あの日を取り戻す旅①
「………。」
「………。」
馬車の中では重苦しく気まずい沈黙がかれこれ一時間以上も続いている。
それも無理はない。
かたや最近愛する側室を迎え入れた夫と、かたやつい先日それを告げられた愛されない妻。
そんな二人が一体何について楽しく会話しろというのだろうか。知っている者がいるのならばぜひとも教えて欲しいとアーティアは思った。
アーティアは溢れ落ちそうになる溜め息をこらえ、この息苦しい空間から少しでも逃れるために窓の外へと視線をうつす。
窓の外は雲一つない青空と見渡す限りの田園風景が広がっていた。
(不思議ね。ここは以前来たときと変わらず美しい風景なのに、それを見る私達はこんなにも変わってしまった……。)
アーティアの頭の中に浮かんできたのは、まだデイモンと結婚したばかりの頃。
新婚旅行として、ステラ伯爵家の別邸があるこの長閑な田舎町を二人で訪れた。
あの時もやはり二人は口数が少なく、馬車のなかは静寂に包まれていたがこんなにも重苦しい空気ではなかったはずだ。
アーティアは少し前まではデイモンの考えていることが手に取るようにわかっていた。
だが、先日デイモンに『名ばかりの妻』『望んだことも愛したことも一度もない』と言われたことでもう何もわからなくなってしまったのだ。
あの日までは、デイモンの無口な所もあまり笑わない表情もキツい言葉達も全て、デイモンの不器用な性格ゆえのものだとアーティアは肯定的に受け入れていた。むしろ、よくしゃべる軽薄な男よりも好ましいとさえ思っていたくらいだ。
実際、幼なじみとして長い時間を共に過ごしてきたが、その間に二人の会話が弾むようなことは一度もなく、同じ空間にいてもお互いに別のことをしている事が多かったように思う。
だが、沈黙がこんなにも息苦しく感じることはなかった。アーティアは二人の間に流れる空気が心地よいとすら思っていたのだから。
無理に会話をしなくても、無言が続いても苦を感じないというのはアーティアの中ではとても気を許している存在である証拠のように感じていたが、どうやらデイモンは違う考えのようだと先日の一件で知った。
だからアーティアはもうわからない。
今までの全てはアーティアの思い込みで希望的観測であり、事実とは全く異なることだとデイモン本人から言われてしまったのだから。
目の前に突きつけられれば受け入れざるをえなかった。
そして最近気づいたことがある。
アーティアはずっと、ロザリアが現れたことによってデイモンの心が離れてしまったと思い込んでいた。いや、そう思いたかったのだ。
ロザリアさえ現れなければ自分達は上手くいっていたはずだと。
だけどそれは大きな間違いなのかもしれない。
デイモンはもしかしたらロザリアが現れるずっと昔から自分の事を疎ましく思っていたのではないだろうか?
そんな考えがアーティアの頭の中を支配していた。
デイモンとアーティアの結婚の経緯は少々特殊なものだった。
本来、片割れの番を求めるステラ伯爵家の男性は年頃になると自らの手で花嫁を探すために旅立つ。
選ばれる花嫁は良家の子女である場合もあったし、そうでない場合も多くあった。
庶民から花嫁を迎え入れた際には、伯爵家の花嫁に相応しくないと陰口を叩くものもいたが、現在では面と向かって彼らに意見するものは誰一人いない。
何故なら竜の血を引く彼らの花嫁選びに対しては、例え王家や両親であったとしてもアンタッチャブルな問題だからだ。
刻まれた長い歴史が、ステラ伯爵家の花嫁選びに干渉すれば誰一人幸せになれない悲惨な末路が待っていると教えてくれているのだ。
だがそんな理由があるにも関わらず、デイモンの花嫁選びは主にデイモンの父親であるバロックとアーティアの産みの母であるルビーの強い薦めでデイモンが十歳、アーティアがわずか二歳の時に二人の意思とは関係なしに決まってしまった。
デイモンの母親であるアルテミスもいずれ二人が結ばれてくれたらと願ってはいたがまさかこんなにも早く二人の婚約をバロックが望んだことに驚いたという。
後にアルテミスがアーティアに語ったことだが、当時もう自分は長く生きられないと悟ったルビーが幼い娘を残して逝くことを案じバロックにアーティアを託したのではないかと言っていた。
複雑な事情の中産まれた娘の行く末を案じたルビーは、アーティアの実の父親であるポーシャル公爵と同等またはそれに対抗することの出来る後ろ楯を求めていたのではないだろうか。
ステラ伯爵家は爵位こそ伯爵でポーシャル公爵家には劣るが、長い歴史をもつ由緒正しき貴族であり、何よりライオネル王家との深い繋がりを持っている。
そしてアーティアの実の父親であるレインとバロックは旧知の仲であったため、自分亡き後事情をよく知るバロックならば何事か不都合が生じても間を取り持ってくれると信じたのかもしれない。
バロックは二人の婚約についてアルテミスが何度問いかけても決して口を開かず詳細を明かすことはなかった。
だが、「アーティアがデイモンの番であるのは間違いないのだから遅かれ早かれこうなる定めなのだ。」とだけアルテミスに語ったという。
だが、今にして思えばこれが大きな間違いの始まりだったのではないだろうかとアーティアは思わずには居られない。
娘の将来を案じてくれた母の愛情や、そんな親子に同情し願いを聞き入れてくれたバロックには感謝の気持ちで一杯だ。
しかし、そんな私達の為に犠牲になったデイモンはどうだろうか?
