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ホラー

歯医者で名前が呼ばれません

作者: 鞠目

「太田さん、診察室へお入りください」

 受付のお姉さんの案内で、隣に座っていた高校生ぐらいの女の子が立ち上がり診察室に向かって歩いて行った。私の番はまだみたい。


 虫歯になった。

 毎食後ちゃんと歯磨きしていたのに……こまめに歯間ブラシもしていたのに……なんで? キシリトールのガムを食べるのをたまに忘れていたから?

 奥歯が痛い。とにかく奥歯が痛い。最初は冷たいのがキンときた。じくじくと尾を引く嫌な痛み。そして、今週とうとう熱いものを食べた時にも痛みが走るようになった。もう気のせいで済ませられない。日曜日の昼下がり、私は諦めて近所の歯医者さんを調べた。


 私は歯医者さんが嫌いだ。あの清潔感のある雰囲気も、独特の匂いも、それから音も。あの薬品臭とキーンとかガガガーといった音。無理、絶対に無理。そこに理由なんてない。とにかく無理なものは無理なんだ。

 実家にいた頃は、お母さんがうるさかったから、仕方がなく真面目に定期検診に行っていた。でも、社会人になって一人暮らしを始めてからは一度も行っていない。だって特に歯は痛くないし、歯磨きもちゃんとしてるから大丈夫だと思っていた。思っていたのにな……


 歯医者さんを検索してびっくりした。思っていた以上に近所に歯医者さんがたくさんあったから。歯医者さんはコンビニなの? と思うぐらいたくさん検索結果が出てきた。

 たくさんの候補の中で、『無痛治療』と書かれたところを中心に見ていく。だって痛いのも嫌なんだもの。同じ虫歯治療なら、痛くないに越したことはない。

 いくつかの候補の中から絞り込んでいく。そして、自転車で15分ほどの所にある、比較的できて新しい歯医者さんに行くことに決めた。もちろんホームページのトップ画面には『無痛治療』の文字がある。口コミもよさそうだし安心だ。

 診療時間を見ると、日曜日の今の時間も受け付けていた。事前予約なしでも大丈夫そうだったので、私は急いで歯磨きをして家を飛び出し自転車にまたがった。


「水野さんですね。予約の患者様が優先となります。少々お待ちください」

 問診票を書いて渡すと、受付のお姉さんが笑顔で受け取りながら言った。そうだよね、予約の人が優先よね。待合室を見ると、私の他には4人。歯医者さんの建物の外観は、コンビニよりも一回りぐらい大きかった。きっと診察室も広い気がする。すぐに名前が呼ばれるはず……


「山口さん、診察室へお入りください」

 問診票を渡して10分が経った。まだ私の名前は呼ばれない。私の後に2人患者さんがやってきて、すぐに名前を呼ばれて診察室に入っていった。


「鈴木さん、診察室へお入りください」

 問診票を渡して20分が経った。まだ私の名前は呼ばれない。今、待合室には私のほかに7人いる。私は予約せずに来たことを、だんだんと後悔し始めていた。


「水野さん、ご予約の水野こまちさん。診察室へお入りください」

 問診票を渡して30分が経った。やっと私の番だと思ったら、同じ苗字のお婆さんだった。私は呼ばれたと思って浮かせた腰を、何事もなかったかのように再び椅子に下ろした。

 サラサラとスマホの画面を滑らせる。いつもなら特に意味もなくスマホを見ているのに、時間潰しのためとなるとなんだか飽きを感じる。早く呼ばれないかな……あと5分待ってみてそれでも呼ばれなかったら今日は出直そうかな。歯の痛みは薬局で痛み止めを買ってなんとか我慢しよう。


「水野さん。診察室へお入りください」


 ふと冷たい声が待合室に響いた。さっきまで案内していた受付のお姉さんの声じゃない。声がした方向を見ると、診察室の入り口の前で白衣を着た女性が立っていた。長い髪のせいで顔はよく見えない。


「水野さん、水野薫さん。診察室へお入りください」


 診察室の入り口の前の女性がまた名前を呼び、待合室に冷たい声が響く。小さいけれど空気を割くような冷たい声。水野薫……あ、私だ! 私は慌てて腰を上げた。


「お待たせしました。どうぞこちらへ」


 白衣の女性は私に笑顔を向けてくれたみたいだけど、何故か口から上がはっきり見えなかった。赤い唇がとても印象的だ。綺麗だけれどなんだかちょっと怖い。

 女性に連れられて診察室の中に入る。診察室の中は広く、やっぱり思ってた通りたくさんの診察台があった。なんとなく何か変な気がしたけど、前の白衣の女性がすたすたと歩くのが早いので、考える余裕なくついていった。

