#36
時間は巻き戻る。
奏が真の魔法少女として目覚め、覚醒した少年との戦いに臨んだ直後。
ヤビイの目の前に、レイが現れた。
黒いローブを靡かせ、その赤と紫の瞳で、敵意のまなざしを向けながら。
彼女は既に黒い槍を持っていた。
戦いを起こそうとしているサインだった。
「テメエ、何の用だ」
ヤビイは喧嘩腰で言った。
しかしレイは何も答えず、かわりにこう尋ねた。
「貴様、それが本当の姿か」
と、自分より背の高い精霊の顔を、槍の先で指しながら。
「ああそうだよ。ついさっき他の奴に言ったばかりだけどな!」
と、怒りをぶつけるように、剣を握りながら言った。
そんな戦闘の構えを取ったヤビイを確認すると、レイは槍を持たないほうの手を天に掲げ、こう唱えた。
「『空間構築――インビジブル』」
すると一瞬にして、周りの光景がパッと切り替わったかのように見え、ヤビイは周囲を見渡した。
が、そこに大きな変化はなかった。
「何をした」
女は答えた。
「一時的に『裏の世界』を具現化し、そこに転移させた」
「『裏の世界』だと?」
ヤビイは顔をしかめる。
「現実世界と同一の空間、同一の時間を持ちながらも、生き物は存在しない無の場所だ」
「なにっ……?」
二人の間に冷たい風が通った。
そこにあるのは、風の音だけだった。
車の音も鳥の鳴き声も、人間や動物の出す音はそこには存在しない。
「テメエ、そんなことまで出来んのかよ……。俺をここに永遠に閉じ込めようって魂胆か?」
「安心しろ。私が貴様を倒し、その屍を現実世界に晒してやる」
「ンなこと誰も頼んでねえよ……!」
二人の間に、殺伐とした空気が流れた。
「ならば、貴様の持ってる叡珠を寄越せ」
と、レイは槍の先をヤビイに向けた。
「そうすれば、貴様を解放してやる」
「ハッ、テメエにゃ渡さねえって何回言えばわかるんだ」
「……そうか」
レイは伏し目がちに言った。
が、彼女は決してあきらめたわけではなかった。
「ならば奪い取るしかあるまい」
レイは戦闘用の姿に切り替わりながら、魔力を纏った槍を素早く回転させ、ヤビイに向かって薙ぎ払った。
「うわッ!……テメエいつからそんなに野蛮になった!」
ヤビイはギリギリ攻撃を躱しながら言った。
「私は私のためになすべきことをしているだけだ」
そう言いながら、無表情のままに攻撃し続ける。
「無意味な争いを起こすほど私は愚かではない」
ヤビイは次々と飛んでくる槍をかわし続ける。
女の動きは俊敏で、ヤビイに一切反撃の隙を与えない。
「俺にとっちゃ十分無駄な争いなんだけどな……。テメエがそこまで七つの叡珠を欲しがる理由くらい、いい加減言ってくれてもいいんじゃねえのか?」
核心に迫ろうとするヤビイの視線。
槍を避けつつ、金色の瞳でレイの顔を睨む。
が、彼女は何も答えない。
黒いマスクの下で無言を貫いている。
「ったく調子狂わせやがってよ……」
剣士の怒りが、青い雷に変換される。
バチバチバチと、握られた剣が稲妻を起こした。
「俺に言う筋合いはないってか? ぁあ⁉」
一瞬の隙を見つけ、剣を勢いよく振り上げた。
女は銀色の髪を浮かせ、軽々と攻撃を躱す。
続けて斬撃を繰り出されても、余裕の素振りで避け続ける。
「ぁああもう! テメエと戦ってんと無性に腹立つな!」
苛立ちをぶつけながら剣を振るヤビイ。
「おらぁッ!」
鈍く光る刃のフルスイング。
ガツン、と固い感触がヤビイの手に走る。
武器を後ろに引き、正面を見ると、レイが黒い槍で防御の構えを取っていた。
「テメエ……」
「私も同感だ」
彼女は銀色の前髪の間から睨みながら、冷淡に言った。
「だったら早くその槍引っ込めて帰れってんだよ!」
「言ってるだろう、叡珠を寄越しさえすれば元の世界に戻すと」
「ああそうでした! 叡珠さえ渡せば万事解決でしたね!」
