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彼女の正体は 魔法少女でした  作者: 石榴矢昏
Ⅴ.もう一人の魔法少女
45/62

#44

 



 夜闇に望月蝕まれし時

 麗しの巫女現れん

 さすれば神秘の七つの光

 地上に祈りもたらすべし



*******


 鴉衣(あい)華音(かのん)の最愛の人物にして唯一の肉親。

 それが彼女の弟・詩苑(しおん)だった。


 彼は幼いころから体が弱く、性格も塞ぎこみがちで口数は少なかった。

 友達はほとんどできず、学校を休む日が多かった。


 それでも詩苑には、自分を愛してくれる姉がいたし、彼自身もまた、姉のことを一番に愛していた。


 そして彼は、最愛の姉と同じくらい、音楽を愛していた。

 体調を崩して寝込んでいる時、たまに学校に行ってはクラスメイトにいじめられた時。

 そんな時でも、彼は音楽さえ聴けば機嫌はすぐに良くなったし、学校での嫌な出来事もどうでもよくなった。


「詩苑、本当に音楽好きだね」


 中学校から帰ってきた姉に微笑みながらそう言われるたび、詩苑は愛用のヘッドホンを大事そうに押さえながら、無言ではにかみながら頷いていた。

 心の底から湧き上がる満足感で、いつも俯きがちな眼は静かに輝き、青白い頬は熱でほんのり赤くなっていた。


 また、彼は気に入った音楽について熱心に調べては、細かな情報を頭の中に吸収し、嬉しそうな様子で姉に話していた。

 曲に込められた意味、その背景、またはアーティストの経歴……。


 彼の話がほとんど興味のない範囲にまで及んでも、華音は一切退屈そうな顔はしなかった。

 何故なら華音は、自分の弟が何かに夢中になり、満足そうにしているのを見るだけでも十分に嬉しかったからだ。


 こんな環境に置かれていても、彼に安心感をもたらし、温かな熱をもたらしてくれるもの。

 そんな彼の大好きなものは、私が守ってあげたい――。


 彼女はそんな思いだった。



 鴉衣姉弟の実の両親は、早くに他界していた。

 その事実が明かされたのは、ある日の夕食時だった。

 華音は十二歳、詩苑は十一歳だった。



 九年前、姉弟とその両親が乗っていた車が事故に巻き込まれた。

 いつもの日常が突如破壊された悲劇の日。


 その日は特別な日でも何でもなく、いつもと同じスーパーマーケットに向かう途中だった。


 両親は搬送先で亡くなったが、その子どもたちは無事に生き残り、保護された。

 その事故は各メディアで報道され、鴉衣姉弟についても『奇跡の姉弟』として何度も騒がれた。


 周囲が受けた深い悲しみなどつゆほど知らず、彼らを『奇跡の姉弟』と勝手にラベリングし、世にも珍しい見世物のように映したメディアに対し、親族や身近な者の多くは腹を立てた。


 事故を引き起こした運転手はすぐに逮捕されたものの、数年後には釈放され、何食わぬ顔で日常を過ごしている。


 そんな一連の出来事を、親戚夫婦である育て親は、当時を思いだして悔しがるわけでもなく、また今まで黙っていたことを詫びるでもなく、日常会話と同じ調子で淡々と語った。


 華音の視界の中で歪んでぼやけてゆく、食卓を挟んだ両親の冷徹な顔。

 頭の奥底に封じられていた記憶が、濁流にように次々と溢れ出た。


 激しい車のクラッシュ音に、けたたましいサイレンの音。

「まだ小さいのに可哀そう」と涙ながら口々に言う親戚たち。

 黒い服に身を包む大勢の大人たち。

『奇跡の姉弟』としてテレビに映し出される私たち。

「テレビで話題の姉弟だ」と私たちを指さす人々――。



 華音は持っていた茶碗を叩きつけるように置き、嗚咽しながら自分の部屋へ駆けていった。


 ドアをバタンと閉め、華音は電気も点けずに、ベッドに伏せて激しく泣いた。

 彼女の記憶の中で一番、激しく泣いた。


 私たちの本当のお父さんとお母さんは、ずっと前に死んだ。

 当時小学生だった彼女は、育て親の話していたこと全てを理解したわけではなかったが、その事実はよくよく分かったし、それが彼女の胸を引き裂いた。



 部屋のドアが静かに開いた。


 詩苑も彼女に続いて食卓を抜け、何も言わずに姉の傍にやってきた。

 その気配に気づいた華音は涙をぬぐい、弟を見上げた。

 彼女には見えていなかったが、その顔は、暗闇の中でわずかに歪んでいた。


「詩苑」


 震える声で、この世で唯一血のつながった肉親の名を呼んだ。


「お姉ちゃん」


 詩苑が呼び返す。

 華音の涙が、また溢れかえった。


「お姉ちゃん」


 お姉ちゃんは、僕の本当のお姉ちゃんだよね。

 そんな思いで、詩苑はそれだけ繰り返し、暗く冷たい部屋の中で、静かに姉を抱きしめた。


 窓を激しく揺さぶる大雨と突風を背に、二人は互いの心臓の鼓動を感じながら、強く抱きしめ合った。

 普段から感情を露わにしない詩苑は、黒々とした髪を優しく撫でられながら、嗚咽交じりに大粒の涙を静かに流し続けていた。



 その日以降、詩苑は部屋にこもるようになってしまった。

 彼は数日で立ち直った華音より繊細で、話を聞かされた時も、内心では彼女以上にショックを受けていた。


 事故が起きた当時の記憶こそなかったものの、やはり実の両親の死という事実はショッキングだったし、暗い部屋で慟哭をあげていた姉の姿が、さらに事の重さを彼に伝えていた。


