カリアとヴィンセント.Ep2『素敵な一瞬』
鳥が囀る早朝。
滞在期間の延長を紫紺の便箋に認め宙に放るヴィンセント。
届け先を表す魔法局の刻印が一瞬現れては直ぐに消えていく。
「どれくらい伸ばしたんだ?」
「一週間だ」
「少ねえぇぇ……二、三ヶ月余分に取っても良かっただろうがよぉ」
「溢れるほどの余暇など無い身なのでね、君とは違って」
「一言余計なんだよ!俺だって帰ったらたんまり仕事あるっての。
言い訳ならいろいろとあっただろう?転移門の不具合で滞在を余儀なくされるとか……」
「私の魔法が不備を起こしたと喧伝して回る気なのか?」
「うぐ……、まぁ仕方無いか……。
そんじゃこの一週間遊び尽くさねえとな!」
カリアがぱんぱんっと手を叩くと身に纏う衣装が別のものへと変じていく。
着崩してそれでも窮屈そうな儀礼服から、真っ赤なシャツと真っ白なスラックスへ。
頭に掛けたサングラスと足下を覆う革靴は、唯でさえ軽い出で立ちを見事に遊び慣れている金持ちへと変じさせた。
「どうよヴィンセント、如何にも女の子が寄ってきそうだろ?」
「はぁ……」
累積三十年はくだらない間柄の友が見せる深~い溜息を、
まったく気にすることなく街へと繰り出していくカリア。
遊び呆ける友に見習う点があるとすれば、残りの期間を尽くすという一点のみ。
異なる志と目的をもってヴィンセントもまた街へと繰り出すのだった。
石畳の街道、通りに溢れる人と道を行き交う乗り物。
異なる世界の常識に併せて行動を調整していくのもまたヴィンセントにとっては楽しみのひとつだった。
道を横断するのは縞模様の箇所、手を挙げる子供を参考に自身も手を挙げていたが周囲の目が気になって直ぐに年齢別の違いにも気づいて手を下ろす。儘ならぬ事も恥ずべき事も全ては経験、此処でしか味わえぬものだった。
やがて辿り着いたのは城にも見える大図書館。
古い紙の香りに知識欲を刺激されて門を潜る。
整然とした書架の荘厳さと積み重なった歴史の深みに息を呑む。
編纂に狂うあのエルフが見ていれば発狂していた事だろう。
手に取った本にはこの世界に於ける獣の何たるかが滲み、数々の逸話には教訓と戒めが鏤められていた。
こちらの世界の魔物と魔獣を想像したかのような内容に、
やはり人とは世界が異なってもどこか似通うものなのだと――自論を確として強くする。
やがて読破済みの本の山がグラついた頃……。
閉館時間だと諭されるまで夢中になっていたヴィンセントは辺りが真っ暗な事にやっと気がついた。
しかし、そこまでして様々な文献を読み解いても、この世界に於ける魔力の消失に関しては何ひとつとして得るものは無く、人智の及ぶ以前からという仮説が真実味を帯び始める。
手に掛けた書の大きさ、その規模感は――。想像よりずっと重く巨大なのだと……。
空腹感を満たすため、軽食にと訪れた場所でグラスを片手に白身魚のフライを口に放り込む。
金額的にも内容的にもそれは軽食として相応しい物だったが、
配膳する店員は何故か仰々しく、そして皿の盛り付けも軽食には一見相応しくないような飾りが施されている。
図書館で読んだ近代歴史の内容にその理由が記されていた。
――海の黒化に因る海洋生物の死滅と、青い海を取り戻した再生の歴史――。
我々魔法使いが渡航を許されているのは原則として滅びが間近な世界のみ。
だが世界の滅亡は回避され、故に滞在期間の延長申請に言葉を選ばなくてはならず、得られる時間も希望通りとはいかなかった。
枯れ果てている筈の世界で生を謳歌する人々に、不思議な気持ちになっていくヴィンセント。
滅びの回避という奇跡にそれも当然だと一度は納得する。
魔導に生きるこの三百年、異界の滅びが回避されたなどという話は聞いたことが無かった。
