#40
少年は飢えていた。
「もっと……魔力が欲しい……」
地面にべったりと座り込み、頭を抱え俯く少年。
彼の紅い瞳は、今にも消えそうな炎のごとく不安げに揺らいでいる。
「この力じゃ足りない……」
震えた右手をそっと下ろす。
黒のグローブに封印された白く繊細な手は、時々思い出したように鈍く疼く。
光の戦士との戦いが、少年を渇望させる大きな引き金になった。
少女の神々しく眩い光を、自らの手で闇に染め上げ、堕ちてゆく様を目に焼き付けたい、と。
遠くから、小気味いい靴音が近づく。
少年は力なく顔をあげ、その名を呼ぶ。
その顔は必死だった。
「魔力が欲しい……。持てる限りの……僕が持てる限りの……」
すがるような彼に、青年は微笑んでいた。
「何なりと」
青年は黒い手袋を外した。
「魔力なら、持て余すほどありますからね」
青年の細い指が、慈悲深く少年の顔に触れる。
魔力に飢えた少年は、もはや他者に触れられても気にしなかった。
綺麗な輪郭をなぞる手つきは、まるで飼い犬を手なずけているようだった。
キールは立ったまま、少年の首元へ、そして胸元へと手を滑らせた。
胸の中心に手の平を押し当て、魔力を注ぐ。
己の身体を満たすものが注がれるたびに、少年は幸福感を覚え、心までもが満ちていくのを感じた。
「ぁあ……もっと……もっとちょうだい……」
少年は長い前髪の間からキールを仰ぎ見る。
ひっきりなしに注がれる闇に満足感を覚えながら、右手をそっと浮かせる。
そして、青年の手首をぎゅっと握り返し、自分の胸に手の平を強く押し付けた。
「この身体がはちきれるくらい……」
「おや、もっとですか? ……いいでしょう」
青年は拒否しなかった。
魔力はひっきりなしに注がれ、少年の身体の一部として取り込まれてゆく。
「相変わらず冷たい手……」
キールは独り言のように言った。
「どんなに多く闇を注いでも、この手に熱が宿ることはないのでしょうね……」
どれだけ魔力が注がれても、青年の魔力が枯渇することはなく、少年の姿が変わるまで、一連の儀式じみたそれは続いた。
*******
少女の纏う光は、強力な闇によって沈められた。
その異変にヤビイが気づいたのは、少ししてからだった。
宙に吊られたまま、力なくぐったりとする奏を見た途端、ヤビイは強い絶望感に襲われた。
「ぁ、ぁああぁ……ぁああぁぁ………」
飛行生物の消滅によって、毒の効果は少しずつ和らいでいた。
が、あまりの絶望感で、ヤビイは未だに毒の影響が残っているかのように、茫然と立ち尽くしながら、意味を成さない声を絞り出すしかなかった。
満足気に微笑むノイジアが精霊のほうを向いた。
「やっと気づいた? けど残念」
もう遅いよ。
そんな少年の言葉が、無音の空間の中で嫌に響いた。
俺が雑魚たちを相手にしている間も、奏はきっと苦しんでいた。
なのに俺は最後まで気づかなかった。
あの日みたく、俺はまた大切な仲間を――。
と、過去にけじめをつけたはずの光の剣士は、ほんのわずかの間、自責の念に駆られた。
が、ヤビイは目の前の敵への怒りのほうが勝っていた。
「……どうして」
ヤビイの両腕がわなわなと震える。
「どうしてそんなことしたんだよ……!」
「え? どうしてって……」
少年は一瞬答えに詰まらせたのち、にやりと微笑んだ。
「『僕がそうしたかったから』、かな」
無音の空間に緊張感が走った。
「この前彼女と戦って、僕の中で衝動が起きたんだ。――『あの眩い光を、この手で闇に染めたい』ってね」
少年は、意識を手放した少女をうっとりと見つめる。
「あんな感情は初めてだったよ。何かに強く突き動かされ、心から何かがしたいって思ったことなんて、僕は今まで一度もなかった……」
少年は、この世全てを嗤う悪魔の笑みを浮かべ、こう言った。
「……だからこの少女には、心から感謝してるよ。『僕を満たしてくれてありがとう』って」
するとその時、空間に鋭い鋼の音が響いた。
少年は音のした方を見る。
精霊が俯きながら、剣を地面に強く突き立てていた。
「……ノイジア」
ヤビイはここで初めて、少年の名を呼んだ。
「テメエは他の敵たちと比べりゃ、まだマシな奴だと思ってたよ」
ヤビイは深く、息を吸った。
「あのお色気女や似非紳士野郎よりイライラさせられねえし、下手したら、いずれ分かり合える日が来るんじゃないかとすら一瞬思ってたよ」
