蝶子15
「だとすれば、本当にすごい偶然ですね! あのビルに惹かれたのはきっと蝶子さんのセンスが活かされているからなんでしょうね?」
「そんなことはありませんわ」
こらこら、蝶子。頬を染めて嬉しそうにしない!
セキトウの目が一瞬キラーンと光ったわよ。
まるで罠に掛かった獲物を見るように。
「またまたご謙遜を。あのビルはまだ築年数も浅くて――」
「だって、そのビルは設計図はもちろん、完成した建物さえ見たことがありませんから」
「え……あ、はは。そうでしたか。ずいぶん嬉しそうでしたので、思い入れのある建物かと思いましたが……」
よし。蝶子の会心の一撃がヒットしたわ。
わざと嬉しそうな顔をしたのね。
さすがの性格の悪さ。
あらあら、セキトウってばまたグラスに口をつけるなんて。
アルコールは勢いをつけるにはいいけれど、あまり過ぎると判断力が鈍るわよ?
「で、でしたら、ぜひ一度見てみるべきですよ。本当に素敵なビルですから。外観も内装もオフィスビルには思えないくらいですから。今度、もう一度最終決定前に見に行く予定なんです。よろしければ、ご一緒しませんか?」
「まあ、お誘いいただきありがとうございます。嬉しいですわ」
「では――」
「でもオーナーが一緒だと、仲介業者も困惑するでしょうし、借主も――関藤さんも公平な判断ができなくなっては大変ですから、遠慮しておきます」
「いや、あの――」
「ほら、私に気を使って不満点に目をつぶってしまうかもしれないでしょう? きちんとお家賃をいただくからには、満足したものであってほしいですもの」
「そ、そうですね……」
決まった! さらにダメ出しの一撃が華麗に決まったわ!
たとえ知り合いでも一銭たりとも負けません宣言。
やるわね、蝶子。
心配する必要なんてなかったわ。
ようやくデザートが運ばれてきたし、無事に終わりそうね。
そう安堵していたら、セキトウがこれみよがしなため息を吐いた。
何なの、そのかまってちゃん的なのは。
「どうかされたの?」
「いや、もうすぐ食事も終わると思うと残念で……。この前の約束はまだ有効?」
「約束?」
「この事案が片付いても会いたいって言ったこと。もう忘れてしまったのかな?」
いきなり言葉がなれなれしくなったわね。
しかもほんの少し甘えるような悲しそうな顔をするなんて。
ほだされてはだめよ、蝶子。
「それって……私とプライベートで会いたいってことですよね?」
「どう思う?」
「それは……」
どう思うか相手に答えを委ねて、自分は決定的なことを言わないなんて卑怯よ!
どうしてそこではっきり答えないの?
蝶子ってば、そんな迷うような素振りを見せていったいどういう――あ、ひょっとしてあの探偵を捜しているのかしら。
もう探偵なんて必要ないじゃない。さっさと断ってしまえばいいのよ。
戸惑っているような蝶子の仕草に自信を得たのか、セキトウの顔つきが変わったわ。
そのとき、セキトウと少しの距離を置いて背中合わせに座っていた男性が席を立った。
まだ食事途中のようなのに――。
「依頼者とプライベートで会うことは禁じているはずだけどね、正直君」
「お、お義父さん!?」
「しかも君は既婚者だ。女性とプライベートで会いたいという誘いがどういう意味かは明言しなくても、君の不実は明らかだよ」
「い、いえ。これは――彼女は出資者で……」
「出資者? 私、そんなこと一言も口にしていませんけど?」
「あ、いや、そうじゃなく――」
ついに本音を漏らしたわね。
まさかここで義理のお父様が登場するとは思わなかったわ。
しかもセキトウの名前がマサナオだなんて。
ひょっとして正直って書くんじゃないでしょうね。
何なの? みんな名は体を表さないの?
とにかく、これからどうなるのかわくわくしていたら、義理のお父様のお連れの男性も席を立たれた。
そうよね。突然の展開にびっくりよね。
って、あら?
「関藤弁護士、あなたは奥様のお父様が引退されると同時に事務所を受け継いだものの、顧客をどんどん逃がしてしまっているようですね。このままでは家賃も払えなくなってしまうほどに、依頼は激減している。そこで彼女に目をつけたのですか?」
「な、何だ、あんたは?」
「ああ、失礼。申し遅れましたが私、こういう者です」
やっぱり!
きちんとスーツを着てひげも剃って髪の毛も整えているから気付かなかったけど、あの探偵だわ!
蝶子を見張るだけでなく、奥様のお父様――あの事務所の元所長を連れてくるなんて考えたわね。
「探偵? 君は探偵を雇ったのか!」
「――何か問題でも?」
「本当に冷たい女だな! だから婚約者にも棄てられるんだよ!」
「正直君! それは名誉棄損に当たる発言だ。しかもここで騒ぐなど、お店の方にも迷惑だろう? 今日はこれで失礼して、後日彼女にはきちんとした謝罪をするんだ」
「そんな――」
「あなたもそれでかまわないでしょうか? 今回の一連のことに関しましては、後日改めて謝罪させてください」
「ええ、かまわないわ」
「ありがとうございます」
蝶子も探偵の登場に驚いていたみたいだけれど、すぐに気持ちを切り替えて対応したのはさすがだわ。
セキトウは不満そうだったけれど、注目を浴びていることに気付いたのか、しぶしぶその場を去っていった。
だけど、大変なのはこれからよね。
「……見違えたわ」
「そりゃ、この店に入るのに普段の恰好じゃ無理だろ? このスーツ代、あとで請求するからな」
「はあ!?」
「嘘だよ。さて、俺たちも出るか」
うん、それがいいわ。
相変わらず注目は浴びているもの。
お勘定は先に済ませていたのか、探偵は店員に軽く手を上げただけでお店から出ていく。
その間、蝶子の肘に軽く手を添えてエスコートしているのはなかなかスマートね。
不用意に体にあまり触れるのは失礼だし、だからといって先にすたすた歩いていってしまっては、蝶子がちょっぴりみじめだもの。
「……あの事務所、奥様のお父様のものだったとは知らなかったわ」
「あの人、弁護士としては優秀だったようだが、娘婿に譲ったのは失敗だったな」
「浮気現場には奥様が乗り込んでくるものだと思っていたけれど、違うパターンもあるのね」
「浮気現場じゃないだろ。あいつが勝手にしようとしただけで、あんたは巻き込まれただけなんだから。まあ、旦那のそんな姿を妊娠中の身で見たくはないだろうから、父親にしたんだよ」
「そうよね。奥様は妊娠していたんだわ。ほんと、男って最低ね」
「男で一括りにするなよ。それだと全人類の半分は最低になるぞ」
「少なくとも、あなたのことは別の意味で最低だと思っているわ」
「それは否定しねえ」
こらこら、蝶子。
そこで笑っている場合じゃないわよ。
最低だと思っているなら、探偵に促されてあっさり一緒にタクシーになんて乗ってはダメでしょう?
まあ、ちゃんと蝶子の自宅を行き先に告げていたからいいけれど。
ほんと、蝶子って迂闊というか何というか。
もっと堅実に生きないとダメよ。
だけどあの探偵は、セキトウの奥様への配慮とか、それほど悪いやつではないのかも。
少なくとも最低ではないんじゃない? 底辺ではあるけど。
とにかく、蝶子のことはまだまだ安心していられないわ。
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