蝶子14
「こんばんは、関藤さん。咲良の件でお話があるそうですが、事務所ではなくてよかったんですか?」
「味気ない話をあんな無機質な場所でするのもどうかと思いましてね。ここの店、上等なワインを揃えているんですよ」
「……お気遣い、ありがとうございます」
んん? 味気ない話だから味のある美味しいご飯でも食べようって洒落?
それ、ちっとも面白くないわ。
蝶子も白けているっぽいわね。
〝恋は盲目〟って本当なんだわ。
たぶんセキトウが結婚しているってわかる前の蝶子だったら「素敵」とかって思ってそうだもの。
目を覚ましてくれた咲良に感謝するべきかしら。
いえ、それは必要ないわね。
それにしてもあの探偵はどこにいるの?
こうしてお店の中を俯瞰して見ているのに、さっぱり見つけられない。
蝶子はちゃんとこのお店だって連絡したのかしら。
それともやっぱりあの探偵はいい加減だったってこと?
もう、仕方ないわね。
蝶子はやっぱり見る目がないんだわ。
ここは私がしっかり見張ってないと。
それで危ないようだったら、また忠告しないとね。
「それで、咲良の弁護士は何て言ってきたのかしら?」
「残念ながら、こちらの要求通りにはいきそうにありません。慰謝料としてはまだ婚約段階だったということで、式場を押さえていたわけでも招待状を配ったわけでもありませんから。また蝶子さんの怪我についても、正当防衛を主張されてしまいましてね。もとはと言えば蝶子さんが襲いかかってきたんだと、そして実際に押しのけたのは彼であって彼女は被害者なのだと。逆に精神的苦痛を被ったとまで言いだしています。これ以上争うよりは、そろそろ手を打った方が賢明かと思います」
「……わかりました。関藤さんがそうおっしゃるなら。いくら払うと?」
「それは……要求額の五割になりました」
「半分? たったの?」
「で、ですが、過去の例を見ても妥当な金額ですよ。そもそも初めの要求額が大きかっただけで――」
「ええ、そうかもしれませんね。ただ関藤さんが『これくらいはいける』とおっしゃったものだから」
「それはもちろん、こうして交渉することを想定しての金額であって、額面通りというわけにはいかないものなんです」
結局、大きなことを言っておきながら、できなかった言い訳をしているのね。
情けないわ。
だけど焦っているのか何度もグラスに口をつけているセキトウと違って、蝶子が落ち着いているから心配は必要なさそうね。
「まあ、私は別にお金がほしいわけじゃないからかまいませんわ。ただ関藤さんの報酬が少なくなってしまいますね?」
「え?」
「だって、最初の着手金以外は成功報酬――出来高制でしょう? できなかった分は支払われないってことですよね?」
「そ、そうですね……」
「二人にはちょっとした罰を受けてほしかっただけですから。確かに、婚約者がいるとわかっていながらアプローチした咲良には腹が立ちましたけれど、やっぱり悪いのは誠実さんですよね。よく女性は浮気したパートナーではなく、相手の女性を恨むっていうけれど、どう考えても一番悪いのは浮気した男性ですもの。あ、これについては男女は関係ありませんね。ただパートナーを裏切る行為が一番罰せられるべきでしょう?」
「え、ええ。おっしゃるとおりです……」
蝶子ってば、なかなかやるわね。
元婚約者のことを責めているようで、セキトウをネチネチいたぶっているようにも見えるわ。
ここで性格の悪さが活かせるなんて。
「それでは、私はこれから何をすればいいのかしら?」
「はい?」
「咲良のことで私がするべきことはあるのかしら?」
「ああ、はい。いくつかの書類に署名捺印が必要になりますが、その書類は後ほどご用意いたしますので、また次回お願いできますか?」
「……ええ、わかったわ」
蝶子はにっこり笑ってワインを一口飲んだ。
なかなか美味しそうなお料理ね。
うちの料理人にも作らせられないかしら。
ええっと、あれは……お魚ね。それからソース。野菜は……野菜ね。
うん。あのお料理を再現させるのは諦めましょう。
ところで、これからメインだと思うけれど、用件は終わったでしょうにどうするのかしら。
そう思ったけれど、蝶子は気にせず会話を続けることにしたみたい。
「お仕事は順調ですか?」
「――はい。おかげさまでもう一か所事務所を借りようかと思っているんです」
「新しい事務所を別に? あのビルをワンフロア借りる予定ではなかったのですか?」
「そう計画していたんですが、よく考えて計画変更することにしたんですよ。別の場所に事務所を構えたほうが宣伝にもなるでしょう?」
「確かにそうですね。それで、場所はもう決めているのですか?」
「ええ。何件か内覧をして、いい物件を見つけましたよ」
あらあら、さすがは妻がいながら蝶子に思わせぶりな態度を取るだけはあるわね。
セキトウは気持ちを切り替えたのか、以前のように自信に満ちた笑顔になっているわ。
って、蝶子。ちょっと頬を染めてない?
チョロすぎるわよ、蝶子。
「そうなんですね。どんな物件か伺ってもいいのかしら?」
「もちろんですよ。利便性のいい場所――メトロ駅から徒歩五分の場所にある『ウェストガーデンビルディング』というオフィスビルの三階です」
「あら、そのビル……たぶん私のビルだわ」
「はい?」
「税金対策に父が私名義にしたものなんです。そういえば空きが出たって聞いたような気がするわ」
「そうなんですか? 知りませんでした!」
嘘、うそ、大嘘よ!
絶対、下調べしているに決まっているじゃない!
騙されてはダメよ、蝶子。
急いで蝶子を見ると嬉しそうに笑ってるし!
「本当に私のビルだったら、すごい偶然ですね?」




