#6
「何であんたが知ってるのよー!」
自宅の部屋で、顔を真っ赤にする奏。
「他にもあるぞ。五時間目のアレとか……」
それに対し、淡々と話し続ける水色の光の球体。
「言わなくていいから!」
登校中に泉美から言われた通り奏は、昨晩の突然の出来事で疲れていた上、少なからず気も乱れていた。
そんな今日の彼女は、クラスで盛大に恥をかくことになったのだ。
それも一度きりでなく、複数回。
そして、奏に突然の出来事をもたらした張本人であり、すっかり彼女の部屋でくつろいでいる謎の精霊・ヤビイは、まるでその場にいたかのように、それらをバッチリ記憶していた。
始まりは、三時間目の歴史の授業。
黒板の板書を取っているうちに、彼女は突然睡魔に襲われた。その上、担当の教師の喋り方がまたゆったりとした口調なもので、余計に眠気に拍車がかかり、ノートに板書を取る姿勢のまま眠りについてしまったのだ。
完全に夢の世界に引きずり込まれた数分後、現実世界にいたクラスメイトの大きなくしゃみによって周りの風景が突然消え、それに驚いた彼女は、不本意ながらに体を震わせながら目を覚ました。
慌てて周囲を見回すと、教師を含め、クラス中が彼女に注目していた。
「なんだ雨宮、寝てたのかよ!」
授業後の休み時間、彼女は隣の男子とその仲間たちに盛大にからかわれた。
続く四時間目の数学の授業。
奏は今度は、空腹に耐えきれず、各々が教科書の問題を解いている中で、彼らの集中を妨げるように腹の虫が鳴り、再び周囲の視線を集めた。
どちらも爆笑が起こればいっそ清々しいのだが、実際に浴びたのは失笑と教師の注意だけだったので、余計に居心地が悪かった。
しかも後者に至っては、教師は場を和ませようと思ったのか、「お、何だ雨宮。こっちの問題よりも先に、お前の腹の虫を黙らせる方程式を解かないとな!」などとつまらぬ事を言って教室を白けさせたものだから、尚更その場から消えたくなった。
やかましいわ!と心の中で叫びながら、奏は顔を真っ赤に染めながら俯いているしかなかった。
しかしそれらは、まだ序章にすぎなかった。
お弁当で空腹を満たし、午前中に消費したエネルギーも回復した昼休み明け。
三時間目みたいにならないようにと張り切って授業に望んだのだが、やはり満腹時にやってくる睡魔に抗うのは難しかった。
完全に眠りに落ちるのはどうにか免れたが、今度は睡魔に抵抗するのに精いっぱいで授業内容が頭に入って来なかった。
更に運の悪い事に、彼女は英文を和訳する問題で教師に当てられてしまった。
教師が黒板をコツンと叩いて指したのは、『He’ll come back soon』という英文。
本来なら何てことない、基本的な文章なのだが、この時の彼女の思考能力は、著しく低下していた。
「これ、訳してみろ」
眠気のせいで、視界がわずかにぼやけている。
それでも何も答えないわけにもいかない。
「えっと……『地獄はすぐに帰ってくるだろう』?」
奏は半開きの目で黒板を見つめながら、そう答えた。
「へぇー、すっげえな奏、よく『hell』って単語知ってるなー。いったいどこで覚えたんだ……って怖! ヘビメタのタイトルか! いや俺もヘビメタそんな詳しくないから知らんけども!」
クラス中がどっと沸いた。
「ってか中学生の教材でそんな物騒な例文出るかー!」
さらに大爆笑。
英文を脳内で訳している間に何が起きたかというと、彼女はぼやけた視界の中で、『He』の後に書かれたアポストロフィーを見落としていたのだ。
本来ならば、そんな物騒な例文が出るはずがないと判断し、目を凝らして英文を再度確認するところだが、この時の彼女にそんな余裕はなかった。
斜め上を行きすぎた和訳と、二十代後半の人気のイケメン教師・神崎先生によるキレの良いツッコミに、クラス中が笑いの渦に巻き込まれた。
このように彼女は、昼休みと清掃を挟み、三時間連続でクラスの注目の的となった。
日直が学級日誌に書く事になっている『本日のMVP』の欄に彼女の名前が書かれているのは、簡単に想像がついた。
「それにしても、離れた場所の出来事が分かるなんて、本当に精霊ってすごいね……」
奏は感心せずにはいられない。
ところが、ヤビイの反応は薄かった。
「精霊、ナメんなよ!」といつもの調子で返ってくるだろうという彼女の予想は、大きく外れた。
「あー、敵と叡珠の気配なら何となく分かるが、遠く離れた普通の人間の様子は見えねえな。相棒のお前でも、叡珠を持ってなきゃ居場所が掴めないし、持ってる場合でも、何をしているのかまでは分からん」
「え? じゃあどうして……まさか」
奏は嫌な予感がした。
「そりゃ、俺もその場に居たからに決まってんだろ」
ヤビイはあっさりと答えた。
まるでその場にいたかのように今日の出来事を記憶していたのではなく、実際に、その場にいたのだ。
「……はい?」
「言っただろ、世界を救う戦士であるお前を護衛するのが俺の役目だって」
奏はぽかんとしながら、ヤビイを見つめていた。
「もしかしてヤビイって、私以外の人には見えないの?」
「見えるぞ」
またしても即答だった。
この精霊は、自分の立場を理解していないのか?と、奏は苦笑いした。
「あの、気持ちはありがたいけど……私以外の誰かに見つかったらどうするの!」
ヤビイは冷静だった。
「ああ、それなら心配要らない。一応俺が異端な存在だってことは分かってるからな。どっかの誰かさんの時みたく人魂呼ばわりされないよう、お前のカバンのそれにずっと隠れてた」
「もういいでしょその話は!」
ヤビイはぼんやりと光る球体の体をくいっと動かし、奏のカバンに着いている、猫をモチーフにしたキャラクターのマスコットを指した。
「とにかく、騒ぎになるといけないからあまり変な事はしないでよ?」
知り合いに見つかるリスクを考えているのは、言うまでもない。
あらゆる物が、便利すぎるほど発達したこの現代。
珍しい物がそこにあれば、たまたま通りかかった誰かにスマホのカメラを向けられ、SNSで発信、瞬く間に拡散されて大騒動、なんて事も充分ありえる。
もっとも、この未知の生命体に、人間の手で生み出された機器が通用するかはわからないが、彼女はその可能性も恐れていた。
「分かったよ。それより、行くぞ」
「どこに?」
「敵が現れた。場所は俺がナビゲートする」
奏は制服のリボンから外しておいた叡珠を机から取り、急ぎ足で階段を降りた。
「お前、魔法少女なのに何でそれを肌身離さず持ち歩かない!」
「流石に学校じゃ変身出来ないからー!」