ただ一つの愛をあなたに④
ルビーは何度問いかけてもポーシャル公爵領での生活について話すことはなかった。
アルテミスやルビーの家族が「何があったのか」「ポーシャル公爵に辛い目に合わされたのか」と問うてもただ静かに首を横に振るだけだった。
これではらちが明かないとルビーの父親がポーシャル公爵領を訪ねようとすると、ルビーは父親にすがり付き、お願いだから行かないでくれと言ってすすり泣いた。
「私が全て悪いのです。だからどうかレイン公爵には何も言わないでください。私のことも……お腹の赤ちゃんのことも。」
納得したわけではないが、ルビーがそこまで言うならとルビーの家族はポーシャル公爵領での出来事については追求せず、弱りきった身重のルビーをとにかく回復させることに専念させることにした。
それに、身重の妻が実家に帰ってしまったのだ。いずれポーシャル公爵から何事か連絡が来るだろうと信じて待つことにしたのだ。
まぁその思いはまたしても裏切られることになるのだが。
結局、一ヶ月経っても二ヶ月経っても、ルビーの痩せ細っていく身体とは裏腹にお腹がどんどん丸く大きくなってついに産み月になっても、ポーシャル公爵からは何の連絡もなかった。
ある日、いつものように幼いデイモンを連れてアルテミスはルビーのもとを訪ねた。
もういつ産まれてもおかしくないほど膨れ上がったルビーのお腹に手をあてて優しく撫でる。
柔らかく微笑むルビーは、顔色こそあまり良くないがその姿は聖母のように美しく尊いもののように感じた。
「僕もよしよししてもいい?」
そうデイモンがルビーに問いかけると、ルビーはとても嬉しそうに頷いた。
デイモンがお腹に優しく触れると何とも言えない不思議な感覚が掌から身体中に広がって行くのをデイモンは確かに感じた。そして心地よい感覚に身を委ねていると、ポコリとお腹の赤ちゃんがデイモンの手のひらを蹴った。
「わっ!!」
初めて体験に驚いたような嬉しいようななんとも言えない気持ちにデイモンは戸惑いの表情を浮かべお腹とルビーを交互に見やった。
アルテミスとルビーはそんなデイモンの姿をほほえましく見守る。
「ねぇ、ルビーおばさま。お腹の赤ちゃんは女の子なの?」
「さぁ?それはどうかしらね。」
「……そっかぁ」
ルビーの言葉に悲しげに顔を伏せたデイモンにルビーとアルテミスは顔を見合せ首を傾げた。
「どうしたの?デイモンはお腹の赤ちゃん、女の子が良いのかしら?」
アルテミスがそう問いかけると、デイモンは満面の笑みを浮かべ顔を勢い良く上げた。
「うん!!僕女の子がいい。だってそしたら僕のお嫁さんになってもらえるもん!!」
「まぁ!!」
アルテミスは息子の無邪気な発言に顔を綻ばせる。
そして、幼い頃ルビーとお互いの子ども達が大きくなったら結婚させて私達も本当の家族になろうと約束しあったことが懐かしく脳裏に浮かび上がってきた。
「それはいいわね。ね、ルビー?」
そう言ってルビーの方を見ると、ルビーは何処か哀しげに微笑み丸いお腹を優しく撫でた。
「ルビー……。」
アルテミスはそっとルビーに近づき、ルビーの滑らかな陶器のような掌の上に自分の掌を重ねた。
「大丈夫よ、ルビー。何も言わなくてもわかっているわ。」
そうアルテミスが言うと、ルビーはハッとしたような表情を浮かべる。スッと青白く滑らかなルビーの頬を一筋の涙が通ったかと思うとルビーは顔を歪ませ静かに声を出して泣きだした。
アルテミスはそっとルビーの背に腕を回し、ポンポンと優しく撫でた。ルビーが落ち着くまでずっと。
桃色に染まった頬の色、蒸せ返るような薔薇の香り、そして幸福に包まれた二人の笑顔。
ポーシャル公爵領で何があったのかはわからない。だけど、私が見たあの幸せな姿は幻でもなく全て嘘偽りのない真実だった。
「ねぇ、ルビーおばさまは僕が赤ちゃんと結婚するのいやなの……?」
暫くの間二人で抱き合い涙を流していたアルテミスとルビーはどうしたら良いのかとおろおろしているデイモンの言葉にハッと我にかえった。
「そんなことをないわ!!デイモン。おばさまはあなたのことが大好きだもの。だからデイモンが赤ちゃんをお嫁さんにしたいと聞いてとても嬉しくなっちゃって涙が出ちゃったの。」
そうルビーが言うとパッとデイモンの表情が明るく輝く。
「じゃあお嫁さんにしてもいいの!?」
「えっと…?」
デイモンの真っ直ぐな視線に耐えかねて、助けを求めるようにルビーがアルテミスの方を見やる。
「ふふっ。そうね、ルビーおばさまのお腹の中にいる赤ちゃんが女の子だったらデイモンのお嫁さんに来てもらっちゃいましょうか?」
「え、ちょ…アルテ「「やったぁーーー!!」」
ルビーの困惑したような声にデイモンの喜びの叫びが被さる。
アルテミスは困惑して目をきょときょとさせているルビーにそっと近寄り、がデイモンに聞こえないようにそっとルビーに耳打ちをした。
「大丈夫よ、ルビー。子どもの言うことでしょ?それに産まれてきたら男の子でしたーって言うパターンも残っているわけだし。」
「でも……」
「それに、デイモンなら大丈夫よ。もし夫婦になればちゃんとルビーの赤ちゃんだけを一生大切にして愛し続けるわ。……ルビーも知ってるでしょ?我がステラ伯爵家の秘密。」
いつもとは違う真剣な表情でそんなことを言うアルテミスをルビーは困ったように見つめる。
「でも、それは片割れの番じゃなきゃ……」
「えぇ。でも私、あなたのお腹の中にいる赤ちゃんがデイモンの片割れの番じゃないかな?って思っているのよ。」
「えぇ~?もう……アルテミスは適当なことばかりいうのだから」
ルビーはそんな風に呆れていたが、アルテミスは適当でも冗談でもなく本当にルビーのお腹の中にいる赤ちゃんがデイモンの片割れの番なのではないかと感じていた。
何故ならデイモンがルビーのお腹に触れたときに浮かべた何とも言えない表情に見覚えがあったからだ。
(初めて舞踏会でダンスを踊ったとき、手が触れた瞬間のあの人の表情にそっくりだったのよね。)
アルテミスは夫バロックと息子の姿を重ね合わせ、フフフと笑った。
「もうっ、アルテミスったら言い出したら聞かないんだから。でも、そうね……もし本当にデイモンとお腹の中にいる赤ちゃんが片割れの番同士だとしたら、とても素敵なことだわ。」
「本当にそうね…。まぁ婚約(仮)ということでここは手を打たない?ルビー。後のことは若い二人に任せるということで。」
「まぁ、アルテミスったら」
顔を見合せ吹き出し、アルテミスとルビーはいつか来るかもしれない幸福な未来に胸を踊らせた。