伯爵様の苛立つ朝食 (デイモン)
「おい、聞いているのか?アーティア」
「あ……、すみません。もう一度よろしいですか?」
はぁ、と俺はアーティアに聞こえるように大きな溜め息をついた。
そうすると彼女の動きの少ない表情が少し歪むのを知りながらこんな事をする自分は最低なのかもしれないとデイモンは思う。
だが、最近は特に彼女に対して苛立ちを抑えることが出来ずにいつもこんな態度をとってしまう。
昔からそうだ。俺は妻であるアーティア・ステラを目の前にすると感情の制御をすることが途端に下手くそになる。
特に思春期を迎えてからは最悪で、いつもはもっと上手にオブラートに包める言葉達も、彼女を前にすると酷く鋭い刃となってしまうから自分でも訳がわからない。
そしてアーティアも俺がそんな態度をとっても責めるどころか、言い掛かりのような言葉を静かに受け止め要求以上に完璧に課題をこなしてくるから、俺は謝るどころか更に苛立ちもっと鋭い言葉をアーティアに向けてしまうのだ。
ロザリアとならば楽しく会話ができるのに、とつい隣に座るロザリアに視線を移す。
ロザリアは大きな口を広げ、茹で玉子の入ったサラダを頬張っている。
カトラリーの使い方も、食事のマナーも控えめに言っても美しくない。むしろ他の貴族達と食事をすれば、みんな顔を顰めてしまうようなありさまだろう。
しかし突っ込みどころ満載の彼女には何故だか俺はなんの感情も動かない。強いていうのなら「そんなに美味しかったのか」と思う位のものだろう。
なのに目の前で淑女のお手本のように美しい所作で食事を摂っているアーティアには、その姿を目の端に捕らえるだけで感情が沸騰しそうになるのだ。
『伯爵家の跡取り足るものは常に冷静に、公平な目で物事を捉えよ。』
そう父と母に言い聞かされ育ってきた。自分で言うのもなんだが、実際に俺は常に冷静で公平な目で物事を捉えられる人間に育ったと思う。ただしアーティアに関することを除く、という注釈がついてしまうが。
「……っだから!!ラザニア様とのお茶会にはロザリアも一緒に連れていくように、と言った!!」
デイモンが不機嫌を隠さずに大きな声で吐き捨てるように言う。
「……理由をお伺いしても?」
「ロザリアが行きたいと言っているんだ。元々ラザニア様からの招待状は伯爵家の奥方を招待したものなんだから、似たようなもののロザリアが行っても問題ないだろう。」
「……わかりました。では私は今回ロザリア様にご招待をお譲り致しますのでどうぞご参加ください。」
冷静にそう告げたアーティアに、デイモンは眉間に皺がよるのを抑えられない。
いつもそうだ。何故この女はこんなに冷静で無機質なんだ。
「何故そのように話をややこしくする!!何故ロザリアに優しくしないのだ?!何もわからないロザリア一人をお茶会に行かせることにお前の胸は痛まないのか?!」
声を荒げ、デイモンはアーティアを睨み付けた。
しかし、アーティアは臆することなくデイモンから視線を外すことはない。
「あの~」
痛いほど張りつめた空気の中、二人が無言で視線を合わせていると場違いなほど呑気なロザリアの声が隣から割って入った。
「えっと、なんか私のことで言い争ってる?確かに、お茶会には行きたいって言った。でもそれはアーティアともっと仲良くなりたかったからなの!!デイモンとアーティアと三人でお出掛けとかしたら楽しいだろうなぁって思って。だからそれで二人が喧嘩したら全部意味ないの!!」
ロザリアはアーティアとデイモンを交互に見ながら身ぶり手振りを交えて一生懸命自分の気持ちを伝えようとしている。
「だから、えーと、つまり!!アーティア一緒にお出掛けしようよってこと!!ほら、三人でさ。お茶会が嫌なら違うとこでもいいしさ。きっとスッゴク楽しいから行こうよ!!」
