#3
「って本当に変身しちゃった⋯⋯」
自分の格好を見下ろし、動揺する奏。
「これで、本当にあれと戦えるんだよね?」
「グアアァァアアァ――!!」
『あれ』呼ばわりとは失礼な!とばかりに吠える、夜闇に溶ける真っ黒な怪物。
身長は展望台と同じくらい。女の妖怪を思わせるような長い白髪の間からは、こちらを見下ろす紅い瞳がのぞいている。全身の筋肉は発達し、身につけているのは、下半身を覆うボロボロの布のみだ。
咆哮するたびに鋭い牙がのぞく。
奏の前に立ちはだかるそれには、『角のない鬼』という呼び名が相応しいだろう。
一瞬身が竦んだが、奏はそれを倒すべく、ステッキをグッと握って覚悟を決めた。
「短い詠唱で、その杖から魔法を出して攻撃するんだ。滅多なことじゃ折れないから、いざという時は、それでヤツの頭をぶん殴ってもいい!」
「殴……何て野蛮な!」
「とりあえず、『フラッシュ』と唱えて基本的な攻撃を繰り出せ」
「分かった」
杖を怪物の方へ向け、精霊の指示通りの呪文を唱えた。すると杖の先には、直径一メートル弱のピンク色の魔法陣が浮かび上がり、ピンポン玉程のサイズの無数の光が一気に放出された。
怪物は一瞬怯んだが、この程度かと言わんばかりに直ぐに体勢を立て直し、拳を振り上げた。
「来る、っ!」
鉄槌が下される寸前、奏は力いっぱいに地面を蹴り、大きく跳躍した。
直後、僅か数メートル下で、拳が轟音を立てて地面にめり込むように叩きつけられた。
あれをもろに食らったら、ダメージは決して軽くはないだろう、と彼女はひやりとした。
そして彼女は自分を狙っていたそれに着地する。
「何なら杖を投げ出して、物理戦に持ち込んでもいい! 魔力で身体能力も格段に上がってるからな」
「投げ出すのは流石にマズくない?」
不愉快そうに揺れる腕の上を、振り落とされないように走り抜ける。
再び跳躍し、宙返りしながら、怪物の後頭部へ回り込んだ。
「何かこの辺弱そう!」
そして首元へ一発、豪快な回転蹴りを入れた。
案の定敵は怯み、続けて二、三発同じ箇所へ攻撃を浴びせると、とうとう、大きな音を立てて地面に倒れた。
再び起き上がる気配はない。
「とどめだ! 杖の先端部分を胸の石の前にかざして魔力をチャージするんだ」
杖を胸の前で構えると、体の底から熱い何かが沸き上がってくるのを感じた。
彼女はピンク色に光るオーラをまとい、同じ色に光る杖の先も輝きを増した。
「『この世に蔓延る悪夢達よ、塵となれ』――」
両手で杖をしっかりと握り、前に突き出すと、無数の魔法陣が横一直線に壁となって現れた。
「『クリスタル・ハリケーン』!!」
壁から無数の透明なつぶてが光の速さで放出され、巨体をビッシリと包み込むうちに、やがて一つの透明な塊となって、怪物を覆い尽くす。
完全に拘束された怪物には、為す術もない。
そして少女は、最後に叫ぶ。
「『ブレイク』!!」
そしてそれを覆っていた水晶もろとも、怪物は断末魔の叫びもなく派手に砕け散った。
キラキラと光る粉塵が舞い、ひび割れた地面など、壊された部分が修復されていく。
最早敵の気配はない。
「あぁぁ何て殺生⋯⋯」
血の気の引いた顔で、奏は呆然と立ち尽くす。
「気にすんな、あれは破壊の為だけに造られた兵器のようなものだ。血も肉片も無いだろ?」
「うっ、言い方グロいね」
「まあ、ざっとこんなものだ。変身は直ぐに自然と解除される」
どうやらそこは、魔法少女アニメのお約束と同じらしい。
変身が解かれ、奏は一気に脱力したように地面にへたれこんだ。
「これが、魔法少女の力⋯⋯」
息を切らし、結び目に石の付いたセーラー服のリボンをそっと持ち上げる。
――「へえ、やるじゃん」
聞きなれない声。
見ると、紅い瞳の目立つ人影がこちらを見下ろしていた。
「君は……!?」
奏は慌てて立ち上がり、後ずさりでその人物と距離を取った。
「そうビビらないでよ。僕は生身の人間に手を出すほど狡猾じゃない」
変声期を迎える前の、やや高めの少年の声だった。
身長は奏と同じくらいだ。黒いパーカーのフードの間から見える、紫がかった黒髪は艶があり、少女と見まごうほど長い。
左眼は長い前髪で隠れ、白い肌には染みもニキビもなく、陶器のように綺麗だということが、暗闇の中でもわかる。
まつ毛も長く、少し幼さも残る、美形とも言える顔立ちで、中性的な声も相まって「少年」と断定してしまうのも躊躇われる。
見た目は人間そのものだが、何処か、人間離れしたオーラを放っている。
「僕の名はノイジア。いつかこの世界を喰らい尽くす、無限の闇だ」
彼はそう言いながら、黒い指ぬきグローブの右手で前髪をかき上げ、顔の左半分を覆った。
「だから、誰にも僕を止められない」
ノイジアがニタリと笑うと、指のあいだからのぞく紅い瞳が、微かに光った。
「それに、あまり僕を苛立たせないほうがいい」
少年は腕をおろし、奏達に背を向けた。
「この世界の前に、君の力をぶっ壊されたくなければね⋯⋯」
少年は、パーカーのポケットに手を入れたまま軽く跳躍し、姿を消してしまった。
同世代の少年の口から、思いもよらないような言葉を聞かされ、奏は一瞬身が竦んだ。
「今のは⋯⋯?」
「雰囲気からして、さっきのバケモノのグルだろうな」
突飛な言葉に一瞬は怯んだものの、後で冷静に考えれば、いかにも悪役らしい、随分と幼稚な脅し文句だと、この時の奏は思っていた。