ヤビイは剣を構えなおす。
「……テメエ、『妖怪エイジュヨコセ』って呼ぶぞ」
そんな突飛なことを言われてもなお、レイは無表情を貫いたままだ。
「それとも、『お色気女』と『似非紳士野郎』みたくシンプルにしてやろうか? 『妖怪女』!」
ヤビイは刃を振り下ろす。
レイが後ろに下がり、剣は空を切る。
「何とでも言えばいい」
槍の先端が紫色の炎に包まれる。
「貴様が私を何と呼ぼうが、私に実害はない」
彼女が冷静にそう言ったと同時に、炎を纏った鋭利な先端が、弧を描く。
妖しく燃える炎は尾を引き、槍は精霊の身にかすった。
「くっ……」
ヤビイは地面に尻もちをついたが、すぐに立ち上がった。
「諦めの悪い奴だ」
長い睫毛の瞳が、精霊を冷ややかに見る。
「大人しく渡せば済む話なのだが」
黒い槍が薙ぎ払われる。
「だから!」
ガツン。
「テメエに叡珠は渡さねえって何度も言わせんな!」
と、ヤビイは青い雷を帯びた剣で、槍を迎え撃った。
「俺の大事な相棒以外にやらせるかってんだよ」
ふっ、と息を強く吐き、槍を遠く薙ぎ払った。
そして体を一回転させ、蹴りを入れる。
レイは後ろに引いて回避した。
「七つの叡珠を揃えるのは、アイツなんだよ!」
そしてもう一発、剣を薙ぎ払った。
またも攻撃は当たらず、ガチャンという音と共に槍にぶつかった。
「……貴様自身は何も望まないのか」
銀色の髪の間から、ヤビイをじっと見据えながらレイが言った。
「何だよ」
「貴様自身は何も望まず、願いを叶える権利をあの魔法少女に与えるつもりなのか」
束の間の沈黙。
ヤビイは一瞬、小石が喉に詰まるような感覚を覚えた。
「ああそうだよ。そのつもりだよ」
「……そうか」
銀髪の女は、黒いマスクの下で呆れるようにため息をついた。
――「自己犠牲もいいところだ」
彼女がそう言い放った瞬間、ヤビイの剣を握る手が震えた。
「それによって自分がどうなるか、分かってるんだろうな」
剣を持つ力が弱まり、ヤビイは槍に吹っ飛ばされてしまった。
「がは、っ……!」
さらに追い打ちをかけるように、黒い槍が振り下ろされる。
が、ヤビイはそれを目視し、素早く振り下ろされる槍を素手で受け止めた。
「……分かってるに決まってんだろ」
ヤビイは槍を強く押し上げながら、レイを睨む。
「俺自身どうなろうが、魔法少女になってくれた――エザムの力を受け継いでくれたアイツの願いさえ叶えられりゃそれでいい!」
レイの力が一瞬弱まる。
「そうすりゃ、必然的にあいつらも――」
ここでヤビイはニヤリとほくそ笑んだ。
「いや、テメエらも終わりだからな」
レイは自ら槍を引いた。
表情こそ変わらぬものの、彼女は動揺していた。
何故今になって気づいた?と。
「直接戦ってるうちに気づいたよ。テメエも『そっち側』だってな」
ヤビイはそっと立ち上がる。
「こうして真正面にいると無性に腹立つのも、そういう訳だったんだな」
それぞれが真正面からにらみ合う。
「俺、頭もそんなに良くないし口も悪いけど、勘は鋭いほうなんだよ」
地面と鋼の擦れ合う音。
「あのお色気女や似非紳士野郎より弱い気配から察するに、テメエ、人間の身体借りてんだろ」
ヤビイの鋭い剣先は、真っすぐにレイを向いていた。
刃を向けられた女は何も答えない。
ヤビイの読みは当たっていた。
「反論しないってことは、それで合ってるんだな」
静かに顎を引く女。
「……わざわざそうしてる理由はなんだ?」
ヤビイは正面から、色の異なる一対の瞳をじっと見た。
右眼はオリジナルのレイと同じ、燃えるような紅。
左眼は、アメジストのような妖しく輝く紫色。
「テメエが何の理由もなく人間に取り憑いてるとは、到底思えねえしな」
核心に迫るような、ヤビイの真っすぐな声と瞳。
レイの左眼に、かすかに光が宿った。