目を輝かせてロザリアはアーティアに手を差し出す。
デイモンはそんなロザリアの真っ直ぐさが羨ましかった。彼女は記憶喪失で自分が誰かもわからない。不安や絶望、心細さをきっと感じているはずなのに、彼女はいつでも太陽のように明るく真っ直ぐで純粋だ。
(彼女ならアーティアの心を動かすことが出来るのではないだろうか)
そんなことを想像し、デイモンは複雑な気持ちになった。
「……申し訳ございませんが、予定が詰まっておりますので、私は遠慮いたします。どうぞ私のことはお気になさらずお二人でお出掛けください。」
静かにロザリアの話に耳を傾けていたアーティアがようやく口を開いたかと思うと、先程のデイモンの想像とは裏腹に、アーティアはきっぱりと迷うことなくロザリアの誘いを断った。
「あっ、えっと、そうなんだ!!じゃあ予定が空くのをまつよ!!いつだったらいいかなぁ?」
「申し訳ございません。予定はずっと空くことはありませんのでロザリア様と旦那様のお二人でお出掛けください。」
「あ……、そっかぁ。」
きっぱりとした拒絶に、さすがのロザリアもしょんぼりと肩を落とした。
そんな姿を見てしまえば、デイモンも黙ってはいられず、テーブルを思わずバン!!と強く叩いた。
すると、室内が一瞬で静寂に包まれた。
「……お前は一体どういうつもりだ?」
「質問の意味が解りかねます。」
アーティアの冷静な一言にデイモンはカッとなり、一瞬で頭に血が昇っていくのを感じた。
「お前は冷たすぎる!!ロザリアにも、他の人間にも。少しは歩み寄ろうとすることが出来ないのか?!それともお前と違って俺に望まれて側室になったロザリアに嫉妬でもしているのか?!そんな冷徹な態度で人を人とも思っていない人間が伯爵家に相応しいとお前は本気で思っているのか!?」
「デイモン!!そんな風に言ったらアーティアが可哀想!!言い過ぎだよ!!」
「庇わなくていい!!俺やロザリアが何も言わないのをいいことに正妻だからと調子に乗っているからいつか言わなければと思っていたんだ!!いいか、アーティア覚えておけ。お前は所詮義務で娶られた名目上の妻だ!!俺がお前を望んだことなど一度としてない!!いいか、一度として、だ!!側室だからといってロザリアを蔑ろにすることはこれから一切許さない。所詮お飾りの妻であるお前と俺に望まれてここにいるロザリアではロザリアの方が立場が上だと言うことを決して忘れるな!!」
デイモンは感情のままに一気に捲し立てるようにアーティアに言葉を投げつけた。
そしてさぞ傷ついた顔をしていることだろうとアーティアの顔へと視線を移す。
だがデイモンの予想は外れ、アーティアの顔から悲しみの感情を窺うことは出来なかった。
それどころか怒りや憎しみ等、何一つとして浮かんでいなかった。
そこにあるのは「無」。ただの「無」だった。
さすがのデイモンも、いつも感情の薄いアーティアであったがそれとは明らかに空気の違う様子に戸惑いを覚える。
「おい、何か言ったらどうだ?」
デイモンが問いかければ、いつものアーティアであれば理路整然と正しいことを最もらしく簡潔に伝えて、デイモンを更に激昂させるのだが、何故か今日はいつまでたっても口を開かない。
暫しの沈黙の後、気まずい空気の中待つことに焦れたデイモンが口を開きかけたとき、
「わかりました。」
とアーティアが何の感情も籠らない瞳で一言、そう告げた。
「今のお話、決して忘れずに胸に刻みます。」
抑揚のない感情の読み取れない声でそう言うと、アーティアは一人食事を再開した。
実際は殆どの音を立てていないのに静まり返った室内では、アーティアが朝食のハムをナイフで切り、咀嚼する音がデイモンの耳には酷く鳴り響いているように感じた。
