チェーリオ5
まさかファラーラがあのような悩みを抱えていたなんて。
殿下の存在に苛立っている場合ではなかった。
しかし、いつファラーラはあの病に苦しむ人を見たのだろうか。
我が家の使用人なら私でも知っているはずだし、学院ならブルーノが知っていたはずだ。
ファラーラの言い方ではこれから病に罹るかのような言い方だったが、きっと何かの拍子に目にして父さんや母さん、私たちなどのことが心配になったのだろう。
可哀そうに。きちんとケアをできなかったのは私たち大人のミスだ。
ファラーラを安心させるために万能薬ではなくても、あの病に効く薬を開発できるよう頑張らなければ。
また会えないのはつらいが、手紙でやり取りできるからな。
ファラーラも進捗状況を教えてほしいなどと遠回しな言い方をしていたが、私のことを心配してくれているに違いない。
ファラーラは天使だからな。
無理はしていないことを伝えるためにも、こまめに手紙は出そう。
それにしても、噂が当てにならないとは知っていたが、今回ほど痛感したことはない。
殿下がファラーラにご興味がないなど、誰が言いだしたんだ?
どう見ても、ファラーラに夢中になっているだろう?
当然のことだとは思うが、これは由々しき事態だ。
やはり兄さんたちに知らせておこう。
ファラーラが婚約したことはすでに耳にしているだろうが、殿下のお気持ちについては知らないはずだ。
この婚約は父さんたちの策略の一つかと思っていたが、殿下が望まれたのかもしれない。
そのことについても風魔法で伝えておくべきだろう。
しばらくすると嬉しいことにファラーラから手紙の返事が届いた。
ブルーノにファラーラからの返事がないために、元気でいるのかと訊ねたのがよかったのかもしれない。
ただ私は嬉しいがファラーラに無理をさせてしまったのなら申し訳なかったと思う。
「規則に囚われない……そうか。ファラーラは自戒も込めてこの文面を書いたのだな」
「違うと思うぞ」
「――って、おい! どういうことだ!? 解毒剤などと、まさか毒を盛られたのか!?」
「いや、それはない。ただ……」
「何だ!? 何があった!?」
「……殿下の婚約者という立場を自覚したんじゃないか? いくらファッジン公爵令嬢でもそれを快く思わない者たちがいるということを。あー、ほら、ファッジン君は日々学んでいるようだからな」
「そうか。毒が食事にのみ含まれているとは限らないからな。さすがファラーラだ。盲点だったよ。あの可愛いファラーラに害をなそうという者などいるはずがないと思い込んでいたが、己の欲のためならいくらでも他者を傷つけることを厭わない者もいるのにな」
「……そうだな」
ブルーノは特殊な魔法を――幻惑魔法を扱えるがために、生まれたときから苦労してきた。
そのために、これからファラーラが直面するだろう苦労について、状況は違えど他人事には思えないのかもしれない。
新入生だった頃のブルーノはそれはもう捻くれた嫌な奴だったからな。
それがまあ、いつの間にか生徒思いの先生になるとは。
「……何だ? 顔がだらしないぞ、チェーリオ」
「いやいや。昔のお前は可愛かったと思ってな」
「はあ!? 可愛さで言ったらお前だろ!? 身体も小さくて制服を着ていても女子に間違われて上級生に絡まれていただろうが!」
「いや、絡まれたのはお前の態度が悪かったせいだぞ。あと、今はお前より背が伸びたからな」
学生時代の話になると、ブルーノはすぐムキになる。
ちょっと尖っていたから、思い出すと恥ずかしいのだろう。
それで今も自分の態度が大人げなかったと思ったのか、何事もなかったように酒を飲んでいる。
これ以上突っ込むのはやめておいてやろう。
「とにかく、ファラーラは生意気なところも含めて可愛いだろ?」
「兄馬鹿発言は聞き飽きたな。だがまあ、何事も先入観を持って決めつけてはいけないことは勉強になったよ。昔の……噂でファッジン君は手のかかる生徒だろうと思い込んでいたが……いや、待てよ。それは変わらないどころか、酷いよな。方向性は違うが面倒で――」
「何をぶつぶつ言ってんだよ。ファラーラは可愛い。それで正解だろ?」
「……教師としての問題発言はやめておく」
素直に認めればいいものを、本当にブルーノは頑固だよな。
初めて我が家に遊びに来たときも、ベル兄さんとファラーラの可愛さ議論になって大ゲンカになったんだよ。
それ以来、ベル兄さんとは会えばケンカするようになったが、ケンカするほど仲が良いというやつだろう。
「よし、それではファラーラのために早急に開発しなければならないな」
「やる気かよ」
「当り前だろ? ファラーラの身の安全がかかっているんだぞ? 心配するな。実はすでに色々とある程度は考えていたんだ。今回の旅の途中、毒蛇に噛まれた若者を助けたんだが、そのとき学んだ村の治療方法が興味深くてな。そこからは地方の村々で古くから伝わる治療法など調べて回ったよ」
「お前のその行動原理が全てファッジン君だと思えば、兄馬鹿も悪くないのかもな」
「何を言っているんだ。これは全人類のためだ」
「どういう意味での全人類かは知らないが、まあ頑張ってくれ」
どういう意味も何も、ファラーラは全人類の宝ではないか。
少なくともこの国の民のためには必要な存在だろう。……いや、それでも殿下との婚約は認められない。
とにかくファラーラのためにと研究を続けていた数日後、庭師頭に新しい庭師を紹介された。
とある屋敷で働いていたところ、かなり理不尽な理由で解雇されたらしい。
それを偶然知ったファラーラが、ブルーノに私の助手として雇ってほしいと頼んだそうだ。
やはりファラーラは天使だ。
しかもこの庭師は特待生になれるほどではなかったようだが土魔法も扱えたので、かなり重宝している。
毒草にも詳しく、逆に不審に思って内密に調べたところ、以前働いていた屋敷がわかった。
なるほど。ベルトリーニ邸か。
彼自身に二心はないようだが、油断はできない。
このことは父さんたちに報告しておこう。
またこちらからも情報を得る機会でもある。
そうこうしているうちに、ベル兄さんが突然屋敷へと現れた。
かなり憔悴した様子から、間違いなくファラーラに何か言われたのだろう。
ベル兄さんはデリカシーがないからな。
さて、ちょっとばかり愚痴でも聞くか。




