#38
ほとぼりが冷め、会場も人もクールダウンに向かっていた。
ここは、吹奏楽コンクールの会場である、市民ホール。
これまでの練習の成果を発揮し、全身全霊を込めた音楽たちの余韻が、その四角い建物の中に残っていた。
奏たちの属する、私立伊佐嶺中学校吹奏楽部は、あと一歩のところで金賞に届かず、銀賞に終わった。
県大会進出を望んでいた多くの部員たちは、結果発表後のミーティングで悔し涙を流していたが、他の部員を責める者は誰もいなかった。
一人一人が同じ目標に向かって練習に励み、そして本番の演奏でもそれらを遺憾なく発揮した。
全ての部員がそれをちゃんとわかっていた。
だから顧問の先生も部長も、よくここまで走り抜けたと、賞賛の言葉を述べた。
そして来年こそは金賞を取って、県大会への片道切符を勝ち取ってほしい、と。
部員たちはホールの広場で現地解散となり、奏は、いつもの三人とともに帰るところだった。
「惜しかったわね……」と泉美。
「まあでも、俺たちの中じゃ一番いい演奏だったんじゃね?」
と、麗音が前向きに言った。
「そうだよね。特にクラリネットの連符のところ、練習の段階では苦戦してたのにすごく綺麗になってたし」
演奏中なのにびっくりして聞き入っちゃうところだったよ、と雅斗が笑った。
奏が横目で親友をうかがうと、案の定、彼女はほんのり赤面していた。
「そ、そうだった?」
照れているのが声にも表れていたが、雅斗本人は気づいていない。
「うん。すごくよかった」
「……ありがとう」
泉美は顔をほんのり赤らめ、俯きがちに言った。
「来年で最後、かあ」
麗音が空を仰ぎながら言った。
「去年も銀賞だったし、せめて来年は金賞取りたいよね……」
と、奏が言った。
「しかも今度は部を引っ張る側で――」
「よっ、お疲れ!」
奏が話し終わらないうちに、突然大きな声が飛んできた。
「うわ、ビビったー!」
四人全員が一斉に横を向くと、植え込みの陰から、元部員の冨上稜がひょっこり姿を現していた。
「トガミン、何でここに?」と、奏。
「何でって……元部員としてお前たちの演奏聴きに来たんだけれど」
「うん、それは何となくわかるけれど……」
雅斗は苦笑いしながら、植え込みを指さす
「まさかトガミン、このためだけにずっとそこに隠れて待ってたの……?」
「まあな!」
稜は白い歯を見せて無邪気に笑った。
が、それはすぐに引っ込み、
「あいたた、ずっとしゃがんでたから腰がっ」
彼はそう言いながら、芸人顔負けの動きで腰を抑えた。
「そりゃそーだ」
と、麗音が冷静にツッコミを入れた。
「冨上くん、一人で来たの?」
唯一稜をあだなで呼ばない泉美が尋ねる。
「そうなのよ。創ちゃんと信さんも誘ったんだけど断られちゃってさ……」
稜は頭をぽりぽりかきながら言った。
ちなみに彼が愛称で呼んだ二人は、同じく元部員の福田と小南のことだ。
「で、一人で普通に登場するのも面白くなくて、これが思い立ったと」
雅斗が腕組をして言った。
「そーゆーこと!」
再び稜が無邪気に笑った。
「いやー、期待通りのリアクションが見れて満足満足!」
晴れ晴れとした顔で喜ぶ稜。
「お前はお化け屋敷のスタッフか!」
麗音の鋭いツッコミ。
「えへへ」
稜は子供のように無邪気に笑った。
「今度部室に行くときも、これで行こうかな?」
「あれ、確かハンドボール部ってグラウンドだよね? 隠れる場所あったっけ」
雅斗が尋ねる。
「いやいや、吹部の部室。ハンドボール部とっくに辞めたもん」
稜はさも当然のように、手をパタパタさせて言った。
「なんか俺の肌に合わなかったし……って」
稜が見ると、四人は驚いたよう顔で彼を見ていた。
「えっ?」
驚く泉美。
「トガミン」奏。
「まさか」
雅斗。
「お前……!」
目を見開き、驚く麗音。
「みんなどうした?」
稜は不思議そうに首をかしげる。
そんな彼の肩が、がしっと掴まれた。
「お前、戻ってくるのか……」
麗音は真顔で迫り、追い詰めるように言った。
「え、今更遅いって……?」
麗音の発する圧に、稜の表情が強張る。
すると、麗音の表情が花のようにパッと明るくなった。
興奮気味に息を吸い込み、
「大歓迎だ!」
と、喜びを全面に表した。
「遅いわけあるかよ! またお前のドラム聞けるのすげー嬉しいよ!」
興奮を抑えきれない彼は、稜の肩を持ったまま前後に揺さぶる。
「そ、そりゃどうも……」
頭ごと揺さぶられる稜は、目をぐるぐる回しながら言った。
「麗音、そろそろ離さないと気絶しちゃうよ……」
と雅斗。
すまん、と麗音が両手を離した。
