#48
「これが私の過去。あなたにはちゃんと話してなかったよね」
三つの折れた柱に囲われた地で、黒髪の少女が静かに振り向く。
「別に同情が欲しいわけじゃないし、悲劇のヒロインを演じるのも趣味じゃないけれど、あなたにはちゃんと言わなきゃなって思ったの」
少女はそよ風のように身を翻した。
小柄なツインテールの女・レイは何も答えない。
「きっとあなたは、私の祈りをなかったことにするために、あれを願うように言ったのよね?」
レイはそっと顎を引く。
彼女が世界の時間を巻き戻すよう言ったのは、半分は少女のためであり、残りの半分は自分のためだった。
それを果たせば、少女の絶望と後悔はなかったことになるし、自分たちも、最初からいなかったことになる。
レイは自分を含めた、意志持つ影たちの存在意義を感じられなかった。
自分らとは相いれない、光の精霊たちを抹消する。
それは生まれ持った本能として、彼女らに備わっていた。
だが、それを果たしたところで何になる?
結局私たちは、どこへ向かう?
言ってしまえば、自分らは生まれる必要のなかった、言うなればエラーのようなものだ。
レイはそんな思いと共に、キールたちのもとを去った。
そして、自分らを生み出した少女に手を差し伸べた。
「……ああ、そうだ」
レイは自分の思惑を口にしなかった。
この少女に改まって言う必要はないだろう、と。
「けれど私、自分の過去を思い出すうちに考えが少し変わったの」
華音は口角を上げ、にんまりと笑ってこう言った。
「いっそ十年以上巻き戻して、あの日の事故すらなかったことにしようかな、って」
二人の頭上では、銀色の満月が煌々と輝いている。
月食の夜に絶望した少女は、もう自分の行いを後悔したりなどはしていない。
「我ながらいい考えだと思うのだけど、どう?」
と、華音。
「好きにするがいい」
相変わらず、レイは無表情だ。
「どの地点に戻ろうが、お前の自由だ」
「特に巻き戻す時間に制限はないみたいだね」
安心した、と華音が呟いた。
するとレイは、紅い瞳で少女をじっと見据えるようにし、口を開いた。
「本当にそれでいいのか」
「本当に十年以上巻き戻すのか、ってこと?」
レイはこくりと頷く。
「そっちのほうがいいもの。あの事故さえなかったことにすれば、私はもっと幸せに生きられる……」
ぎゅっと握りしめられた、少女の右手。
己の願いを果たし、平穏な日々を手に入れる。
そして、最愛の弟を取り戻す。
そんな彼女の強い意志が、そこには込められていた。
「覚悟はできてるようだな」
「もちろん」
華音は強気だった。
「先にあの魔法少女と剣士を倒し、最終的に憎きキールたちを倒して七つの叡珠を揃える……。そうでしょう?」
「意識はあったようだな」
レイは無表情で言った。
「時々だけどね。一番最近だと、あの光の剣士と戦った時ね。あの精霊が核心に迫るようなことを言ってきたのか、急に過去の記憶が断片的に出てきて……」
「私が七つの叡珠を求める理由を訊いてきた」
「それが引き金になったのね」
華音はすました顔で言った。
すると華音は、ふと何かに気づいたようにぴたりと止まり、レイにこう言った。
「ところで、あなたはずっと私の意思に介入されずに行動してた――つまり、本当に体だけを借りてたんだよね?」
「そうだが」
「それなら、私に考えがあるの」
それから華音は一呼吸おいて言った。
「これからは、私の意思で戦いたいんだ」
レイの銀色の髪が、かすかに揺らめく。
「戦いの全てをあなたに委ねるんじゃなくて、ちゃんと私の意思で戦いたいの。全てを取り戻すために、この手で七つの叡珠を揃える……」
レイは静かに息を洩らす。
「……好きにするがいい。私に異論はない」
またしても、彼女はぶっきらぼうに言った。
だが、ほんのわずかに驚いてもいた。
「戦い方は、その体に刻み込まれているはずだ」
レイは華音の真正面で、右手を差し出す。
「ええ、ちゃんと感覚は分かってる。だから必ずやってみせるわ」
華音も手を伸ばし、意志持つ影で最も高い魔力を誇る女・レイと融合する。
初めて出会った夜と同じように、互いの瞳を真正面から捉えながら、溶け合うように一体化する。
だが、今度はレイが少女の肉体を乗っ取るのではなく、強い意志を持った少女が、闇の魔力を授かった。
自分から奪われたすべてを取り戻し、平穏な日々を手に入れるために。
一対の異なる色の眼が、ぼんやりと光る。
「まずは、あの『カナデ』とかいう少女を倒せばいいのね?」