だが、不当なる簒奪が行われたという事実は消えない。
当人達には知る由も無いことだが、それでも本当に幸せだと云えるのだろうか?、と……。
そこまで考えてもこの不思議な気持ちが消えることは無かった。
失って――取り戻した食を楽しみ、
失くして――蘇った笑顔を湛えて、
絶望の淵に在りながら一度も消えなかった希望の灯火が、幸せに揺れるこの光景に――。
それを否定することなど出来なかった。
「……」
何処かの店の、何処かの一角。
隅に腰掛けて人々を見つめる男は、自分が微笑んでいることなど知りもせずにグラスを傾ける。
思考にも至らない泡沫の断片が、言葉に変わって心に浮かぼうとした――その時。
傍の通りで、炸裂音が響き渡る。
咄嗟に施した結界が目には見えない守りとなって店の硝子窓を強化する。
通りを爆走する二台の車、追う者と追われる者。
どこで覚えたのか――口角を引きつらせながらハンドルを切るカリア。
それを追う男達は、怒声を浴びせながら身を乗り出して銃を乱射していた。
「はぁ゛ぁ゛ぁ゛……」
結界を取り払って、朝方に繰り出した溜息を数倍重ねたような息を吐いて……、
宿へと足早に移動しながら今しがた見た光景を忘却する。
――あいつだって魔法使いだ。騒動のひとつやふたつ片付けてから帰ってくるだろう。
甘すぎる見立ては、そう思い込んで早々に休みたいという願望からくるものだったが……。
既に宿へと到着していた二人が軽い悲鳴を上げる。
「なんだヴィンセントお前かよ……おどかすなって……」
ベッドに座る落ち着かない様子の女性とそれを宥めるカリア。
女性はしきりに窓の外を確認したがっていた。
「安心しなよノエルちゃん、此処は安全だ。
こいつは俺の友達のヴィンセント、仏頂面だが頼もしい相棒だぜ?」
得意気なカリアの脇腹を鋭く小突いて囁く。
「厄介事を持ち込んでおいてなんだその態度はっ。
……私たちの正体は?きちんと伏せているんだろうな?」
「当たり前だ、そこまで分別緩んでねえよ……!
さっきだってお前だと分かっててワザと驚いたんだ」
「はぁ……それで状況は?」
「良いとこのお嬢様と敵対組織――、これで大体分かったか?
……おいおいそんな顔すんなって!仕方が無かったんだって!
彼女可愛かったし、あいつらに囲まれて困ってそうだったからちょいと助けてやるつもりで……」
「言い訳は後だ。……こうなっては法の助けを借りるしかない、警察にいくぞ」
「――それはダメッ!」
囁き声の中から警察という言葉を探り当てたのかノエルという名の女性が声を荒げる。
その表情からは必死に懇願する様が見て取れるが、ヴィンセントは毅然とした態度を崩さない。
男達が乱射していた携行兵器――。
元居た世界では、銃士教会のシスター達が厳格な定めの元で使用を許可される銃と呼ばれるものに酷似していた。
教会の興りとそれを支える強力な武装、それを齎した祖の存在が結びつくが……今それは重要ではない。
そんな武装で狙われるほどの厄を、このノエルという女性が抱えているということ。
無法には法を――。
それはどんな世界でも当てはまる厄介事を押さえ込む機構だった。
「頼れない事情がどんなものであったとしても、私たちには関係の無いことだ」
冷酷にも思えるヴィンセントの言葉にノエルは顔を青くさせていく。
嫌な予感がしつつも、ヴィンセントは更に言葉を重ねる。
「法に頼れない、それこそ厄介の極みだ。
清廉でさえない君を助ける義理など何処にも無い」
「――おい」
その怒気は――。
嫌な予感の的中を叫んでいた。
友となって久しく、腐れ縁となって古く、皮肉を交えながらも礼節を重んじる間柄の友、カリア――。
その魔力の煮え具合と云えば、身体の輪郭に沿って景色が歪むほどだった。
「人ひとり助けるのにそんなに理屈が必要なのかよ?ああ?」
