伯爵夫人の憂鬱な朝食
伯爵夫人である私の朝は結構早い。
日が上る前に起きて身支度を済ませた後、朝食前に執事長とメイド長と共に一日のスケジュールの確認をし、必要な指示を出す。
そして早朝に配達された配達物の確認をして、急ぎのものには直ぐに返事を書き郵便係のメイドへと預ける。
そして旦那様の起床時間まで雑務をこなし、旦那様がダイニングルームへと向かわれる頃私もやっと朝食の席へと向かうことができる。
もしかするとこんなに朝早くから起きて仕事をする貴族の奥様は少数派なのかもしれない。
だけど、私は人より要領が悪くて物覚えも悪いから他の人の二倍も三倍も時間をかけないと仕事が終わらないのだから仕方がない。
アーティアは今朝届いたばかりの夜会の招待状への返信に、間違いがないかと慎重に見返していく。
そしてスケジュール帳とにらめっこしながら夜会の日にちを確認して、間違ってもダブルブッキングなどしてしまわぬようパズルのように予定を組み込む。
「奥様、朝食の準備が整いました。」
「わかったわ。」
(もう、そんな時間か……。)
アーティアは自身の手足が鉛のように重たくなっていくのを感じた。
少し前までは朝食の時間がくるのが待ち遠しかった。
ステラ伯爵家の料理人の作る食事はとても美味しいし、なによりお互いに忙しい身であるデイモンとアーティアが顔を合わせて会話することが出来る数少ない場だったからだ。
何度も時計を見ては、まだかまだかとそわそわとしながら仕事をこなす。
私の落ち着きのなさは見かねたメイドのアンが「お時間になりましたら声をお掛けしますから。」と苦笑いするほどだった。
そんな楽しみだった朝食の時間。
今は違う意味でそわそわとしてしまう。
今のアーティアにとって朝食の時間がくるのが何よりも苦痛で仕方がなかった。
何故なら朝食をとるダイニングルームには先日から夫が側室に迎えたロザリア様もやって来るからだ。
当主であるデイモンを待たせる訳にもいかず、アーティアは鉛のように重たい身体に鞭打ってダイニングルームへと向かった。
幸い、ダイニングルームにはまだ誰も来ておらず、アーティアが一番乗りだった。とりあえず、アーティアはそのことにほっと胸を撫で下ろす。
先にロザリアとデイモンがダイニングルームにいる場合は最悪だ。
二人の楽しげな笑い声で溢れている室内に一人で入らなければならないのだから。
(そして私が姿を表した瞬間にピタリと二人の表情と話し声が止まってしまうのも、嫌。)
アーティアはこの一日の中で最も憂鬱な時間が早く過ぎ去ってくれるよう願った。
しばらくして、ダイニングルームの外がわずかに賑やいだ。
そしてアーティアは一瞬で悟る。
今日のパターンが最も最悪だとアーティアは誰にも聞こえないようにそっと溜め息わついた。
ダイニングルームへと入ってきたのはもちろんデイモンとロザリア、今日は二人仲良く一緒にご登場だ。
デイモンの腕に掌を絡ませ、可愛らしい笑顔でデイモンに笑いかけていたロザリアの表情が、室内にいる私と目が合ったことで一瞬にして真っ赤に染め上がった。
ロザリアの異変に気付いたデイモンも、私の姿を捕らえ気まずそうに視線を反らす。
「……今日は早いな。」
「はい。」
アーティアは視線を反らさず、二人を見つめた。
何故ならアーティアは後ろ暗いことなど何一つとしてないからだ。
そう、彼らと違って。
デイモンの部屋は二階の正面から向かって左に、ロザリアの部屋は向かって右端に位置している。そしてダイニングルームは一階の中央に設けられている。
つまり、朝食の席にデイモンとロザリアが二人一緒に現れると言うことは、昨夜デイモンとロザリアはデイモンの寝室で共に過ごしたということだ。
アーティアは気まずそうに席についたデイモンと、恥じらいながらもデイモンの隣の席にしっかりと座ったロザリアを見て、指先が冷えていくのを感じた。
(なんだか私が側室のようね……。)
アーティアは冷たくなった指先の皮を爪先でゆっくりと剥いだ。
うっすらと滲んだ血液がナプキンに滲んでいく。
無意識に繰り返されるその行為はもうアーティアに痛みを与えることはない。
いっそ、激痛を与えてくれたら良いのに。そうすればこの胸の痛みなど些細な出来事にしてしまうことが出来るのに。