閑話:Secret①バロック
「バロック様、バロック様はご存知なのでしょう?ポーシャル公爵家にあるあの小さな青い扉を。………あの廊下に無数に並んだ青い瞳の愛らしい少女の肖像画達を。」
心臓が早鐘を打つ。
目の前の儚げで美しい少女のような妻の親友は、何もかもを見透かした様な瞳でバロックを見つめる。
その瞳は嘘も誤魔化しも通用しない、強い意思が込められていた。
★★★
その日、バロックは妻アルテミスの親友であるルビーの出産を祝うためにルビーの邸を訪ねていた。
仕事のため一人遅れてしまったバロックは、温かな日差しの降り注ぐ中庭で椅子に腰かけているルビーの元に案内され出産の祝いの言葉を述べた。
「お忙しいのにわざわざありがとうございます。」
「いや、こちらこそ妻と息子がはしゃいで申し訳ない。ルビー殿の赤子が産まれるのを今か今かと楽しみに待っていたから待ちきれなかったようで、産後間もないというのに押し掛けてしまい申し訳ないことをした。」
「ふふ、アルテミスは本当に優しい人だから。私はいつまでたっても彼女に心配をかけてばかりで。私が元気な赤ちゃんを産めるよう祈っていてくれたのです。今日も赤ちゃんを見て自分のことのように泣いて喜んでくれました。アルテミスには感謝の気持ちでいっぱいです。」
「それなら良いのですが。」
「アルテミスとデイモン様は赤ちゃんを日光浴に連れていってくれています。もうすぐ戻られると思うのでバロック様もよろしかったらこちらで一緒にお茶でも頂きながら待ちませんか?」
ルビーの誘いに断る理由もなく、バロックは「お言葉に甘えて」とルビーの正面の椅子に腰を下ろした。
そして和やかな雰囲気で始まった二人きりのティータイム。
ぽつりぽつりと世間話をしていると、ルビーが唐突に冒頭の質問を投げ掛けてきたのだった。
「ポーシャル公爵家を出るとき、夫に、レイン様に言われたのです。頑張って足掻いて足掻いて足掻き続けてもどうにもならなかったときは、その時はバロック様に助けを求めるようにと。」
「……あいつには貸しがある、バロック様はポーシャル公爵家の秘密を承知している、と。」
バロックは友人であり、戦友でもある無口な青年を思い浮かべ大きな溜め息をつく。
(あいつはとんでもない厄介事を持ってきてくれたな)
昔、バロックは戦場でレインに命を救われた事がある。それも一度だけではない。二度もだ。
一度目は不意をつかれ背後から斬りかかられそうになった時、二度目は下手をこいて捕虜として捕らえられ翌日にはギロチンにかけられそうになったとき、そのどちらもレインが見事な剣捌きで敵を倒し救出してくれた。
あいつがいたからこそ今、俺とアルテミスとそしてデイモンが生き長らえこの場にいることができていると言っても過言ではない。
だから確かにその時に誓った。『もしもお前が助けを求めることがあれば何でも力になる』と。
強靭な肉体とずば抜けた戦闘能力を持っているバロックだったが、彼には欠点がいくつもあった。
例えば一度戦場へ入ってしまえば個人プレーはいつものこと。協調性なんてものは持ち合わせていない。
先陣を切って前線へただ力で押しきり突き進むだけだ。
そんな彼を他の騎士達はその圧倒的な強さに羨望の眼差しを浮かべる者も多かったが、反対に和が乱されると完全無視を決め込み所詮は野蛮な竜の子孫なのだと蔑む者も多かった。
そんな中で唯一バロックに対して特別な興味を抱くこともなくかといって蔑むでもなかったのが王立騎士団で第二部隊副団長補佐を任されていたレイン・ポーシャルだった。
レインは力任せに戦うバロックとは正反対で、様々な戦場の地形や対戦国の細かいデータを集める、より適切な戦術を駆使し効率的にかつ安全に戦闘を進めることに長けていた。
そして圧倒的な強さを誇るバロックと唯一渡り合える程の剣の腕も備えていたことで、バロックはレインに一目置いていたし何れ手合わせを願いたいと思っていた。
水と油のように正反対の二人だったが、何故か馬が合ったので訓練の合間には共に語らうこともあったし、バロックが暴走すればレインが窘めフォローに回った。
