瞬で拭い去る魔法はないだろうか?


最後の手段として魔法使いは両手を大きく広げて壁に覆いかぶさった。


コンコンっ



「はい……どうぞ」



「夜分、遅くに、失礼、するわ。

とっても気分の良い、波長を、感じたから、訪ねて、しまったの」



「あ……貴女は……っ!?」



背中越しでも十分すぎるほど感じる魔力、何故扉越し、いやルルアクに居られるのに気付かなかったのか。

その称号は世界でただ一人に贈られる魔法の頂、至法ルファシア・リノ・アリデキアが魔法使いの部屋に訪れた。



「あら~、びっくりして、るわね。ウフフ。

そういう反応見るのが、楽しくて、つい、気配を消しちゃう、の。

それ、で?なにか画期的な魔法でも、発明、したの?

とっても素敵な、魔力波長、だったわ、よ?」



「いや……それは……」



至法を前にしてよく言い淀むことが出来たと自分を誇りに思う。

先に述べた同法たちのようなことを、至法は決して行わないだろうしそう考えることすら不敬だ。

だが!そうだとしてもこれだけは譲れないのだ。



「教えることは……できません!!」



次にどうなるか。

魔法使いは、いやヴェルーニである彼にはよくわかっていた。


無理やりにでも心に侵入して……。



「そう、なのね……、残念、だわ……」



なん、と。


妖艶さを欲しいままにする美貌、そこからは想像もできないほどに少女の顔をして悲しむ至法。


まぁ……単語を見せるだけなら……いいのかもしれないなぁ……。



「至法様、お願いがあります。これから壁に描いた単語をお見せします、

 が、それについては他言無用を誓っていただけますか?」



「はいっ!誓い、ます!」



未知のものを前にわくわくしている様は、

率直に言うともう可愛いさだけが残る院生のようだ。


ヴェルーニは少しづつ壁から離れ、それと同時に壁ににじり寄る至法。



「ヴェルーニ、と、読むのよね?」


「はい」



意味は聞かないでくれぇぇ~、と渾身の祈りを心中で捧げる。



「ヴェルーニ、意味は、分からない、けれど、いい響きね。

 きっと、貴方にしか、意味が、分からない、からいい響き、なのよね?」



片目を閉じながら微笑みかけてくる至法。

その後こちらに何も問うことなく扉に行き短く挨拶して部屋を後にする至法。



「遅い時間、なのに、ごめんなさい、ね。

私は、しばらくルルアクに、滞在する事に、したから、ではこれで失礼するわ、

また、お会いしましょう、ね、ヴェルーニ」



部屋に一人っきりになってようやく緊張感が戻ってきたようだった。

シードニの酔いも流石の至法様には勝てない。



「さて……壁の文字をどうするかな、薄く削るか!」



こういうことは魔法に頼りたくない性分なので、授業で使う刻印魔術具を手に取り薄く削いでいく。

夜中のルルアクは少しだけ賑やかだ、院生たちの授業が一斉に終了するからである。

それを耳の奥に感じつつ壁を削る感触を楽しむ。

良い夜だ。


なのになぜ焦燥感が消えないのだろう?


至法様由来の緊張感はもう霧散しているし、それとは少し性質が違う。

なんだ、これ?


燻る感情をそのままに朝一で魔術速報を読み漁る。

だが、やはり杞憂だったようだ。


紙面のどこにもヴェルーニの単語は無く、男性魔法使いの名称についての記事も見当たらなかった。


学食のパルーを頬張り昼の授業の準備を進める。

サンザで飲めなかった八葉茶を淹れて教室に入り、ふと、去り際の至法の言葉を思い出した。



まだ誰もいない教室に陶器の割れる音と小さな悲鳴が木霊した。


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