「いやあ……」
よろめいた稜は、子犬のように顔をぶるぶるさせて気を取り直した。
「まさか俺を歓迎してくれるとは」
「ったりめーよ」と麗音。
「よし、嬉しいからアイス奢るよ!」
稜は財布を取り出しながら言った。
「いいのか?」
「おう!」
無邪気な笑み。
「普通逆だけどね……」
と、奏が苦笑いする。
「まあまあ、今日まで暑い中頑張ったみたいだし、俺からの差し入れとして!」
稜を含め、五人は近くのコンビニへ行くことになった。
――が、その時。
巨大な影が、彼らのもとに落ちた。
「んっ?」
雅斗が視線を上にやるのと、巨大な物体が彼らの頭上をかすめるのはほぼ同時だった。
「な、何あれ……」
全員がそちらを見ると、巨大な飛行生物。
半透明な大きい翼をはためかせ、顔の中心の針をこちらに向けている。
ギシシシシシシシ。
巨大な羽虫が嫌な音を立てる。
「うわ、なんだこいつ!」
神経を逆なでするノイズに、全員が耳をふさぐ。
飛行生物が助走をつけた。
こちらに襲い掛かってくる気配を感じ取った雅斗。
「みんな、逃げるぞ!」
帰り道を走り抜け、人気のない道を通りながら飛行生物を撒こうと走り続ける。
それでも羽虫はしつこく追いかけてくる。
「くそっ、しつこいヤツ!」
「トガミン、まさかこれも僕たちへのサプライズ?」
「なわけあるかー!」
五人は走り続ける。
大通りに出ないほうが賢明だと判断した彼らは、同じルートを走る。
「おい、奏!」
カバンの中から、ヤビイが小声で話しかけた。
「早く変身して戦ったほうがいいぞ!」
「で、でも……」
奏は小声で返す。
「みんなもいるし、こんなところで変身したら……」
「あいつ、今までのより強いぞ! もはや気にしてる場合じゃない!」
奏がヤビイと話しているうちに、男子三人から遅れをとってしまった。
「奏、泉美! 急げ!」
麗音が大声で呼びかける。
奏の後方には、息を切らした泉美が苦しそうに胸を押さえていた。
「奏、私はいいから先に……」
泉美は顔をしかめながら言った。
空中からじりじりと近寄る怪物。
それは明らかに、奏たちに狙いをさだめていた。
怪物が急に加速したかと思うと、ミサイルのごとく、凄まじい速さで飛んできた。
「危ない!」
奏は泉美をかばうように、覆いかぶさりながら地面に伏せた。
二人は辛うじて、怪物の突進を避けた。
「あ、ありがとう奏……」
泉美が礼を述べ、二人はゆっくりと立ち上がった。
怪物は体を回転させ、奏たちに向いた。
ギシシシシ。
また、嫌な鳴き声。
「お前ら大丈夫か?」
男子たちがこちらに駆け寄る。
「やいバケモノ! 女子から狙うなんて卑怯だぞ!」
稜が大声で言っても、怪物は奏達をじっと見据えたままだ。
「泉美には触れさせない……」
奏は怪物をけん制しながら、そっとカバンの中に手を伸ばす。
彼女の手はカバンの中のものに向かっていたが、彼女自身には未だためらいがあった。
「奏……」
親友のか弱い声。
「奏、逃げろ!」
クラスメイトの叫ぶような声。
急ぐように、大きく手招きしている。
「早く変身するんだ、奏!」
精霊の声。
「私はいいから、せめて奏は……!」
――奏!
彼女の中で皆の声が重なるのと、ピンク色の宝玉が手の中に収まったのは同時だった。
少女の決心は固まった。
「……みんな、ごめん!」
神秘の宝玉がカバンから取り出され、高々とかざされた。
友人たちの視線が集まる中、怪物の前にかざされた叡珠が、眩い光を解き放った。
少女は光の中で、もう一つの姿へと変わる。
身近な友にすら見せることのなかった、精霊の光を纏った戦士の姿に。
目の前にいる怪物を必ず倒し、必殺技の作用でもう一つの姿を忘れさせる。
一方的に驚くような事実を突きつけておいて、後でそれを無理やり忘れさせること。
それは傍から見れば、あまりに身勝手で残酷なことだと、彼女自身もわかっていた。
それでも今は、そうするしかない。
それが魔法少女である彼女の、今一番取るべき方法。
変身が完了し、魔法少女は静かに降り立った。
彼女は俯きがちだった。
「か、奏……だよな……?」
「本当なの……?」
友人たちは揃って、茫然と立ち尽くす。
奏の想定内の反応だった。
「みんな、安全なところへ逃げて……!」
少女は白いステッキをきつく握り、怪物を仰ぎ見た。
この手で、絶対に倒してやる。
鋭い視線でそう言いながら。
「私はすぐに戻ってくるから……!」
確信はなくとも、少しでも友人たちを安心させたかった。
ギシシシシシ――。
嫌な鳴き声が、辺りに響き渡った。