悪夢1
「ファラーラ・ファッジン。申し訳ないが、あなたとの婚約を解消させてもらう」
「……エヴェラルド殿下、何をおっしゃっているのですか? 殿下と私の婚約は国王陛下がお決めになったのですよ? 解消などできるわけがございませんでしょう?」
予想もしなかった言葉に腹が立って、手にあるカップの中身を殿下にぶちまけてしまいたかった。
だけどここは私が大人になって我慢しなければいけないわ。
「いや、できる。昨日、父である陛下に願い出て、許可もいただいた。よって、今までのような振る舞いは許されないことを理解してもらいたい」
「な、何を……何を馬鹿なことを! 冗談ですわよね!? ちっとも面白くありませんけれど、私を困らせようとしてそんなことをおっしゃっているのでしょう!?」
「いや、全て本気だ。先ほどあなたのお父上であるファッジン公爵にも伝えたところだ。公爵は賢明にも理解してくれたよ」
また殿下は我が儘をおっしゃっているのね。
殿方は気まぐれだし軽率で子供っぽいところがあるから、寛大な気持ちで殿下の過ちを許してあげないと。
「……殿下には何かお悩みがあるのではありませんか? 最近、考えに耽っていらっしゃることも多かったですものね。私でよければいつでもご相談に乗りますのに」
「私の悩みはあなただった。しかし婚約を解消できた今、すっきりした気分だよ」
もう我慢できない。
たとえ殿下でも、こんな侮辱を許していいわけがないわ。
そう思った私は思わずカップごと殿下に投げつけた。
そのカップを殿下は片手で受け止めたけれど、中身は飛び散り上等な衣服を濡らしてしまった。
でも謝るなんてプライドが許さない。
「で、殿下が悪いのですわ」
「……そうだな。今回はあなたを――あなたのプライドを傷つけたのだから、私が悪い。だが今まであなたにいったいどれだけの人が傷つけられただろう? 私もそのうちの一人だ。これきり縁が切れると思うと、この無礼も許す気になれる。嬉しいよ。それでは失礼する」
まさか嘘でしょう? 本気のわけがないわ。
だって私はファラーラ・ファッジン――ファッジン公爵の娘なのよ?
だけど殿下は振り向くこともせず、居間から出て行ってしまった。
ここは見送るべき?
婚約を解消されたのに?
まるで追いすがるみたいじゃない。
そんなのプライドが許さないわ。
だから殿下から謝ってくるまで待っていてあげる。
謝ってきたら、優しく許してあげるんだから。感謝してほしいわ。
つんと顎を上げたまま殿下が出て行くのを待った。
そのとき部屋の隅で真っ青になった顔で控える侍女のシアラと目が合う。
「何をぼうっと突っ立って見ているの!? さっさとここを片付けなさい!」
「は、はい! 申し訳ございません!」
「ほんと鈍くさい子ね。今の話を誰かにしたら許さないわよ? わかっているわね?」
「は、はい……」
シアラには本当にイライラさせられるわ。
ああ、腹が立つ。
やっぱり我慢できない。
「――きゃっ!?」
「このグズ! 早く片付けなさいって言っているでしょう!?」
「申し訳ございません! 申し訳ございません!」
焼き菓子が綺麗に盛られた手つかずのお皿をシアラに投げつけたけれど、怒りが収まらない。
シアラはいつも謝るばかりで何も変わらないんだから。
私の躾が甘いのかしら?
床に這いつくばって散らかった焼き菓子を拾うシアラを見ていると、余計にイライラしてくるわ。
ここはこの場を離れなければ。
こういうときは気分転換が一番よ。
そうだわ。お父様に今のお話をして、殿下を叱ってもらいましょう。