元はと云えば自身で呼び込んだ厄に対してこの不貞腐れ方。
ただ見た目の可愛さに引き寄せられただけの関係にこの怒髪。
思えば思うほど、考えれば考えるほどに何故この男と連んでいるのか分からなくなる。
そうしていつも思い出すのだ。
私には無いものを、この男が持っているからなのだと――。
「はぁ……」
そうやっていつも思い知らされるのだ。
「――今回だけだぞ?」
「っしゃあ!」
そんな関係も悪くないのでは、と――。
二人の味方を得て安心したノエル。
そして、束の間の休息を破る銃撃音。
廊下からの斉射――。
咄嗟にベッドを盾に魔力を通わせて補強する。
追っ手を撒く努力を怠った相棒に睨みを利かせる間も無く、補強されたベッドが大破。
三人は揉みくちゃに成りながらも窓から身を投げ外へと飛び出した。
硝子の破片と重力に従って落ちていく身体。
食い込む硝子を、頭から落ちていく身体を、魔法によって偶然を装い操作していく。
無傷で着地した事実をノエルが飲み込むより早く、車に乗りこんで爆走。
階上から乱射される弾丸は致命傷を避けるように逸らされ、地面に刻まれる弾痕が意図的な偶然を描く。
長い夜の始まりを告げるように、鳴り止まぬ銃声が街に響き渡る。
後部座席で恐怖と混乱に支配されたノエルはヴィンセントにしがみ付き、
バックミラーでそれを見たカリアが「俺の役!それ俺の役!」などと叫び、
魔法で弾丸を逸らし続けるヴィンセントは限度が見え始める偶然の装いに苦戦し始める。
魔法の秘匿とは、渡航者である魔法使いには義務であり当然の配慮でもあった。
混乱が及ぶ世界では多少の不可思議など容認される物だが、
ここは滅びを回避した世界であり、異なる要素は往々として悪を呼び寄せるもの。
だが……。
道を行き交う人々の多さとそれに全く当たる気配の無い弾丸は、偶然で乗り切るには少々やり過ぎていた。
かと云って当てるわけにもいかず、更にはカリアの乱暴な運転としがみつくノエルに魔力の操作を乱され高度な隠蔽を施す間が無い。
苦戦に歯噛み喘ぐ中、銃声を掻き消す音が響く。
「……!」
現在地、湖の畔を爆走する車の傍ら、汽笛の音が鳴り響く。
街を縦断する列車が直ぐ側を通っていた。
その瞬間――。
秘匿、逃走経路、理屈、ヴィンセントの脳内で全ての線が繋がる。
飛来する銃弾を頬に掠らせそれをノエルに見せつける。
「このままじゃ死ぬぞ!目を閉じて耳を塞いでいろ!」
秘匿――。
言われるがままノエルは何も見ず、何も聞かないように蹲る。
「カリア!列車が真上に来た瞬間に合わせて、全速力で高架下を突っ切れ!」
「そんなことしたら湖に飛び出すだろうが!」
身動きできない事に加えて水没していく車内を逡巡したカリアは即座に反論するが……。
逃走経路――。
ミラー越しに見たヴィンセントの表情に意を決する。
「ヴェルイドリーヴ――。
セタル、ヘイド、ムコブ、デピネル――」
理屈――。
周囲を確認できない切迫した状況、
銃撃を受けてブレーキの効かなくなった車体、
高架下の沈み込み、
飛び出すに充分な加速。
綴られる詠唱と列車の通る時機、符合していく状況がひとつの帰結に向かって――飛び出す。
「――サイカートティルナッ!」
上がる水柱、水没していく車内。
けたたましいブレーキ音を響かせ、
ぞろぞろと降りては波紋の残る湖畔に向かって乱射し続ける追跡者たち。
車中に取り残された者がいるとすれば、その生存率は限りなく零に近いであろう。
そんな絶望的光景を車窓越しに見送るヴィンセント。
列車の一等席で息をつき、その傍らで意識を失っているノエルと介抱するカリア。
三人はあの車中から無事に生還を果たしていた。
「直轄部隊所属は肩書きだけじゃないと思ってはいたが……。
