あの日を取り戻す旅⑥
湯浴みからでたアーティアが案内された部屋は、左右にそれぞれデイモンとアーティアの部屋があり中央にある続き部屋が夫婦の寝室となっているような部屋だった。
アーティアは自室のソファに座り、サイドテーブルに置かれた蜂蜜酒に口づけこの後どうするかを考えていた。
ベスに頼めば他の部屋を用意してくれるだろう。しかし、ここで寝室を分けてしまえば領主夫妻の不仲は真実であると当人達が認めたようなものだ。
只でさえまだ家督を引き継いだばかりで未熟なデイモンとアーティアに対して不安を持っている領民達に更なる不安材料を与えることをしていいわけがない。
結局、ここでうだうだと悩んだところで初めから答えは一つしかなかった。
(……せめて先に寝ていてくださるとありがたいのだけど。)
アーティアは意を決して寝室へと続く金細工の取っ手をひねった。
キングザイズのベッドの上には既にデイモンが横たわっていた。
半身を起こし片手には数枚の書類をもち真剣な表情で書類達とにらめっこしているようだ。
アーティアは扉の隙間から見えるデイモンの姿になんとも言えない気持ちになった。
(本当にデイモンがいる……)
二十近く寝室がある本邸と違い、数に限りのある別邸では案内されたこの寝室で眠るしかない事はわかっていた。
それに今日はロザリアもいないのでデイモンは仕方なく私と大人しく眠ることにしたのだろうということも理解していた。
それでも、ここにデイモンが居る。それがアーティアに大きな衝撃を与えていた。
デイモンがベッドに腰掛けている姿を見るなど本当に久しぶりのことで、一瞬これは自分が作り出した自分に都合の良い夢なのではないかとアーティアは信じられず目をぱちくりとさせる。
だが、何度瞬きしても幻は消えることがなかった。
もちろん夫婦であるのだから同じベッドでデイモンと眠ったことは何度もある。
むしろロザリアが邸に来るまでは毎日同じベッドで眠っていたくらいだ。
だけどロザリアが邸に住み始めて一ヶ月も経たないうちにデイモンは夫婦の寝室に訪れない日が多くなっていった。
始めは一日おきになり、そして徐々に三日四日とあくようになり、そしてとうとうデイモンが夫婦の寝室を訪れることは無くなった。
それでもアーティアは夫婦の寝室に今も重い足を運び続けている。
毎日訪れることのない夫を待ち、広い広いベッドで一人丸くなり眠れない夜を過ごすのだ。
目を背けているがアーティアはもうデイモンが夫婦の寝室に現れることなどないと心の中ではとっくの昔に諦めてしまっている。
それでも重い足を引きずってまで夫婦の寝室に向かうのは、アーティアまでもが諦めて自室で眠るようになった時、全てが崩れ落ちてしまうと知っていたからだ。
この不安定で歪な夫婦生活は今やアーティアがたった一人で必死に繋ぎ止めている状態なのだ。
そんな状態でアーティアが手を離せばどうなると思う?
一瞬でバラバラに崩れ落ちて見るも無惨な姿になってしまうことは間違いないだろう。
それをアーティアは哀しいほど理解していたからどんなに孤独でもあの広くて寂しい部屋に通い続けているのだ。
アーティアがデイモンを見つめぼうっと立ち尽くしていると、窓の外が一瞬パッと明るくなりけたたましい音を立て落雷が落ちた。
アーティアは思わず身体をビクリと揺らす。
(すごい嵐……。明日の星祭は中止かしら。)
ミレニオ村で年に一度行われる星祭は、農業を生業とするものが多いこの村で行われる豊穣と繁栄を星に願う祭りだ。
星祭では空を見上げ家族や恋人、大切な人と共に星を眺め其々が産まれたときに決められた『願い星』に一年の感謝と願い事を伝えるのだという。
祭り自体は朝から始まり露天や大道芸人達が国中から集まり賑やかなのだが、祭りの本番はやはり星祭りというだけあって夜が本番だ。
もしも今日のように天候が悪ければ星は見えないし、悪天候の中夜道を歩くのは危険なため祭りは残念ながら延期ではなく中止となる。
これもまた星の導き、というのが先祖代々受け継がれた歴史だ。
中止となった場合は各々が各家庭で空を見上げ願い星に感謝と願い事を伝えることで祭りは終わるのだという。
楽しみにしている村人達や年に一度の稼ぎ時と張り切っている露天商や大道芸人を思うと、ステラ領主夫人としてもアーティア個人としてもなんとか晴れてくれないものかと願わずにはいられない。
そんなことをアーティアが空を眺め思っていると、
「はやくベッドに入れ。……折角温まった身体が冷える。」
とデイモンが突然書類から顔を上げることなく言った。
どうやらずいぶん前からアーティアの存在に気づいていたようだ。
それでも中々ベッドに近付かないアーティアについに痺れを切らしたデイモンが手元の書類をサイドテーブルに置き、アーティア側の上掛けをめくり顔を上げた。
その表情は「早く来い」といっており、その目力の鋭さに観念したアーティアは覚悟を決めて足を一歩踏み出すのだった。