ただ一つの愛をあなたに
「…やはり側に居すぎたのがいけなかったのかしら?」
深い深いため息をつき、デイモンの母であるアルテミスはすっかり冷えきった紅茶に口をつけた。
「違うだろ。結局あいつの人間性の問題だ」
アルテミスの独り言のような呟きに、デイモンの父であるバロックが大柄な筋肉質の身体をドサリとソファーに沈め、心底不愉快そうにそう断言した。
どちらにしろ私達の育て方が悪かったのよ…、とアルテミスは肩を落とした。
「はぁーあぁ……。」
陽当たりの良いティールームにアルテミスとバロックの溜め息が溢れかえる。
「本当だったら今頃はアーティーと三人で、デイモンの仕事が終わるのを待ちながら仲良くお茶をしているはずだったのに。」
アルテミスはアーティアの可愛らしい笑顔を思い出しては、愚息の愚かすぎる行いに頭を抱えるのだった。
(ごめんなさい。あなたとの約束を破ってしまったわ、ルビー…)
★★★★★
アルテミスとアーティアの母であるルビーは幼なじみであり大親友だった。
活発でお転婆娘だったアルテミスと、身体が弱く殆どの時間をベッドの上や自室で過ごすことが多かったルビー。
ルビーより5つ年上であったアルテミスはルビーのことを本当の妹のように大切に思ってきた。
日差しに弱くすぐに体調を崩してしまうため外に出られないルビーの為に、アルテミスはルビーのもとを訪ねよく外の世界の話を聞かせてあげた。その話は時に大袈裟すぎるほど誇張されていたが、青白い顔のルビーが微笑み、ほんのりと桃色に染まるその愛らしい姿が見たくてアルテミスは一週間と空けずルビーのもとを訪れた。
それはアルテミスが結婚してからも変わらず続いていた。
ルビーの父母や兄は、身体の弱いルビーを嫁がせるつもりはなかった。
幸いルビーの家は恵まれた土壌の領土を持っている裕福な男爵家であり、ルビー1人養うことなど造作もない事だった。
世間では穀潰しだの行き遅れだの言う者もいたが、ルビーが心穏やかに過ごせることが何より大切だと考えていたルビーの家族はどんな陰口を叩かれようと少しも気にはならなかった。
そんな穏やかな日々に変化が訪れた。
ある日を境にルビーのもとにルビーを嫁にもらいたいという縁談話が大量に届くようになったのだ。
きっかけはステラ伯爵家に産まれた長男デイモンの御披露目パーティーにルビーが参加したことだった。
身体が弱いため、長時間の外出や日中の外出が難しかったルビーが貴族達の社交的な場に現れたのはほぼ初めての事だった。
最近体調が良かったこともあり、無理はしないこと、アルテミスとデイモンの顔を見たらすぐに帰宅することを条件にルビーはステラ伯爵家のパーティーに参加することになったのだ。
御披露目パーティーはステラ伯爵家の広大で緑豊かな中庭で行われていた。
その日の主役はもちろんデイモンだったが、ルビーが中庭に現れた瞬間、老若男女問わずその場に居た全ての人間の視線がルビーに惹き付けられた。
陽の光りに照らされたルビーの姿は息を飲むほど美しく、その姿に目を奪われたのは初めてルビーの姿を見た者達だけでなく、幼い頃から共に過ごしてきたアルテミスも例外ではなかった。
いつも話しをするカーテンの締め切られた部屋で見るルビーもとても美しい少女であったが、陽の下で見るルビーはこの世のものとは思えない美しさだった。
そのときアルテミスは妙に納得したのだ。
(きっとこの子は神様の愛し子なのだわ)、と
外に出てしまえばその美しさに皆が気付き取り合いになってしまうから、だから小さな箱庭にルビーを隠したのね。
陽に透けてキラキラと輝くプラチナブロンドが眩しい。
白磁の滑らかな掌で我が子を抱き締めるルビーを見ながらアルテミスは温かな気持ちに包まれていた。
赤子を愛しげに見つめるルビー、その場に居た男性達はその姿を見てこの美しい女性に我が子を抱いて欲しいという欲望が溢れるのを止めることが出来なかった。
アルテミスはこの日のことを忘れることは無いだろう。
あの目を奪われるようなルビーの美しい姿と、幸福に包まれた温かな時間を。
そして永遠に後悔し続けるのだ。
何故あの日ルビーを外に出してしまったのかと……。