カガミオニ
先日、第一章の連載を終了した『手まりの森』に続く、2作目の執筆となります。
夏の暑さに一時の涼をお届できれば幸いです。では、はじまりはじまり。
…1…
「オコノギの奴、これで死んでくれたらラッキーだよね」
アカネは悪戯っぽい表情で嬉しそうにつぶやく。
「あんた、真面目にやんなさいよね。マジ死んで欲しいんだから、あいつ。それにコレ、危険な儀式だって、あんた自分で言ってたじゃん」
と、ミク。
茜、美久、真佐子、紗由理の4人は道亜女子中に通うクラスメートだ。
次の週から夏休みという7月の終わり、暑さに耐えかねて登校時にマスクを鼻下に少し下げていた4人は、丁度〝門番〟で校門に立っていた担任の尾此木から――不謹慎だ――とインネンをつけられ、その後、職員室でねちねちと30分もの間説教を受けていた。
「だいたい意味不明なんだよね最近の大人が言ってることって」
ミクは、未だ怒りが収まらない様子で棒型ライターを蝋燭の受け皿にチン、チン、とやっている。
「そうそう、そもそもウィルスだったら余裕でマスク素通りでしょ。馬鹿な大人の間抜けなルールに私らが無理やり合わせてやってんだからねぇ~」
グループの宿題係のサユリがミクの伴奏に合わせてもっともな台詞をのたまう。
「知ってた?オコノギって奥多摩の方から来てるんだよ。毎日、混み込みの電車に長時間乗ってるアイツの方がよっぽどバイキンまき散らしるって。あー腹立つ」
普段はおとなしいマサコが珍しく声を高めている。職員室でのやりとりで尾此木がマサコに放った一言「お前の所のご両親は古い人だからマスクも昭和っぽくて小さいんだな」が、よほど頭にきていた様だ。
――鼻まで被ってないとマスクは意味がない――
――お前らは日本のお年寄りを殺す気か――
「あほか」
頭の悪そうなくだらない説教を職員室中に聞こえるような大声でべらべらと捲し立てた揚句、〝着信音が鳴った〟という理由で全員の携帯電話まで取上げた尾此木。
「放課後まで没収な。そもそも子供にこんなものは早いんだよ……」
――ふざけんな――
4人は憎っくき独裁者の姿を思い出しながら、蝋燭のあかりだけが灯る薄暗い6畳の和室で、ゆらゆらとオレンジ色に照らされる互いの顏を見合わし小さく頷き合う。
普段から理不尽な理屈をこねまわしては、かりそめの威厳を振りかざし、生徒をいびり倒している無神経な中年……実はロリコンで、運動会で撮った変な写真を隠し持っている変態ジジイ……
今、その尾此木に彼女らの制裁が下ろうとしていた。
「あいつは死んで当然の下衆ヤロウだ」
誰かが小さく言った。
「じゃぁ、そろそろはじめますか」
発起人のアカネは、不敵な笑みを浮かべながらポケットから用意してきたA4サイズの紙片を取り出し、全員の前に広げて見せた。
4人は、書かれたメモ内容を慎重に目で追っていく。
*********
~カガミオニ(オニあそび)~
鏡の中に住む「オニ」の力を借りて、
嫌いなヤツをあの世に送るギシキ。
<必要なもの>
・三面鏡
・あの世に送りたい人の写真(その人だけが写っているもの)
・ローソク3本
・懐中電灯
・オニあそびをするメンバー(必ず4人でやる)
<オニを呼び出す方法>
①暗い部屋に三面鏡を置き、鏡の前でローソク3本つける
②いけにえの写真を鏡の方に向けて貼る
③全員で手をつないで鏡の前で呪文をとなえる
『これあげーけんこっちおーえで』
『おにっこしえーなぁこっちおーえで』
④呪文を3回くり返す。ローソクが消えたらオニが来た合図
・合図がきたら写真をはがして三面鏡をすぐ閉じる
・ローソクが同時に全部消えた時は鏡に光を当てて儀式をやめる
・ローソクが反応しなかった場合は儀式失敗
⑤次の日の朝まで全員が〝オニ〟に見つからなければ願いが叶う
(※朝、写真が変化していたら儀式成功)
<絶対に守ること>
・儀式は1日1回しかやらないこと
・鏡の中にオニが見えた場合は、すぐに目をつぶること
・オニに『もーいいかい?』と尋ねられたら『まーだだよ』と返すこと
*********
「この大きく書いた呪文の所、絶対間違えちゃダメだからね」
アカネが真剣なまなざしで念を押す。
「そうそう、気になってたんだけど、この儀式ってどこで知ったのアンタ?」
ミクはメモをまじまじと見ながらアカネに問いかけた。
「2組の水越さんに教えてもらったんだよ」
水越という名前にサユリが素早く反応する。
「水越さんて、あの生徒会の子?……」
「生徒会の水越さん?超有名人じゃない!」
マサコが突然会話に割り込む。サユリは滅多にみせないマサコの過剰反応に少し驚き、マサコの鼻孔を指差して苦笑いする。マサコはむっとした表情でそれに答えるが、すぐに満面の笑みで言葉を続ける。
「我が道亜中の超秀才でしょ。……アカネ、あの人と仲良かったの?」
「昔はね。家が近くでさ。小学校の時は良く遊んでたんだけど、あそこのママが嫌な女でさー、中学入ってから変わっちゃったんだよね~。『ママが~』とか『勉強があるから~』とか言って、全然付き合い悪くなってさー……家に行くと、玄関のすぐ横の窓からじーっと睨んでんだよ。その子のママが」
「うわぁ~。超キモイ。……て言うか、ちょっと可哀そうだね水越さん……」
マサコが気の毒そうに言う。
「そう、可哀そうなんだよ。……なんかママには禁止されてるらしいけど、今でもたまにチャットで喋ったりはしてるんだ。……で、その子がこういうの超詳しくてさ。ネットで見つけたサイトで知った良く効く〝まじない〟なんだって。秀才のイチオシだからね~、期待値高いよ~」
鼻息を荒げて自慢げに話すアカネにサユリが水を差す。
「あんたと水越さんじゃねぇ~。あんた、水越さんのこの間の模試の成績知ってる?東京で20位以内だったらしいよ。……私が水越さんのママでも言うかもね〝アカネちゃんとはお付き合い控えなさい〟って。くっくっくっ」
「はーっ!?何言ってんだテメェ、こんのくそサユリぃ~……」
アカネが子猫の甘噛みのようにサユリの首を絞め、サユリもまたアカネの首を絞めて仲良くじゃれ合う。
「ちょっと、あんたたちいい加減にしなさいよね。マサコのお母さんたちが帰ってくるの
7時って言ってたし……もう1時間くらいしかないからね。時間」
毎度、こういう状況で全員を仕切るのはミクだった。
「はぁ~~い」
「ほぉ~~い」
離れ際に、サユリの奥の肩をチョンと触るアカネ。サユリはギョッとしてその誰も居ない方向を振り向く。アカネの悪戯に肩パンチで対抗するサユリ。
「アンタら、いい加減にしな!」
ミクが軽くキレ気味で吠えた。
プッとマサコが吹き出す。
「でも、コレがうまくいったとして、次の生贄がちょっと嫌なんだよね。知香……水越さんにお願いされてる二人目の生贄……」