動的対象の補足と制御に、サイカートティルナ――複数転移呪文か……やっぱり凄えなお前はよ」
「いいや肩書きだけさ。お歴々に連なろうと末端を預かっているだけに過ぎない。
たかが五、六の魔法に院生並みの詠唱まで添えてしまったんだからな」
「失敗が許されない場面で確実に成功させる……、その選択肢を取れるから凄いんだよ。
俺は焦っちまった。あのまま行ってたら秘匿やら理屈やら抜きで魔法をぶっ放してただろうな……」
賞賛を送る程の態度の軟化。
それは荒立った仲の修復と、舞い込んだ一難が去った事を告げていた。
街の明かりも過ぎ――。
車窓から見渡せるのは漆黒の森ばかりとなった頃。
目を開けたノエルは周囲を見渡し、規則正しい揺れと車体の音に、縮こまった身体を弛緩させていく。
「怪我は無いかいノエルちゃん?」
「ええ……ありがとうカリアさん、ヴィンセントさんも、お陰で逃げられました……。
でもどうやってこの列車に……?」
「覚えてない?俺が抱えて飛び乗ったんだぜ?」
「嘘を云うな――」
漆黒の森に視線を向けたまま、ヴィンセントは最後の綻びを繕う。
「君の体重はおよそ70kg、抱える事は出来ても飛び移ることは出来ない。
真相はこうだ。
君が気を失っていた間に追っ手を撒き、駅員の隙を突いて無賃乗車。
辛くも逃げ出すことに成功した、というわけだ。
……今度はこちらから質問だ。
連中が、あれほど熾烈に君を殺そうとした理由は何だ?」
こちらでは当たり前に普及しているであろう銃という兵器。
しかしあの追っ手の数と、水没していく車に向けられた斉射には尋常ならざる殺意がはっきりと見て取れた。
これ程の殺意を向けられる状況に於いて、たったひとりで安易に街へと繰り出すだろうか?
純粋な疑問と当然の推理に当てはまる答えを見たくなったヴィンセントは、
真意を問う瞳を景色からノエルへと向ける。
一時は顔を伏せ口を噤んだノエルだったが、やがて独り言のように自身を取り巻く状況を語り出す。
「あの追跡者達はB.C.……、最近になって急激に勢力を増した犯罪者組織です。
私の父はこの街を動かす権力者ですが、そのやり方は不当と不義に塗れていました。
うんざりした私は家を出て家族の縁を切り、父の息が掛かった警察組織の目を逃れて自立した生活を送っていたのです。
ですが……。
ご存じの通り、最近海が蘇り水産資源の潤いと共に流通も活気を取り戻しました。
当然の様に独占した父と、それを良く思わない連中……。
長くなりましたが質問にお答えしましょう。
今更私を人質にとっても父の力を削ぐことは出来ない。
ですからきっと、――見せしめに殺すことにしたのでしょう。
当然逃げることも考えました。
街裏からの殺気が日増しに大きくなっていくのを感じなかったわけではありませんから……。
だけど、これ以上影響されるのも嫌だったんです。
警察に頼れば縁を切った父に頼ることになる……。
ここから逃げれば、生まれ育った街を父のせいで失うことになる……。
だから意地になって――」
深刻に語るノエルの傍らで、より一層深い悲しみに暮れるカリア。
恐らくは魔力の感応でノエルの表層心理の波動を一身に受けている故のことだろう。
対するヴィンセントと云えば、その表情は一切変わらない。
何故なら。
語られたそれは、――どこにでもある生い立ちに過ぎない、からだった。
彼は無感情や無表情に努めているわけではない。
悲しさに目を伏せることもあれば、他人の幸せに微笑むことだって出来る。
微動だにしない心に、突きつけるにはあまりにも残酷な言葉が浮かぶ。
――父親から逃げているだけ。
どこまでも真実で、だがそれを責めることは誰にも出来ない。
誰かから揶揄されることも、自身で気づいてされど行動出来ないとしても、
それを受け容れることしか出来ないのだから。