 白衣の女性は診察台が並ぶ部屋を通り過ぎ、その奥にある小さな部屋に私を案内した。小部屋の中には診察台が一つあるだけで他に何もなく、真っ白で殺風景だなと思った。


「こちらへお座りください」


 小部屋の中の診察台に座るように言われた私は、言われた通りにした。小部屋には荷物置きすらなく、悩んだ結果持ってきたショルダーバッグは膝の上に置いた。

 白衣の女性は私に紙エプロンをつけると診察台を倒した。私は仰向けの姿勢になり下から女性の顔を見た。不思議なことに下から見上げても女性の顔は口よりも上がはっきり見えなかった。


「先生をお連れしますので少々お待ちください」


 女性はそう言うとにっこりとして部屋を出ていった。口角がキュッと上がっていて口は綺麗な形をしていた。

 また待たなくちゃいけないのか。でも、やっと診てもらえる。もし虫歯がひどくて何回も通わないといけなくなったら嫌だな。出費が痛いなあ。そんなことばかりが頭の中を駆け回る。

 私はぼーっと天井を眺めてみた。真っ白で綺麗な天井だ。ふと、やっぱり何が頭の中で引っかかった。診察台はたくさんあってどれも誰かが治療を受けていた。でも、何かがおかしい。何だろう……

 あ、そうだ。誰も出てきてなかったんだ。

 待合室に40分近くいたのに私は診察室から出てきた人を一人も見ていない。何人も何人も予約の人が中に入って行ったのに誰も出てこないなんてありえないんじゃ……


「お待たせしました。診察を始めます」


 気がつけば目の前に先生と思われる人の顔をが見えた。私はびっくりして体が固まった。

「あ、はい、お、お願いします」

 私はなんとか自分を落ち着かせて返事をしたが、心臓がばくばくしていた。あまりにもびっくりし過ぎて直前まで何を考えていたのか忘れてしまった。後で思い出せばいいや。

 先生の顔を見るとメガネにマスクをしていて男の人ということしかわからなかった。年齢は40代ぐらいだろうか。なんとなくかっこよさそうな雰囲気がある。


「右下の奥歯が痛むんですね? 順番に見ていくのでお口を開けてください」

「はい」

 私は促されるまま口を開いた。先生が私の口の中を覗き込もうとした。まさにその時だ。


「水野さん、本日初診の水野さん。診察室へお入りください」


 診察室の入り口の方向から受付のお姉さんの声が聞こえた。そして同時に先生の動きが止まった。


「水野さん、水野薫さん。いらっしゃいませんか?」


 離れているせいか小さくしか聞こえないけど私の名前を呼ぶ声が聞こえる。

 どうして? どうして今受付で私の名前が呼ばれているの? もしかしてまだ私の診察の順番じゃなかったってこと? じゃあ私の目の前にいるのこの人は?

 訳が分からず私は目の前の男の顔を見ようとした。でもその時にはもう口の中に男の手が入っていて、口の中を針のような何かが刺した。鋭い痛みを感じた瞬間、私の意識は遠のいていった……






 閑静な住宅街の外れにひっそりと佇む廃墟がある。かつてそこは歯科医院だった。無痛治療をうたったその歯科医院は腕もよく口コミも好評で、開業当初はかなり賑わっていた。

 しかし、それはもう過去の話。この歯科医院はいつの間にか潰れていた。潰れた原因は金銭トラブルや医療事故、院長と歯科衛生士の不倫など様々な噂が流れているが真実は誰もわからない。いつの間にか人気がなくなっていき、気が付けば廃業していた。そこで働いていた人たちがどうなったかもよくわかっていない。


 この廃墟には妙な噂がある。今もこの歯科医院を調べてやってくる人が後を絶たないという噂が。

 廃墟を見ておかしいと気づき引き返す人、通りかかった人に歯科医院について聞く人が定期的にいるそうだ。聞いた話によると、その人たちは決して廃墟マニアではなく、歯の治療のために調べてやってきたという。中にはもう閉鎖されて閲覧できないはずのホームページを見て来たと話す人までいるんだとか。

 しかし、中には気づかずに廃墟の中に入ってしまう人もいるらしい。張り紙やロープで中に入れないようにしていても無理に入って行ってしまうそうだ。

 そのせいだろうか。歯科医院の駐輪場だった場所には何度撤去しても半年ほどで放置自転車がたまっている。



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― 新着の感想 ―
そもそも歯医者って時点で怖いのに、それがホラーと結びつくと怖さマシマシですよ…… 日常の片隅で、もしかしたら本当にこんなことが起こっているかもしれないと思わせる文章も素晴らしい!
[良い点] 私も歯医者通いをしたことがあるので、 待っている時の心細さ、不安さが思い出されるような物語でした。 主人公はうっかり違う世界に迷い込んでしまったようですね。 [一言] 全くの偶然ですが、キ…
[一言] 結局、歯医者の正体ってなんだったんだろう? もしかしたら生きた人間で、治療に来ていた人たちを誘拐していたとか? んなはずないか(;'∀') 廃墟ということで、ほの暗い水の底からを思い出しま…
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