思い出した様にアカネがボソッと呟いた。
「そう言えば何か言ってたね。オコノギで成功したら、もう一人あの世に送る人が居るからって……まさか水越さんのお願いだとは思ってもなかったけど」
と、サユリ。
「あんな清廉潔白そうな子が、あの世に送りたい人って………誰よ?一体?」
ミクが怪訝そうな顔で尋ねる。
「ママだって」
「え?」
驚いて聞き直すミク。
「自分のママだって。……死んで欲しいんだって」
アカネの言葉に全員が口を閉ざしてしまう。
サユリが深くため息をついた。
「まぁねぇ~……私もウチのパパは、居なくてもいいよなぁって思ったりするし」
…2…
「みんな、儀式が終わるまで、絶対に手は離さないでね」
アカネは一人一人の顏を順に眺めながら最終確認をする。
開いた三面鏡の中央の鏡の下部には尾此木の写真がセロハンテープで貼られている。
写真の下にはアカネが用意した儀式のメモが全員で見れるよう立掛けられ、鏡台の部分に置いた大きめの平皿の上では火の灯った3本のローソクの炎が静かにゆらゆらと揺れている。
三面鏡の前の4人は、前列右前はアカネ、左がサユリ、その後ろにマサコ、右端にミク、という順で並び、前列二人は座り、後列二人は立膝、という形で陣取っている。
前列のアカネは左のサユリと手をつなぎ、サユリの左手は後ろのマサコに握られ、そのマサコの右手をミクが握っている、という形だ。儀式を緊急中止させる懐中電灯はミクの右手に握られていた。
「呪文、間違えないでよね」
アカネの言葉に全員の視線はメモ上の2行に集中する。
『これあげーけんこっちおーえで』
『おにっこしえーなぁこっちおーえで』
「じゃぁいくよ。〝せーの〟でみんなで呪文開始だからね。テンポは
〝これあげーけん、こっちおーえで〟は、
〝タタタタータン、タッタ、タータタ〟
〝おにっこしえーなぁ、こっちおーえで〟は、
〝タタッタ、タタータァ、タッタ、タータタ〟
ってカンジね。」
アカネが呪文の詠唱テンポを音楽教師のように説明する。
「タタタタータン……タタタタータン……」
「こっちおーえでがタッタタータタ、タッタタータタ……OK!」
全員の繋いだ手に力が入る。
4人は息をそろえて呪文を唱え始めた。
「せーの」
『これあげーけんこっちおーえで』
『おにっこしえーなぁこっちおーえで』
しばし固唾を飲んで、三面鏡の前に立てた蝋燭の炎を見つめる4人。
「何も起きないね……」
マサコがヒソヒソ声で隣りのミクに話しかける。
少し眉をひそめるミク。
「まだあと二回唱えるんだから焦らないの。じゃぁ、もう一回いくよ……せーの」
『これあげーけんこっちおーえで』
『おにっこしえーなぁこっちおーえで』
鏡の前のローソクはピクリとも動かない。
「……これって、本当の呪文?……ただの都市伝説だったりして」
サユリがアカネの顏を覗きこんで、意地悪そうに言う。
「知香が〝ガチモン〟って言うんだから、絶対ちゃんとした呪文のはずだけど……」
「ちょっと!まだ終わってないんだから。最後、やるよ」
ミクが割って入り、4人は再び息をそろえる。
「せーの」
『これあげーけんこっちおーえで』
『おにっこしえーなぁこっちおーえで』
「…………………………」
暫くの間、真剣な表情でローソクの炎を凝視するが、何も起こらない。
「失敗……かな?」
マサコが小さな声で問いただす。
「あーーーっ!ちょっとヤダ!これ、写真!……オコノギの写真反対に貼ってるじゃん!」
アカネが声を上げた。
「ほんとだ!ごめんなさい!……え~、どうしよう、どうしよう」
写真を鏡に貼り付けたマサコが泣きそうな顔でうろたえている。
と突然、サユリが貼ってあった写真のテープをはがすと、写真を裏返して再びそれを鏡面に貼り付けた。サユリは皆の方に振り返ると、ニヤッと笑って提案する。
「もう一回……そもそもやり方間違えてたんだし、もう一回やってみようよ」
「もう呪文、3回唱えちゃってるけど大丈夫かなぁ~……ルール破ると危険だって言われたんだけど……」
と、心配そうなアカネ。
「……う~~ん。三面鏡なんて他の家には無いしねぇ……こんなチャンス、次いつ来るかわかんないし。もう一ぺんだけやり直す?何かあったらコレ、懐中電灯ですぐ止めるからサ」
リーダー格のミクの言葉に全員が沸き立つ。
「んなら、やっちゃいましょっか?」
「やろうやろう!」
4人は、再び手をつなぎ直すと、静かに三面鏡に向き合う。
アカネが掛け声をかけた。
「せーの」
『これあげーけんこっちおーえで』
『おにっこしえーなぁこっちおーえで』
――ブシユッ!――
何かが潰れる様な鈍い音と同時に3本のローソクが一気にかき消された。
「キャッ!」
「なに、なに、なに……」
「何これ、何これ!」
「ちょっと!電気!電気!」
突然の出来事にパニックを起こす4人。
「ミク!懐中電灯!……はやくっ!」
「さっきからスイッチ入れてるけど、点かないのよ!何で!?」
――パチンッ!――
サユリが薄暗闇の中、咄嗟に天井中央にある吊下げ灯のスイッチを引き、照明を点けた。
昭和の古い蛍光灯のぼんやりとうす暗い光が室内を灯す。
「みんな、大丈夫?」
「ナイス!さすがサユリ。……アカネさぁ~この懐中電灯、ちゃんと始めに電池調べておいてよね~まったく……?」
ミクはそう言って目の前に座る道具準備係のアカネを懐中電灯で小突いたが、アカネは三面鏡の方を向いたままピクリとも動かない。
「アカネ?…………どしたの?」
「ミク……やばいよ、ミク………」
ミクの左側に立ち、ミクの左手を握っているマサコの手にギュッと異様な力が入る。
彼女は震える小声で必死に何かを伝えようとしていた。
マサコの言葉に呼応したかのようにアカネが硬直状態のまま半泣きで訴える。
「か…鏡見てよ………私の横……………この子、誰よ?……」
アカネの訴えに、鏡に映る自分らの姿を再確認したミクは驚きで言葉を失う。
『!』
ミクの目に飛び込んできたのは、アカネの左横に座る彼女たちと同じ位の年端の制服姿の女子だった。うつむき加減でじっと鎮座するその女子は当然サユリではない。サユリは今まさにミクの後ろで蛍光灯の電気を点けた所だからだ。
ミクは鏡から眼を外し、自分の十数センチ先のその実像の方に目をやる……
「何?……どういうこと?……」
確かに自分の目と鼻の先に見知らぬ少女が背中を丸めてうずくまっている。そしてその少女の右手は隣のアカネ、肩口から回した左手は後ろのマサコにしっかりと繋がれている。
恐怖のあまりに二の句が出ないミク。だがミクの眼球は気持ちとは裏腹に、その得体の知れぬ存在に釘づけになっていた。半袖のブラウスの袖口に〝ツバメ模様の青い刺繍〟が見て取れる。彼女たちの見たことの無い制服。一体誰だ?