当時既に百歳を越えていたバロックだったが、端から見ればレインの方が遥かに落ち着いていて大人びていたと思う。
「一つお伺いしていいですか?」
頭を抱えるバロックに、ルビーが申し訳なさそうに尋ねる。
バロックが了承の意を伝え促すとルビーはずっと抱えていた疑問をバロックに問いかけた。
「バロック様はどのような経緯でポーシャル家の秘密をご存知になられたのでしょうか?そしてどこまでご存知なのですか?」
ルビー曰く、いくら旧知の仲だからといってレインが易々とこのような大きな秘め事、公爵家のトップシークレットを話すとは到底思えなかった。まして知ってしまえば何らかの不都合や迷惑をかけてしまうかもしれないそんなリスクを他人に科すことをレインが良しとするはずないとルビーは考えていたのだ。
「私が知っているのはほんの僅かなことだけです。それこそ、先程ルビー殿が仰っていた"あの小さな青い扉と廊下に無数に並べられた少女の肖像画達"を偶然見ただけに過ぎない。」
その日、バロックは休暇でレインと共にポーシャル公爵邸に向かっていた。
ポーシャル公爵領からそう遠く離れていない場所での任務を終えたあと、共に任務に当たっていたレインがせっかくなのでこの後数日休暇をもらい領地に戻って少しゆっくりするというのでバロックも共にポーシャル公爵邸に滞在させてもらうことにした。
と、言うのもその頃ちょうどアルテミスに猛アタックを繰り返しては撃沈するを繰り返していたバロックは、レインからポーシャル公爵領の民芸品であるガラス人形の話を聞き、ガラス人形をアルテミスにプレゼントしようと思い立ったのだ。
ああ見えて人形や可愛いものが大好きなアルテミスは花がほころぶような可憐な笑みを見せてくれるだろうか。
そしてあわよくば心の距離も縮め親密な関係になれればよいなとバロックは思っていた。
ポーシャル公爵邸は森の奥深くに位置し、広大な自然に囲まれた壮観で細部にまでこだわったとても美しい建物だった。
見渡す限り周囲には店どころか民家も無く、まさに陸の孤島というような邸だった。
レインの家族は丁度シーズンだったのもあり王都の邸に滞在するため留守だったが、公爵家の教育の良く行き届いた使用人達はバロックを丁重に歓迎してくれた。
邸で出された料理はどれも見慣れないものだったが、そのすべてが驚くほど美味しく、それも相まって晩酌に出された些か度数の高めな酒を水のように飲んではバロックは陽気に泥酔していった。
それは本当に偶然が重なったがゆえに知ってしまった公爵家の秘密。
陽気に酔っぱらったバロックは覚束ない足取りで用意された客室へ向かおうとしていたが、酔っぱらいゆえに普通ならば迷い込まないような場所に迷い込んだ。
邸の奥深く、そこはおよそ客人をもてなすような場所ではなかった。
明かりは殆んどなく薄暗い廊下は人の気配を感じず、どこか不気味な雰囲気を醸し出していた。
しばらくさ迷い歩くと、廊下に肖像画がずらりと並べられている場所に行き着いた。
薄暗く良く見えなかったが、何故か妙にその肖像画が気にかかったバロックは道なりに配置されていた燭台に手を伸ばし肖像画にかざす。
それを見たバロックの眉間に深いシワがより陽気な酔っぱらいから一瞬で険しい表情となった。
それは一見何の変哲もないただの少女の肖像画だった。
金糸の美しいロングヘアーに、真っ赤な唇。大きな青い瞳は長い睫毛に覆われ少女の美しい造形を一層際立たせている。
そう、その一枚の肖像画だけならば貴族の邸で良く見る風景であり、特別気にするようなものではなかった。
一枚だけならば。
廊下にズラリと並べられた肖像画に描かれているのは、髪型やドレスの違いはあるものの全てが同じ金糸の青い瞳の少女だったのだ。
娘を溺愛する父親が極稀ではあるが何枚も肖像画を描かせることはある。
だがこの肖像画達はそれとは様子が違うと感じた。何故なら肖像画に描かれている少女は全て10代前半という同じような年頃の姿で描かれていたからだ。
例え同じ人物の肖像画を描くにしても、果たして同じ時期に何枚も描くだろうか?
