#52
――ふざけるな……!
巨大な影は、怒りに震えている。
――僕がお前のために生まれてきただと……?
この時になってようやく聞かされた、自身のルーツ。
それをようやく聞かされて得られたのは、生みの親に対する不信感だった。
「あなたは本当に、よく機能してくれました」
そう言うと同時に、巨大な影から伸びた腕が青年の身体を捕らえた。
だが、それは動作主の意思によるものではない。
――何をする!
「言ったでしょう? 今の私は、あなたをわがものにしたいと……」
――冗談じゃない……。
だが、影がどんなに抵抗しようとも、その腕から青年の身が離れることはない。
キールは糸を引くように右手を動かし、自ら巨大な影に接近する。
――僕は……僕の自我はどうなる?
「聞くまでもないことでしょう」
と、キールは涼しい顔で言った。
冗談じゃない……。
影は青年を解放しようと試みる。
が、それはどうあがいても果たせなかった。
己の意志とは反対に、腕は青年を強く縛り付ける。
「私に抵抗できるとでも?」
――そんな馬鹿な……。
「この闇の魔力も、元は私が分け与えたもの……。肉体があやふやになり、いまや魔力の塊と化したあなたを操るなど、容易いことですよ……」
影は自分の意思とは関係なく、腕を自在に操られている。
大いなる影に引きずり込まれる、白髪の青年。
――ああ、キール!
お前はどこまで身勝手で、残酷な男なんだ!
影は魔力を操られながら、声なき声でそう叫ぶ。
「……ククク、何とでも……何とでも言いなさい!」
キールの声はすっかり狂気に震えている。
糸を引くように右手を動かし、意のままに、自分の身体をきつく包み込む。
闇。漆黒の闇。無限の闇。
ほとばしる快楽と少しの畏怖に、身震いする。
今まで感じたことのない、恐ろしいほどの刺激。
クククク。
紳士の皮が剥がれた青年の不気味な笑い。
「必ずや、この星を闇に葬り去りましょう」
あとわずかで、青年の身体は取り込まれる。
影に為す術はなく、ただ、時間の経過を待つことしかなかった。
かつてノイジアという名を持っていた影は、自らの意思とは反対に、その手で青年を中に取り込もうとしている。
「嗚呼、いよいよ……いよいよ果たされるッッ‼」
堪らない表情で、キールは声高らかに言った。
「この闇が私のものに、っ……!」
青年の肉体が、巨大な闇に触れた。
この……!
自らの生みの親に意思を乗っ取られかけている影は、最後に叫んだ。
この人でなし男がぁぁああああああああああああああああ――!
「ッはははははははハハハハハハハハハハハハハハハハ――‼」
理性は音を立てて砕け散った。
『穏やかな青年』を装っていた仮面はとうに割れていた。
「ああ、嗚呼……。かつてここまで幸せな瞬間があっただろうか……。ここまで満足したことがあっただろうか……」
キールは感慨深そうに両手で顔を覆い、黒い魔力の蠢く天井を仰いだ。
「これであなたは私のもの……!」
そして影は、さらなる進化を遂げることとなった。
キールという、人格を持った影がそこに加わった分、魔力はより膨張し、さらなる混沌の怪物へと変化してゆく。
さらに、青年の高笑いに呼び寄せられたかのように、今や生みの親にすら忘れ去られた、連なる繭に眠っていた飛行生物たちが、次々とそこへ飛び込んだ。
新たな世界での再会をキールと交わした、シャドーラの魔力を吸い上げた怪物たち。
彼らが加わり、巨大な魔力の集合体は、黒い風を起こしながら、天井を突き破って天高く浮上した。
終末へのカウントダウンが始まった。