あの日を取り戻す旅⑤ (デイモン)
アーティアと共にミレニオ村を目指して邸を発ってから数時間、デイモンは馬車に揺られながら徐々に頭の中を支配していた靄が晴れていくのを確かに感じていた。
近頃、何故だか気がつくとぼんやりとすることが増えていたような気がする。
気がする、というのは今の今までその自覚がなかったからだ。
多分、伯爵家の家督を正式に任され忙しく過ごす日々に知らず知らずのうちに疲労が蓄積していたのだろうと見当を付ける。
(俺もまだまだだな。)
馬車に揺られること早数時間。
強制的になにもしない時間を過ごしたことで疲労が幾分マシになったからなのか、デイモンは鈍っていた思考がクリアになっていくのを感じた。
そして靄が晴れてみると、何故自分は先ほどまでアーティアに対してあんなにも酷く苛立っていたのだろうかという疑問が浮かび上がってくる。
最近は彼女の存在自体がデイモンにとって不快で仕方なかった。
理由はわからない。ただある頃からアーティアを見ていると不快感を感じるようになり、やがてそれは膨張し自分ではコントロールすることが難しいほどの嫌悪感へと変化していった。
それからというものデイモンはアーティアに対して理不尽としか言い様のない暴言を吐き、彼女を何とか傷つけ陥れることでステラ伯爵家から排除しようと躍起になっていた。
こんなことを言えばアーティアが傷つくと、頭の奥底ではアーティアが悪いことなど一つもないと理解しているのに壊れたからくりのように制御を失ったデイモンの身体は最も酷い言葉や行動でアーティアを傷つける。
デイモンは確かにアーティアに対して行ってきた数々の仕打ちを覚えている。
だけど、何故自分がそのような非道な行為をさも正しい事だと信じ行ってきたのか、今は納得のいく答えが少しも出てこない。
目の前にお行儀よく座っているアーティアは先程からずっと窓の外を眺めている。
その横顔は相変わらず人形のように美しい造形をしているが、以前と比べて手足やウエストは一目見て痩せすぎとわかるほど細くなり、頬は痩け顔色は青白く目元にはうっすらと隈が見えていた。
ここでもデイモンはまた新たな疑問を覚える。
何故俺はアーティアがこんな状態になっていることに少しも気づかなかったのだろうか、と。
思わず目を逸らしたくなるほど窶れたアーティアの姿は誰が見ても異常と言える状態だった。
そんな状態になるまでアーティアを追い詰めたのは紛れもなくデイモン自身だ。
何故自分はアーティアをそこまで追い詰め、窶れきったアーティアを医者に見せることもなく放置し、それでも足りないとばかりにいたぶり続けたのだろうか。
デイモンは痩せこけたアーティアの色を無くした頬に無意識に伸びようとしていた手を寸でのところで必死に止める。
そしてデイモンは自分自身に言い聞かせるのだ。
"お前にそんな資格はない" と。
初めて出会ったあの日、まだ生まれたてで目も殆んど見えていない赤子のアーティアに対して、既にデイモンは他とは異なる言葉では言い表せない不思議な感情を抱いていた。
それが何かは今もハッキリとはわからないでいる。
だけど、一つだけハッキリしている事があった。
その日デイモンはアーティアに降りかかる全ての害悪から彼女を護りたいと思ったのだ。
許されるのならば己の全てをかけて彼女を傷つける全てのものを排除し、綺麗なものだけを彼女の世界に与えたいと、強く強く願ったのだ。
それは時に不器用で歪なものだったかもしれない。だけどデイモンにとってその時の精一杯をかけてアーティアを慈しみ続けていたのは紛れもない真実だった。
なのに何故、自分はアーティアをこんなにも傷つけてしまったのかデイモンは少し前までの自分自身が理解出来ない。
デイモンが頭を悩ませていると、目の前に座っていたアーティアの細い肩が不意にビクリと揺れた。
どうやらいつの間にか強くなっていた雨風が馬車に打ち付けられた音に驚いたらしい。
デイモンの知っているアーティアはいつも凛としていて弱さを見せることなど殆んどなかった。
その姿は竜を祖先にもつ我らステラ伯爵家に人々が求める"強い伯爵夫人"を完璧に体現している。
まだ幼く身体も丈夫とは言い難かった幼いアーティアは兄のようにデイモンを慕っていた時期もあったが、物心つく頃には弱音を吐くことも、デイモンに助けを求めてくることも少なくなり一人でいつの間にか求められる役目以上の仕事をこなしていくようになっていた。
なのでいつしかデイモンはアーティアのことを"強い女"だと思うようになっていた。
だけど今にして思えば、昔からアーティアは助けを求める事があまり得意ではなく不器用な所があったなと思う。
そして寂しがり屋で、雷や嵐が苦手で、昔はよく突然の雷雨に怯えて目尻に涙を浮かべ部屋の隅っこに隠れたり時にはデイモンの背にすがり付いてくる事もあったなと今さら思い出す。
どうして忘れていたのだろうか。
震える小さな背中を見て、自分が護らなければと強く誓ったあの日々を。
不安に歪むアーティアの表情を見て、デイモンはアーティアが皆が思うほど強くはないことを知った。
アーティアは皆に求められている"強い伯爵夫人"を演じているだけで、今もまた一人で戦い続けているのだ。
身勝手で最低な夫と。
アーティアが全幅の信頼を寄せるメイドのアンを引き離し、さらに「恥ずかしい真似をするな」と暴言を吐いた自分は一体どこまでアーティアを傷つけたら気が済むのだろうか。
信頼するメイドを夫の側室に奪われ、非道な夫と共に居心地の悪い狭い馬車の中で何時間も揺られるのは一体何処までの苦痛をアーティアに対して強いているのだろうか。
アーティアの弱々しい姿を見つめ、デイモンは思う。
何故自分はこんなにも儚く今にも消えてしまいそうな美しい妻を庇護せず今まで過ごすことが出来たのか、と。
何故自分はロザリアを側室に迎え、アーティアではなくロザリアを護らなければならないと頑なに信じてきたのだろうか。
(そうだ、そもそも何故自分はあの女を側室などに迎えたのだろう。)
デイモンは朧気にしか浮かんでこないロザリアの姿を思い浮かべ、唯一鮮明に浮かんできたロザリアの無邪気な笑い声に背筋が凍るような言い様のない恐怖と不快感を覚えるのだった。
いつも作品を読んで頂いてありがとうございます。
ブックマークや評価、感想をくださった皆様ありがとうございました。
とても嬉しく、また作品を書いていく原動力になっています。
誤字報告やおかしな点等ご指摘くださる内容もとても勉強になっています。
注意表記やタグ等の書き方もアドバイス下さりありがとうございます。
作品としましては折り返し地点に到達出来たかどうかと言う所ですので、まだタグにありますスカッとだったり婚約破棄が出てきておらずモヤモヤさせてしまい申し訳ありません。
後少しでタグの部分まで進めると思いますのでもう少しお待ちいただけると嬉しいです。
少しストックが溜まったので月曜日からまた暫く毎日更新出来ると思います。
よろしかったら遊びに来てくださると嬉しいです。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。