可能性は低いが遺伝による造形の類似だとしても、少女以外、例えば当主の肖像画等は一つも飾られていないのも不可解だった。
狂ったように同じ少女の肖像画を飾るポーシャル公爵家の意図が掴めず、バロックはその不気味な廊下から動くことができず立ち尽くしていた。
しばらくの間肖像画を眺めていると、バロックは一枚の肖像画の後ろに小さな扉が隠されていることに気づいた。
これ以上は止めた方がいい。頭ではわかっていたがバロックは好奇心に抗うことが出来ず衝動的に肖像画を外し扉に手を掛けた。
扉を開くと、そこは清潔に整えられた子ども部屋だった。
小さなベッドに繊細な細工が施された文机と木で作られたシンプルな木馬。
この部屋も一見何の変哲もない子ども部屋だった。
だが、良く見ると室内には窓が一つもなく、唯一外界へと続く扉は内側に取っ手はなく内側からは開けられないようなそんな仕組みになっていた。
何もかもが不自然で不気味だった。
バロックはこれ以上は足を踏み入れてはいけないと踵を返し急いで客室へと向かった。
★★★
「翌日、ベッドで目を覚ました私は恐る恐るダイニングルームへ向かいました。出迎えてくれた使用人やレインは昨日と変わることなくあたたかくもてなしてくれて拍子抜けしましたよ。だから昨日のあの不気味な肖像画と部屋が彼らに結び付かなくて昨日の出来事は酒に酔った私が見た夢だと思ったのです。」
朝食後、目当てのガラス人形を無事に購入することも出来、もう少しゆっくりしていけば良いのにというレインに『早くアルテミスの喜ぶ顔が見たいから』と言い、用意してもらった馬車に乗り王都へと一足先に戻ることにした。
「その時、レインに言われたんですよ。『あぁ、そうだ。昨日見たものは全て忘れろ。それがお前の為だ』と。その時私は悟りました。やはり昨日見たものは夢ではなく現実なのだと。」
それからもレインが公爵家を継ぐまで共に戦場で戦い続け、親しく付き合ってきたがあの日の出来事について触れることはお互いに一度もなかった。
「確かに私は無遠慮にポーシャル公爵家の秘密に土足で踏み込んだ。しかし、知っていることは本当に極僅かなのですよ。」
「そうなのですね……」
バロックの言葉に神妙な顔をして黙り込んでしまったルビーは暫しの沈黙の後口を開いた。
「アーティア・ポーシャル」
「え?」
「あの肖像画の少女の名前です。」
「あの少女達は同一人物ということですか?」
バロックの問いにルビーは静かに首を振る。
「いいえ、皆別の人間です。でも、あの肖像画に描かれた少女はみんな違う両親から産まれた全くの別人のはずなのに、名前も外見も性格も趣味趣向もすべて全く同じアーティア・ポーシャルなのです。」
ヒタリと嫌な汗がバロックの頬を伝っていく。
「そして、私の産んだ娘も金糸の髪に青い瞳を持っています。」
聞くな、聞いてはいけない。わかっていたのにバロックは問いかけてしまった。「娘の名前は……」と
「……アーティア、アーティア・ポーシャルと言います。」
ルビーの大きな瞳がバロックを捉えて離さない。
バロックは尚も掠れた声で呟く。「何故」と。
「私は、ポーシャル公爵家の歪な掟から娘を守る為にポーシャル公爵家から逃げ出しました。……レイン様も承知のことです。」
おかしいと思っていたのだ。
あの責任感の強い男が永遠の愛を誓った、それも己の子をその胎内に宿している妻を放り出し様子を伺う素振りも見せなかった事を。
何度ルビーの両親やバロックがレインに連絡を取ろうとしても手紙の返事は返ってくることはなかった。
だがレインも今回の事を承知の上だったとすれば全ての辻褄が合った。
「私は生まれた娘の姿を見て愕然としました。やはりどこかで間違いであって欲しいと願っていたのでしょうね……。金糸に青い瞳、まだ赤子ですが十年もすればあの肖像画の少女と瓜二つの姿になるでしょう。」
「だから、だからこそ私は決めていました。決して赤子に『アーティア』とは名付けないと。」
では何故、そんな思いが伝わったのかルビーは悲しげに美しい顔を歪めた。
「『名はどうする?』そう父や兄に尋ねられたとき私はレイン様と考えていた名を口にしようとしたのです。……ですが、口をついて出たのは『アーティア』という言葉。その後どんなに訂正しようにも口が縫い付けられたように言葉が出てこないのです。」
ならば紙に書こうと思ったが、出生証明届けに名前を書こうとしても何故か操られたように『アーティア』と記してしまうのだという。
「どんなに足掻いても足掻いても、逃げ出せないのです。こんな事をバロック様に頼むなんて筋違いなのも百も承知です。……それでも、どうか、どうか、助けてくださいっ……。」
ルビーは瞳に涙を滲ませバロックに乞う。
その姿はやはり儚げだったが、その瞳には揺るぎない強い意思が感じられた。
そんなルビーの姿を見る前からバロックの答えは決まっていたが、その瞳を見て必ず護ってみせると心に強く誓った。
「私はレインに誓いました。いつかあいつが私の力を必要とした時、必ず助けると。騎士は決して誓いを違えはしません。」
バロックの力強い言葉にルビーが安心したように身体の力を抜いた。そしてありがとうございますと繰り返し涙を流した。
協力を約束し、落ち着きを取り戻したルビーにバロックは改めて持ち続けていた疑問を投げ掛ける。
「そもそも、あの肖像画の少女は、アーティアとは何者なのか」と
すると、ルビーは表情を引き締め佇まいを正すとバロックを見据え口を開く。
「レイン様にもしバロック様が願いを聞き入れて下さった時は、ポーシャル公爵家の秘密を打ち明けるようにと言われました。今からお話することはどうか他言無用でお願い致します。もちろんアルテミスにも。」
バロックが頷くとルビーはふわりと微笑んだ。
「私の知りえるポーシャル公爵家の秘密を、あの肖像画の少女『アーティア』とは何者なのかを全て包み隠さずお話致します。」