精霊の深い深呼吸。
束の間の沈黙ののち、金色の瞳が髪の間からギラリと少年を睨んだ。
「……けど、一瞬でも期待してた俺がバカだったよ」
バチバチバチと、青い雷が精霊の身体に走る。
――「ああ、とんでもなく大バカだったよ‼」
ヤビイは鋼の剣を振り上げた。
「戻せ……。今すぐ奏を戻しやがれ!」
ヤビイの怒りの一撃。
轟音とともに剣が振り下ろされた。
激しい斬撃は稲妻を纏って地を走り、真っすぐに少年に向かっていた。
「チッ……!」
ノイジアは舌打ちし、長い髪を振り乱しながら、遠隔で捕えていたいた少女の方へ回避した。
その流れで彼は、麗しき姫を攫う王さながら、灰色の髪の少女を片腕に抱きかかえた。
「テメエ……。奏をどうするつもりだ!」
怒りに震える精霊。
「別にそのまま抹消するとか、変なことはしないよ?」
すました顔で、少年は答えた。
「どうせなら、これから僕たちが創る『新たな世界』に連れて行って、そこで新たな生命として過ごしてもらおうかな……」
右手をヤビイのほうへかざすと、彼の涼しい顔が、一瞬にして狂気に満ちた。
「……永遠にね!」
一斉に、破壊的な闇が濁流のごとく放たれた。
それを紙一重で避けヤビイ。
「新たな世界とやらが何なのかよく分かんねえけど、そんなことさせっかよ!」
精霊の手から青い雷が走る。
黒い外套が軽やかに翻った。
「……そんなことしていいの?」
「なんだよ」
「あまり無闇に攻撃すると、彼女に当たっちゃうかもよ?」
と、少年は腕に抱かれた奏を見下ろしながら言った。
「卑怯者……」
「それとも、そんなに彼女を解放してほしいなら……」
ノイジアの左眼がぼんやり光った。
「君が持ってる叡珠をくれたら、少しは考えてあげる!」
悪い話じゃないでしょう?
と、少年はにんまりとして言った。
「さあ、どうする? 何もしなきゃ、彼女は僕のものになっちゃうよ?」
少年は、光の剣士を試すように言った。
闇に飲まれた魔法少女は、未だに動かない。
「……ったくどいつもこいつも!」
ヤビイは剣を乱暴に落とし、右腕を頭の後ろに引いた。
「石を寄越せ石を寄越せって! 同じこと言ってんじゃねえ!」
ヤビイが少年に向けて投げたもの。
それはオレンジ色に輝く――七つの叡珠のうちの一つだった。
少年は意外そうな顔をし、それをキャッチした。
「……へえ、随分あっさりと」
ノイジアは、目の前の精霊が叡珠をいくつ持っているかまでは把握していない。
ヤビイはその事実に賭け、全部は寄越さず、自分が持っているうちの一つだけを少年に渡した。
少しでも、この危機的な状況を打破する可能性を掴むために。
「(赤い方は何が何でも死守しねえとな……)」
少年は光に魅入られたように宝玉をじっと見つめ、大事そうにしまった。
「いいよ、彼女は君に返してあげる」
ノイジアはそう言い、奏の身体を浮かせながらヤビイのもとに渡した。
「……ただし、僕たちが叡珠をすべて揃えたら、また取り返すけどね」
「何言ってんだ?」
ヤビイは眉をひそめると、少年は意地の悪い笑みを浮かべてこう言った。
――「だって君、彼女を元に戻す方法分かってるの?」
ヤビイはハッとさせられた。
少年は、『彼女を解放する』とはいったものの、『元に戻す』とは一言も言っていなかった。
「テメエ、騙しやがって……!」
「君が勘違いしただけじゃないか」
ヤビイの腕の中の彼女は未だ、ぴくりとも動く気配がない。
「僕がせっかく闇に染めた彼女を、そう簡単に戻す訳がないじゃん」
少年はそういいながら黒い外套を翻し、背中を向けた。
彼は撤退するつもりだった。
「きっとすぐに取り返すから、その時までは……」
「おい、待て」
ヤビイは低い声で引き留めた。
剣士の精悍な顔が、真っすぐに少年を睨む。
「テメエをそのまま帰すわけにはいかねえよ……!」
引き留められた少年は、顔の左半分だけ精霊に向けた。
ヤビイは奏をそっと地面に横たえ、剣を真っすぐに構えた。
「ここで、テメエを倒す……」
ヤビイの怒りは頂点を超え、激しい稲妻が全身を覆っていた。
「へえ、やるんだ」
少年はあえて、自分が不死身であることは明かさなかった。
「……やれるもんなら、やってみな」
悪魔は妖しく笑い、深くどす黒い闇を纏う。
相対する剣士と悪魔が向かい合う傍ら、光の精霊の腕から離れた少女の手が、かすかに動いた。