と、華音の声。
「くれぐれも、油断はするな」
同じ肉体で、今度はレイが言った。
闇の魔法少女は、黒いローブを靡かせ、銀色の満月を背に跳躍した。
*******
「僕は一体……?」
ノイジアが目覚めたのは、冷たい床の上だった。
狂気を帯びて光っていた目は落ち着き、暴走状態だった彼自身も、暴れ出すことはなかった。
「気づきましたか」
その傍らで、キールが言った。
「過度な暴走状態で、結界を壊されかねなかったのでね。私の手に負えるうちに一度止めさせていただきました」
「暴走……止め……?」
少年は頭を押さえながら、混濁した意識の中で記憶をたどる。
すると記憶の一部がよみがえり、ハッとしたノイジアは焦るように言った。
「あの魔法少女と剣士はどうなった⁉」
彼は床から立ち上がり、キールのほうを向く。
「撤収させましたよ。代わりに私が戦うのもなんですし」
キールが冷静に言うと、少年は取り乱したように手をわなわなとさせた。
そして、高身長の青年をキッと見上げた。
「どうしてそこでやらなかった! あそこで倒せば、邪魔者はいなくなるってのに――」
「私は戦いが嫌いです」
キールはギロリと睨むように、少年を抑圧するように言った。
「……何度も言わせないでください」
ノイジアは諦めたように、口を閉ざす。
「それに……この際だから言っておきましょう。我々の障壁となる存在は、あの二人だけではない、と」
キールは銀縁眼鏡の奥で、目を伏せる。
「レイという女がそれに該当します。彼女はほんの一時期ここに身を置いたのち、七つの叡珠のうち
三つを持ち去った、いわば裏切り者です。彼女は一人の人間の身体を借り、独自に七つの叡珠を揃えようと暗躍しています」
「レイ? そんな名前聞いたことないけど」
ノイジアは眉をひそめた。
そんな彼をあえて無視するように、キールは続ける。
「さらに面白いことに、彼女が借りているのは、我々を生み出した張本人。これは私の推測なのですが……彼女らは結託して、我々の存在を最初からなかったことにするつもりです」
「へえ、確かに面白いね。けど何でわざわざ?」
「何でも、その少女は私に強い憎しみを抱いてるのだとか。目の前で、兄弟と思しき人間を殺められたからでしょうか」
と、非情な青年は他人事のように言った。
ふうん、とノイジアは冷めた瞳で言った。
「揃えられると一番厄介そうなのは、そいつみたいだね」
「我々以外の誰にも揃えさせませんけどね」
まあね、とノイジアは言った。
するとキールは、何かを思い出したように、ノイジアをちらりと見やった。
「ところで、先ほどの戦闘で叡珠は奪えたのですか? あれだけの魔力を注げば、それなりの収穫はあるはずなのですが……」
「ああ」
と、ノイジアは外套の内ポケットを探る。
「奪えたよ」
白い手の上で、オレンジ色の宝玉が光る。
その光は少年の目をくぎ付けにさせ、離さない。
彼の意識はだんだん叡珠に吸い込まれていった。
「上等です。さあ、こちらへ」
と、キールは自分に渡すよう促した。
が、少年の返答はない。
彼はぼんやりと、叡珠の光に見入ってしまっている。
「何をしてるのですか。さあ、早く」
ノイジアは、完全に宝玉の光に取り憑かれていた。
渡してもらう気配はなく、彼は仕方なく、少年から無理やり叡珠を取ることにした。
キールが黒い手袋の右手を伸ばした、その時。
ノイジアがそれに気づき、慌てたように叡珠を引っ込めた。
「何言ってるの?」
ノイジアは警戒心を剥き出しにした目でそう言った。
何かがおかしい。
そう思いながらも、キールは宝玉を渡してもらうよう働きかける。
「だから言ってるじゃないですか。それを渡しなさいと……」
だが、ノイジアが次に言い放ったのは、予想外の言葉だった。
――「これは僕のだよ?」
そんな彼の眼は、正気を失っていた。
「何を言ってるのですか。それは我々の希望を叶えるのに必要な……」
「そっちこそ、何を言ってるの?」
ノイジアは宝玉を庇うように、じりじりと後ずさりする。
「これは、僕のだよ?」
うわごとのように言う少年は、宝玉を自分の身体に引き寄せる。
キールは急いでそれを奪い取ろうとしたが、時すでに遅し。宝玉は胸の中心で、少年の身体に入り込まれてしまった。
少年の内なる魔力は、万能の祈りのピースと融合し、吹きすさぶ嵐のごとく、肉体を突き破って暴走し始めた。
そして、彼自身に異常な反応が起きるまでにも、さほど時間を要さなかった。