「みんな、どうしたの?急に黙っちゃって?」
三面鏡の前で突然沈黙する仲間達に、部屋の中央からサユリが声をかけた。
3人の方に眼をやったサユリの顏がみるみる青ざめていく。
「……え?……その子…………なんで?」
『アンタたち、手!……その手、離してっ!』
必死に気持ちを奮い立たせたミクは、マサコと繋いだ左手をしっかりと握り直し、同時に恐怖で身動きが取れずにいるアカネの右腕に懐中電灯を持った自分の右手を引っかけて一気にその異様な存在から彼女らを引き剥がした。
「ドスン!」
勢い余って3人は後方に尻餅をつく。蛍光灯の薄明りの下で引き攣った表情で立ち尽くすサユリを下から見上げた姿勢のまま、ミクは叫ぶ。
「サユリ!あんたも、ボーッとしてないで手伝って!」
腰砕けのようになって自力で立ち上がれないマサコにサユリが肩を貸し、4人は弾けるように部屋を飛び出すと、その勢いのまま階下になだれ落ちた。
…3…
台所のテーブルの影、二階への階段が観察できる安全地帯に避難した4人は、暫く息を殺してその方向を凝視していたが、上階から何かが追ってくる気配は感じられない。
「あの子……一体何なの?……いつからあそこに?」
マサコが先陣を切って口を開く。
「アレ、人じゃないよ!人じゃない何かを呼んじゃったんだよ!私たち」
サユリは真っ青になって声を荒げている。
「あの子……あの子が〝オニ〟かもしれない……だとしたら、儀式をちゃんと続けないと……………私たち呪われちゃう……」
アカネが震える声で告げる。
アカネの言葉にマサコが食ってかかる。
「呪われちゃうって何?……ちゃんと儀式を続けないと何?一体何がどうなるの?」
アカネはしどろもどろになる。
「ほ、ほんとに……こんな事起きるなんて……思ってなかったのに……どうしよう……」
「ちょっと、しっかりしてよアカネ!儀式を続けないとどうなるっていうの?」
ミクはアカネの肩を揺さぶりながら問い詰める。
「元の世界に戻さないと……オニを元の世界に戻さないと、私たちが死んじゃう……」
アカネは半泣きで答えた。
「死んじゃう!?……いきなり何変なこと言ってんのよ!アンタ、そんなこと一言も言ってなかったじゃない!」
「アカネ、ひどいよ!……ただの遊びだって言ってたじゃん!」
サユリとマサコは動揺してアカネを攻め立てる。
「やめなって!今、喧嘩してる場合じゃないでしょ。だいたい、死ぬ、死ぬって……今はピンピンしてるでしょ私たち!……ねぇアカネ、……儀式を続けるって、何をどうすればイイの?……」
ミクの言葉に、嗚咽しながらもアカネは懸命に答える。
「三面鏡……あれを閉じないと……あの鏡……鏡が別の世界の入口になるって……知香は、オニは相手を見つけるまで鏡から出れないって……出られないって言ってたの……なのに何で………何であんなのが……」
「わかったよ。わかったからアカネ。今は泣いてる場合じゃないよ。……三面鏡を閉じればイイんだね?……じゃぁ頑張って何とかしないとさ」
ミクの言葉にアカネは自分を奮い立たせるように唇を噛みしめながら小さな頷きを繰り返す。納得いかなそうなサユリとマサコの顏を覗き込み、ミクは激を飛ばす。
「アカネを責めるのはいつでもできるでしょ!アンタたちも覚悟決めなさいよね」
ミクの強いまなざしに気圧され、サユリとマサコは互いに顏を見合わせた後、交互に首を縦に振った。
*********
階段の真下まで忍び寄り2階を確認する4人。マサコが突然、壁面にあったスイッチに手を伸ばし、階段上部の丸電球を切る。
「ちょっと、何するの?」
ミクがヒソヒソ声でマサコの意図を問う。
「私たちが出てきた和室……電気点けっぱなしで飛び出たから、ここを消せば上が明るく見えるハズなんだけど……」
「……真っ暗よね」
サユリが心細そうに状況解説する。
――カチッツ ――
小さなスイッチ音と同時に、階段が〝円形の明り〟で照らされた。
「あれっ?ついた」
懐中電灯を再点灯させたミクが、予想外の結果に自分で驚いている。
「電池交換したばかりだから……本来はついて当然なのよ」
そう言ってアカネが口をへの字に曲げる。どうやらアカネも流石に腹をくくったらしい。
4人は階段の電球を再びONにすると、煌々と明るい懐中電灯を手に、上方に細心の注意を払いつつ一段一段、ゆっくりと階段を登って行く。
階段を上がりきると、細長い廊下が2~3メートル続き、突き当りの壁には小さめの明り取り窓が見える。廊下の左には閉まったドア、右側にはついさっき4人が飛び出した和室が、黒くて縦長の四角い口をぽかんと開けている。
懐中電灯を持ったミクを先頭に4人はその入り口に慎重に近付いていく……
ミクは懐中電灯を体から出来る限り前方に離し、少しでも和室の内部が良く見える様、電灯の角度を調節しながら、ゆっくりと歩みを進める。
一歩……
二歩……
三歩……
部屋の入口まで到達した4人は、そこで足を止めると、眼前の空間を隅々まで食入るように確認する。しかし、先ほど居た女子はどこにも見当たらない。目に入るのは、部屋の奥にポツンと置かれた〝開いた状態の三面鏡〟だけであった。
4人はダンゴのように固まった状態のまま部屋の中央まで歩みを進め、吊下げ灯のスイッチを入れた。
部屋の照明がパッと明るくなる。
「そこ、鏡台を閉めて!ローソクとかも全部持ってくよ!」
ミクの号令とともに4人はコマ鼠のような素早さで放置状態だった道具類を片付けると、三面鏡をバタンと閉じた。誰もさっきの女子の事については一言も触れなかった。言葉にするのが恐ろしかったのだ。
4人は和室の照明をつけたまま部屋から飛び出ると、出入り口のドアをピシャリと絞めた。
極度の緊張と恐怖から解放された4人は、その場でヘタリこんでしまう。
「やったね……とりあえずこれで一安心ね」
両手を両膝にあてがい、体をくの字に曲げて肩で息をしていたミクがやっと声をあげる。
「とりあえずね」
隣りで四つん這いでゼエゼエ言っていたアカネが顏を上げ、安堵の笑みをミクに投げる。
「私たち、大丈夫だよね?」
「始まってないよね?……オニあそびってやつ」
ドアに背中を向けて体育座りをしているマサコとサユリは、未だ不安さを拭えないでいる様子だ。
『もーーーいーーーかぁーーーい?』
突然、扉のすぐ内側からこちらに向かってハッキリとした気味の悪い声が響く。
「ギャッツ!」
「きゃぁぁっ!」
「キャー――――――――ッ!」
「まだっ!……まだだよっつ!!」
4人は転げ落ちるような勢いで階段を駆け下り、家の外へと逃げ出した。
…4…
<<< 翌朝・道亜中学3年3組 >>>
ミク、アカネ、サユリの3人が、教室の窓側の角に寄り添って会話をしている。
「もうすぐ朝礼の時間なのに、マサコがまだ来てないって絶対変よ……」
いつもなら真っ先に登校している几帳面なマサコの席は、朝礼が始まる5分前だというのに未だ空席のままだった。3人は誰も座っていない真後ろのマサコの机をじっと眺めながら、先日起こった出来事を思い返していた。
――ガラガラガラッ……――
教室の前側の扉が力なさげにゆっくりと開いた。
「あ!マサコ来たよ!」
「ほんとだ!……よかった~」
「良かったね!なんか変なこと考えすぎちゃった、私」
3人は近付いてくるマサコの姿を小躍りしながら歓迎する。
だが肝心のマサコの方は、こちらには全くリアクションを返さず、周囲を異様に警戒しながら、まるで何かにおびえる小動物のように小さく丸まった姿勢のまま、無言で素早く席に着いた。マサコは席についてもなお、頭を低くしたまま上目使いにキョロキョロと忙しなくに辺りに視線をやっている。
「マサコ……大丈夫?」
アカネが心配そうにマサコの顏を覗きこんだ。
「大丈夫って……みんなの方こそ大丈夫なの?……私の方は、あいつに見つかんないように、見つかんないようにって…………昨日の夜は本当に大変だったんだよ」
そう言ってマサコは初めて3人と視線を合わせた。たった一晩顏を合わせなかっただけだというのに、マサコの顏は気の毒なほどやつれており、その目の下には大きなクマが張っている。マサコの様子に驚き、すかさずミクが質問する。
「ウチらはあの後、特に変わった事は無かったけど………あいつって、まさか昨日のあの女子?……」
「違うの!あの子じゃないの!……別の奴………なんかすごく気味悪い別の奴よ!」
