王太子9
桟橋に接岸すると、ファラーラ嬢は侍女の助けを得てさっさと降りてしまった。
手を貸すことはできなかったけれど、ボートが揺れないように気を配ったからよしとしよう。
だけど僕もボートから下りると、ファラーラ嬢の顔色が悪いことに気付いた。
「ファラーラ嬢、大丈夫かい?」
「……ええ。お気遣いいただきありがとうございます、殿下」
そんなお礼を言われるようなことじゃないよ。
本当に顔色がよくないし、どこかで休んだほうがいいよな。
ジェネジオの別荘まで歩いて戻るのはつらいだろうし、どうしたら――。
「ええ~? ファラーラ様、もしかしてまたお加減が悪いのですか? それならご無理をされないほうがよくないですか?」
「……そうですね。明日からはまた授業がありますし、私は先に帰らせていただきます。どうぞ皆様はこのままお過ごしください」
空気を読まないサラの発言にちょっと苛立つ。
サラなりに気遣っているんだろうけど、言い方が悪いよ。
いや、そんなことよりも今はファラーラ嬢だ。
もう帰るなら手配をしないと。
「ファラーラ様、すぐにお帰りになりますか? それとも少しお休みになってからになさいますか?」
「そうね……。少しそちらの木陰で座っているわ。その間に馬車を呼んできてちょうだい」
「かしこまりました、お嬢様」
僕が動くまでもなく、ジェネジオがすばやく手配していく。
ファラーラ嬢は侍女のことを信頼しているらしく、僕は何もすることがない。
情けないな。
「――リベリオ、僕たちはもう帰るから、お前はちゃんと伯爵家までサラを送り届けろよ」
「ああ、それは当然だが……少し悪ふざけが過ぎたな。すまない」
「それは僕じゃなくてファラーラ嬢に――」
「まあ、トルヴィーニ様! それは気付け薬じゃありませんか! ファラーラ様にはご負担がすぎます!」
ファラーラ嬢の侍女の声に驚いて振り向くと、ベンチに座って口を押えたファラーラ嬢の傍にサラが立っていた。
僕とリベリオが話をしている間に、サラは何をしたんだ?
侍女である彼女がそれほどに声を荒げるなんて、余程のことだろ。
急いで近づくと、サラは顔を真っ赤にして侍女を睨みつけていた。
「何なの、あなた!? 使用人の分際で――」
「サラ、君は離れるんだ」
サラが何をしたのかわからないが、ファラーラ嬢の顔色が先ほどよりも悪くなっていることは確かだ。
原因究明よりも先に、サラを遠ざけたほうがいい。
サラが傍にいると、ファラーラ嬢も落ち着けないだろう。
「お嬢様、馬車が参りましたがどうされますか?」
「……帰るわ」
ジェネジオが手配した馬車に乗り込むファラーラ嬢の足元はおぼつかなく、僕を見ようともしない。
おそらく僕の存在そのものを忘れているんじゃないかな。
そのことを残念に思うよりも、少しでも役に立てることを考えなければ。
「……殿下?」
「気分が悪いんだろう? 目を閉じていたほうがいいよ。ひょっとして船酔いかもしれないね。ごめん」
「なぜ殿下が謝罪なさるのですか? それに、私は大丈夫ですので、皆様とご一緒にお過ごしください」
「僕の漕ぎ方が乱暴だったのかもしれない。ほら、途中でリベリオたちがやってきてからちょっと雑になってしまったから……。それと、気分の悪い婚約者を放ってなんておけないよ。そもそも僕はファラーラ嬢と一緒に来たんだから、一緒に帰るのは当たり前だろう?」
一緒に馬車に乗り込めば、ファラーラ嬢は驚いたように僕を見た。
リベリオたちと一緒に過ごせばいいなんて、そんな薄情なことできるわけもないのに。
礼儀にだって反するよ。
最近気付いたけれど、ファラーラ嬢の僕に対する期待度が低い気がする。
ここはやはり大人の男として――は無理でも、上級生らしく振る舞うべきかな。
隣ではファラーラ嬢が侍女に寄りかかって目を閉じている。
頼られていない感がすごい。
ただ顔色はずいぶんよくなったようでよかった。
向かいに座るジェネジオがにやにやしている気がするが、ここは無視だ。
ひとまず公爵邸に帰ったら公爵夫人に謝罪して、念のために医師の手配をお願いしよう。
それから……と考えているうちに、馬車は公爵邸に到着した。
「それじゃあ、シアラ。お嬢様をよろしく頼むな」
「ええ、言われなくても当然です」
「それでは殿下、私はこれで失礼いたします。殿下もお気をつけてお帰りください」
「あ、ああ」
驚くことにジェネジオは具合の悪いファラーラ嬢を馬車から降ろすとさっさと帰ってしまった。
僕ももちろん乗ってきた馬車があるから、ここで別れることになるんだが、ファラーラ嬢が心配ではないのか?
しかも出迎えた執事によると、公爵や兄君は当然のことながら、夫人まで留守にしているらしい。
そんな、具合の悪いファラーラ嬢を一人残して帰るなんてできるわけないじゃないか。
ここは僕が頑張らないと。
ジェネジオのように上手く采配はできないけれど、僕なりにできたと思う。
医師の診断も下りて、それほど心配の必要はないと知ることができ、ずうずうしくも居間で一息ついていると、公爵夫人がお戻りになった。
夫人にはファラーラ嬢と一緒にいながら、体調を崩させてしまったことへの謝罪をしてから、驚かせてしまったことも謝罪する。
ファラーラ嬢は眠っているということで、僕は夫人に辞去の挨拶をして王宮へ戻ることにした。
あとでリベリオとサラには厳しく注意しておこう。
ファラーラ嬢は一晩ゆっくり休んで、明日は学園に登校できればいいのだけど。
明日、朝一番にファラーラ嬢のクラスに行って元気になったか確かめてみよう。
それでも無理はしないようにと忠告して……。
そこで僕はまた明日、ファラーラ嬢に会えることを楽しみにしていることに気付いた。
彼女は体調が悪いのに、何だか申し訳ない気持ちになる。
とにかく、ファラーラ嬢が早く元気になりますように。
次からまた本編に戻ります。




