約束3
「殿下、おそらく兄のアルバーノが帰ってきたのではないかと思われます」
「アルバーノ殿が? それではご挨拶させていただかないと。ファラーラと婚約して初めて会うわけだからね」
「……そうですね」
心配いらないわ、私。
アルバーノお兄様はちょっと面倒くさいだけで、常識人だもの。
私が常識を語るのもおこがましいけれど、それだけは間違いないわ。
アルバーノお兄様が王太子殿下を相手にベルトロお兄様やチェーリオお兄様のような態度を取られるわけがないのよ。
ええ、そうよ。そうなのよ。
ただ面倒くさいだけで。
急いでキラキラうちわを布に包んで隠すと、殿下も同様にしてくださった。
察しのいいところはさすがです、殿下。
お兄様に見つかると面倒くさいこと間違いなしなので。
「――失礼します、殿下。息子のアルバーノが戻りまして、殿下にご挨拶申し上げたいと望んでおりますが、よろしいでしょうか?」
「はい、もちろんです」
邪魔者は退散とばかりに席を外してくださっていたお母様が居間へとやってきて、殿下にアルバーノお兄様の帰還と拝謁の許可を求めていらっしゃった。
ほら、アルバーノお兄様は突然乗り込んでいらっしゃったりしないのよ。
ほんと面倒くさいだけで。
お母様のちょっとお疲れの表情が全てを物語っているわ。
「――エヴェラルド殿下、お久しぶりでございます。アルバーノ・ファッジン、ただいま帰還いたしました」
「久しぶりだね、アルバーノ殿。トラバッス王国での役目を終え無事での帰国、何よりだよ。ご苦労だったね」
「恐縮でございます」
数か月ぶりにお会いしたお兄様は、長旅の疲れなど感じさせない端正なお姿――いつもと変わらない完ぺきなお姿で登場され、殿下の前に膝をつかれた。
殿下はお母様がお部屋に入ってきたときから立ち上がっていたけれど、再びソファに腰を下ろされた。
もちろん私は殿下に倣って立ち上がり、はい着席。
マナーはちゃんと身に着けていますからね。
それでもお兄様は膝をついたまま。
「陛下にはもうお会いしたのかい?」
あ、殿下。それはしてはいけない質問です。
そもそもアルバーノお兄様に質問をしてはいけないのです。
「いいえ。なにぶん当初の予定よりもかなり早く帰還できましたゆえ、陛下のご予定を改めていただいてまで私のために貴重なお時間を頂戴することは忌避すべきことと、このたびの任務の詳細とともに帰還の報告のみ書面にてさせていただいております。無論、陛下よりお召しのお声がかかり次第、すぐに御前へと参る所存ではございますが、今は久しぶりの我が家にて幸いにも無事に戻れた喜びをかみしめつつ、ずうずうしくもしばしくつろぎの時を楽しませていただく、このように戻って参りました」
長い!
お兄様はいつも長いのよ!
今のは最初の「いいえ」の一言で終わったわよね?
ほら、殿下もかなり引いていらっしゃるわ。
「そ、そうか……」
「ですが――」
出た。出たわ。お兄様の「ですが」。
これはここからまだ続く枕詞。
殿下逃げて。早く逃げて。
って、いつの間にかお母様はいらっしゃらないわ。
何てこと!
今朝のあのお母様のお言葉は前振りだったのね。
アルバーノお兄様を抑えるのは私の役目だと。
むーりー! それは無理よ、お母様。
以前の傲岸不遜で傍若無人だった私でさえ、アルバーノお兄様は苦手だったのよ。
もちろんアルバーノお兄様のことは好きだわ。
お兄様だって私のことを愛してくださっていることはわかっているの。
だけどね、愛が重いというか、言葉が重いのよ。
「旅の埃を落としゆっくり疲れを取ろうと我が家に戻ってくれば、光栄にも殿下がいらっしゃっていると伺い、こうしてむさ苦しい姿ではありますが、ご挨拶させていただきたく手前勝手にもお邪魔させていただきました。しかしまさか、旅の途中で殿下のご婚約の報を耳にするとは思いもしませんでした。しかもその相手が我が愚妹となると、まさに青天の霹靂。思わず我が父の正気を疑いましたが――いえ、未だに疑っておりますが、ひとまずはご祝福申し上げます」
「あ、ありがとう……」
「しかし、これが政略だとしても――いえ、政略に間違いありませんが、本当に殿下はファラーラが婚約者でよろしいのでしょうか?」
「もちろ――」
「ファラーラは私たちに試練を与えるために、天より遣わされてきたのではないかと思っております。まずはファラーラが生まれた時、その産声はまさに福音であり、美しき音色は皆の心を虜にし、天から間違えて舞い降りてきてしまった天使のごとき容貌で皆の心を癒し、本物の幸福というものがどういったものか皆に知らしめ、仕事も何も手につかない状態にしたのです。それからというもの、我がファッジン家の者たちはファラーラの笑顔や涙に一喜一憂しております。 ~中略~ でして、ファラーラは我々の心に多大な影響をきたし、ファラーラが病に伏せば皆が恐怖に陥り、医師に幼い子供の病には治癒魔法を施してはいけないと禁じられたがために己の無力さに打ちのめされておりました。 ~中略~ というわけで、ファラーラが初めて立ったときには特別に許可をいただき花火を上げて皆で祝い、ファラーラが一歳の誕生日を無事に迎えた折には領地の者たちに課税の特免を与えて……よって……ファラーラは……また……
あら、おかしいわ。
殿下が生贄の子羊に見えるなんて。
それもどんどん増えていくわ。
目の前の子羊たちが柵を乗り越えて逃げ始めているもの。
羊が一匹、羊が二匹、羊が……ぐう……。




