あの日を取り戻す旅⑦
「そんなに端によってたら落ちるぞ。……もっとこっちに来い。」
「は、はい。」
気を遣って遠慮がちにベッドの端の端に身を寄せたアーティアにデイモンはそんな言葉を投げ掛けてきた。
やはりデイモンがどんな気持ちでそんな事を言っているのかさっぱり理解することが出来なかったが、夫の寛大な言葉を無碍にするような教育は受けていないので恐る恐るベッドの中央へと身を動かした。
それに満足したのか、デイモンも同じようにベッドに横になった。横になるときに若干此方へと寄ってきたと感じるのは私の自意識過剰だろうか。
アーティアは「お休みなさいませ」と言うとデイモンに背を向け身体を丸める。
心臓がバクバクと異常な速さで拍動する。
初夜でもあるまいしと思うが、同衾するなど本当に久しぶりのことなのでアーティアの緊張は最大限まで跳ね上がっていた。
一緒のベッドで眠るとき、手足はどこに置いていただろうか。呼吸を抑えないとデイモンに緊張している事がバレてしまわないだろうか。
いつまたデイモンの逆鱗に触れるかわからない状態はアーティアの緊張を最高潮まで高めていた。
自分の一挙手一投足がステラ伯爵家の安寧を揺るがすのだから間違えることは許されない。
そんな事を考えると身動き一つ取ることも難しかった。
「お前は、雷が昔から苦手だったな。」
不意にデイモンがそんなことをぽつりと呟いた。
アーティアがなんと返事をしたら良いのか迷っていると、デイモンはそんな戸惑いを感じたのか言葉を続ける。
「昔はよく雷が鳴るとお前は俺の後ろに隠れていた。」
「……そんなこともありましたね。」
アーティアは幼い頃、雷の音に怯え背の高いデイモンの後ろに隠れていた事を思い出した。
今もデイモンを大人だと感じるが、子どもの頃の八才差はさらに大きく遠い存在に感じていた。
デイモンは無口で武術や剣術が同年代の子ども達よりも群を抜いて強かったこともあり、幼いアーティアにとっては少し怖い強いお兄さんという位置付けだったと思う。
婚約者という言葉の意味が分からない頃から、幼なじみとして長い時間を共に過ごしてきた。
デイモンはいつも怒っているみたいな顔をしていたから、幼いアーティアには最初は近寄りがたい存在だったが、長い時間を共に過ごすうちにたくさんのデイモンの不器用な優しさに助けられてきた。
雷の事もその一つだ。
震えながらデイモンの背に隠れるアーティアに「またか」と呆れたように毎回デイモンは言うが、いつもアーティアが落ち着くまで側にいて守ってくれた。
嵐で帰れなくなりやむなくステラ家にお泊まりした際には、嵐の音が怖くて眠れずに居たアーティアの部屋にホットミルクを手土産に訪れ「やっぱりな」と言ってアーティアが眠るまで手を繋いで側にいてくれた。
それがアーティアにとってどれだけ心強かったことか。
「今日も外は酷い嵐だな。」
「そうですね。」
「雷も凄い。」
「はい、すごいです。」
今日のデイモンはやはり変だ。
私を抱き上げたり、身体を気遣う言葉をかけたり、一緒のベッドで眠ろうとしたり。
デイモンが何を考えているのかは全く分からなかったが、こんな風に意味もない昔話をするのは嫌いじゃないとアーティアは思った。
もしかしたらデイモンはアーティアに歩み寄ろうとしてくれているのだろうか?
ロザリアを愛していても、妻として伯爵家を共に守るパートナーとしてアーティアを認めてくれるのだろうか。
デイモンに愛されることは疾うの昔に諦めてしまったけど、こんな自分を優しく受け入れてくれた義父母やルイス、ステラ伯爵領で暮らす人々に報いる為にもステラ伯爵家の嫁としての義務だけは果たしたいとアーティアは思っていた。
そのためにも夫婦の仲は良い方がいいに決まっている。
困惑、恐怖、失望、色々な感情や思いを抱えてた。
アーティアだってまだたった十七才の少女なのだ。今までの全てを取るに足らないことだと笑って受け流せるほど器が大きくも強くもない。
それでも表面上は穏やかに何も言わず夫の情けをありがたく受け入れることがアーティアにとってもステラ伯爵家にとっても最善だと自分に言い聞かせた。
「……手を」
「え?」
「手を、繋ぐか……?」
デイモンがぶっきらぼうに言う。
だけど声とは裏腹に、心なしか耳がほんのり赤くなっている気がする。
予想外の言葉にアーティアがぽかんとしているとデイモンが早口に続ける。
「お前は、昔から雷の音を怖がって俺によく手を繋いでくれとせがんでいただろう。だから、今日も手を繋いで欲しいのであれば、繋いでやる。」
最後の方はモゴモゴしていて殆んど聞き取れなかった。
だが、必死にそんな事を言うデイモンにアーティアは思わず吹き出してしまった。
極度の緊張で張り詰めていたものが予想外の言葉でツボに入ってしまったようだ。
デイモンはそんな私の様子に驚いていたが、顔を背け「笑うところではない」とふて腐れたように呟いた。
そんな姿にアーティアはまた可笑しくなって先程までの自問自答して悩んでいたことが馬鹿みたいに思えてきた。
とりあえず今夜は深く考えることを止めたアーティアは「お言葉に甘えて」というと、モゾモゾと身体を動かしデイモンの手を優しく握った。
本当はデイモンと久しぶりに同じベッドで眠ることになった緊張で雷の事なんかすっかり忘れていた、ということは口にしなかった。
手を繋ぐと照れ臭そうに顔を背けていたデイモンだったが、しばらくして真剣な表情でアーティアへと向き直る。
「……酒を飲んだのか?」
「お酒臭かったですか?すみません」
「いや、そんなことはないが……。昔は飲んでいなかったよな?」
「はい。あまりお酒は得意ではありませんでしたから。でも最近はとても美味しいお気に入りのお酒を見つけたので就寝前に少しだけいただいてるのです。」
そう、アーティアはお酒があまり得意ではなかった。正直に言うと今も得意ではない。
酔いやすい体質のようで、お酒を楽しむ前に頭痛や不快感を覚えることが多いからだ。
だが、ロザリアやデイモンとの関係、それに慣れない伯爵夫人としての生活が思いの外ストレスになっていたようで最近は眠れない日が続いていた。
そんなときに良く眠れるからと邸のメイドに蜂蜜酒を渡されたのをきっかけに毎晩飲むようになった。
蜂蜜酒は口当たりが良く、アーティアが苦手とする不快感も頭痛も起きなかった。それどころか蜂蜜酒を飲むと不思議と嫌なことや不安な事をすっかり忘れて眠る事ができるのだ。
そんなアーティアをアンは心配し少し控えるように言ったが、アーティアはもうお酒なしでは眠ることが難しい状態になっていた。
(お酒が無いと眠れない、とはさすがに言えない。)
そんなアーティアの言葉を信じたのか、疑っているのか。
デイモンは「そうか……」と一言呟くと「もう寝るぞ」と言って目を閉じた。
デイモンはアーティアが朝目覚めるまで手を繋いでくれていた。




