重ね着した男
男の物語は、ごく単純なものだった。
むしろ、これを物語と呼んで良いものか
怪しかった。
トレーニングを終え、ジム用のシャツから
二枚重ね着したTシャツに着替えようと
袖を通したところで
男は、違和感を感じた。
重ね着した感覚が無かった。
シャツの首から中を覗くと
確かに一枚しか無かった。
ロッカーの中を見たが
Tシャツらしき物は無かった。
重ね着したTシャツが一枚
忽然と姿を消した。
男は、かつて無い経験に戸惑いながら
一旦シャツを脱ごうと裾をまくり上げた所で
重ね着していたもう一枚のシャツが
ポトリと床に落ちた。
男は、推理した。
恐らく重ね着したTシャツの一枚目と
二枚目の間に体を入れたため
中のシャツは、男の体を包む事なく
只、背中にへばり付いていただけだったのだと。
男は、謎を解いた探偵の気分を味わった後
もう一度自分に問いかけた。
これを本当に物語と呼んで良いのか?と。