#7
ヤビイに導かれてたどり着いたのは、家から五、六分ほど歩いた距離にある、広い空き地だった。普段は鬼ごっこや野球で遊ぶ子どもで賑わっているが、この時間帯は人一人いない。しんとしていて、所々に雑草の生えた、乾いた地面だけが広がっている。
「いたぞ」
空き地の真ん中には、狼とも熊とも取れる鋭い瞳を持った四足歩行の怪物と、例の少年――ノイジアが立っていた。
「やっぱり、あなたも敵だったのね」
「邪魔をしないでよ」
少年は舌打ちをして言った。
隣にいる怪物も小さく唸る。
「行くぞ、奏」
「うん」
奏は叡珠を握った右手を胸の前で構え、ピンク色の光を纏い、魔法少女としての姿に変身した。
己を特徴づける決めゼリフも無ければ、ポーズも二つ名も無い。それでも彼女は一人の戦士として、この街の平和を守るために戦う。
「その姿なら、手加減する必要は無さそうだね。さあ、やれ!」
魔力で編み上げられた獣は、ノイジアの黒い指ぬきグローブの手にそっと撫でられると、殺気立った声で奏達に向かって吠えた。
そしてすぐに奏達の方へ飛びかかり、彼女はギリギリの所でそれをかわした。
「昨日のやつと違ってすばしっこい⋯⋯」
「ああ。……それと、こいつからは叡珠の気配を感じる。必ず倒してそれを回収するんだ」
すると、怪物が再び突進した。彼女は地面を転がりながら回避し、体制を立て直してステッキから魔法陣を召喚した。
「『フラッシュ』!」
攻撃は僅かに当たったが、すぐに避けられた為に殆ど外れてしまった。
そして獣はすかさず旋回し、再び奏に襲いかかる。
今度は上手くよけ切れず、体が跳ね飛ばされてしまった。
「うわあぁっ!」
そのまま地面に倒れ、小さな痛みに持ちこたえながら顔を上げると、追い討ちをかけるように怪物が突進してくるのが見えた。
このままだとマズい。
「奏、『リフレクト』だ!」
ヤビイの声が聞こえ、倒れた体制のままステッキを向け、すぐ様詠唱した。
すると、ステッキの先端と怪物の間、僅か数十センチの隙間に透き通ったバリアが現れ、突進する怪物を弾き返した。
バリアに派手にぶつかり、跳ね返された巨体は地面に叩きつけられた。ダメージも小さくはないだろう。
「危なかった⋯⋯」
安堵のため息をつく奏。
しかし、戦況はこちらの方が圧倒的に不利だ。
回避する事で精一杯で、攻撃魔法も上手く当たらない。
「僕の邪魔をした罪、その身をもって償って貰おうか!」
戦闘を傍から見ていたノイジアは、高らかに言った。
「ていうか、何でお前はそこで見てるだけなんだ? 俺達もすっかりナメられたもんだなぁ!」
彼も戦いに参加すれば、二対一で一層有利になるのは確かだ。それなのに何故そうしないのか。
「まあ、やろうと思えばやれるんだけどさ」
少年はそう言いながら、パーカーのポケットから一本のナイフを取り出し、顔の前にかざした。
「不公平なのは、何となく好きじゃない」
「悪役のくせに、変なヤツだな」
「変な奴とはよく言われるよ」
ノイジアはそう言いながら、ナイフを持たないほうの手で長い前髪をかき上げた。
「よく言われるし、僕自身もそう思う」
別にそこまで重く考えてないけどね、と彼は言った。
「それより、君の仲間は相当苦戦してるみたいだよ。ボロボロになる前に撤退させた方がいいんじゃない?」
ヤビイは戦闘の状況をじっと見ていたが、焦る素振りは全く見せない。
寧ろ、冷静だった。
「いや、どうかな」
「何っ?」
見ると、怪物の勢いは戦闘開始時より明らかに衰えていた。