ヴィンセントという魔法使いに、不可能を嘆く魔力は存在しない。
無力を嘆きどれだけ血の涙を流そうとも、
喉が破れ血を吐きながら虚空に吠え立てようと、
返るものなど何も無いのだから。
「母が亡くなって、それから父は変わってしまった。
幼い頃は何もかも違ってた、優しく笑う母と傍で微笑む父が居たんです……。
夜眠れない私に二人がよく絵本を読んでくれました……。
魔法使いの女の子が小さな幸せを皆に届けるあの物語が……今でも夢に出てきて……。
その度に、私にも魔法が使えたらなんて……っ……子供みたいな事を本気で考えてた……」
滲む涙を見せまいと顔を覆うノエルと今や下心も無くしたカリアの手が肩を叩く。
二人揃って声を上げて泣くまでにそう時間は掛からないだろう。
無力を嘆き、虚空に吠え立てる無駄を知り尽くしているヴィンセントは――。
魔力を失った世界で語られる魔法使いへの憧憬を、
今や自身が思う以上に胸を打つようになった嘆きを、
魔法使いとしてどう受け止めてやるのが正しいことなのか――、終わらぬ思考の中で苦しんでいた。
――あのカリアでさえ、分別を持って気持ちを抑えているというのに。
渡航先での魔法の使用は生命の危機に瀕した場合のみ。
それだって秘匿と隠蔽は必須。
逃走のために理屈を貫き通したのは何の為だった?
要らぬ悪を寄せ付けず、転じて災いを防ぐ為だったじゃないか。
滅亡を回避した世界で大立ち回りをするような愚行が許されて良い筈が無い。
滞在期間の延長も直轄部隊直々の調査という名目で引き延ばして貰った筈だ。
なのにどうしてこんなにも叫びたくなっている?
秘匿も、隠蔽も、理屈も抜きに、この子を助けたいなどと……。
「――信じる心は在るか?」
涙で滲む視界のまま、ノエルはその目を見た。
淡い緑の瞳――。
新芽の様な青さはなく、かといって老木の様な深緑でもない。
何処にでも在って何処にも無い、
吹く風に色が在ればきっとこんな色をしているのだろうと思い描く色。
問いかけの意味を理解するより先に、淡い緑の瞳に頷いてみせる。
嘆く心の片隅で、取り憑かれたように過去ばかりを見ていたから。
何かが切っ掛けで、あの日に戻れるんじゃないかって、根拠も無しに信じていたから。
「ヴィンセント……お前……」
秘匿の開示を思わせる言葉に、カリアはノエルと同じようにヴィンセントを見つめる。
その内心は驚きや感心よりも後悔の念で満たされていた。
力や技巧の比較をすることに意味は薄くとも、
その誠実さでは比較することが烏滸がましいほどの差が両者にはあった。
善悪を図ることに理由は無くとも、
魔法使いとして胸を張れるのは疑いようも無くヴィンセントの方だった。
共に影響を与え合う間柄。
それは聞こえの良いだけの大層な言葉。
ただの友人、それがカリアの望む関係だ。
悪友であるなら尚更良い。
素行の悪い魔法使いとして生きてきた自分が唯一心を許せる関係になれるから。
――悪事を働くなら、それこそ俺の役目だ。
「ヴィンセント、俺――」
思いの丈を明かそうとするカリアを手で制す。
念思で届いた気味の悪い思いやりに、
『二人で被るに決まってる。私だけ悪者になる気は無いさ』と、いつもの調子で返されて……。
沈みかけていた顔に活気が、震えていた魔力に芯が通る。
終点間近。
広げきったカリアの探知魔法に怪しい反応が多数。
駅に漂う物々しい雰囲気を察知してか――。
偶然にも、下車するのは三人だけ。
偶然にも、駅に人は居らず。
――必然、列車を背にした三人、対、銃を向ける追跡者三十人の構図が出来上がった。
「こいつら結構優秀なんだな」
「……ふむ。
水没した車の確認を済ませ、
直前に走っていた列車と結びつかせる直感が無ければ……確かに追ってはこれないな」
