あの日を取り戻す旅④
ステラ伯爵家の別邸には年に数回、数えるほどしか訪れないので別邸で働く使用人は少数精鋭だ。
特に別邸の管理を任せているベスとロペス夫婦はアルテミスとバロックからの信頼も厚い、優秀で気の良いメイドと料理人だった。
幼い頃からアーティアはデイモンと共に時折この別邸を訪ねていたが、いつも二人は温かく出迎えてくれる。
それはこんな嵐の日も変わることはなく、ベスはアーティアを抱えびしょ濡れになって扉を開いたデイモンを「おかえりなさいませ旦那様、奥様。まあまあまあまあ!!こんなにびしょ濡れになられて。とりあえずこちらのタオルでお拭きになって下さい。それからお風呂に温かいお湯もたっぷりためていますからゆっくり温まって来てくださいまし。」と早速甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた。
だが、ベスの言葉を受けても一向にアーティアを離そうとしないデイモンにアーティアとベスはどうしたのかと様子を伺う。
「……あの、旦那様?」
アーティアがおずおずと問いかけると、ハッとしたようにデイモンは我にかえりアーティアをそっと床に下ろした。
そして「しっかりと温まるまで出てくるな」というと自らも湯浴みをするために浴室へ向かっていった。
アーティアはやはりどこかいつもと違う雰囲気のデイモンにあっけにとられていたが、ベスが「さあさあ奥様もお早く!!」とあまりにも急かすのであれよあれよと言う間に浴室へと連れていかれた。
ベスは慣れた手つきでびしょびしょに濡れて脱がせにくくなったドレスやコルセットをあっという間に器用に脱がせると、きめ細かい泡が溢れんばかりに揺蕩っている猫足のバスタブにアーティアを肩まですっぽりと包み込むように入浴させた。
温かい湯がアーティアの芯まで冷えきった手足をじんわりと温めて行く。
ベスはアーティアの頭の先から爪の先まで丁寧に磨き、心地よい手つきでマッサージまで施してくれた。
ベスのヘッドマッサージを受け、思わず「はぁ」と心地よさからため息が溢れ落ちる。
そんなアーティアを見つめベスは嬉しそうに瞳を細めた。
「私、ずっとお二人のことを心配していたのですが要らぬお節介だったようですね。」
「え?」
ベスの言葉にアーティアが思わず顔をベスの方へと向けると、そこには温かい微笑みを浮かべるベスの瞳がアーティアを優しく見つめていた。
ベスはマッサージの手は止めること無く、言葉を続ける。
実はデイモンが側室を迎えたという話しは、この王都から遠くはなれたステラ伯爵領の一つであるミレニオ村まで既に届いていたのだそうだ。
村人達はステラ伯爵家の特性といったものから、当の本人であるデイモンのことも幼い頃から見知っていたため、そんな馬鹿なことがあるかと一笑に付していたのだが、一向に噂話は消えることが無く遂には王都にあるステラ伯爵家へと使いに行った別邸のメイドが側室のロザリアを侍らせアーティアを邪険に扱うデイモンを実際に目撃したというものだからやはり噂は真実なのでは?と村中を騒がせていたのだという。
「そうだったのね。心配をかけてごめんなさい……。」
つい、「はぁ」というため息が溢れ出す。
村人達を混乱させてしまうだなんて、伯爵夫人失格だ。
アーティアは己の情けなさに痛みだした額を押さえベスや村人達に謝ることしか出来ない自分に自己嫌悪に陥るのだった。
「いえいえ、心配したのは私の勝手なお節介ですから。それに、今日お二人の姿を見て心配なんて吹っ飛びましたよ!!」
「どうして?」
「どうして、ってそりゃあ勿論旦那様が奥様のことを凄く大切に思われていることがわかりすぎるくらい伝わってきたからです。」
「宝物を一人占めするみたいに奥様を抱えて邸へ入ってくるものだから、びっくりしましたよ。私の心配は一体なんだったんだーって」
そんな風に言ってベスは豪快にあっはっはと笑った。
長い夫婦生活の中には色々なことがあるものだ、私達にだって色々あったけど今も変わらず夫婦でいるのだからアーティアとデイモンもきっと大丈夫。
そういってベスは優しく微笑みアーティアのヘッドマッサージを続けてくれた。
アーティアはなんと言って良いのか分からず曖昧な微笑みを浮かべることしか出来なかった。
そうこうしているうち、にアーティアの瞼は疲れが解されてゆく心地よさから瞼が重たくなっていた。
無理もない、なれない馬車に何時間も乗ったり今日は本当に色々な事があったから。
ロザリアのことも、デイモンのおかしな様子も、考えなければならないことは山積みだったけれど、アーティアは今日の所はひとまず考えるのを止め思考を停止し心地よい微睡みに身を任せることにした。
突然昔のように不器用な優しさを見せるようになったデイモン。
驚くことにそんなデイモンの態度にアーティアの心が描いたのは喜びや歓喜ではなく、恐怖だった。
そんな風に思ってしまう自分に気づきながらも、アーティアは見てみぬふりをする。
直視すれば、大切な何かを失ってしまうことをアーティアは知っていたから。