 彼は食卓に座るだけで気分を悪くするようになり、家族全員が居間に揃うようになるまでは時間を要した。

 だが、その原因を引き起こした育て親の態度は、まるで冷たかった。


 まるで他人事のように「高学年にもなってだらしない子だ」と言うばかりで、手を差し伸べるようなことは一切しなかった。

 食卓を挟み、そんな様子を見ているうちに、華音の育て親への嫌悪感は日に日に増していった。


 エリート校出身の親戚夫婦が幼い姉弟の育て親になったのは、親族の中で一番環境に余裕があったためだった。

 実の父の兄夫婦である彼らは拒否せず、遺された姉弟の育て親の権利を得た。


 反抗的な言動があったり、よそよりも少し早い門限を一分でも破れば、それなりの罰を与えた。

 姉弟はそれに対して多少の不満はあったものの、それを「当たり前のこと」として受け入れていた。


『悪いこと』をして、それなりの罰が与えられるのは、当然のことだ、と。


 だが、育て親たちに大きな問題があるわけでもなく、周囲から見れば、彼らはどこにでもいそうな、いたって普通の家族だった。


『みんな』よりも少し厳しい親たち。ただそれだけだった。



 詩苑は部屋で長い時間過ごすうちに、インターネットの世界に浸るようになり、その中でも特に、音楽にはまった。


 世間で流行っているポップスから、一昔前の洋楽まで様々なジャンルの曲を聴き、特に気に入ったものは、自分で購入方法を調べた上でダウンロードした。


 育て親は時々思い出したように「学校へ行け」と言ったが、詩苑は断固として拒否した。


 クラスに顔を出したところで、またいじめられるだけだし、団体行動を強要されるのも面倒だ。

 勉強だって、どんなに早く理解してもあいつらのペースに合わせなきゃいけない。

 だからあんな騒がしいところへ行くより、自分の部屋で好きな音楽を好きなだけ聴いていたい。


 そんな思いで、彼は小学校卒業まで学校へ行かなかった。


 姉である華音は、最後まで詩苑の味方だった。

 華音は毎日学校に通い、クラスの中心的存在でもある、いわゆる人気者だった。

 成績は中の上で、両親には「もっとやれる」と言われたものの、本人にとっては十分だった。


 華音は学校へ通わない弟が多少心配ではあったが、無理やり外へ引っ張り出すようなことは一切せず、本人の意思を最優先した。


「お前からも何とか言ってやれ」と親に言われても、それには応じなかった。



 それを何度か繰り返し、「どうして親の言うことが聞けないのだ」ときつく言われたある日、華音の中で何かがぷつんと切れた。


 その時の彼女は、中学校に進学していた。

 考えるより先に、口が動いていた。



 ――「本当の親じゃないくせに、偉そうにしないでよ」


 そういった途端、場の空気が凍り付いた。

 暗黙の了解で示されていた禁句を、彼女は言ってしまった。

 けど、彼女は我慢の限界だった。


 自分たちは私たちに冷たいくせに、どうしてルールだけは厳しいの。

 どうして縛りつけようとするの。


 あの事故のことを話した時も、どうしてあんな涼しい顔をしていられたの。

 どうして全然悔しそうにしなかったの。


 今まで積もりに積もったものを、ここで全てぶちまけたかった。


 父親がすたすたと華音に近寄り、右手を後ろに引いた。


 

――バチン。


 親に反抗的な言動をすれば、それなりの罰が与えられる。

 この家庭において、当然の報いだった。


 両親と姉弟の間に、亀裂が走る。

 父親は手こそ出したが、怒号を上げることもなく、反抗的な娘の視線をじっと見返した。

 ガラス玉のような、人ではなく物を見ているような冷たい目で。


 これが、華音が親から手を出された最初で最後の時だった。



 華音は心の内で両親を恨みながら、詩苑の部屋に入った。

 彼はいつものように、音楽を聴いていた。


「詩苑、本当に音楽好きだね」


 制服姿の華音が微笑みながらそう言うと、詩苑は頬をほんのり赤らめ、はにかみながら無言で頷いた。

 だが、姉の顔が視界の隅に入った途端、彼は慌てたように音楽を止め、ヘッドホンを外した。


「お姉ちゃん、顔……」


 華音の頬には、父親にぶたれた痕がかすかに残っていた。


「ああ、これ?」


 華音はぶたれた箇所をおさえた。

 痛みはまだ残るものの、痕は残っていないものだと彼女は思っていた。


「ちょっと、ぶつけちゃって」


 本当のことなど言えず、彼女は笑ってごまかした。


「大丈夫……?」


 と、詩苑は心配そうに近寄る。


「うん、大丈夫。ありがとうね」


 と、華音は笑顔で言った。


 だが詩苑は、数分前に姉の身に起きていたことを知っていた。


 たまたま音楽を再生していない間、父親と姉の声が彼に届いていたのだ。

 それはその時に食らったものだと、詩苑は気づいていた。


 知っていながらも、彼は知らないふりをし、ただ最愛の姉に寄り添った。



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