蝶子3
「――やっぱり逆紫の上計画よ!」
ずいぶん生々しい夢を見て目覚めた私は、体がまったく動かないことに気付いた。
それに声を出したつもりが、喉がカラカラで出てもいなかったみたい。
体が重い。それにすごく痛い。
どういうこと?
ここは……病院?
信じられない。
私、事故か何かに遭ったの?
どうして傍に誰もついていないの?
どうにか手探りで、あるはずの呼び出しボタンを探すけれど見つからない。
まったく腹立たしいわ。
普通、看護師が傍についているものじゃないのかしら。
あとで苦情を言わないとダメね。
……どれくらい時間が経ったのかしら?
秒針の音だけが響いてすごく不気味。
窓の外が少しずつ暗くなっていくのはわかるわ。
それから照明が勝手に点灯して部屋は明るくなったけれど。
廊下からは騒がしい音が聞こえてくるのに、この部屋ではただ私一人がベッドに横たわっているだけ。
昔、こんなドラマなかった?
こうして私はただ横たわって誰にも忘れ去られて朽ち果てていくのよ。
って、いやー!
誰か助けて!
動けないの。どうにか動かそうとしても体が重くて痛くて、声も出せなくて。
誰か、誰でもいいから助けて。
「――蝶子? 蝶子! 目が覚めたのか!」
「……誰?」
ようやくドアが開いて、誰かが入ってきた気配がしたけど、もうそれも気のせいだと思っていた。
だけど、声が――私の名前を呼ぶ必死な声が現実だと教えてくれたの。
そうよ。私は蝶子。
誰でもいい、私を助けてくれた人。
でも誰かよくわからなくて、看護師でもないから思わず口から出た疑問に、彼は苦しそうな表情になったわ。
こんなかすれた声でも聞こえてしまったのね。
「誠実だよ。君の婚約者の。だけど蝶子が怒るのは仕方ないよな……」
「私の……婚約者?」
「ああ、俺が愚かだったことは認める。だけど許してほしい。俺も騙されていたんだ」
何を言っているのかよくわからないけれど、そうだわ。思い出した。
彼は私の婚約者の誠実さん。
それならとりあえず看護師を呼んでくれないかしら。
この痛みと喉の渇きをどうにかしてほしいの。
その思いがようやく通じたのか、看護師が部屋に入ってきた。
「まあ、ようやく目覚められたんですね! すぐに呼んでくださればよかったのに……いえ、とにかく婚約者の方の呼びかけに応えられたのね」
看護師は驚いて、それからすぐに近づいて私の枕元にあるらしい呼び出しボタンを押してから、私ににこやかに話しかけた。
そうなの? 私は誠実さんのおかげで目が覚めたの?
彼は看護師が作業し始めて遠慮したのか、視界から消えてしまった。
新たな看護師が入ってきたらしく、彼の声が聞こえたからまだいるのね。
医師もやってきて、あれこれ調べられている間はカーテンが閉められていてよかった。
上半身が少しはだけてしまったから、彼に見られるのは恥ずかしいもの。
私を放置していたことは、あとで病院に苦情を入れないといけないけれど、ひとまず水を飲ませてくれたこの看護師には感謝してもいいわ。
一人部屋なのにカーテンを閉めるっていう気遣いもなかなかのものよ。
「――それで、何があったのか覚えていますか?」
「何があったのか……?」
「この怪我を負った原因です」
「失礼な! 何度も言っているだろう! 蝶子が勝手に転んだんだ!」
誠実さんはずいぶん怒りっぽいのね。
意外な一面を知ったわ。
だけどこの怒鳴り声はどこかで聞いた気がする。
嫌だわ。頭が痛い。
その気持ちが顔に出ていたのか、彼は声を和らげてくれた。
「なあ、蝶子。そうだよな? ちょっと躓いて頭を打ってしまったんだよな?」
「私は彼女に直接訊いているんですがね」
「何を――」
「覚えていないわ。何も……。だけど彼がそう言うなら、そうなのよ。だって誠実さんは私の婚約者だもの」
そして、さっきまでの恐ろしい孤独から救い出してくれたのよ。
彼が嘘なんて吐くはずがないわ。