本来ならばもっと大人になってから自分の意思で選べるはずの花嫁をまだ幼い子どもの頃に周囲の事情で勝手に決められてしまった彼の気持ちは一体どうなってしまうのだろう。
そして、アーティアが一番恐れているのは自分が本当はデイモンの片割れの番ではないのではないかという疑念だ。
アーティアは物心つくまえからデイモンの両親や周囲の人間達に『デイモンの番はアーティアで間違いないわね』と何度も言われてきた。
アーティアが周囲に何故自分がデイモンの番だと思うのか、と問いかけても誰一人明確な答えをくれたものはいない。
ただ、『デイモンの貴方を見つめる瞳を見ればわかるわ』とみんな口を揃えて言うだけだった。
だがアーティアは今までデイモンと視線が合うことなどほぼなかったのでそれがどんな瞳なのか今だに分かっていない。
デイモンとたまに目があったとしてもすぐに目をそらされるか、「じろじろ見るな」と叱られてしまうのでじっくり観察することが難しかったのだ。
結局、気づいたら周囲の眉唾物の不確かな物差しで図られ決められていたデイモンの番。
アーティアは疑問に思いながらも、皆がそういうのならそうなのだろうかと受け入れていた。
だが、ふと最近気づいたのだ。
一番重要なデイモン本人から『お前は俺の番だ』と言われたことが一度もないことに。
それからというものアーティアはデイモンとロザリアの姿を見るたびに思うのだ。
見たこともない穏やかな表情を浮かべるデイモンと、その隣で天真爛漫に太陽のような笑顔を惜しげもなく振り撒いているロザリア。
もしかしたら、デイモンの片割れの番は私ではなくロザリアなのではないだろうか?
ずっと途中から割り込んできたのはロザリアの方だと思ってきたが実際はその逆で、私の方がデイモンとロザリアの定められた運命に割り込んできた邪魔者なのではないだろうか。
アーティアはそんな考えから、ロザリアやデイモンに引け目を感じていた。
最近ではできる限り二人の邪魔をしないようにという考えからデイモンとは距離を置くようにしてさえいる。
(なのにどうしてそんな気まずい私達がよりにもよってこんな場所に二人で出掛けなくてはいけないのかしら……。)
アーティアはこの気まずい旅行に出かけるはめになった今朝の出来事に思いを馳せ、小さな溜め息をデイモンに聞かれないようにそっと吐くのだった。
★★★
事の始まりは今朝の朝食の時間に遡る。
何時にも増して上機嫌なロザリアがニコニコと満面の笑みを浮かべ、ハイペースにパンやスープを次から次へと頬張っていく。
そんな姿を見て、デイモンは苦笑いを浮かべ「ちょっと食べ過ぎじゃないか?今日はこの後母さんにお茶会に招待されているんだろう?少し控えないと何も食べられなくなってしまうぞ。」とロザリアをたしなめた。
「えー?大丈夫だよこのくらい。まだまだお腹には余裕があるもの。だからお茶会のお菓子だってたーっくさん食べるつもりなんだから!!
あぁ、でも本当に楽しみっ!!私デイモンのお母様に嫌われちゃったかなぁってしょんぼりしてたから、まさかお義母様の方からお誘い頂けるなんて思っても見なかったからとーっても嬉しい!!」
(え……?)
アーティアは前方から聞こえてくるロザリアとデイモンの言葉に耳を疑った。
先日、ラザニアと義母であるアルテミスとお茶をしたとき、今日のことについて二人は何一つ言っていなかった。
もちろん、アーティアに一々説明する必要などなく、ロザリアとアルテミスが二人で何をしようが自分が何かを意見できる立場ではないことは頭の中では十分理解していた。
だが頭と心は別物で、気持ちがどんどん萎んでいくのをアーティアは止めることが出来なかった。
そしてロザリアとアルテミスが仲良くなるのを喜べない狭量な自分が嫌で仕方なかった。
「腹を壊さない程度に楽しんでくるといい。」
「はいっ!!」
アーティアの葛藤など知るよしもない二人は楽しげに会話を続ける。
そして、ちらりとこちらに視線を移したロザリアが申し訳なさそうに眉をへの字に下げ、「ごめんね、アーティア。今日は私だけが誘われちゃって。でも今度はアーティアのことも誘ってあげてってお義母様に言っておくから!!」と笑顔でアーティアに微笑みかけた。
その優しく思いやりのある言葉や表情全てが勝ち誇っている様に感じるのはアーティアの心が醜い嫉妬にまみれているからなのだろうか。
アーティアは込み上げてくる感情を必死に押し込め、抑揚のない声で「楽しんで来てください。」と告げるのが精一杯だった。