「あ……、えっと……そうだ!!私ずっと気になってたんだけどアーティア、私のことロザリア様って呼ぶでしょ?あれ、やめない?!ほら、ちょっと前までは私のことロザリアって呼んでたし、私アーティアにそう呼ばれると仲良くなれたみたいで嬉しいの!!私もアーティアって呼び捨てにしてるし!!それに家族なんだからみんな親しく呼び合いたいじゃない?あ!!いい機会だからデイモンのことも旦那様じゃなくてデイモンって呼んだら?!うん!!それがいいよ!!そしたらきっともっと仲良くなれる……」
「呼び方を、変えるつもりはありません。呼び捨てにしていた頃とはお互いに立場が違います。ロザリア様のことはこれからもロザリア様と、それ以外の言葉でお呼びすることはないでしょう。……もちろん旦那様も同様です。」
「あ……、そ、そっかぁ……」
静まり返った空気を和ませようとわざとらしい明るさをもってロザリアが早口に言葉を捲し立てたが、その言葉はあえなくアーティアによって遮られまたしてもきっぱりと断られてしまった。
「はぁ…、もう良い。お前の顔を見ていると食事が不味くなる。今度のラザニア様の茶会もお前は参加しなくて良い。代わりに俺とロザリアが招待を受けることにする。」
「わかりました。」
お前の返事など必要ないとばかりにアーティアが返事をしている途中でデイモンは席を立ち上がり、ロザリアの手を引いた。
「ロザリア立て、もう食事は終わりだ。」
「え、でも!!」
「腹が空いているのなら何か持ってこさせるから行くぞ。」
「えー!!もう!!短気なんだから!!アーティア、ごめんね。この人根は悪い人じゃないの!!許してあげてね。」
半ば強引にデイモンに引きずるようにして連れられたロザリアはアーティアに聞こえるように声を張り上げながらしゃべり、ダイニングルームを後にした。
一人残されたダイニングルームでは、アーティアが静かに一人食事を続けている。
その異様に落ち着いているアーティアの姿に、室内に残された使用人達は心配の眼差しを向ける。
側に控えていたアンはいつもと変わらないアーティアの姿を見つめ、言い様のない不安に駈られるのだった。
★★★
「ねぇ、ちょっと言い過ぎたんじゃない?あれじゃアーティアが可哀想だったよ。」
「そんなことはない、本当のことを言っただけだ。」
デイモンの言葉に「しょうがないんだから」と、ロザリアが溜め息をついて、なにやらぐちぐちとお小言を言い出した。
が、デイモンには届いていない。
デイモンは何故だか先程の無機質なアーティアの瞳が頭から離れずにいた。
正直、少し言い過ぎたと思う。いや、かなり言い過ぎたと、自覚している。
だがそれはいつものことで、どんなに酷い言葉を浴びせかけてもアーティアは動じることがなかった。
正確に言えば先程もいつもと同じく動じていなかったように思える。
だが、何故か先程見たビー玉のようなアクアブルーの瞳が脳裏にこびりついて離れないのだ。
あの一瞬、どうしようもない胸騒ぎを感じた。頭の中に警告音が響き渡り、このままではダメだと俺の中にいる何かが騒ぎ立てた。
しかし、その後ロザリアが話しかけるといつも通りのただの冷たいアーティアに戻っていたため、見慣れた苛立ちと僅かな安堵を抱えダイニングルームを後にした。
(考えすぎだな……。)
デイモンは頭をくしゃりとかき回し、あの時の違和感はただの気のせいだと答えを出し、考えることを放棄することにした。
ーーもしも、あの時感じた違和感についてもう少し真剣に向き合っていれば違った結末が待っていたのだろうか。
あの日見たビー玉のアクアブルーの瞳がデイモンの頭から離れない。