質問されたマサコは首を激しく左右にふると、突然恐怖の表情を浮かべ、先日自分に起きた出来事を早口で語り始めた……
*********
<<< 前日、午後8時・真佐子の家 >>>
「どうだった、そのチラシ寿司?……お教室の先生が言うには、サーモン以外に2種類も魚を入れてるから、ホワイトビネガーじゃないと魚の香りが強すぎちゃうんだって………海外じゃ、すし酢じゃなくてホワイトビネガーが割と良く使われるらしいの。おかしいよねー。生粋の定番和食メニューなのに」
「うーーーん」
料理教室で教わったお題メニューを披露したマサコの母は、台所で食器を片付けながらマサコに声をかける。が、当の本人はテレビを見ながらカラ返事だ。もっとも、その顏はテレビに向いてはいたが、頭の中は今さっき起こった出来事の整理でショート寸前だった。
「ちょっとすっぱかったけど、ターちゃんはおいしかったっておもうよー」
テーブルに腰掛けてオレンジジュースを飲んでいた弟がマサコの代わりに感想を告げる。
「ありがと。ターちゃんは今日も本当におとなしくて、お利口さんだったねー」
「ターちゃんは、おりこうさんだから」
弟は嬉しそうに微笑むと、グラスに刺さった太いストローをくわえ直した。
「パパもおいしいっていうとおもうよー。きっとー」
「そうね。出張から帰ってきたらパパにも作ってあげましょうねー」
母はろくな返答をしないマサコの方に向き直り、ため息交じりに話しかける。
「あんた、年頃の女の子が揃ってこんな時間に外でたむろしてちゃ危ないんだからね。ほんとに…………ちょっと!……聞いてるの?マサコ」
「聞いてるよ~。……今、テレビがイイ所なんだって」
適当な言い訳でやり過ごそうとする娘に、母は再び大きく鼻で溜息をつく。
「そうだ!三面鏡……」
母が、ハッと何かを思い出したように声のボリュームを上げた。三面鏡という単語に思わずギョッとして振り返るマサコ。
「マサコ、あんた今日2階の和室に入ったでしょう?お婆ちゃんの部屋だった和室……」
「えっつ?……あっ……ちょっと入ったよ。化学の宿題で、鏡の反射の問題があってさ。おばぁちゃんの三面鏡、ちょっと借りたんだよ」
咄嗟に出た割に我ながらうまい言い訳だなと、少し自分に感心するマサコ。
「宿題ならイイんだけどね~。コレなーーんだ?…………ジャーーン」
母は小走りでマサコに近寄ると、エプロンの前ポケットから1枚の写真を取り出した。
――しまった!――
マサコの母の手には尾此木の写真が握られていた。
「これ確かアンタの所の担任よね~?……三面鏡の前に落ちてたけど、まさかアンタこの先生の事を……」
母は気持ちの悪いニヤケ顔で、下の方からマサコの表情を観察する。
「もう!……返してよっ!」
マサコは咄嗟に写真をむしり取ると、台所の奥の自分の部屋に駆けていった。
「変な子ね……」
少しの嬉しさも顏に出さず、急いで逃げていく娘の背中に母は若干の違和感を覚えた。
部屋に戻ったマサコは写真を自分の勉強机の上に慎重に置くと、かけていた眼鏡を外し、レンズを数回拭き直す。
「確か、写真が変わるとか言ってたはず……」
マサコは眼鏡をかけ直すと、恐るおそる写真を顏に近付け状態を確認する。
写真に変わった様子はみつからない。
――そう何度も不思議な事は起きないか……――
写真に変化が無かった事にマサコは少しだけ安心するが、すぐさまついさっき見た女子の霊の事を思い出し身震いする。
「もう怖くて2階なんか二度と行けないよ…」
自然と独り言が出る。
――プーーン……――
1ミリほどのチリの様に小さな羽虫が、マサコの左側からコメカミ近くに近付く。
「痛ッ」
羽虫は眼鏡と左頬の間を斜めに飛行し、マサコの左眼球に張り付いた。マサコはすぐに眼鏡を額の上にずりあげ、左の人差し指で左瞼をこする。虫はすぐに目尻の方に流れて取れたが気持ちの悪い異物感が残る。
マサコは机の引き出しから目薬を出し、それを左目に数滴たらす。
「夏は小さい羽虫が多くて嫌ね……」
マサコは目をパチパチと開け閉めしながら、机の端に付いたコンパクトミラーで左目を確認する。
「!」
鏡の奥に映った自分の部屋。その窓ガラスの向こうに、何かは分からないが白い塊が映っている。マサコは鏡越しにその物体に焦点を合わせる……
焦点が合いだすと、窓の外に異様な人物が後ろ向きで立っている事が分かった。何が異様かというと、頭の長さである。白い甚平のような和服を着たその長髪の人物の〝頭部〟は、頭頂部からガッシリとした肩までの距離が明らかにおかしい。この人物の顔面部が、40~50センチある、或いは、首が20~30センチあるかしなければ、長さ的に帳尻が合わないのだ。
『もーーーいーーーかぁーーーい?』
窓の外の人物の方から突然大きな声があがる。数時間前に祖母の部屋で聞いたものと全く同じ気味の悪い声であった。その時、少しだけこちらに傾けた頭部の端からその人物の耳らしき部分が見えた。上方向に先が尖り、異常に長い耳……
――こいつがオニだ。――
マサコの全身の毛穴から異様な汗が吹き出し、心臓は爆発するような速さで収縮する。
『もーーー! いーーー! かぁーーー!』
マサコは儀式のルールを思い出し、必死に声を振り絞った。
「ま、ままま、……まーだだよーーーっ!」
『Z○G×△B〇×□KO××W……』
聞いたことの無い気味の悪い言語で〝ソレ〟は何かを早口で捲し立てた。明らかに苛立ちを感じている様子である。
マサコの唇は本人の意に反して、腹話術人形のように不規則な上下動を続け、視線は鏡の中の巨大な塊に完全に釘づけになる。
次の瞬間、こちらに背中を向けたままゆっくりと動き出したソレの片腕が窓をすり抜け、部屋の内側に入って来たかのように見え、マサコは慌てて後ろを振り返る。
だが、そこには何も無い…
「お、おかあさーーーん!!」
マサコは無我夢中で部屋から逃げ出すと、台所の母に飛び付いた。
「何よ?……どうしたの!?一体?」
「へ……部屋の窓の外に、へ……変なヤツが!」
娘のうろたえ振りに――これは只事ではない――と感じた母は、マサコに台所を離れないように告げ、包丁を片手に数メートル先の娘の部屋に向かう。
「おかあさん、危ないって!!」
「大丈夫、……窓の鍵、閉めたまんまでしょ。それに母さん、元国体の柔道選抜選手よ」
台所から自分の部屋へゆっくり入って行く母の姿が見える。マサコはがたがたと震えながら台所の端でその姿を見守っている。
「おねーちゃーん、どーしたのー?」
騒ぎに気付いた弟が反対の奥の部屋から台所にやってくる。マサコは弟が台所から先へ行かないよう、黙ってその肩をぐっと抱きしめる。
奥の部屋から窓を開ける音が聞こえ、暫くして母の声が響いた。
「大丈夫よーマサコ―。こっちいらっしゃいー」
マサコは弟を自分の後ろ側に回し、ゆっくりと部屋の入口まで進む。
「そんなに慌てて、一体何を見たっていうの?……何もないじゃない、外」
「いたの!……すごく気持ち悪い人が!……白い甚平みたいな服を着て、その窓の上の方からこっちを見てて……」
突然、母が小さく笑いだす。
「あんた、驚かせないでよ~もぉ~。……うたた寝でもしてたんじゃないの?」
「?」
「この家、傾斜に建ってるでしょ?……あんたのこの部屋、一階だけど傾斜の下側にあるから、ずい分高さがあるのよ……すぐ裏、お隣さんの塀だし道路側も塞いでるから、そもそも人なんか入って来ないはずだしさ」
言われてみればそうであった。すぐ先が塀なので、そちらの窓は風通し位にしか使っていなかったが、ポジション的にそこは土台を一番高く積んだ部分に面している。
「この窓の上の方に頭があったとしたら、その人、身長3メートルくらいあるわよ。あり得ないから、そんなの」
母の陽気な笑い声とは裏腹に、マサコはその異様な存在に改めて戦慄を感じていた。
1時55分。
突然下がり出した部屋の温度に反応し、真夜中に目が覚めた。
今日起こった出来事のあまりの恐ろしさに〝朝まで何とか起きていよう〟と心に決めたマサコは、いつの間にかベッドの上で眠りに落ちていた。ぼやけた頭を何度か右手で小突きながら、マサコはゆっくりと冷え切った上体を縦に起こす。
――寒い――