「あの父と敵対しているんです。
異常なまでの執着と獣の如き執拗さが無ければとっくに諦めている筈ですので、納得は出来ます……」
追跡者の奥から白ハットを目深に被った男が歩み出る。
脱帽して現れる眼光は鋭く、眉間に刻まれた縦皺が垂れる灰色の髪の奥で一層深くなった。
「ノエル・アイト・ヴェレス……で、間違いないな?」
足取りを若干震わせながらも一歩前へ出るノエル。
「半分捨てた名ですけど、ええ……間違いありません」
「ほぉ……怖くはない、と。
そちらの二人は新しいボディガードかね?余程優秀なのだろうな。
現に、小娘一人を殺すのにこれほど時間が掛かってしまった。
まあいい、それも此処までだ。
せめて美しい血花を咲かせたまえ、それを以て我らB.C.の狼煙としようじゃないか。
――撃て」
笑みも浮かべず、心底どうでもいいと言うように吐き捨てられた死の命令。
銃口から火花が瞬き、弾丸が身体を肉塊に変えるその刹那。
在りもしない時間の中で、ノエルは確かにその声を聞いた。
『信じているならそこを動かず――』
『――目は閉じないでいてくれよ?』
重なる炸裂音に反射で蹲ろうとする身体を何度も抑え、
掠める風切り音に瞼を何度も閉じそうになりながら、
ノエルは最期の最後までその声を信じ切る。
数十秒は続いたであろう斉射。
充満した煙が一陣の風で払われ、そうして現れた光景に、
白ハットの男は驚愕を通り越し否定を叫ぶ。
「莫迦な……ッ!」
三人が背にした列車、そこに刻まれたのは偶然を優に超えた奇跡の具現。
――身体を縁取るように刻まれた夥しい弾丸の痕。
尚も否定を強めると懐から銀の銃を引き抜き、
外すことが難しい程の近距離でノエルへと撃ち放つ。
信じる心で奇跡を垣間見たノエルは炸裂に目を閉じず、もう一度その目に焼き付ける。
捻じ曲がる理――。
直後に響いた鈍くも甲高い音は、肉も骨も血さえ散らさず、痕へと加わる弾丸の音。
否定から狂気へと陥った男は配下に喚き散らしながら後ずさるが……。
犯された理――。
落下して転がっていた銃に足を取られ、倒れ込みながら振り向く。
そこに在ったのは黒スーツに包まれた花びら、数にして三十の花の塊。
散らばるヒナゲシの赤に何を視たのか――、遂に男は恐怖に駆られて逃げ惑う。
二度、三度と。ノエルの目の前で信じられない事が立て続けに巻き起こった。
それに放心することは当然だったがノエルは確証が欲しかった。
この現象を引き起こしたのは、心の中で響いた声は、背後で控える二人のものなのだと……。
答えを得ようと振り向いて、言葉を失くす。
書斎――。
家族の思い出と、その縁を切り捨てた場所。
家族写真を握りしめて俯いていたのは……。
「父さん……」
音も無く現れた娘に驚愕しながらも、駆けだして抱きしめる。
涙ながらに語るはこれまでの全て。
母の死で動転していたこと、
悪辣に身を窶そうと娘を守りたかったこと、
そんな娘を二度も失うことになる己の不誠実さを……。
父の止まぬ後悔が溢れ、娘がそれを受け止める。
それは何処にでもある光景だった。
仲違いが修復され、嬉しさや感動から涙を流し笑い合うそんな光景。
だからこそ、此処にはもう何も要らない。
書斎の、開け放たれた扉の向こう側。
長廊下の中程で顔を見合わせるカリアとヴィンセント。
バツが悪そうでいてそれでも誇らしさから笑みを浮かべる。
答えを得ようとしていたノエルに、
今や疑いようがない程にその答えを突きつけながら。
父の背中越しにこちらを窺うノエルに向けて、その答え合わせと言わんばかりに、
パチン――と指を鳴らして姿を掻き消す。
瞬きの合間であるとか、幻であったという言い訳もきかない。
幼い頃に信じて止まなかった心が、大人に成っても信じ切った末に報われた、素敵な一瞬であった。




