#34
時間は巻き戻る。
一人の女が絶望の目覚めを果たし、闇の少年が再起する少し前。
閉園時間をとうに過ぎた夜の遊園地で、一人の少女の身体が横たわっていた。
その傍には、奇抜な外見の女が一人。
幼児体型のその女は、一対の翼のように広がる銀色のツインテールに、真っすぐに切りそろえられた前髪を持ち、フランス人形のような華美な衣装を纏っていた。
ぱっと見可愛らしい外見だが、紅い瞳は常に何かをじっと見ているかのよう開かれ、その目元には特殊なメイクが施されていて、一瞬でも目が合った者に災いを呼んでしまいそうな、不思議なおぞましさを漂わせていた。
その女は、黒髪の少女の身体を前に一枚のカードを持ち、そこに描かれた文字を目で追っていた。
「『アイ カノン』、か」
そこに感情はこもっておらず、女は淡々とカードに書かれた情報を呟いた。
そのすぐ横には少女の顔写真があり、銀髪の女は、それこそが目の前に横たわる少女の名前だと理解した。
すると、目の前に一人の青年が颯爽と現れた。
「おや、一体何をなさっていたのですか?」
白髪の青年・キールが穏やかな声で尋ねる。
「この少女に関する情報を得た。ただそれだけだ」
女は黒髪の少女を見下ろしながら、無表情で言った。
「ほう、貴女がそのようなことをするとは……。その行為によって何か有益なことでも?」
「……私の勝手だろう」
女はそう言いながら、地面に横たわっていた少女を、指一本触れずに起こした。
幽霊のように、ゆらりと力なく起き上がる身体。
そしてそれを自分のもとに引きよせたかと思うと、それぞれの身体は融合し、幼児体型の女は長身の女に変化した。
銀色の長い髪が風に揺れる。
その姿を見るなり、キールは口角を上げた。
「……ほう、そういうことでしたか」
「何を確信した」
赤と紫の瞳の女・レイは言った。
キールは眼鏡を押し上げた。
「貴女が何の理由もなく人間の身体を利用するとは思わなくてね……。なるほど、あの少女でしたか」
そして何の反応も示さないレイに対し、自ら立てた仮説を述べた。
「……勘の鋭さは相変わらずだな」
レイはそう言いながら、メリーゴーラウンドの屋根の上に浮上した。
すると青年もその後に続き、レイの隣に現れた。
「何故ついてくる」
女は煩わしそうに言った。
「貴女に頼みがあります」
「頼みだと? この裏切り者の私に?」
レイは自嘲気味に言った。
「ええ。勿論それなりの報酬は用意してあります」
「断る。何故この期に及んで貴様の頼みなど聞かねばならない」
すると、しめしめと青年の口角が上がった。
勿体付けるようにコートの内ポケットを探る。
「これを見せられても尚、そんなことが言えますか?」
青年が女の前にすっと差しだしたもの。
それは、藍色に輝く楕円の宝玉だった。
神秘的な光を見た途端、レイはそれが何なのかが瞬時にわかった。
「貴様……。それで私が従うと思うのか」
「おや、これが欲しくないのですか?」
と、キールは挑発気味に言った。
「貴女は……否、貴女たちはこれらを求めるため……究極的に言えば、これらの為だけに動いているのでしょう?」
が、レイはそれには乗らず、毅然として言った。
「全部だ」と。
「もう一つある筈だ。そちらも渡してもらうぞ」
キールはそれには応じなかった。
「残念ながらそうはいきません。何故なら、私もこれらを揃えなければならなくなったのでね」
フン、とレイは鼻を鳴らす。
「今頃方針を変えたのか」
「ともかく、もう一つの石を渡すわけにはいきません」
キールは藍色の石を内ポケットにしまいながら、女に近寄る。
「……あの魔法少女と精霊を倒し、彼女らが持つ叡珠を奪うまではね」
レイは青年を睨む。
「貴女は今、我々の元からかすめ取った石たちを持っている筈です」
「ああ」
レイは手の中に、三つの石を取り出した。
それぞれ黄色、緑色、青色に光っている。
そして横取りされる前に、すぐにそれらを引っ込めた。
「魔法少女たちは叡珠を二つ持っている筈。彼女らを倒して叡珠を奪えば、貴女は更に一歩有利になる筈なのですが……」
「それが貴様の頼みか」
「悪い話ではないでしょう?」
呆れるように目を伏せる女。
「貴様の頼みとなると癪だがな。私は私のためだけにやる」
キールは銀縁眼鏡の奥で微笑む。
「つまり、私の考えに賛同してくれるということでいいですね?」
「勘違いするな」
レイはぴしゃりと言った。
「貴様の為ではない」
再び目の前に差し出された叡珠には目もくれなかった。
「随分と頑なですね……」
キールは不服そうに言った。
「道は違えど、同じ叡珠への祈りから生み落とされた者同士だというのに……」
するとレイは血相を変えたように、キールに向かって攻撃魔法を繰り出した。
それが放たれるのと、彼女が正気に戻るのはほぼ同時だった。
が、近距離だったにもかかわらず、キールはその攻撃を軽く躱していた。
「やれやれ、一体何の真似ですか? 貴女らしくない」
青年は困ったように言った。
「柄にもなく取り乱した」
レイは俯きがちだった。
「ただ、私の意思とは関係なく、この身体が貴様の言葉に強く反応した」
レイは自分の、もとい自分の憑依した手のひらを見つめながら言った。
そしてそこに乗った見えない何かを、ぐっと掴む。
「そしてこの身体は、貴様に強い憎しみを抱いている……」
黒いマスクと前髪の間から青年を睨み、レイは言い放つ。
「いずれ、貴様を倒す時が来るだろう」と。
「目的を果たすのに、それに抗う理由はない。身体との利害は一致している」
青年の煩わしげなため息。
「戦闘は不得手だと言っているのに……」
キールはいら立ちを滲ませて言った。
レイはこの時、目の前の青年がずっと保ってきたクールさや、表面的な穏やかさといったもの達がわずかに歪んだのを感じた。
だが、彼女はさほど気にせず、「知ったことではない」とだけ彼に言った。
いずれそれらが崩れたとしても、この手で黙らせればいいのだから、と。
「私への用は済んだか」
「ええ。お時間を取らせましたね」
キールが背を向ける。
「……時間なら取り戻す」
「左様ですか」
キールは意味ありげに微笑みながら、風のように姿を消した。
無音の中で、レイは三つの叡珠を取り出し、それを眺めた。
キール達のもとにいることに漠然と嫌悪感を抱き、一つの答えを導きだした際に、自らの魔力で構築した砦から持ち去った、裏切りの証。
同じ根源から生まれた数少ない者を裏切っても、本人にはうしろめたさもなければ、罪悪感も一切ない。
自ら導き出した究極の答えこそが、今の彼女にとっての全てだ。
「彼のためではない」
と、自分に言い聞かせるように言った。
「私の――否、『私ら』のためだ」
三つの叡珠を見つめる赤と紫の瞳が、夜闇の中で妖しく光った。