エアコンの寒さが苦手なマサコは、大概は窓を開けて自然風と扇風機で夜を過ごしていたが、この日だけは窓を閉め切りエアコンを起動させて床に就いていた。もちろん部屋の明かりはつけたまま、部屋にある鏡という鏡には、物が映りこまない様に新聞紙を貼り、でき得る限りの対策を施していた。
「朝までアイツから逃げ切れれば……」
アカネが言っていた儀式のルールを信用し、このゲームを乗り切るしかないと覚悟したマサコは、気合いを込めて自分の両頬を強く叩く。
――寒い――
それにしても部屋は寒すぎた。
マサコはエアコンのリモコンを手に取り確認する
「?」
リモコンを見ると、タイマー機能で本体は〝OFF〟状態となっている。エアコンが切れた状態でこの寒さはどう考えてもおかしい。
壁にかかった室温計は29度を示している。
「これで29度のハズない!」
マサコがその言葉を口にした瞬間、後方から異様な気配がマサコを襲う。後方?……否、ソレは後方どころかマサコの耳のすぐ後で、押し殺す様な息遣いを繰り返している。
目の前の窓に引かれたカーテンの隙間から――ちら――と、ベッドに座る時分たちの姿が映り、マサコの体から一気に血の気が失せる。
「嫌………やだ……やだよ………」
マサコが必死に絞り出した声は、空しく中空に掻き消えていく。
『もーいいかい?』
耳元で誰かのかすれ声がした。
「イヤーーーーッ!……消えてっ!……もう嫌よっ!」
マサコはあらん限りの力で叫んだ。
『……マ…す』
耳元で何かが聞こえた気がしたが、マサコの意識はそこでプツリと切れた。
…5…
私の話を聞き終えた3人は絶句し、どう反応して良いか判らない、という感じで固まってしまっている。
私はカバンの中から昨日の尾此木の写真を引っ張りだし、机の上に置いた。
「これ、昨日のオコノギの写真なんだけど……大変なことになってるよ」
真っ先に写真に手を伸ばしたのはミクだった。
「何ちょっとコレ、気持ち悪い……」
ミクは汚い物を捨てるかのように写真を机に放った。
「なに、コレ!?」
「いやだ、いやだ、いやだ……」
写真を確認し、皆動揺しだす。
そこには、前日とは全く様子の違う尾此木の姿が映りこんでいたからだ。
――ガラガラガラッ!――
「朝礼はじめるぞーーー。みんな席につけーーー」
教壇の目の前の席の女子が先生に声をかける。
「あれっ?尾此木先生はお休みですかーーー?」
教室に入ってきたのは体育教師の山岡だった。
「いやな……まぁ、とにかくみんな席についてくれ。大事な報告があるんだ」
いつもくだらないダジャレを連発している山岡の滅多に見ない神妙な様子に、生徒達は「何事か?」と、素直に自分の席に付く。
「実は今日の朝、尾此木先生がお亡くなりになったんだ」
教室内がどよめき、あちこちで勝手な会話が始まる。
4人は青ざめ、お互いの席からお互いの顏を見合わせ、固唾を飲んで押し黙った。
「静かにーー!静かにしろーー。……驚くのは仕方ないが我慢してくれーー」
誰かが山岡に質問を投げる。
「尾此木先生はなんで亡くなったんですかーー?」
山岡は一度咳払いをすると、ゆっくりと答えた。
「心臓麻痺だそうだ。お若いのにな。……そういう訳で今日の一限は自習だ。気持ちは分かるが、皆あまり騒がんようにな……」
そう告げると、山岡はそそくさと教室を出て行った。
山岡が消えると、すぐさま教室内はあれやこれやと勝手な推測で大騒ぎになる。
3人が私の席の周りに集まり、尾此木の写真を中心に会話が再開する。
「ギシキ、成功したじゃん!……怖い思いはしたけどさ」
目を丸くして、ミクは素直にこの状況を喜ぶ。
「ほんと。昨日は超怖かったけど、よかった~全員無事で」
アカネはホッとした顏で胸をなでおろしている。
「やったね。でも、すごい効き目だねコレ……今だにちょっと信じられないよ」
サユリが写真を手に取り、平気な顔でにこやかに話しているのを見て私はびっくりしてサユリから写真をむしり取る。
「サユリ、なに呑気な事言ってんの!……つ、次はサユリの番よきっと!」
「?」
「?……何?」
3人がきょとんとしているので、私は説明してやる。
「これ!……このあなたの顏……オコノギとおんなじカンジになってるじゃない!」
1日経過した写真は恐ろしい変容を遂げていた。
校門の前でバストアップで隠し撮りされた尾此木のスナップショット。その背景は校門伝いに学校の塀が映っていただけのハズだった。なのに、今朝写真を確認するとオコノギの左側に「私とミク」右側に「サユリとアカネ」が神妙な表情で一緒に映っていたのだ。
しかも、オコノギの顏はコンクリのように暗い灰色に変色し、奇妙に歪んでおり、真横に立っているサユリの顏も同じように黒ずみ、歪んでいる。そして……
私は写真の上のサユリの顏を指差し、懸命に訴えた。
「……マサコ……あんた、何言ってんの?」
「その塀に何があるの?」
「え?」
驚いた事に〝私に見えている写真の状況〟と〝皆に見えている状況〟は、違う様であった。気を取り直し、逆に聞いてみる。
「あのさ……私には、変な顔のオコノギと、私たち4人が映って見えてるんだけど………みんなには見えて無いの?……ここに映ってる私たち?」
「何気持ち悪い事言ってんのよ!全体が透けてる変なオコノギが映ってるだけじゃない」
ミクが声を上げるが、それを聞いて後の二人の表情が引き攣る。
「何?……ひょっとして、同じ写真がそれぞれ違く見えてるって訳?……」
アカネが恐るおそる口を開く。
「オコノギがすごい怖い顔でこっち見てるけど、オコノギの体………体が穴だらけで」
アカネの言葉に皆目を丸くして互いの顏を見合す。
「サユリは?………あんたにはどんな顏に見える?オコノギの顏」
ミクの問いかけにサユリは表情を曇らせつつも、うつむき加減で小さく答えた。
「どんな顏って……無いんだからわかんないよ……………頭全体が……」
ミクは険しい表情で机の写真をつかみ取ると、前方の席に座っていた生徒を捕まえて強引に尋ねた。
「ねぇねぇ、この写真……何か変じゃない?」
「ん?……変って……尾此木がアホ面で突っ立ってるだけじゃん。いつの写真よこれ」
やはり、写真が変化して見えているのは私たち4人だけらしい。
私たちは、恐ろしさでそれ以上何も言葉が出なかった。自分たちに一体何が起きているのかは解らなかったが、この恐ろしい物語は終わる所か、むしろ始まったばかりであると、皆が直感していた。
16時。
「鏡とか、とにかく反射する物を極力見ないようにね……」
別れ際にミクが全員に告げる。
結局、私たち4人はこの後何が起こるか気になりつつも、為す術なく家路についた。
とりあえずは、アカネが作った儀式のメモを全員で写し持ち、後はアカネが2組の水越さんに連絡して対処法を相談してみる。という事になった。
「サユリ……何か嫌な予感がするから、気を付けて」
写真の中に自分だけが「尾此木以外の自分たち4人を見ている」事に、何とも言えない気味悪さを感じつつも、ドス黒い顔で蛇のように大口を開け、何かを必死に叫んでいるかの様に見えるサユリの〝狂気の表情〟の方に戦慄していた私は、むしろ彼女の事が心配でならなかった。
遠くでカラスの鳴き声が響いていた。
*********
7月21日。
サユリが死んだ。
正確には、昨晩、サユリの家が全焼し、サユリの一家は全員焼死したとの話だった。
HR時間に私の席に集まったアカネとミクは完全に消沈していた。
「今朝のニュースで、最近この界隈で起きている連続放火事件の犯人と同一犯みたいな事、言ってたけど……」
アカネがぼそっと切り出す。
「それ、マスコミが勝手に言っているだけみたいだよ。ほら、うちの兄ちゃん一応お巡りさんだからさ。そっち系の情報は聞けるんだよね。……なんか、出火したのはそんなに遅い時間じゃなかったらしいんだけど、放火の線では目撃者ゼロだって」
ミクが神妙な顔付きでアカネの情報を真っ向否定する。そういえばミクの兄さんは、近くの派出所勤めの警察官だ。ミクと一緒に何度か交番に遊びに行った事もあったっけ……
「あと報道はされてないけど、その時間あの近辺から警察に苦情電話がガンガンかかってたらしいのよ。『誰かが大声で変な歌を歌っててうるさい』って。火事とは関係ないかもしれないけど、ちょっと気持ち悪いよね……」
二人の話を聞きながら、私はノートに挟んだ昨日の写真をもう一度二人に見せるかどうか迷っていた。写真の画像が先日とはまた別物に変化していたからだ。