先ほどバリアに弾かれた衝撃が響いたのだろう。スピードも落ち、奏も今では上手く突進を回避している。
「持久力は大した事ないみてえだな。撤退させた方がいいのは、そっちかもしれねえぞ」
少年は何も言い返せなかった。
「ま、今更ビビッて逃げるのもかっこ悪ぃし、あのデカいのは狩らせてもらうぜ。 奏、そのまま時間を稼げ!」
奏は地面と空中を上手く利用して攻撃をかわし、有利な立場になったらすかさず死角から物理攻撃を繰り出し、怪物の体力を少しずつ削った。
やがてそれぞれの体力は限界に近づき、お互い、肩で息をしながら睨み合っていた。
すると怪物が、捨身の技とばかりに不意打ちを仕掛けてきた。
ここで確実に仕留めなければ。仕留めなければ倒せないし、叡珠も回収できない。
しかし残された体力を考えると、よけきることはできない。詠唱してから技が出るまでの時間を考えると、魔法も間に合わない。
ならばこうするしかない。
彼女はぎゅっと目を瞑りながら、渾身の一撃として右ストレートを繰り出した。
右手に鈍い痛みが走り、その直後に怪物が怯む声が聞こえ、恐る恐る目を開けると、獣が情けなく地面に倒れこんでいた。
至近距離で真正面から顔面に拳が直撃し、怪物の視界を暗転させたのだ。
「おお、よくやったぞ奏!」
「あれ、気絶させられた……?」
奏は地面に倒れた怪物と自分の拳を交互に見比べ、自分がダメもとで繰り出した攻撃の効果に驚いた。
魔法を操る力を与えられながら、まさか二回連続で、物理攻撃で怪物を気絶させることになるとは。
「おい奏、必殺技をだせ! 復活しちまうぞ!」
「はっ、そうだった!」
こうしちゃいられない、と彼女は頭を切り替え、白いステッキを胸の前にかざし、最大限の魔力をチャージする。
「『この世に蔓延る悪夢達よ、塵となれ』――」
ステッキの先端で、怪物と同じくらいの大きさの魔法陣が夜闇の中で光った。
「『英知の光、我が元へと帰らん』」
前回の戦闘では無かった詠唱が、奏の口から自然に出た。
恐らくは、怪物から叡珠を回収する際にだけ唱える必要があるようだ。
大量の魔法陣が横一列に現れ、壁が構築される。
「『クリスタル・ハリケーン』!!」
透明な欠片の吹雪が獣を覆い尽くし、やがて一つの大きな塊となって完全に巨体を拘束する。
そして彼女は、叫ぶ。
「『ブレイク』!!」
音を立てて、巨大な塊は怪物もろとも砕け散った。
「ちっ⋯⋯覚えてろよ」
ノイジアが撤退し、必殺技によって生じた粉塵が、破損した部分を修復していく。
この騒動を聞きつけて様子を見ていた数人の近隣住民も、どうしてここにいたのだろう、といった様子で各々帰っていく。
どうやらこの粉塵には、魔法少女たちの戦闘に関与すべきでない、奏やヤビイ以外の一般市民から、一連の出来事を忘れさせる作用もあるらしい。
すると粉塵に紛れて、楕円形の小さな赤い宝石が一つ、奏のもとに舞い降りた。彼女はすかさず手のひらでそれを受け止める。
「これは⋯⋯」
「それが一つ目の叡珠だ。あの怪物に埋め込まれて魔力を増強させてたってわけだな」
道理で昨日のやつと覇気が違うわけだ、と奏は納得する。マイクロチップのような役割を果たしていたというわけだ。
しかし、その次の瞬間、
「そうか、お前か」
低めの女の声が聞こえ、振り向くと、黒いローブを全身に纏った者が立っていた。手には彼女の身長を越えた槍を持っている。
「それを寄越せ」
女は無表情で、そう言い放った。