プライド2
「すごい……」
殿下がお爺ちゃんを見上げて感嘆の声を漏らされた。
わかるわ。初めて見ると感動するものね。
私も蝶子の世界の映画で観たことはあったけれど、やっぱり実際に目にすると感動――というか、感無量。
お爺ちゃんは本当に箒に跨って、天井近くをすいすい飛んでいるんだもの。
ちらりと横目で見ると、フェスタ先生は満足そうなお顔で見上げていた。
なんだ。やっぱりかなり喜んでいるんじゃない。
あれこれ言っていたのに素直じゃないわね。
お爺ちゃんはすごく楽しそうで、もちろん私も本当に嬉しい。
だけど、前から気になっていることが一つ。
男性はあの姿勢で体重をかけて大丈夫なのかしら。
――って、私ってばなんてはしたないことを!
でもでもだって、気になるんだもの!
いつか誰かが教えてくれるまで待つしかないわよね。
直接なんて、さすがにチェーリオお兄様にも訊けないわ。
「何だ? どうかしたか?」
「いえ……」
ついついフェスタ先生を見てしまったけれど、さすがに質問できないわ。
いくら先生が迷える子羊を導いてくださる方でも、先生は魔法学しか教えられないって先ほどおっしゃったばかりだもの。
生理学や保健は無理ね。
「先生、馬鹿の一つ覚えでも、極めれば誇れるようになりますからね!」
「何のことかわからないが、無性に腹が立つな」
「大丈夫です。恥じる必要はないのですから。お爺ちゃんだってあんなに楽しそうではないですか」
「……それは要するに、学院長は馬鹿だと言っていることに気付いているか?」
「え? お爺ちゃんは魔法馬鹿でしょう? でなければ、魔法の修練を積んで日々研究を重ねるなんて面倒くさいことはしないと思いますけど」
「……いやいやいや。思わず納得しそうになってしまったが――あ」
先生とお話しながらも天井近くを飛ぶお爺ちゃんに手を振ると、笑顔で振り返してくれた。
だけどお爺ちゃんはそのまま壁に激突。
「お爺ちゃん!?」
「ジジイ!」
「学院長!」
お爺ちゃんはあっという間に床に向かって落ちていく。
室内とはいえ、この部屋はかなり天井が高いから落ちたら大変!
お爺ちゃんの身体は枯れ枝のようにもろいんだから! たぶん。
一瞬の出来事のはずなのに、落ちていくお爺ちゃんはまるでスローモーションのようで、見ているだけしかできない自分がもどかしい。
床に叩きつけられる!
そう思った瞬間、室内に突風が吹いてお爺ちゃんの身体をふわりと浮かび上がらせた。
お爺ちゃんは何事もなかったように箒片手にすたっと着地する。
「お爺ちゃん、大丈夫!?」
急いで駆け寄り、怪我したところがないか上から下から眺めてみたけれどわからない。
だって服が邪魔だし、怪我した人って見たことないのよね。
私、あのバラの棘が刺さったのが初めてってくらい怪我をしたことがないもの。
「治癒師を呼びましょうか!?」
「いや、大丈夫だ。心配させてすまんな、二人とも。それに比べて我が孫は冷たい」
「何が冷たいですか。ご自分でいくらでも体勢を立て直せたでしょう? 試すようなことはやめてください」
あ、なんだ。お爺ちゃんはわざとだったんだ。
それにあの突風はフェスタ先生が起こしたものだなんて、杖も持っていないのにさすがだわ。
「何を言うか。この先、このような事故は起こるであろう。そのときとっさに助けられなくてどうする? 今のは予行演習だ」
「そうだったんですね? 学院長が壁にぶつかったときは驚きましたが、全て演技だとはさすがです」
「殿下、信じないでください。壁にぶつかったのは学院長のただの不注意ですからね」
「え……」
うん、私もそれはさすがにわかっていました。
どうしよう。殿下の純粋さが不安だわ。
殿下は学院長ほどの方が嘘を言うはずがないと思っているのかも。
権威に弱いタイプ? それは将来の為政者として気をつけなければいけないわね。
まずは疑うことを殿下は覚えるべきだわ。
私、性悪説を信じていますから。
「そもそも私が助けなければいけないような場面に居合わせるつもりはありませんからね。軍用するにしろ何にしろ、自己責任ですよ」
「教師としてあるまじき発言だな、ブルーノ。殿下やプローディ君も宙に浮くことができたのなら、授業で取り扱うことになる日も近いだろう。そのために我々は今、秘密裏に改善を進めているのだぞ?」
「確かにそれは――」
「あの! お話し中に申し訳ありませんが、質問よろしいですか?」
フェスタ先生の軍用という言葉にドキリとしたけれど、それならなおさら言いたいことがあるわ。
だから失礼を承知で手を上げてお二人の会話に割り込む。
「何だい、ファラちゃん?」
「この国は今のところ近隣諸国と仲良しだと思っていましたが、近々戦争でも起こりそうなんですか? 水面下ではすごくケンカしているとか?」
「いや、それはない。不安にさせてしまって、すまなかったな。ファラちゃんのような子どもの前で発言すべき言葉ではなかった。こやつにはあとできっちりお仕置きをしておくから許してくれるか?」
「おい、ジジイ――」
「許すも何も、私は大丈夫ですから、フェスタ先生へのお仕置きは必要ありません」
ふふふ。まさかここでフェスタ先生に恩を売れるとは思わなかったわ。
さっそく今週の課題は免除してもらいましょう。
それについては後にして、今は空を飛ぶことについてよ。
「お父様から伺いましたが、これからはヒタニレを使って、箒だけでなく様々な形にして、いかに空を飛びやすくするかなどの改善点を研究なさるそうですね?」
「ああ、そうなんだよ。箒で飛ぶのはよいがどうもこう……安定しないというか、慣れるまでが大変なのだ」
「それは……痛いということですか?」
「うん? いや、痛みはないがバランスを取るのに少々手こずるのでな」
「ああ、そっちですか」
「どっちだい?」
永遠に解けない謎かと思っていたけれど、簡単にわかってしまったわ。
なんだ、そんなものなのね。
お爺ちゃんは不思議そうだったけど、どっちかなんて答えられない。
だから笑って誤魔化して次の話題にさっさと移る。
「先ほどお爺ちゃんもおっしゃっていましたけれど、改善するに当たって、秘密にする必要はないのではないでしょうか?」
「おや、それはどうしてだい?」
んん? 私の提案に疑問の声を上げたのは誰?
お爺ちゃんでもフェスタ先生でもなく、まさかこの声は……。
ゆっくり声がしたほうに振り向くと、予想通りの方がいらっしゃった。
いつの間に? 忍者がここにも?
とにかく急いで膝を折って顔を伏せる。
国王陛下がいらっしゃるなんて聞いていないんですけど。
あと、またお父様まで。