「マサコ、あんた何さっきからそのノート気にしてんの?」
私の様子に異変を感じたミクが、鋭く突っ込みをいれてきた。
「昨日の写真なんだけど……実は、また変わってるの」
どうせそれぞれ違うものが見えるのだろうし、最悪、私しかこの変化が見えないのであれば、二人に再びショックな事を告げなければならない。気が引ける。
私はノートの中ほどに挟んだその忌まわしい写真を慎重に抜き取る。
「勿体つけずに早く見せて!」
アカネが写真を素早く横取りし、テーブルの上に表向きに置き直した。
「やだ!私たちが映ってる……でも、これ………ヤバいよ、アカネ」
アカネの顏と写真とを交互に見直すミクの声は驚きで震えている。
「嫌……いやだ、いやだ、………何この写真!……なんでアタシが!?」
アカネは顔面蒼白になり、目を皿のようにして写真を凝視している。
どうやら今回は二人とも私と同じようなものが見えているらしい。
写真の構図自体は、私が先日見たものと全く変わっていなかった。ただ、大きく変わっていたのはサユリの隣に立っているアカネの姿であった。
彼女の顔面部は、既に死んだ二人と同様に黒変し、やはり奇妙に歪んでいる。
アカネは剥ぎ取るように机から写真を鷲づかみにすると、それをびりびりと破きだす。
「こんなもの!私は絶対信じない!……こんなもの!こんなもの!」
アカネは写真を破り捨てた後、自分の席に突っ伏して泣き出してしまった。
周りの女子は何事かわからず、少し距離を置いてアカネの姿を心配そうに見ている。
アカネにかける言葉も見つからず、ミクと私は、同じようにただその様子を静観するしかなかった。
昼休み。
目を赤く腫らしたアカネがフラフラと私たちの方にやってきて、先日、自分に課せられた〝儀式のネタの提供元である「水越知香」の情報〟について語り出した。
「昨日、帰りに寄ってみたよ。水越さんの家」
「……」
私は黙って次の台詞を待つも、無頓着なミクはすぐにその言葉に反応する。
「本当?それで……何か聞けた?…………儀式の終了方法とかさ」
「居なかったよ。誰も」
「?」
「居ないって……どういう事、それ?」
「だから居なくなってたんだって!もぬけの空……引越しちゃってたんだよ」
「そんな!……入試直前のこんな時期に……ウソでしょ?」
ミクは、目を丸くして――信じられない――といった顔つきで口を半開きに開けたまま固まってしまう。
「休み時間に2組に行ってクラスの人にも確認したんだから間違いないよ……昨日の夜、メールしたんだけど『ごめんなさい』って一言返事が来ただけで、そのあとメールもチャットもブロックされちゃって……もう、何が何だかわからないよ」
私はアカネの言葉を聞いて何かが繋がったような感覚を受けていた。――水越知香は、始めからこうなる事を知っていたのではないか?知っていてあえてアカネに儀式の方法を教えたのではないか?「自分の母を消して欲しい」という願いも、何かの計画の中の一部だったのではないか?……そう考えれば、この一連の奇妙な流れも、ある種つじつまが合っていると思えたのだ。
「この〝オニあそび〟って、その水越さんがどっかのサイトで知ったとか言ってたよね?そのサイトに何かヒントとかないかな?」
私は涙目になっているアカネの肩に手をあて、そっと尋ねてみる。
「たしか、呪いとかまじない系のサイトで、数字と組み合わしたようなサイト名だった気がするけど……話の中で出てきただけだから、よくわかんないよ……」
――リーーン、ゴーーン………リーーン、ゴーーン……――
昼休みの終了を告げる鐘の音が響く。
「じゃぁ、今日の放課後、学校のPCルームでちょっと調べてみようよ」
ミクの提案に合意し、3人はそれぞれの席に戻って行った。
14時10分
「おーーい、係~。バレーのボール、出てないぞ~」
必要以上に筋肉の形が目立つピチピチの白い半袖シャツに紫の半パン、シューズはオレンジ色という痛すぎるセンスの山岡が、王様の様にふんぞり返りながら体育館に入場してくる。
「今週、準備係だれだっけ?」
「望野さんと木下さん……今日は望野さんお休みだけど、木下さんは?」
木下というのはアカネの名字だ。言われてみれば5時限の休み時間からアカネの姿を見ていない。
「ボール取りに行ってるんじゃない?」
皆の視線が体育館の端の半開きになった道具庫の扉の方に注がれる。
「おーい、木下~。居ないのか~?」
山岡が倉庫に向って声をかけるが、何も返答はない。
「遠藤、お前ボール取ってきてくれよ」
「え~~っ?……ふぁ~~い」
クラスのお調子者の遠藤に白羽の矢が立つ。床にアグラをかいて喋っていた遠藤は、片手を支点にクルッと器用に半回転して立ち上がると、小走りで倉庫に向かう。
「今日は久しぶりに試合形式で進めるからなー。ここんところ基礎練習ばかりだったから、
皆、思い切ってストレス発散してくれ。……あ、チーム分けは体育委員中心に好きなように決めていいからな」
――ガラガラガラガラガラガラ……――
「ボール、持ってきやしたっ!」
山岡のすぐ横にボールカゴを持ってきた遠藤は、ひょうきんな顏で山岡に敬礼する。
「なんちゅう顏だよそれ……。ありがとな」
山岡の苦笑につられ、一同からも小さな笑いが起こる。
「ちょっと、遠藤!……あんた何?その足」
一人が遠藤の足元を指摘する。
見ると、倉庫を起点にし、カゴを転がしてきた軌道上に真っ赤な遠藤の足型が推理映画の証拠のように、クッキリとその痕跡を残している。点々と連なる赤い足跡の中央には、途切れ途切れに一本の真紅のラインが引かれていた。
「なになに!?……そのカゴの中にあるヤツ……何それっ?」
生徒がボールカゴを指差して声をあげる。
「何だ?……みんなどうした?」
山岡の方からは角度的に見えないようだったが、ボールカゴの白いボールの山の中に、一つだけ不自然な黒い玉が混じっている……
山岡は、何事か?と、カゴの中のボールを次々に取り除いて行く。
「!」
突然、目の前に断末魔の表情を湛えた少女の顏が表れ、山岡の頭は真っ白になる。
言葉にならない叫び声と飛び交う悲鳴で体育館は一瞬にして混沌の渦と化した。
学校は暫く休校になった。
…6…
7月23日 正午。
蝉たちがまき散らす共鳴音が、この世の終わりを告げる叫びのように耳に障る。
私は、そのあまりのうるささに、換気の為に開けた部屋の窓を数分で閉めた。
――今年は3日前倒しで夏休みを実施する――とのお達しが学校の連絡網で回って来たのは先日の夜の事だった。連続で学校の関係者から3人もの死者が出、しかもその内の一人は明らかに何者かにより意図的に殺害されたとなれば、妥当な処置だろう。
一昨日、ボールカゴの中を覗き込み、アカネの頭部を直接見てしまったミクは、その場で失神してしまった。意外と神経が細いんだなと私は不思議に思う。
「次はあの子か私、どっちかの命が危ないっていうのに……」
いつもグループを引っ張り、どんな時も弱音を吐かないミクの事を秘かに尊敬していた私は、その不甲斐ない姿に少し興冷めしていた。
――真佐子~。春日さんから電話よ~――
ミクだ。何で家電に掛けてくるんだ?ケータイに掛ければいいのに……
「わかったーー。すぐ行くーーー」
若干の不満を残しながら、私はダイニングキッチンにある家の固定電話の受話器を取る。
受話器の向こうからミクが慌てた様子で一方的に喋りだす。
「あ、マサコ?……例の儀式の情報が載ってるサイト、みつけたよ!昨日。家のパソコンが空いてる時に色々探してたんだけどさ、「呪い」と「まじない」と、あと「適当な数字」の組み合わせをバンバン入れて検索してたら、あるサイトで『カガミオニ』っていう内容が出てきてさ……」
「すごいじゃん!中身は?……何か良い情報あった?」
どこまでも続きそうなミクの説明に強引に相槌をはさみ、私はできるだけ話を端的にしようと試みる。
「それが、イイ所でママに横取りされてさ。今日も朝から韓流ドラマの情報サイトずっと調べてんのよ。……今日の夕方、マサコと塾一緒じゃん。それまでに色々見ておくからさ、塾終わったら帰りに情報交換しようよ」
それなら塾の帰りに話せばいいのに、何で今連絡するんだ?――と、再びミクに対する不満が顏を覗かせたが、とりあえずは私のお母さんが塾に迎えに来る8時半より前に塾の裏手にあるコンビニに集合する。という事で話がまとまった。
実は、私の方は私の方で、居なくなった「水越知香」について、彼女と親しかった友人らに探りを入れてみたりもしたのだが、引越しの経緯について知っている者は皆無、その連絡先について知る者も「0」であった。皆、アカネ同様、彼女との連絡方法は全て遮断されてしまっていた。
そこまでして完全に消息を断ちたかった理由は一体何だったのか?あの子がアカネに言った「ごめんなさい」の意味は何なのか?考えてみた所で私にはわからない。ただ一つ言える事は、この水越知香という女が何らかの理由で私たちを策略にはめた事であった。
「水越のヤツだけは許さない……」
もしミクの情報でこの儀式がうまく終了できたとしたら、私は水越の行方を必ず突きとめ、問いただし、後悔させてやろうと心に誓った。それが死んだ2人への供養にもなるはずだ。
7月23日 PM 8:05。
コンビニの雑誌コーナーでミクがファッション誌を物色している姿が目に入った。
私はそっとミクの背後に忍び寄り、その肩をちょんと触る。
「ごめーん。待ったー?」
「ひっ!」
ミクはこちらも驚くほどの勢いで横に飛びのく。その表情は奇妙に引き攣り、顔面は蒼白状態になっている。
「ちょっとー。驚きすぎじゃないのミク~。らしくないよー」
ミクの動揺ぶりにすまなさを感じつつも、その滑稽さに含み笑いがこぼれてしまう。
「ふ、ふざけないで!……アンタ、今、私たち、どんな状況にあると思ってんの!?」
ミクは大真面目に怒りを爆発させる。
二人の姿を見て店員が注意する。
「ちょっとそこの人~。ウチ立ち読み禁止ですからねー。……それに、騒ぐんなら外でお願いしますねー。外で~」
ミクは無言でコンビニの前のベンチに腰掛ける。
私もその後に続き、ゆっくりとその横に腰掛けた。
「ごめん、ミク。……ちょっと無神経だったよ」
ミクはキッとした強い眼差しを一瞬こちらに向けたが、すぐさま視線をヨソにずらしてしまった。
少しの間、沈黙が流れる。
「これ、アンタの好きな飴……新しい種類が出てたから買っておいたよ」
突然、ミクがそう言って私の鼻先に棒付きキャンディーを差し出した。
「夏限定のレモンソーダ味だって」
「あ、ありがとう!……ほんとごめんね。さっきは」
ミクの気配りに感謝すると同時に、後悔の気持ちが倍増する。
「こっちこそ……酷い事件が続いてるからさ……確かに私らしくないよね。こんなじゃ」
ミクの声にやっと穏やかさが戻った。
私はキャンディーの包装を開けて一口なめてみる。
「うわー!すっぱ甘~~」
私のオーバーリアクションにミクは小さく笑みを返す。
「あっ!」
突然、ミクの表情が変わる。
「ど、どうしたのミク?」
私は、口に運ぶキャンディーの動きを中断し、ミクの表情を観察する。
「い、いけない!……塾が終わったらママにすぐ連絡するって約束したの……すっかり忘れてたよ!」
ミクはまた少し引き攣った表情で突然慌てだす。
「電話、……すればいいじゃん。今」
「それがさぁ、今、ケータイ壊れちゃってるんだよね~」
――なるほど、それで今日は家電に連絡してきたのか……しっかりしてそうでどっか抜けてるよね。この子は……――
私は変に納得し、提案する。
「じゃぁ、私の携帯使えば良いじゃん」
「ダメだよ。履歴でマサコのケータイだってばれちゃうじゃん……塾終わったらすぐ電話するって言ってきたんだから……」
「え?……そんなの気にするんだ、ミクのママって」
「するする……ちょっとでもルールが変わったりすると、もう鬼ババだよ。鬼ババ……」
ミクは妙な笑みを浮かべながら自分のママへの不満をもらした。
「すぐそこの公園入ったところに公衆電話があるからさ、……そこでちょっと電話してくるから……マサコ、ここで待っててよ」
何か変だ。さっきから、ミクが私に向ける視線がどことなくおかしい……
ミクは、私の返事も待たずに公園の入口の方に駈け出した。
全く我がままな女だ。
「そう言えば、ミクはいつもいつも人を待たせてたっけ……」
…7…
PM 8:20。
派出所で今日の日報を確認していた啓吾の携帯電話が鳴った。
着信メロディーは妹のミクのそれであった。啓吾は冊子を閉じると、慌てて胸ポケットの中から携帯電話を取り出す。先輩の浜田がしかめつ面でそれを見ている。啓吾は、浜田の方に顔を向け、自分の鼻頭に拝むように片手を差し上げ派出所から外に出る。
「ミク、お前勤務中にケータイは厳禁って言ったろ。兄ちゃん今日は朝まで……」
「に、兄ちゃん!やばいよ!ミク、殺されちゃうかもしれないよ!」
半泣き状態で必死に訴えかける尋常ならざる妹の様子に、啓吾は驚きのあまり一瞬パニック状態になる。
「殺されるって、何言ってんだ?……ミク、お前、今どこに居るんだ!?」
「からす山公園の電話ボックスだよ!兄ちゃん!助けに来てよー」
『ニ〇×テ△ーー!〇……マ×……ナ△□……』
「やめてーーーーーっ!」
――ブツッ!…………プーーッ、プーーッ、プーーッ、プーーッ……――
表現しがたい不気味な声と妹の叫びを残し電話は切れてしまう。
突然襲いかかった不吉な状況に、啓吾は反射的に派出所の横に停めてある自転車に手をかけ、弾丸のようにその場から飛び出した。
「おい!春日!どこ行くんだ!……お前、仕事は!?………」
後方で響く同僚の怒鳴り声は啓吾の耳には入って来ない。
普段、どんな状況でも泣き言など吐かない気丈な妹が、これほど取り乱し、懇願しているのだ。どう考えても異常事態が発生している事は明らかであった。
「待ってろよミク、……直ぐ行くからな」
啓吾は渾身の力を込めてペダルを踏み込み続けた。
PM 8:15。
公園の電話ボックスの中に駆け込んだミクは、激しく襲う震えを必死に抑えつつ、カバンの中から携帯電話を取り出す。電話ケースを開けて画面を操作しようとするが、恐怖で思った場所をうまく押すことができない……
「あの口……本当だったんだ……サイトの話……」
何度も誤操作を繰り返し、やっとの事でミクは近くの派出所に勤務する兄の携帯番号のボタンを押す事に成功する。
――プルルル……プルルル……プルルル……プルルル……――
――早く!……早く電話に出て!兄ちゃん!――
『プツッ』
ミクの携帯電話がやっとつながる。
「に、兄ちゃん!やばいよ!ミク、殺されちゃうかもしれないよ!」
ミクの言葉に重なるように、ミクの後方から聞き慣れた女の声が聞こえてくる。
「ちょっとー。ケータイ壊れてないじゃないのーー」
――マサコだ――
「しかも〝にいちゃーん〟て、ママに用事って言ってたよねーー?」
恐るおそる後ろを振り返る。
マサコが電話ボックスにぴったりと顏をくっ付けて、ゆったりとした低い口調でミクを罵っている。ミクはその表情を見て慄然とする。
マサコの見開かれた目は確かにこちらを向いてはいる。向いてはいるがその焦点は完全にミクを突き抜けて虚空を見ている。そして、マサコの眼球は顔面と一体化しているかの如く完全に動きを無くし、プラスチックのような鈍い光を放っている。
「殺されるって、何言ってんだ?……ミク、お前、今どこに居るんだ!?」
受話器の向こうから啓吾の声が流れる。
「からす山公園の電話ボックスだよ!兄ちゃん!助けに来てよ!」
『ドンッ!』
マサコが突然電話ボックスを激しい力で叩いた。
『もーーいーーかぁーーい』
あまりの恐ろしさに思わず携帯電話が右手からすべり落ちる。
急いでそれを拾おうとしたミクの右手に強烈な痛みが走った。
電話ボックスの下部に開いた7~8センチほどの隙間から伸びた細い手が、狂ったようにカッターナイフを振り回している。ミクの手の甲はパックリと大きく開き、刹那、真っ赤な鮮血が電話ボックス内に飛び散る……
マサコはカッターナイフをポイと捨てて立ち上がると、強烈な力で電話ボックスのドアを引き開けようとする。
「やめてーーーーーっ!」
ミクは慌てて携帯を手離し、両手を使って扉が開かないよう必死に抵抗する。
「マサコ弱ーーい。こんなにチカラ、弱かったんだね~~。超ウケるーー」
ミクは扉を押さえていた両手をタイミングよく外し、入り口のドアを逆にケリ開ける。
不意をつかれたマサコは後方に尻餅をつく。
ミクはすかさず電話ボックスから脱出する。
「逃がすもんかっ!」
走り出すミクの足にマサコが自分の足を引っかけた。
ミクは電話ボックスのすぐ横に横転してしまう。
身体をかばって支点にした右手から再びぷしゅっと血が噴き出す。
――痛い、痛い、痛い、痛い……――
痛みを我慢して立ち上がったものの、その体験したこともない激痛にミクは自分の右手の甲にもう一度目をやった。
『トンッ……』
その瞬間、左側からマサコがミクにもたれかかる。
「何これ?……」
自分の脇腹にあてがわれたマサコの手元からドクドクと流れる真っ赤な液体を眺めながら、ミクの意識は真っ黒な絶望に染まっていった……
…8…
家庭科の道具がこんな所で役に立つなんて笑っちゃう。
私の洋服バサミは、柔らかいミクの脇腹の奥の方まで簡単に入ってしまった。
「何これ?……」
――何これって?ハサミにきまってるじゃん。あー、でも半分以上入っちゃってるし、この角度じゃミクにはわかんないかもね――
「マサコ……あんた……全部アンタが?……」
『ぐきっ』
私はミクの喉元に伸ばした人差し指と親指で喉ボトケをつかんでねじる。
思いのほかイイ音がして少し驚く。
ミクは口から黒っぽい血を流しながら必死になって私の手を振りほどき、勢いよく私を後方に突き倒した。
後頭部に固い物が当たって変な音が響いた。
どこかが欠けたみたいだ。でもかまわない。
これはそういうゲームなのだから。
「もーいーかーい」
よろめきながら逃げるミクを追いかけていたら、
また例の言葉が自然と口から出た。
「もーいーかーい」
「もーいーかーい」
言葉が止まらない。
なんだかとっても楽しくなってくる。
「ゼビューーッ、ゼヒジューーッ……」
2メートルほど先を必死でよろよろ走るミクの重機の様な息遣いが聞こえる。
ずい分血が出てしまったようで、もうその足取りはとても遅い。早歩き程度ですぐに追いついてしまい、つまらない。
私はハサミを振り上げて、ミクの後ろ首に弱めに突き立ててみた。
――どすっ――
「ぶグシュッ!」
ミクが面白い声を上げる。
「……ゼヒュッ、ジヒュッツ……ヴぁえっ」
少しだけ速度も上がった。ミクは何か言ってる様だが内容がさっぱり分からない。
「もーいーかーい」
――どすっ――
なんだかとっても楽しい。
「あ」
――ドタッ!――
足がもつれて、とうとうミクは横の芝生の方に倒れてしまった。
うつ伏せに倒れたミクを仰向けに返して、私はその血だらけのおなかの上に馬乗りになった。
月明かりを浴びて血まみれで口をパクパクさせるミクの姿は、まるでこの公園の池の鯉みたいに可愛らしくて綺麗。
――そうだ、これは涙を流して歓喜の歌をうたっている鯉だ。赤い鯉だ――
「ヴぁさ……ヤ……ヤメ……」
感動で目頭が熱くなる。
私は、交響楽団の指揮者の様に大きく洋バサミを天に振りかざす。
直後、一発の銃声が響いた。
…9…
大男に襲われていた妹の姿を発見した啓吾は、迷わず拳銃の引き金を引いた。
薄暗かったが確かに手応えはあった。
――何だっていうんだ……今妹を追いかけていた男は何だ?……いや、あの身長は異常すぎる。人間じゃない何かの動物か?――
啓吾は全く反応の無くなった二つの固まりを目指し、全速力で駆けて行った。
「ミク……」
そこには変わり果てた妹の亡骸があった。そのあまりの凄惨な姿に、啓吾は言葉を失ってしまった。ミクの脇には身体の真ん中から血を流し、仰向けに倒れている見覚えのある少女の姿があった。
少女は震える手を啓吾に差しのばし、必死に何かを訴えようとしている。
「キミ……真佐子ちゃん?……ミクの友達の真佐子ちゃんだよね?」
少女は懸命に小さく頷いている。
「今ここに居た大男は?……大男はどこに行ったの!?」
啓吾は少女の胸の傷痕を見てハッとする。
――銃痕?……まさか……誤ってこの子に当ててしまったのか、俺は?――
啓吾は慌てて少女の傍らに駆け寄ると、その手を取って容態を確かめる。
「い……か……」
少女が何か言おうとしている。
「も………い………か……」
「黙って!……喋ると傷口が広がるから、……いいから、黙って」
『え?いいの?』
啓吾の言葉にマサコはすっと上体だけ起こすと、何事も無かったかのように突然、はきはきと言葉を返してきた。
『今、いいって言ったよね』
「???」
『い・タ・だ・き・マ・す』
瞬間、少女の顏が歪に変形した様に感じたが、啓吾の意識はそこで途絶えた。
*********
7月24日 AM 5:40。
「春日~、お前どこ行ってたんだよー。つーか無断でこんなに長時間職場空けるなんて、完全に始末書モンだからな」
「………」
啓吾は自転車を派出所の横に停めると静かに交番内に入って行く。
「お前、何とか言えよ!黙ってちゃわからんだろが!……何してらしたんですかっ!」
「家族が……家族から急に具合が悪くなったと連絡が入りまして……あんまり様子がおかしかったもんで、つい戻ってしまって……ホント、すいませんでした……」
浜田は奥の部屋から水の入った小さなジョウロを持ってくると、窓際のクワズイモに水をやりながら続けた。
「まぁ、おれがこれ以上言う事じゃないがな。電話ぐらい入れろっての。ガキじゃないんだからよ……悪いが本署には報告するからな、コレ」
「すいません……」
啓吾に背を向けて鼻歌を歌いながら楽しそうに観葉植物に水をやっている浜田の後頭部に向い、啓吾は拳銃を構えてみる。
――今、引き金を引いたら、あの葉っぱとかも真っ赤になって笑えるよな~。……撃ちたい……凄く撃ってみたい……――
ふっと振り返った浜田は、啓吾がとっさに拳銃を背後に隠した事など、全く気が付いていない。当然だ。啓吾は浜田に小さく笑って見せる。
「なんだそのツラは……気持ち悪いやつだなぁ」
浜田はジョウロを片付けに、再び奥の部屋に戻って行く。
「そんなだから、ロンパーって言われるんだっての」
〝ロンパー〟とは、啓吾の斜視を馬鹿にして浜田が付けた悪口だ。啓吾は今度は気持ちを込めて浜田の背後に再び銃口を向ける。
啓吾の人差し指に、ゆっくりと慎重に力が加わっていく……
「おはようございますー!浜さん、交代時間ですよー」
背後から同僚の中田の声が響く。
――あぶない、あぶない、危うく撃ってしまう所だった。こんな所で撃ったら、すぐに捕まっちゃうじゃないか。馬鹿か俺は…………そうだ!――
本署の証拠品保管庫に足が付かない道具が山ほどある事を思い出し、啓吾は「くすっ」と嬉しそうに微笑んだ。
「まずは、浜田のクソヤロウから血祭りだな」
…エピローグ…
自宅の薄暗い子供部屋で、学校から配布された小さなノートパソコンを開き、小学2~3年生くらいと思われる少年がサイトを閲覧している。
サイト画面の左上には古印体フォントのような崩し文字で『呪い333』とある。
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<カガミオニとは?>
平安時代、上級貴族の間で発祥したとされる禁忌の遊戯。
20メートル四方の運動場に罪人を集め、身体の中にカガミオニを憑りつかせた何人かをその中に放つ。
オニが誰に隠れているかを推測しながら、次々と罪人が殺されていく様を遠巻きに眺めて楽しむ、という暴虐極まる遊戯であるが、一部の熱狂的な愛好家達の間で儀式の様式は受け継がれ、禁止令が敷かれる江戸時代中期まで続いたという記録もある。
カガミオニは、触れた人間の間を自由に移動ができるので、これを発見し退治するのは困難を極めたが、オニ憑きの舌は奇妙に〝黒変〟するらしく、これを頼りに2※ケの地8そン死##カン89943このカガミオ観ソ棒ヘ3カ%66<火>カ弐カ#カヘ=マ戒シチQネ9ン096975399865098678116523987……
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「なんだよこのサイト、こわれてんじゃん……」
――タケシーー。ご飯出来たからそろそろおりてらっしゃーい――
「はーーーい」
少年はネットの履歴を消去した。
「せっかく、くそばばぁを殺せると思ったのに……」
(完)
いかがでしたでしょうか?
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長編になりますが、宜しければ連載ホラー『手まりの森』の方も、
是非、お楽しみください!
( 2021.8/9 羽夢屋敷 )